4.light☆story摩訶不思議

(note掲載2020年8月1日 18:33 改訂版)

(黒板の裏側)

授業中、黒板に反射した太陽光が眩しくて、カーテンを閉める光景は、学校でよく見かける。だが、この日はカーテンを閉めても眩しかった。

光に気を取られていると、脳内のスクリーンに、天井から教室を見下ろしている映像がはっきり映った。その数秒後、何かに引っ張られるように、黒板の裏側に映像が移り変わる。
空想ごっこにしては、自分のもうひとつの体が浮いたような体感もリアリティがあった。


黒板の裏に同じ世界がある。

厳密に言うと、少し何かが違うが、何が違うかは分からなかった。
時間経過の感覚も鈍っているのが怖くなってきた時、誰かに呼ばれた気がして振り返ったら、映像が遮断された。

あたりを見渡すと、普通に皆、授業を受けていた。先生も何もなかった様に授業の締めに入っている。よそ見をしたら直ぐに注意する先生だったので何だか違和感が残った。

同じ場所でも、周波数が違う異空間が隣り合わせで存在している様に感じた。

何だかとんでもない宇宙の秘密に、気付いてしまったような感覚に戸惑いを隠せなかった。

思春期に入る頃、時折体験する「不思議」について、真剣に考えるようになった。年齢の低い子どもなら、不思議エピソードも無邪気な子どもの「空想ごっこ」だと片づけられ、誰も怪しく思わないが、思春期になると周りの反応はそうはいかない。この時代に「スピリチュアル」という言葉は普及しておらず、「死は不吉」「霊が視える」は怖い人、呪われた人という陰気なイメージが強く、不思議体験者は精神の病みからの幻覚者と根拠もなく一括りされていた。この背景もあり、偏見は将来の足枷になると考え。人から「不思議」と思われるもの目に見えないものは全てシャットアウトしようと心に決めた。

(思春期・日ごと増す摩訶不思議)

現実主義に生きる決意と、反比例するかのように、自分ではコントロールできない不思議現象は増えていった。解決の糸口が分からず、落ち込む事も多くなり、自分の存在が目立たない様に一日を無事に終える事だけに集中して誰とも深入りをしたくない気持ちでいっぱいだった。自分も周りもいつまでも無邪気な子どもでいられない。大人になる事は、利己的に生きる事だと思っていた。

「神様はなぜ助けてくれないの?」愚かな私は、自己憐憫の低い世界に陥っていった。

神と守護を正しく理解していないと、感情型の自己憐憫に陥る。また、打算的な動機から発生する思考は、心のシグナルを遮断し、損得勘定が判断基準となる。神や守護さえ都合の良い「魔法使い」扱いとする愚かさ。この後、「波長の法則」を体験から学ぶことになる。

次の記事「ボヤけた世界」に記す体験が無ければここまで、霊的真理を深く学ぼうとは思わなかったかも知れない。不可解に思う事は全て霊的真理が明らかにしてくれた。

現在の仕事を始める前、たましいの階層をガイドが見学させてくれた。低い階層では、気味の悪い歌声が響いていた。呟くようで恨めしい。か細い声。そして、纏わりつく様で寒気がした。エレベーターが止まり、扉を開けてみる。

人か化け物か認識できない白い人型のものが、悲しげに歌いながら何かをずっと待っていて、何かをずっと探していた。帰ろうとしたら走って追いかけてきた。

ここで、この階層の見学が終わり次は息を呑む美しい階層へ移動した。美しいメロディを心地よく聴きながら確信した。

霊的真理はたましいを裏切る事はない。

「頭ではなく、たましいが知っていることがあります。たましいの叡智が働き、危険を知らせてくる場合は、その声に素直に耳を傾けましょう。」

(自分に奇跡を起こす江原啓之100の言葉P97:災害支援チャリティ書籍:江原啓之 著)

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