
ひとりの人生を狂わすことは 死を与えるより地獄である
地獄から這い上がり 天国を求め
思い遣りに溢れた社会に希望を馳せるも
心臓に刻まれた悪魔の爪痕が疼き、幸せへの罪悪感が身を覆う。
悪魔の軸にある承認欲求を打ち壊す事が、天使の役目だとするならば、神の愛は時に稲妻のように刺激的である。
自分さえ我慢すれば、丸く収まるという美談は足蹴りをしてしまえばいい。悪魔は善意を利用する。悪魔後遺症は偽善心との闘いである事を自覚しなくては何も始まらない。魂の家族は血族ではない。ロシアンルーレットのように毒親に当たってしまった事をどうか恥じないで欲しい。考えの浅い者は蛙の子は蛙と言わんばかりにレッテルを貼りたがるだろうが、自分の人生に登場する雑魚キャラに、とやかく言われたところで未来の自分さえも棒に振ってしまうような事があってはならない。誰も自分の人生に責任を取ってくれない。そのクセ、頼んでもいないのに口を出してくる。うんざりするような環境に気付いたら、それは運命の切り換え時期がやって来たのだ。
運命を切り替える時、多くの者は行動を変えようとするが半分間違いである。思考を変えた上で行動に移すことが肝心だ。行動を変えてから、思考が変わるケースは古い自分を脱ぎ去る事が出来ている場合である。脳内を闇と光に分け、闇にこびり付いた問題の原因を理性的な視点で切除しながら自分の外に取り出していくと、他人が100%悪いと思える事案でも、自分の未熟さを浮き彫りにすることで損をして得をする状況に変えていく気力が大事である。未熟な部分を強化するプランを実行することで、視野も拡がり思考力も高まり、内在する闇を光に変えることが出来る。この分析力が人生の善き種を撒くアシストとなる。転んでもただで起きるな、ピンチこそチャンスである。
問題の多くは動機のトライアングルに潜んでいる。相手の動機、自分の動機。思考=言葉=行動、トライアングルのバランスに加えてチェックする項目は、自分の為か、相手の為か、それは自己愛の範疇か、大儀の視点か。偽善か傲慢か。
次は、正気度、本気度を見てみよう。他力本願、依存心、現実逃避。印象や体感で分析せず、浮遊思考の細部を細かく分析していく。
こうしていくと、物事の背景が違った視点が加わるはずである。これを、好きか嫌いかで分けてしまえば良い。素直な心で自分らしく出た答えが、これからの人生の教訓となる事もある。過去の自分が未来の自分を支える唯一無二のアドバイザーでなければならない。
人生というのは簡単ではない。難しいからこそ価値があるのだ。そして、誰かに愛されるような受動的なものではなく、誰かを愛す力が、社会全体を光で覆う程の可能性にトライする事で自己価値を確かなものにしていくのだ。金や実績は追うのではなく、振り返って得るものである。
好成績を取り学歴を積み、良い企業に入社するバブル時代は終わった。現日本国は中国共産党という一夜城の経営侵略によって、日本企業の質と信頼は低下する一方である。今後取り戻さない限り、日本の学歴、社歴に価値を見出す間抜けな外資は存在しない。また、軍需資本家の圧力により戦争経済に完全に舵を切っている。いつ戦争が起きるか分からない。非人道的な核を使用した戦争となれば自然界の怒りをかい災害を引き起こすであろう。これら二点が起きなくとも日本有事はま逃れない。
新しい時代は平和産業、第一産業による根本的な日本再起が必要である。社会情勢を知らなければ未来の自分も誰かの事も守れなくなる。学校問題において、教師は生徒を第一に守らなければならない法に基づいた責務がある。それを差し置いて、生徒が教師から受けた被害より、教師の待遇を訴える異常な思想を看過してはならない。大した問題でもない愚痴を聞き出し、人権、生存権に関わる問題点を摩り替える教師や周囲の大人をよく覚えておくことだ。これが売国奴の姿だ。日教組のガス抜き要員となり味方の振りをして問題点を摩り替えて、第三国人に有利な法案を可決させていく為に生徒の声を利用するのが狙いだ。
敵は目の前に居る。次世代を担う者たちが堂々と反旗を翻せばよい。これをサポートしない大人たちが災害で溝にハマって死にそうになってもスルーして構わない。新しい時代の主人公は君たちだ。
真の幸せとは何かを冷静に考えて見て欲しい。何かを得る事か?称賛を浴びる事か?そんな一過性の刺激で幸福のチケットを使い果たす人生に何が残るのか?
精神的財産が産み出す、継続的な幸福が宿った物資が社会に広がった時、誰にも何にも支配されず、あなたはこの世に産まれた本当の幸福論を手にするだろう。
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