5.light☆storyボヤけた世界

(note掲載2020年8月8日 07:56)※スピリット:霊魂

正義、善悪の区別もつかないボヤけた世界
自分だけの為 欲の為 堕落の為
自ら湧き上がる光に満ちた世界
世の為 人の為 自分の為

低いものは低いものと引き合い
高いものは高いものと引き合う

スピリットには必ず神我がある。
誰もが最終的には神と繋がっているからだ。
神我に目覚めた世界が真の幸福といえる。

(低次な霊的現象の始まり)
不思議な事、神や信仰、大好きだった「お宮さん」までもシャットアウトして、周囲の評価や平均値、損得勘定など、目先の利益追求に、染まった生き方を選んだある日の夜。
真夜中に限って、「祭りの音」がする。自室からいくら覗いても姿は見えない。それなのに音は大きくなるばかりで止みそうにもない。

確かめようと、音のする外へ出た途端ピタっと音が止んだ。それと同時に、外灯が届かない深い暗闇から数えきれない視線を感じた。

足が震えたが「寒さのせいだろう」と自室に戻る事にした。

それから、祭りの音は毎夜続いた。そして暗闇の視線が頭から離れなかった。

もう寝ようと思い。明かりを消してベッドに横になる。

耳鳴りと共に、空間の周波数が変わった感じがした。

しばらくすると、階段を誰かが上がってくる音だ。

何かがおかしい。

よく耳を澄ます。気付いてゾッとした。

両足で上がっていない、片足だ。

そして、片足で上がってくる音が、とっくに階段数を超えている。

「トントントントトトトトトトトン」この音が2時間は続いた。

気味悪かったが、無理にでも眠る事にした。

学校から帰ると、喉を潤すためキッチンへ行き水を飲んでいたら、2階で走り回る音がした。

走り回る音からして、5人以上の子どもだった。

お風呂場では、シャワーの音が常に聴こえていたが、誰も使用していない。

ある時は頭痛が伴う耳鳴りがし始め、悪寒が走り、ドブのような悪臭に吐き気がした。空間が陰気で重苦しくなると同時に、直ぐそばに誰かがいる気配がした。

夜寝ていると、突然体が、動かなくなり体が浮く感じがした。天井から刺すような目つきの女性が私を引っ張り上げていた。何とか、抵抗して朝を迎えた時にはグッタリしていた。

別の日は、何かに切り裂かれる痛みで目が覚めた。もちろん部屋に誰もいないが刀で切られた様な深い痛みだけが残った。どうしてでも、私を殺したいのだろうか?首を絞められる経験をした時は、恐怖よりも悲しくなった。そのうち、悪魔の様な獣が覆いかぶさってきたこともあった。

「なんで、私だけ。」

もう、思考する事も睡眠を取ることも出来なくなり、無意識に大量のお菓子をむさぼる事もあった。限界に来た時、何かが自分の中で湧きあがった。

「負けられない」

そう立ち上がった時、思考がクリアになり、様々な「戦う術」が頭をよぎった。根拠や知識など一切ないが、この術に全てを託す事にした。

最初に目に留まった、和室に祀ってある「破魔矢」を振りかざしながら念を込め始めた。

「去れ!」

言葉と破魔矢で切り裂く様に、一心不乱に家中を駆けまわった。
抵抗する様に、影がたくさん視えたが、構わなかった。

恐怖に打ち勝つほど思考がクリアになり、力がみなぎって来たのだ。

「負けてたまるか」

力を全て出し切り、全身全霊で払い除けていたら、空間が和らぐのが分かった。

そのうち全身の鳥肌も引き、今まで聞こえなかった鳥のさえずりが聞こえた。草花の匂いも漂ってきた。窓から陽の光が大きく射し込んできた時、何故か疑いもなく「終わった」と安堵した。

(低級霊は負の思考が大好物)

破魔矢は、邪気、魔を祓い。また、古代の人々は弓矢には悪霊を追い払う力があると信じていたという事を後で知る。祓う念は届いたようで不可解な現象は起きなくなった。

この日を境に、陰気なものとは真逆の行動と意思を持つよう心掛けた。

異様な空間と周波数を合わせなければ良いのではないかという発想からだった。この経験が後に、「霊的真理8原則:波長の法則」の理解を深める経験となった。

(善に歩みだす腹を決める)
一点集中で何がなんでも好転させる覚悟を決めた善のマインドが無意識に解決への行動、意思の選択をし始めるのである。波動が下がるという事は低次なものと共存していくチャンネルの世界なのだった。五感や喜怒哀楽を味わい尽くし課題や試練を乗り越える事でスピリットは磨かれる。

(守護の導きはいつもそばにある01~05まとめ)

守護は、魔術師ではない。自分の人生を創造するのは自分たちである。スピリチュアルで人の心が癒えるのは、たましいの存在を素直に受入れるからである。私たちは、霊的存在であり物質的存在なのだ。霊的部分であるたましいの存在を否定すると、自分・他者・動物・自然、命あるもの全てを「物」と認識する為、目に見えるものだけに存在価値の重点を置き「生命の物質化」の思考がパターン化した脳は「愛」など物的に存在しないものを脳が感知しない為、感応力が低下する。この結果、「愛」と「愛欲」の区別がつかない。

守護のエネルギーは「愛」そのものであるが、感応力が低下すると守護の導きを感知できなくなる。この状態は人から発するエネルギーの波動が下がった状態である。また、低い波動は低級霊の発する低い波動とチャンネルが繋がる。この様な場合も、常時守護は警告を発信しているのだ。低次なエネルギーを止めるには、負の思考を停止する必要がある。「無」になったこの一瞬で守護とプラグが繋がる事もある。

Light☆story02~03:この時の「無」は「思いやりの念」に感謝をすることで、思いやりに「生」で応える「利他愛の大切さ」への気づきである。

Light☆story04~05:低次な霊的現象による「波長の大切さ」への気づきである。波長を上げて、低次な心霊現象に2度と引き合わない様にと、霊的真理への学びが始まった。

守護は、私たちが神の規則に沿って生きる様に常時見守り、時に警告する役割なのである。守護とプラグを繋ぐかどうかは最終的には自分次第である。正しき霊媒(ミーディアム)たちはそれぞれの導きと共に霊界と信頼関係を築き人々に伝えていく。これからの時代は、「人と守護との正しい関わり」が「生きる要」となるのだ。

私の役割は守護と人が、プラグが繋がる様にサポートすること。

目覚めた人から「第二の世界」をはじめよう。

Light

4.light☆story摩訶不思議

(note掲載2020年8月1日 18:33 改訂版)

(黒板の裏側)

授業中、黒板に反射した太陽光が眩しくて、カーテンを閉める光景は、学校でよく見かける。だが、この日はカーテンを閉めても眩しかった。

光に気を取られていると、脳内のスクリーンに、天井から教室を見下ろしている映像がはっきり映った。その数秒後、何かに引っ張られるように、黒板の裏側に映像が移り変わる。
空想ごっこにしては、自分のもうひとつの体が浮いたような体感もリアリティがあった。


黒板の裏に同じ世界がある。

厳密に言うと、少し何かが違うが、何が違うかは分からなかった。
時間経過の感覚も鈍っているのが怖くなってきた時、誰かに呼ばれた気がして振り返ったら、映像が遮断された。

あたりを見渡すと、普通に皆、授業を受けていた。先生も何もなかった様に授業の締めに入っている。よそ見をしたら直ぐに注意する先生だったので何だか違和感が残った。

同じ場所でも、周波数が違う異空間が隣り合わせで存在している様に感じた。

何だかとんでもない宇宙の秘密に、気付いてしまったような感覚に戸惑いを隠せなかった。

思春期に入る頃、時折体験する「不思議」について、真剣に考えるようになった。年齢の低い子どもなら、不思議エピソードも無邪気な子どもの「空想ごっこ」だと片づけられ、誰も怪しく思わないが、思春期になると周りの反応はそうはいかない。この時代に「スピリチュアル」という言葉は普及しておらず、「死は不吉」「霊が視える」は怖い人、呪われた人という陰気なイメージが強く、不思議体験者は精神の病みからの幻覚者と根拠もなく一括りされていた。この背景もあり、偏見は将来の足枷になると考え。人から「不思議」と思われるもの目に見えないものは全てシャットアウトしようと心に決めた。

(思春期・日ごと増す摩訶不思議)

現実主義に生きる決意と、反比例するかのように、自分ではコントロールできない不思議現象は増えていった。解決の糸口が分からず、落ち込む事も多くなり、自分の存在が目立たない様に一日を無事に終える事だけに集中して誰とも深入りをしたくない気持ちでいっぱいだった。自分も周りもいつまでも無邪気な子どもでいられない。大人になる事は、利己的に生きる事だと思っていた。

「神様はなぜ助けてくれないの?」愚かな私は、自己憐憫の低い世界に陥っていった。

神と守護を正しく理解していないと、感情型の自己憐憫に陥る。また、打算的な動機から発生する思考は、心のシグナルを遮断し、損得勘定が判断基準となる。神や守護さえ都合の良い「魔法使い」扱いとする愚かさ。この後、「波長の法則」を体験から学ぶことになる。

次の記事「ボヤけた世界」に記す体験が無ければここまで、霊的真理を深く学ぼうとは思わなかったかも知れない。不可解に思う事は全て霊的真理が明らかにしてくれた。

現在の仕事を始める前、たましいの階層をガイドが見学させてくれた。低い階層では、気味の悪い歌声が響いていた。呟くようで恨めしい。か細い声。そして、纏わりつく様で寒気がした。エレベーターが止まり、扉を開けてみる。

人か化け物か認識できない白い人型のものが、悲しげに歌いながら何かをずっと待っていて、何かをずっと探していた。帰ろうとしたら走って追いかけてきた。

ここで、この階層の見学が終わり次は息を呑む美しい階層へ移動した。美しいメロディを心地よく聴きながら確信した。

霊的真理はたましいを裏切る事はない。

「頭ではなく、たましいが知っていることがあります。たましいの叡智が働き、危険を知らせてくる場合は、その声に素直に耳を傾けましょう。」

(自分に奇跡を起こす江原啓之100の言葉P97:災害支援チャリティ書籍:江原啓之 著)

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