(note掲載2020年7月17日 16:05 :改訂版))

(悪に飼いならされた少女)
生まれてきた事に何の意味があるのか?
私を見る目がなぜこんなに冷酷なのか。
猫が好きで道端にいる猫を触ると「この魔女が!」と罵られた。
約束の時間に5分遅れると何度も何度も痛い思いをした。

お腹がすくと「卑しい」と怒られた。
謝罪と好きの詰まった手紙は直ぐにゴミ箱に捨てられた。
笑うと「気持ち悪い」と言われた。
悪い事が起きると全て私が悪いと言われた。
お友達に好かれると「媚びを売る卑しい子」だと言われた。
周りの大人がかばってくれると「卑しくて嘘つきで悪い子」だと言われた。
みんなが私を褒めた後、みんながいなくなると、痛みに耐える時間がくる。
耐えれそうに無い時に、浴びせられた魔法の言葉は「全ておまえの妄想。」だった。
ある時、お友達が私をみて泣いた。
たくさん泣いていた。
私は幸せだと思った。
でも、お友達を悲しませるのは嫌だと思った。
「魔法使いが現れたみたいに、もう大丈夫になったよ。」

お友達は、花の様に笑った。
もっと幸せだと思った。
寝る時は、いつも涙が溢れてきた。
もう全てが壊れそうだった。
そんな時は、メリーゴーランドが目の前に現れてくれた。
誰も乗ってない、私だけのメリーゴーランドは泣き止むまで、優しい光を纏いながら、周り続けてくれていた。そのまま、眠りについて美しい夢を見た。白くてフワフワして優しい光を放つ空の様な世界で、空の住民たちはみんな優しくて、どういう訳か、無条件で愛してくれた。私は、嬉しくて、嬉しくて、ずっと笑っていた。
空の世界は死後の世界なのかもしれない。
それでも、何度も繰り返される、苦しみと苦痛から逃れる為には「空の世界に行くしかない。」

そう本気で考える様になった。
だって、あんなに幸せな世界なのだもの。
そして、実行の日まで、優しくしてくれた人達に「ありがとう」を何度も伝えた。
実行の日、スムーズに一人の時間が出来た。
後もう少しだ・・。その時、何かが自分の中で弾けて泣き崩れた。
陽だまりの光が、うずくまって泣き叫ぶ私を、いつまでも慈悲深く包み込んでいてくれた。
少女だった私を救ったのは、たくさんの人からの「思いやりの念」と守護の慈愛だった。魂の修行が困難を極めた幼い子どもには、時折、霊的世界から、わかりやすい形で励ましのエールが贈られる。私はメリーゴーランド(励ます想念の可視化)と空の世界(守護の計らい)だった。

大人になっても魔法の言葉は消えなかった。
悪魔は、何をしても染まらない私が、疎ましくてしょうがなったのだ。だが、大人になっても心の闇と代償にしても私は、悪魔から愛されたかった。だから、悪魔の魔法はいつしか私にとっても、都合が良いものとなってしまった。
しかし、初めてお腹の中に愛おしい鼓動を感じた時からこの魔法は解かれていく。
産まれたての小さな手と、ひまわりの様な笑顔が「本当の愛」を教えてくれたのだ。
本当に天使だと思った。
天使の幾度目かの誕生日の時、ひっそりと身を潜めていた悪魔が、我々の前に現れた。悪魔は天使の笑顔を奪う事に専念していて何度も睨みつけていた。天使は、目をそらす事しかできずに、悪意に満ちた目にずっと耐えていた。この時の表情は、少女の頃の私そのものだった。「同じ事を繰り返してはならない。」その瞬間に私の「悪魔の魔法」は解かれた。
「私は全て記憶している。妄想者はお前の方だ!恥を知れ!」と言い放ち、悪魔が悪言を閉ざすまで、毅然とした態度で打ち返し続けた。「ママありがとう。」涙を滲ますひまわりの笑顔を力いっぱい抱きしめた。そして、神は「愛」を信念とする者に「幸福」を与えて下さるものだと確信した。

(善と悪)
世の中に善と悪が浮遊してオカルト的に存在しているのではない。人の中の善と悪の思考が世に反映しているのだ。浮遊しているのならば世の形成は人間の思考が根源である事実が置き去りであるからだ。現実に戦争、虐待、虐め、環境破壊は、人間が引き起こした「悪辣な思考部分」である。この悪浮遊思想からすると、悪神からの被害にあった不運な一部だけの人間の末路というSF的な見解となるのだ。悪神は闇兵器創造の魔法使いという事にも成りえる。被害者を他人事と捉えて、終わってしまってはいけない。同じ人間として出来る事があるはずだ。一人でも多く、良心に従い、勇気を持って利他愛に芽吹いた時、世界は変わるのではないだろうか?
(闇世界の仕組み)
「悪」を増幅させるのは「負の思考による選択と行動」この人口率が上がる程、世の闇は深くなる。自然災害を「悪」と捉えているなら。不正解だ。何故なら、「自然界からの浄化」は「負の思考の浄化」だからだ。つまり「悪」が引き寄せた「災害」という事になる。また被災者を「他人事」と捉えている事も類魂の法則(神の規則)に反した「負の思考」となるのだ。
(悪からの学び)
さて、他者の思考の中に存在する「悪」をみてあなたはどうするか?戦うか、染まるか、手放すか?戦うなら、毅然とした態度と不動心で、内なる悪も含め全ての邪念、悪念に打ち勝たなければならない。また、言霊には、叡智が宿っていなければならない。

染まる思考は神に反する事、生きても死んでも魂に真の幸福は訪れない。
手放す時は、「人を裁く権利は、人には非ず。」因果の法則は神の領域である真理に感謝する。
(神の歓びは魂の向上)
「あなたがたは世の光である。」(イエス☩マタイによる福音書5章4節)
個人の光が増せば世も光を増す。光るには、闇と向き合い手放さなければならない。悪は内なる闇と向き合う事を許さないだろう。
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」(イエス☩ヨハネによる福音書8章7節)

人は誰もが罪人である。人の中には神も悪も混在する。
だから神と共に生き抜くのだ。 light


