ゾッとする判決 五歳男児餓死

5歳児餓死、「ママ友」に求刑通り懲役15年判決…裁判長「虚言重ねた巧妙な犯行

https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%EF%BC%95%E6%AD%B3%E5%85%90%E9%A4%93%E6%AD%BB-%E3%83%9E%E3%83%9E%E5%8F%8B-%E3%81%AB%E6%B1%82%E5%88%91%E9%80%9A%E3%82%8A%E6%87%B2%E5%BD%B9%EF%BC%91%EF%BC%95%E5%B9%B4%E5%88%A4%E6%B1%BA-%E8%A3%81%E5%88%A4%E9%95%B7-%E8%99%9A%E8%A8%80%E9%87%8D%E3%81%AD%E3%81%9F%E5%B7%A7%E5%A6%99%E3%81%AA%E7%8A%AF%E8%A1%8C/ar-AA125529?ocid=BingHp01&cvid=00eba0f4d7cf41abc4d16aa46e44cf4b

皆さんこんにちは。

 五歳男児を餓死させた、赤堀恵美子被告(49)懲役15年と碇(いかり)利恵被告(40)懲役5年。法廷で責任のなすり合いをしてきましたが、赤堀被告は金がとにかく欲しかったので、言葉巧みに精神依存に付け込んで金銭を巻き上げたのでしょうが、それ以上の事については無作為な感じもします。

 死の最重罪犯は母親だと思いますけどもね。2019年8月から2020年4月18日の8ヵ月もの間、誰に何と言われようが、我が子を餓死に追いやる無心が、出来るでしょうか?

 人には神我というものがあります。どんな精神状態でも、歯止めが効く最後の領域は誰でも持っています。ここが機能しないのは、本人の日頃の思考と行いの結果です。また、洗脳というのは、手足を縛られ監禁状態などの極限状態でもない限り、受ける側の「依存心と責任転換と自己憐憫」の不幸三原則が、原因です。恐怖を与えられたら、まともな人間は自己防衛本能が働き逃げます。ましてや、親がいないと生きていけない我が子への防衛本能が優勢になります。

 この領域を超えるという事は、日常的に虐待やネグリスト傾向で、表面上取り繕った子育てを行っていた可能性は捨てきれないという事です。兄弟姉妹がいても、その中で一人にターゲットを絞った虐待も存在しています。5歳男児の最期の言葉は「ママごめんね。」だったと言います。

 極限な虐待に合っている子どもの最期は自分の苦しみより「ごめんね」というのです。親は自分が何をやっても単純に「愛せないんだ。」と恐怖や苦しみの限界値を超えて、死を悟った境地に至らないと発せれない言葉だからです。この言葉が、我が子への愛情の無さという闇の深さを物語っているという風に感じるのです。また、男児の兄弟の証言から真実を引っ張るのは難しいとも予測できます。「明日は我が身」と、刑期を終えて出てくる母親の真実を話す心理には至らないでしょうから。

その辺を、虐待の専門的な調査が行われた結果の刑なのかどうか怪しいところです。また、ご飯を食べさせないのは虐待です。

 簡単に言えば、「我が子を最も残忍な餓死に追いやった罪」を少しでも軽くしようと動く心理に異常さを感じるのです。仮に洗脳状態で洗脳から覚めたなら、親として我が子を犠牲にしてしまったという自分自身の罪の重さを足してでも受けようとするはずです。

 日を増す事、異常にやせ細っていき、生気を無くしていく我が子が餓死する断末魔を、一番身近で見ておきながら、洗脳と支配下により、回避できなかった。という犬畜生の言い訳が裁判で通用していること自体ゾッとします。我が子を心底助けたかったら、自分がどんな目に合おうが、いくらでも警察に駆け込めたでしょう。

 

 赤堀被告が母親より重罪となったのは餓死殺人の間接正犯として処理されたという事なのでしょう。

 また、餓死の保護責任者遺棄致死罪は最長20年の中、今回のケースが5年。そもそも、犯罪者を家に招き入れたのはこの母親ではないか。正常な愛念があれば「洗脳」など受けません。

 

赤堀被告に求刑通り懲役15年の判決(九州朝日放送) – Yahoo!ニュース

Yahoo!コメント欄にもある様に、母親の懲役が5年はどうなんでしょう。また、この裁判をあの世で知る事になる男児はどう感じるのでしょう?

多くの母親は、どんな死に目でも、我が子の死自体に耐えるに難しく、自責の念に苦しむことでしょう。そんな中『母親の利恵被告は、6月の1審判決で懲役5年を言い渡され、控訴しています。※ニュース記事引用』

 (利他枠視点が世を変える)

 今から10年以上前に、アジア観光客に話しかけられ、軽く立ち話をする機会がありました。品格高い60代の女性でした。観光スポットで多くの子どもが遊ぶ姿を、微笑みながら見て『日本の宝ですね。』とおっしゃいました。私はこの時、ハッとしました。この方から見れば、我が子もよその子も、他国の子も『未来の宝』なのだという事です。

 利他枠視点の素晴らしさを、改めて学ばせていただいた忘れられない出来事です。

この男児に、我々が出来る事は、魂が癒える様に強く祈ると共に、愛の無いところには、愛ある指摘をすることではないでしょうか?

『彼の魂が癒え 光の世界へ解き放たれます様に』

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