イエスは「霊界の真実」を人々に伝え続けて、人々の魂そのものに光を照らし、奇跡を起こし真の幸福へと導きました。民はイエスに神を感じ、この上なく感謝しました。このイエスの功績を良く思わない宗教者、政治家の弾圧を受けて、群衆へ自分たちの権力を見せつける為に、イエスを十字架に張り付けにしました。それだけではなく、やってもない罪をきせられ、群衆との信頼関係を引き裂いたのです。その為、十字架までの道のりは、イエスに感謝したはずの群衆になじられ、罵倒され、石を投げられ、そのあまりの惨さに耐えきれずに、イエスの唯一の仲間たちもイエスを裏切りました。しかし、イエスは最初から、自分の生まれ生き、裏切られ死ぬ様を全て知っていたのです。
イエスは神の意図と一体となる宿命を持って生まれてきたのです。神と一体となれる奇跡が他にあるでしょうか?しかし、条件があります。
『耐えがたい痛みと共に この世の闇を全て受けいれ 闇をあぶり出す』
イエスという光の存在が犠牲になることで、神は後世の人々の心に、真理の灯を宿したのでした。
【神の道具となることは 神の意図と一体となること
いかに 名誉で誇らしいことかは
霊的真理という真理の水を飲んだ者しか、味わえない 幸福である】
light
『人生を輝かせたいと思うのなら、誰かのために生きること。』 十字架にかけられたイエスは神のもとに昇天し 人としてではなく、霊的真理として再び復活しました。 そうして2000年を経た今も私たちに「生きるとはどういうことか」「人はいかに生きるべきなのか」と問いかけ、生き抜く力を与え続けてくれているのです。P267-268 聖なるみちびき イエスからの言霊 著書 江原啓之

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