言論の自由が、最終的に文化上の「質」乃至「価値」を保証しないことは言うまでもない。何故ならば、言論の自由は本質的に「質」乃至「価値」を問題にしないところの人間性の無差別的な解放であり、従って対象の質や価値を問題にしないところの、破壊的衝動をまで解放するものであるから、芸術文化上の「質」を保証するものは、半ば自由の側にありながら、半ばは秩序の側にあると言わなければならない。
三島由紀夫
乱語以外を正当化したいが為の言論の凶器
乱語に妙に喰い付く猿脳では、言論の価値と質について解せぬであろう。戦後から、WGIP侵略工作により、共産主義者と工作宗教者によって、国家自滅を狙った民への精神暴力は続いている。『言論の自由』とは倫理観と秩序に値しない醜い言論の凶器の解放に過ぎない。
日本先人が遺してきた、高い精神性によるアイデンティティは今も尚、他国から一目置かれている。また、我が国日本が重要な歴史的瞬間にひと役買い、主要国に優遇されて来た歴史は反日により改ざんされ、捏造史と様変わりして日本の次世代へ語り継がれている。光が増せば闇も深い。妬みを超えた怨念は嫉妬に喘ぐ、猿の様に浅ましく卑しいものである。
権利を楯に侮辱的態度を省みない行為は 防護服を着たまま毒ガス室に無防備の人間を葬るのと同じことである。
騙され手を貸した罪はいかなるものかと思考するのが成人精神の始まりである。これに責任逃れの言い訳しか論じれない幼児性では社会の倫理観は衰退する一方である。成人義務を放棄するのであれば成人権を持たない階層の秩序に従うしかない。
言論の価値と質を自らばら蒔いた 我が人生を振り返るが良い
全てが、見分相応であろう。
欲得を追うものは何も見えず
偽善に慈悲を与えるものには善の真理が見えず
傲慢な精神では己の真理さえも見えない
精神的貧困と物的貧困は真善美を賛美する豊かさの飢えが種となる。
美しい言語に美しい言霊が宿るのではない。美しい思念に美しい言霊が宿るのである。汚い思念には同質の言語で祓い。毒をもって毒を制するのは、先人の知恵でもある。
『嘘も言い続ければ真実となる』捏造文化が招いた精神暴力で、日本人が一致団結して逆らわない様に分断を図った。この手口は余りに汚い。
例えば、人身売買の巣穴である児相の独裁権を確かなものにするために、工作駒に子どもを産ませ虐待させる。件数を稼いだら次は虐待死の件数を稼ぐ。そうすることで児相の存在意義は高まる。
子ども達の悲鳴はまるで、戦没者の無念の叫びの様である
反日思想、悪魔崇拝は言うまでもなく、増悪権威主義者である。増悪感情を使い怨霊を呼び覚まし、自己都合に意図する世界観を拡げる事に快感を得ているのである。
共産主義者、工作宗教者、犯罪移民、日本任侠なりすましマフィアを徹底的に排除すれば、犯罪、交通事故、薬害死、公害病、被爆被害、環境汚染被害、自殺者、不登校、鬱病、虐待、いじめ犯罪は極端に減少するであろう。
招かざる客を持て成し過ぎた 日本は排除せねばならないカルマを受け継いだのだ。
また、和合し共存できる道を 日本が血税を犠牲にしながら 示し続けたにも関わらず、日本人に罪を着せ、世界から信頼されない日本国、周囲から信頼されない日本人に仕向ける為の捏造、裏工作を合法化させてきた。盗人猛々しいにも程がある。増悪感情の解放に快感を覚え、法が正義の指針だという解釈に至る幼児性には、ほとほと呆れ付き合ってられない。
人権の平等は精神階層一律解放であるがゆえ、危険要素を取り込み続けることになる。次世代は、公平な人権の保障と精神階層の倫理観と秩序の認識と自覚が必要である。
『言論の価値と質』三島の真眼力

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