5.light☆storyボヤけた世界

(note掲載2020年8月8日 07:56)※スピリット:霊魂

正義、善悪の区別もつかないボヤけた世界
自分だけの為 欲の為 堕落の為
自ら湧き上がる光に満ちた世界
世の為 人の為 自分の為

低いものは低いものと引き合い
高いものは高いものと引き合う

スピリットには必ず神我がある。
誰もが最終的には神と繋がっているからだ。
神我に目覚めた世界が真の幸福といえる。

(低次な霊的現象の始まり)
不思議な事、神や信仰、大好きだった「お宮さん」までもシャットアウトして、周囲の評価や平均値、損得勘定など、目先の利益追求に、染まった生き方を選んだある日の夜。
真夜中に限って、「祭りの音」がする。自室からいくら覗いても姿は見えない。それなのに音は大きくなるばかりで止みそうにもない。

確かめようと、音のする外へ出た途端ピタっと音が止んだ。それと同時に、外灯が届かない深い暗闇から数えきれない視線を感じた。

足が震えたが「寒さのせいだろう」と自室に戻る事にした。

それから、祭りの音は毎夜続いた。そして暗闇の視線が頭から離れなかった。

もう寝ようと思い。明かりを消してベッドに横になる。

耳鳴りと共に、空間の周波数が変わった感じがした。

しばらくすると、階段を誰かが上がってくる音だ。

何かがおかしい。

よく耳を澄ます。気付いてゾッとした。

両足で上がっていない、片足だ。

そして、片足で上がってくる音が、とっくに階段数を超えている。

「トントントントトトトトトトトン」この音が2時間は続いた。

気味悪かったが、無理にでも眠る事にした。

学校から帰ると、喉を潤すためキッチンへ行き水を飲んでいたら、2階で走り回る音がした。

走り回る音からして、5人以上の子どもだった。

お風呂場では、シャワーの音が常に聴こえていたが、誰も使用していない。

ある時は頭痛が伴う耳鳴りがし始め、悪寒が走り、ドブのような悪臭に吐き気がした。空間が陰気で重苦しくなると同時に、直ぐそばに誰かがいる気配がした。

夜寝ていると、突然体が、動かなくなり体が浮く感じがした。天井から刺すような目つきの女性が私を引っ張り上げていた。何とか、抵抗して朝を迎えた時にはグッタリしていた。

別の日は、何かに切り裂かれる痛みで目が覚めた。もちろん部屋に誰もいないが刀で切られた様な深い痛みだけが残った。どうしてでも、私を殺したいのだろうか?首を絞められる経験をした時は、恐怖よりも悲しくなった。そのうち、悪魔の様な獣が覆いかぶさってきたこともあった。

「なんで、私だけ。」

もう、思考する事も睡眠を取ることも出来なくなり、無意識に大量のお菓子をむさぼる事もあった。限界に来た時、何かが自分の中で湧きあがった。

「負けられない」

そう立ち上がった時、思考がクリアになり、様々な「戦う術」が頭をよぎった。根拠や知識など一切ないが、この術に全てを託す事にした。

最初に目に留まった、和室に祀ってある「破魔矢」を振りかざしながら念を込め始めた。

「去れ!」

言葉と破魔矢で切り裂く様に、一心不乱に家中を駆けまわった。
抵抗する様に、影がたくさん視えたが、構わなかった。

恐怖に打ち勝つほど思考がクリアになり、力がみなぎって来たのだ。

「負けてたまるか」

力を全て出し切り、全身全霊で払い除けていたら、空間が和らぐのが分かった。

そのうち全身の鳥肌も引き、今まで聞こえなかった鳥のさえずりが聞こえた。草花の匂いも漂ってきた。窓から陽の光が大きく射し込んできた時、何故か疑いもなく「終わった」と安堵した。

(低級霊は負の思考が大好物)

破魔矢は、邪気、魔を祓い。また、古代の人々は弓矢には悪霊を追い払う力があると信じていたという事を後で知る。祓う念は届いたようで不可解な現象は起きなくなった。

この日を境に、陰気なものとは真逆の行動と意思を持つよう心掛けた。

異様な空間と周波数を合わせなければ良いのではないかという発想からだった。この経験が後に、「霊的真理8原則:波長の法則」の理解を深める経験となった。

(善に歩みだす腹を決める)
一点集中で何がなんでも好転させる覚悟を決めた善のマインドが無意識に解決への行動、意思の選択をし始めるのである。波動が下がるという事は低次なものと共存していくチャンネルの世界なのだった。五感や喜怒哀楽を味わい尽くし課題や試練を乗り越える事でスピリットは磨かれる。

(守護の導きはいつもそばにある01~05まとめ)

守護は、魔術師ではない。自分の人生を創造するのは自分たちである。スピリチュアルで人の心が癒えるのは、たましいの存在を素直に受入れるからである。私たちは、霊的存在であり物質的存在なのだ。霊的部分であるたましいの存在を否定すると、自分・他者・動物・自然、命あるもの全てを「物」と認識する為、目に見えるものだけに存在価値の重点を置き「生命の物質化」の思考がパターン化した脳は「愛」など物的に存在しないものを脳が感知しない為、感応力が低下する。この結果、「愛」と「愛欲」の区別がつかない。

守護のエネルギーは「愛」そのものであるが、感応力が低下すると守護の導きを感知できなくなる。この状態は人から発するエネルギーの波動が下がった状態である。また、低い波動は低級霊の発する低い波動とチャンネルが繋がる。この様な場合も、常時守護は警告を発信しているのだ。低次なエネルギーを止めるには、負の思考を停止する必要がある。「無」になったこの一瞬で守護とプラグが繋がる事もある。

Light☆story02~03:この時の「無」は「思いやりの念」に感謝をすることで、思いやりに「生」で応える「利他愛の大切さ」への気づきである。

Light☆story04~05:低次な霊的現象による「波長の大切さ」への気づきである。波長を上げて、低次な心霊現象に2度と引き合わない様にと、霊的真理への学びが始まった。

守護は、私たちが神の規則に沿って生きる様に常時見守り、時に警告する役割なのである。守護とプラグを繋ぐかどうかは最終的には自分次第である。正しき霊媒(ミーディアム)たちはそれぞれの導きと共に霊界と信頼関係を築き人々に伝えていく。これからの時代は、「人と守護との正しい関わり」が「生きる要」となるのだ。

私の役割は守護と人が、プラグが繋がる様にサポートすること。

目覚めた人から「第二の世界」をはじめよう。

Light

4.light☆story摩訶不思議

(note掲載2020年8月1日 18:33 改訂版)

(黒板の裏側)

授業中、黒板に反射した太陽光が眩しくて、カーテンを閉める光景は、学校でよく見かける。だが、この日はカーテンを閉めても眩しかった。

光に気を取られていると、脳内のスクリーンに、天井から教室を見下ろしている映像がはっきり映った。その数秒後、何かに引っ張られるように、黒板の裏側に映像が移り変わる。
空想ごっこにしては、自分のもうひとつの体が浮いたような体感もリアリティがあった。


黒板の裏に同じ世界がある。

厳密に言うと、少し何かが違うが、何が違うかは分からなかった。
時間経過の感覚も鈍っているのが怖くなってきた時、誰かに呼ばれた気がして振り返ったら、映像が遮断された。

あたりを見渡すと、普通に皆、授業を受けていた。先生も何もなかった様に授業の締めに入っている。よそ見をしたら直ぐに注意する先生だったので何だか違和感が残った。

同じ場所でも、周波数が違う異空間が隣り合わせで存在している様に感じた。

何だかとんでもない宇宙の秘密に、気付いてしまったような感覚に戸惑いを隠せなかった。

思春期に入る頃、時折体験する「不思議」について、真剣に考えるようになった。年齢の低い子どもなら、不思議エピソードも無邪気な子どもの「空想ごっこ」だと片づけられ、誰も怪しく思わないが、思春期になると周りの反応はそうはいかない。この時代に「スピリチュアル」という言葉は普及しておらず、「死は不吉」「霊が視える」は怖い人、呪われた人という陰気なイメージが強く、不思議体験者は精神の病みからの幻覚者と根拠もなく一括りされていた。この背景もあり、偏見は将来の足枷になると考え。人から「不思議」と思われるもの目に見えないものは全てシャットアウトしようと心に決めた。

(思春期・日ごと増す摩訶不思議)

現実主義に生きる決意と、反比例するかのように、自分ではコントロールできない不思議現象は増えていった。解決の糸口が分からず、落ち込む事も多くなり、自分の存在が目立たない様に一日を無事に終える事だけに集中して誰とも深入りをしたくない気持ちでいっぱいだった。自分も周りもいつまでも無邪気な子どもでいられない。大人になる事は、利己的に生きる事だと思っていた。

「神様はなぜ助けてくれないの?」愚かな私は、自己憐憫の低い世界に陥っていった。

神と守護を正しく理解していないと、感情型の自己憐憫に陥る。また、打算的な動機から発生する思考は、心のシグナルを遮断し、損得勘定が判断基準となる。神や守護さえ都合の良い「魔法使い」扱いとする愚かさ。この後、「波長の法則」を体験から学ぶことになる。

次の記事「ボヤけた世界」に記す体験が無ければここまで、霊的真理を深く学ぼうとは思わなかったかも知れない。不可解に思う事は全て霊的真理が明らかにしてくれた。

現在の仕事を始める前、たましいの階層をガイドが見学させてくれた。低い階層では、気味の悪い歌声が響いていた。呟くようで恨めしい。か細い声。そして、纏わりつく様で寒気がした。エレベーターが止まり、扉を開けてみる。

人か化け物か認識できない白い人型のものが、悲しげに歌いながら何かをずっと待っていて、何かをずっと探していた。帰ろうとしたら走って追いかけてきた。

ここで、この階層の見学が終わり次は息を呑む美しい階層へ移動した。美しいメロディを心地よく聴きながら確信した。

霊的真理はたましいを裏切る事はない。

「頭ではなく、たましいが知っていることがあります。たましいの叡智が働き、危険を知らせてくる場合は、その声に素直に耳を傾けましょう。」

(自分に奇跡を起こす江原啓之100の言葉P97:災害支援チャリティ書籍:江原啓之 著)

3.light☆story底まで落ちたら上がるだけ

(note掲載2020年7月24日 18:32改訂版)

(足跡)

少女だった私は堕ちきった先は何も存在しない「無の境地」を知った。

人は道を失うと冷静でいられず嘆き狂ったようにさまよう。エネルギー尽きるまで感情を出し切ったら、前を見て歩くしかないと悟る。

そして、歩き出しながら、どこに向かっていけばよいのか分からず逃げ出したくなる。

だが、逃げ出す場所もない。なぜならそこには、「無の境地」だからだ。

目を閉じる。今度は心に問う。

人間は無力な生き物である事を悟る。

何かに頼らなければこの境地から脱出できないからだ。

道具や、人には頼れない。

もう一度目を閉じる。

どこからか、声が聴こえてくるが直ぐに消える。また少し聞こえるが直ぐに消える。

心を無にして声に全身全霊かけて集中する。

聴こえた「前を見て上を向いて真っすぐ歩みなさい。」

どれだけ待ちわびたろうか、ようやく聴けた歩くべき方角に、感謝の涙が止まらない。

何度も何度も、姿のない声に感謝をする。心が晴れたと同時に一寸先に光が見える。

もう足が先に駆けだしてしまっている。息が切れても感謝と歓びが止まらない。

あと少し。もう少し。光がどんどん大きくなる。

ふっと歩んだ道を振り返る。

最初は、彷徨よったランダムな足跡。立ち止まった足跡。歩み始めた足跡。信じて歩み出した足跡。駆けだした感謝の足跡。

今度は、ハッキリ聴こえた。

「これがあなたの軌跡」

上を見上げたら、そこには神がいた。

魂が泣き、魂が震えた。

神は地に居らず天にいる。

下を向く人生か上を向く人生かは自分の歩み次第なのだ。

神の愛を体感した時、目の前の光が自分を包み光の向こうから声が聴こえる。

恐れなど無い。光の中に入ってみる。

懐かしい顔がたくさんいる。ようやく辿り着いたと安堵した。

よく見ると、懐かしい顔は全て自分の顔だった。

(底からの脱皮は計画的に)

「どのように生き直すか?」を数日模索したが、どれも自分を奮い立たせるほどの「ワード」は見つからなかった。頭を整理しにふらっと一人で、いつもの神社へ行く。その小さな神社を「お宮さん」と呼んでいた。境内の植物や陽の光が心地よい。いつの間にか遊びに夢中になっていた。境内の隅から、1匹の猫が現れ、社殿の下からずっとこちらを見ていた。猫と同じ目の高さまで頭を横にして、遊ぼうとしたがじっとこちらを見据えて動いてくれなかった。どれだけ時間が経ったか分からないが、あたりも暗くなり始めたので帰る事にした。「猫ちゃんバイバイ」そういって、鳥居を出て振り返ると、猫はすっかりどこかへ消えていた。

大好きな猫にも会えたし「神様ありがとう。明日はもっといい日になります様に。」

そのまま、深い眠りに落ちた。

翌朝、通学途中に見慣れたはずの花、空、太陽がなぜかより美しく感じた。それだけではない。人の幸せそうな顔、優しい顔、が妙に目に留まるのだった。

いつもの世界のようで、180℃違う世界。
この日は優しさに包まれたような世界に感じたのだ。

その日の夜、ずっとボーっとしていた。どれくらい時間が経ったか分からない。時計をみても時間が頭に入らない。

自分を苦しめるだけの世界に今までどれだけ、エネルギーを奪われて来ただろうか?外の世界はこんなにも希望に満ちている。当時少女だった私は、心の闇から、一人では到底乗り越える事は出来なかった。これは、たくさんの人の小さな優しさの集結が、一つの思いやりとなり、少女だった私は光へ導かれたのである。また、小さな優しさに感謝する事は自分を救う灯となることを、神は教えてくださったのだ。

自己愛的世界から得られる幸福感は極めて低く、利他愛的世界から得られる幸福感の広がりに無限を感じた。現在のカウンセリング業務の基盤はここから始まったのかもしれない。

(自己愛と利他愛)

人は、生まれた落ちた環境で自己愛が満たされ、成長と共に利他愛に目覚めていき、成人したころは、第二の本能「貢献脳」が発達してくるのだ。しかし現代は自己愛的世界観の人が多い。自然界の恩恵を感じない食と無機質な環境がもたらした結果である。日本の信仰である神道では、「自然には神が宿る」とされ「ご飯を粗末にするとバチがあたる。」という教えの風習が一般家庭で多くみられた。特に「米」に関しては最高神である天照大御神の一説が残っている。「人々が食べて生きていくもの」として、天照大御神が邇邇芸命(ニニギノミコト)に手渡したのだ。特別な米だけではなく、信仰心のあった日本人たちは、全ての食は、天候や土地の条件が整ってこそ「豊作」となり「天神地祇」(天の神と地の神)の恩恵を賜る奇跡に深く感謝したのだ。

天が荒れれば、天の神に赦しを求め、地が枯れれば行いを振り返り、地の神を崇める。

神の領域と人間の領域に過信することなく、天と地の厳しさから信仰心を学ぶ。神と共存した生き方は、他者の中に「菩薩」をみる。この菩薩は菩薩同志が共鳴し合い。善良な人間で在ろうと謙虚に努める。この姿が幼子の教養となり「助け合う」意味を知る。みんなが手を取り合いながら、神の威厳に敬意を表して暮らしていたのが我々、日本国民の祖先である。現代の我々は、誇り高き祖先の教えを受け継げているだろうか?

戦後、日本国民は多くを失った。戦後の異国の文化は生活様式を変えた「物質の豊かさ」が世の人々の生きる目標となったのだ。物質の豊かさを追うほど、心の豊かさは失われていく。だが、戦後生きるには、何不利構わない姿勢が必要だった。戦争の心理被害はここから先の戦後に、闇が深くなっていく。物質の豊かさには、成功、競争、権力、支配力が必要であった。成果主義時代の始まりである。1954年には日本の高度成長期を迎える「Japanese miracle:東洋の奇跡」と異国で持てはやされる事となる。この裏側には、急速な発展による痛ましい代償があった。環境破壊により人も海も犠牲となる。「水俣病」「イタイイタイ病」「四日市ぜんそく」「第二水俣病」の公害病。大量生産による「ごみ問題」による大問題を、目の当たりにしても、多くの人は物質の「豊かさこそが幸福の象徴だ」という思想を改めなった。戦後1年の1946年 日本窒素肥料がアセトアルデヒド、酢酸工場の排水を無処理で水俣湾へ排出。公式発表は1956年これにより水俣病がようやく国民に認識されるのだが、公害対策基本法(1993年環境基本法施行の為に統合)が公布、施行されたのは1967年である。被害者と遺族の心情を思うと、実に遺憾である。戦後直後の日本は、孤児が溢れかえっていた。

成長期に必要な、「自己愛の満たし」を誰がするのか?皆生きる事で精一杯だった。

1945年厚生省は戦災孤児等保護対策要網を発表した。(1.個人家庭への保護委託2.養子縁組の斡旋3.集団保護の対策)しかし、実際は、同じ境遇の子どもで徒党を組んで生活した。また、窃盗、反社の下働きをする者も珍しくなかった時代背景がある。幼少期に自己愛が満たされないままだと心が、成熟しきれず自己愛から抜け出せない。そのまま成人すると、物質に偏った思考になりがちである。「今だけ、金だけ、自分だけ」(農業経済学者:鈴木氏)の愛念の通わない思想である。だが、人間の脳は未知数であり多くの可能性を秘めている。

自分の自己愛欲求の思考癖を知り、日常生活に利他愛の小さな実践を繰り返す事で、思考の尺度は広がる。自己愛欲求を認め受け入れ事で満たされなかった自分を癒し手放す事が出来る。命ある限り人は何度も生き直す事が出来る。因果応報で利他愛は自分も人から愛され

る唯一の方法なのである。小さな優しさの集結が一つの思いやりとなり、少女だった頃の私は救われた。どんな背景だって、運命の法則により変える事が出来る。また、自然霊界からは、これから先の世界に起こる厳しいメッセージと共に、心の在り方を正すまで自然界の浄化は止まらない。菩薩が共鳴しあう慈愛に満ちた信仰心に立ち還る時が来たのだ。

「大きなことをする必要はありません。小さなことに大きな愛を込めればいいのです。」

(マザー・テレサ)
「わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたたちとあり、あなたたちの心が喜びに満たされるためである。」(ヨハネ15・11)

「私の幸せは他者の笑顔の中にある」

底まで落ちたら上がるだけ

闇からみえる光に這い上がるには

相互の「愛」が必要なのである。

   light

「2022年の霊的世界メッセージ全体」

《私が受けた霊的世界からのメッセージ》2020年から現在 light☆navigation

天と地が、ひっくり返る。大地が避ける。地鳴りと濁流。大地が揺れ物質は瓦礫となり、宝とした物質である瓦礫の下敷きとなる。大地と海の境界線が分からない。逃げようのない数又は威力の竜巻。人の産物で人が殺される。自殺者が増加する。精霊の言葉は更に厳しい「ニンゲンノワルイソウネンミナコロス」そしてこう続く、「人間は愛してない者と結婚し、また愛を育もうとしない。」「人間にとって愛とは何なのだ。」

抗えない自然界の神々に宝とした物質を取り上げられ、心を正す道が、魂の光の道となるであろう。※メッセージ通りにならない様に、思考の転換をして世に反映させなくてはならない。メッセージがクリアされると私の中でこのメッセージから発するエネルギーは一切感じられなくなるが、このメッセージは現在も用済みとなっていない。

《2022年流れ》

(2021年の後半から2021年12月までに3回に分けて受け取りました。)

(2022①)

陰陽パートナーシップ 異色の組み合わせ 

利他愛より自己愛者増加、不平等な結果。無慈悲、思いやりが問われる。

☆霊界から世へ

『祈り』多くの者は、心が戻らない。

祈りが届けば、心が戻る。

『悟り』には、天災

(2022②)

日本

世の産物への、見直し。知恵と行動力が妄想を打破する

煙に巻いていたものが露見する。雨 暴風 多くなる

世界

情報操作に人々は振り回される。責任主体で深く思考せず、得をするのは自分だけと分け与えもしなかった者には、情報操作に操られるカルマが還る。習得するまで学びのカルマは終わらない。

コロナ

打ち勝つ努力を続けること。勝つには誤った情報に惑わされないこと。

天に届く様、魂の解放を祈る 多くの魂の旅立ち

(2022年③)

人の流れ

人生の創造より快楽を求める。時には、「笑い祓い」をする。

自然に宿る神々に感謝を。

個人に出来ること

感情に流されない正しい言語で小我を斬り捨てる

失った物質を追うのでは無く、体制を立て直し、生命に必要な社会貢献者の提案。金融崩壊の可能性を考慮して価値観を見直す。

人への導き

幸せだと感じる心の平安に移行する。能力の活かす進路変更。真価はまだ気付けない。

企業への導き

原点回帰、生命に必要な社会貢献と高いニーズに応える。衣食住

天の正義の指針を軸とする 人間の正義はこの先、常識の変化があり、今までの常識は使えなくなる。組織全体判断力の低下傾向。

真の幸福は霊界に聞く

light☆navigation

2.light☆story人間の裏の顔

(note掲載2020年7月17日 16:05 :改訂版))

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: blog_img_1.png

(悪に飼いならされた少女)

生まれてきた事に何の意味があるのか?

私を見る目がなぜこんなに冷酷なのか。

猫が好きで道端にいる猫を触ると「この魔女が!」と罵られた。

約束の時間に5分遅れると何度も何度も痛い思いをした。

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: blog_img_2-1.jpg

お腹がすくと「卑しい」と怒られた。

謝罪と好きの詰まった手紙は直ぐにゴミ箱に捨てられた。

笑うと「気持ち悪い」と言われた。

悪い事が起きると全て私が悪いと言われた。

お友達に好かれると「媚びを売る卑しい子」だと言われた。

周りの大人がかばってくれると「卑しくて嘘つきで悪い子」だと言われた。

みんなが私を褒めた後、みんながいなくなると、痛みに耐える時間がくる。

耐えれそうに無い時に、浴びせられた魔法の言葉は「全ておまえの妄想。」だった。

ある時、お友達が私をみて泣いた。

たくさん泣いていた。

私は幸せだと思った。

でも、お友達を悲しませるのは嫌だと思った。

「魔法使いが現れたみたいに、もう大丈夫になったよ。」

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: blog_img_3-1.jpg

お友達は、花の様に笑った。

もっと幸せだと思った。

寝る時は、いつも涙が溢れてきた。

もう全てが壊れそうだった。

そんな時は、メリーゴーランドが目の前に現れてくれた。

誰も乗ってない、私だけのメリーゴーランドは泣き止むまで、優しい光を纏いながら、周り続けてくれていた。そのまま、眠りについて美しい夢を見た。白くてフワフワして優しい光を放つ空の様な世界で、空の住民たちはみんな優しくて、どういう訳か、無条件で愛してくれた。私は、嬉しくて、嬉しくて、ずっと笑っていた。

空の世界は死後の世界なのかもしれない。

それでも、何度も繰り返される、苦しみと苦痛から逃れる為には「空の世界に行くしかない。」

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: blog_img_4-1.jpg

そう本気で考える様になった。

だって、あんなに幸せな世界なのだもの。

そして、実行の日まで、優しくしてくれた人達に「ありがとう」を何度も伝えた。

実行の日、スムーズに一人の時間が出来た。

後もう少しだ・・。その時、何かが自分の中で弾けて泣き崩れた。

陽だまりの光が、うずくまって泣き叫ぶ私を、いつまでも慈悲深く包み込んでいてくれた。

少女だった私を救ったのは、たくさんの人からの「思いやりの念」と守護の慈愛だった。魂の修行が困難を極めた幼い子どもには、時折、霊的世界から、わかりやすい形で励ましのエールが贈られる。私はメリーゴーランド(励ます想念の可視化)と空の世界(守護の計らい)だった。

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: blog_img_5.png

大人になっても魔法の言葉は消えなかった。

悪魔は、何をしても染まらない私が、疎ましくてしょうがなったのだ。だが、大人になっても心の闇と代償にしても私は、悪魔から愛されたかった。だから、悪魔の魔法はいつしか私にとっても、都合が良いものとなってしまった。

しかし、初めてお腹の中に愛おしい鼓動を感じた時からこの魔法は解かれていく。

産まれたての小さな手と、ひまわりの様な笑顔が「本当の愛」を教えてくれたのだ。

本当に天使だと思った。

天使の幾度目かの誕生日の時、ひっそりと身を潜めていた悪魔が、我々の前に現れた。悪魔は天使の笑顔を奪う事に専念していて何度も睨みつけていた。天使は、目をそらす事しかできずに、悪意に満ちた目にずっと耐えていた。この時の表情は、少女の頃の私そのものだった。「同じ事を繰り返してはならない。」その瞬間に私の「悪魔の魔法」は解かれた。

「私は全て記憶している。妄想者はお前の方だ!恥を知れ!」と言い放ち、悪魔が悪言を閉ざすまで、毅然とした態度で打ち返し続けた。「ママありがとう。」涙を滲ますひまわりの笑顔を力いっぱい抱きしめた。そして、神は「愛」を信念とする者に「幸福」を与えて下さるものだと確信した。

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: blog_img_6.jpg

(善と悪)

世の中に善と悪が浮遊してオカルト的に存在しているのではない。人の中の善と悪の思考が世に反映しているのだ。浮遊しているのならば世の形成は人間の思考が根源である事実が置き去りであるからだ。現実に戦争、虐待、虐め、環境破壊は、人間が引き起こした「悪辣な思考部分」である。この悪浮遊思想からすると、悪神からの被害にあった不運な一部だけの人間の末路というSF的な見解となるのだ。悪神は闇兵器創造の魔法使いという事にも成りえる。被害者を他人事と捉えて、終わってしまってはいけない。同じ人間として出来る事があるはずだ。一人でも多く、良心に従い、勇気を持って利他愛に芽吹いた時、世界は変わるのではないだろうか?

(闇世界の仕組み)

「悪」を増幅させるのは「負の思考による選択と行動」この人口率が上がる程、世の闇は深くなる。自然災害を「悪」と捉えているなら。不正解だ。何故なら、「自然界からの浄化」は「負の思考の浄化」だからだ。つまり「悪」が引き寄せた「災害」という事になる。また被災者を「他人事」と捉えている事も類魂の法則(神の規則)に反した「負の思考」となるのだ。

(悪からの学び)

さて、他者の思考の中に存在する「悪」をみてあなたはどうするか?戦うか、染まるか、手放すか?戦うなら、毅然とした態度と不動心で、内なる悪も含め全ての邪念、悪念に打ち勝たなければならない。また、言霊には、叡智が宿っていなければならない。

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: blog_img_7-1.jpg

染まる思考は神に反する事、生きても死んでも魂に真の幸福は訪れない。

手放す時は、「人を裁く権利は、人には非ず。」因果の法則は神の領域である真理に感謝する。

(神の歓びは魂の向上)

「あなたがたは世の光である。」(イエス☩マタイによる福音書5章4節)

個人の光が増せば世も光を増す。光るには、闇と向き合い手放さなければならない。悪は内なる闇と向き合う事を許さないだろう。

あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」(イエス☩ヨハネによる福音書8章7節)

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: blog_img_8.jpg

人は誰もが罪人である。人の中には神も悪も混在する。

だから神と共に生き抜くのだ。  light

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: blog_img_9.jpg
画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: blog_img_10.png
画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: blog_img_11.jpg

1.light☆storyどんな子だったか?


2020年7月14日 08:11note掲載 改訂版

(魂の記憶)

胎内記憶、生前記憶、乳児の記憶を、人間は稀に覚えていることがある。生命の神秘はまだ解明されていない部分もあり、脳の神経回路網と宇宙網は似ている事に着目した、天体物理学者と脳神経外科医が『脳と宇宙』について研究チームを組んだほどだ。また、国内外問わず多くの各専門家たちが本を出版している。続いて『遺伝子と脳』の関連性も生命の誕生には欠かせない要素となる。スピリチュアル的な見解では、生命誕生は、肉体に魂が宿った状態であり、人間はスピリチュアルな生き物である為、第六感は誰もが備わっている能力の一部なのである。人生形成の基盤である体、脳、遺伝子等、生まれた直後に人智では変えようのない環境などの基盤を活用しながら、試行錯誤を繰り返し「人生の城」を形成していく。

この過程でスピリチュアルな存在達とプラグが繋がる事で、物質的存在と霊的存在を含めたエナジーが自分の「魂」なのだという事を知る。不可能とされる魂の記憶を持つ者たちは、何のために存在するのか?体験談「light☆story」と織り交ぜながら、説明していきたい。

(封印されていた記憶)

思考、記憶、理解、情操の表現を司る前頭前野は4、5ヵ月から二十歳程度かけて発達し続けるはずなのだが、乳幼児期の事を何故か覚えている。

大人の会話に割って入ったら、喃語しか使えて無い事実に、神の意図を感じまた、現世で生きる掟を汲み取った。お昼寝の際、天井いっぱいに人が居て、時折あやしてくれた時は実に嬉しかった。「あやす作業」によって、「楽しい気持ち」になるという人間の感情「喜怒哀楽」を学んでいるのだと理解していた。時折聴こえてくる日常会話を理解している事も、隠さなくてはいけない義務感など霊的世界と物質的世界を行ったり来たりしている感覚である。また、目がぼんやりしている時は、人間の匂いで、誰だか判別していたが、一度に多くの存在の判別は難しかった。味覚に関しては、甘味と匂いが食への判別基準だった。乳児用の麦茶の甘味が無い事に不服だった。「硬さ」では食の判別が出来ず、今考察すると、おもちゃを口に入れていた、乳児によくみられる時期だったのではないかと思う。離乳食の固形物が喉に入ってくる感触も最悪だったが、物質的世界の肉体に慣れる事に専念していた。

自分の拳を見つめ「なぜ?ずっと拳を握っているのだろう。と不思議に思い、開けようとするが上手くいかなかった。

また、なぜか不安に感じた。人体の発達にはあらがえない順番があるのだと理解した。天井から光と共に何かに手招きされると同時に場面が変わり。空の上の様な霊的世界で過ごした記憶もミックスされて残っている。霊的世界でのミーティングは、肉体と地球に慣れたかどうか、現世での目的と役割の確認など詳細に報告と指導を受けた。

私は最初、物質的世界の音と匂いだけでなく、食す事が苦痛だと、霊的指導者に不服を申し立てていたが、霊的世界から独り立ちするには、受け入れるしかなかった。指導者はいつでも冷静で的確だった。周囲の霊的存在達は、何とも言えないせつない表情で心配そうに私を毎度、物質的世界へ送り出していた。

ある時、指導者から「これが最後」と独り立ちを宣言された時を境目に、この乳幼児期の記憶と霊的世界の記憶は、スピリットが覚醒する38歳まで思い出される事はなかった。ここからが、私にとって苦行の始まりである。霊的世界の記憶を失っても、魂に刻まれた記憶の感覚は消えなかった為、学童期までは特に無意識に多くを否定していた。「本当の家族はこんな事言わない。」「本当の愛ならこんなことしない」「本当の・・・。」「本当・・・・。」無意識に求める「本当の世界」は一体何なのだろう?他者からみて、明朗快活である私から、想像つかない程の深い葛藤を抱えて生きていた。そんな時、こんな夢を見た。天界(霊的世界)から星となり地球に向かう道中、魂の仲間(類魂)と互いの健闘を祈り合いながら二手に分かれた夢である。「もしかしたら、同じ気持ちの人がこの地球上にいるのかも知れない。」そう解釈すると、いつも少しだけ元気になれたのだった。

(魂の記憶と脳の記憶の保存場所)

『脳の記憶』と『魂の記憶』の記憶保存場所は違うという事を説明しておきたい。現実世界と霊的世界の境目を理解した上で、第六感を受入れ、冷静な分析と探究心を持って、霊的真理(神の定める規則)を理解し日常へ実践する事で、ようやく正しく咀嚼できる。この道理から、神の規則に反した動機と現実世界にリンク出来てないスピリチュアルは神の意図するスピリチュアルでは無いという事になる。

(魂は永遠に生きる)

現世で役目を終えた魂が霊的世界へ帰り、物質的世界で染みついた物資への執着などを手放しきって、守護や、魂の家族がいる階層(霊界)へと上昇する。更に魂を向上させる為に物資的世界での内なる闇のあぶり出しが必要となる。そして守護、類魂と溶け込んで、神のエナジーと一体となるまで、魂の向上に必要な部分再生は繰り返される。この理により、ネガティブな闇が存在するのは物質的世界だけという事である。ここでよく聞かれる質問がある「地球の悪人は、死んだらどうなるのか?」魂帰還階層は一寸の狂いもなく神の意志により差別化されており、悪人は悪人の階層へ、善人は善人の階層へ。そして善悪の保持率により更に細分化されて、寿命を終えた魂は、物質的世界から霊的世界へ移行される。各階層の行き来は、各々の守護の指針により判断される。要するに、霊的世界では同等の悪をみて「悪」と認識できないのは「魂」に表も裏もないからなのである。物質的世界の人間には表も裏もある。なぜなら「闇」をあぶり出す修行場だからだ。

(前世)

現世で視える前世とは、魂の闇を手放す為のカリキュラムの一部なのである。「前世が視える」とはカリキュラムの一部を透視した事に過ぎない。通常生きていて、前世を知ることはないが、何らかの形で前世を知ることになったのだったら、今世で生きるカリキュラムの一部を乗り越えるためのヒントを守護からのメッセージを預かったという事なのだ。要するに「視えた」だけで終わってはいけない。現世で活かすために神の規則に沿った分析が必要なのだ。

(神に仕える者は皆等しい)

本来のスピリチュアルは実にシンプルでいて奥が深い。霊的真理を深めていくほど我欲という愚かさにどれだけでも向き合う事になる。そこから逃げ出す者、踏ん張る者、逆恨みする者、利他愛に芽吹き霊的真理の実践を拡げ続けていく者。スピリチュアルに開花した者の役目は、神の規則に沿って歩き、神の真理を伝える事以外無いのではないだろうか?生きる者は全て等しく『知る権利』があるのだが、真理を真理のまま魂の一部として受け入れるか、真理を思想の一部として受け入れるかで、光と闇に分かれていくのだ。

「種を蒔く人は、神の種を蒔く」イエス:マルコによる福音書4章14節

土の肥料は善の思考である。light

☞次回 No.2「人間の裏の顔」

©2022 light☆navigation