1.light☆storyどんな子だったか?


2020年7月14日 08:11note掲載 改訂版

(魂の記憶)

胎内記憶、生前記憶、乳児の記憶を、人間は稀に覚えていることがある。生命の神秘はまだ解明されていない部分もあり、脳の神経回路網と宇宙網は似ている事に着目した、天体物理学者と脳神経外科医が『脳と宇宙』について研究チームを組んだほどだ。また、国内外問わず多くの各専門家たちが本を出版している。続いて『遺伝子と脳』の関連性も生命の誕生には欠かせない要素となる。スピリチュアル的な見解では、生命誕生は、肉体に魂が宿った状態であり、人間はスピリチュアルな生き物である為、第六感は誰もが備わっている能力の一部なのである。人生形成の基盤である体、脳、遺伝子等、生まれた直後に人智では変えようのない環境などの基盤を活用しながら、試行錯誤を繰り返し「人生の城」を形成していく。

この過程でスピリチュアルな存在達とプラグが繋がる事で、物質的存在と霊的存在を含めたエナジーが自分の「魂」なのだという事を知る。不可能とされる魂の記憶を持つ者たちは、何のために存在するのか?体験談「light☆story」と織り交ぜながら、説明していきたい。

(封印されていた記憶)

思考、記憶、理解、情操の表現を司る前頭前野は4、5ヵ月から二十歳程度かけて発達し続けるはずなのだが、乳幼児期の事を何故か覚えている。

大人の会話に割って入ったら、喃語しか使えて無い事実に、神の意図を感じまた、現世で生きる掟を汲み取った。お昼寝の際、天井いっぱいに人が居て、時折あやしてくれた時は実に嬉しかった。「あやす作業」によって、「楽しい気持ち」になるという人間の感情「喜怒哀楽」を学んでいるのだと理解していた。時折聴こえてくる日常会話を理解している事も、隠さなくてはいけない義務感など霊的世界と物質的世界を行ったり来たりしている感覚である。また、目がぼんやりしている時は、人間の匂いで、誰だか判別していたが、一度に多くの存在の判別は難しかった。味覚に関しては、甘味と匂いが食への判別基準だった。乳児用の麦茶の甘味が無い事に不服だった。「硬さ」では食の判別が出来ず、今考察すると、おもちゃを口に入れていた、乳児によくみられる時期だったのではないかと思う。離乳食の固形物が喉に入ってくる感触も最悪だったが、物質的世界の肉体に慣れる事に専念していた。

自分の拳を見つめ「なぜ?ずっと拳を握っているのだろう。と不思議に思い、開けようとするが上手くいかなかった。

また、なぜか不安に感じた。人体の発達にはあらがえない順番があるのだと理解した。天井から光と共に何かに手招きされると同時に場面が変わり。空の上の様な霊的世界で過ごした記憶もミックスされて残っている。霊的世界でのミーティングは、肉体と地球に慣れたかどうか、現世での目的と役割の確認など詳細に報告と指導を受けた。

私は最初、物質的世界の音と匂いだけでなく、食す事が苦痛だと、霊的指導者に不服を申し立てていたが、霊的世界から独り立ちするには、受け入れるしかなかった。指導者はいつでも冷静で的確だった。周囲の霊的存在達は、何とも言えないせつない表情で心配そうに私を毎度、物質的世界へ送り出していた。

ある時、指導者から「これが最後」と独り立ちを宣言された時を境目に、この乳幼児期の記憶と霊的世界の記憶は、スピリットが覚醒する38歳まで思い出される事はなかった。ここからが、私にとって苦行の始まりである。霊的世界の記憶を失っても、魂に刻まれた記憶の感覚は消えなかった為、学童期までは特に無意識に多くを否定していた。「本当の家族はこんな事言わない。」「本当の愛ならこんなことしない」「本当の・・・。」「本当・・・・。」無意識に求める「本当の世界」は一体何なのだろう?他者からみて、明朗快活である私から、想像つかない程の深い葛藤を抱えて生きていた。そんな時、こんな夢を見た。天界(霊的世界)から星となり地球に向かう道中、魂の仲間(類魂)と互いの健闘を祈り合いながら二手に分かれた夢である。「もしかしたら、同じ気持ちの人がこの地球上にいるのかも知れない。」そう解釈すると、いつも少しだけ元気になれたのだった。

(魂の記憶と脳の記憶の保存場所)

『脳の記憶』と『魂の記憶』の記憶保存場所は違うという事を説明しておきたい。現実世界と霊的世界の境目を理解した上で、第六感を受入れ、冷静な分析と探究心を持って、霊的真理(神の定める規則)を理解し日常へ実践する事で、ようやく正しく咀嚼できる。この道理から、神の規則に反した動機と現実世界にリンク出来てないスピリチュアルは神の意図するスピリチュアルでは無いという事になる。

(魂は永遠に生きる)

現世で役目を終えた魂が霊的世界へ帰り、物質的世界で染みついた物資への執着などを手放しきって、守護や、魂の家族がいる階層(霊界)へと上昇する。更に魂を向上させる為に物資的世界での内なる闇のあぶり出しが必要となる。そして守護、類魂と溶け込んで、神のエナジーと一体となるまで、魂の向上に必要な部分再生は繰り返される。この理により、ネガティブな闇が存在するのは物質的世界だけという事である。ここでよく聞かれる質問がある「地球の悪人は、死んだらどうなるのか?」魂帰還階層は一寸の狂いもなく神の意志により差別化されており、悪人は悪人の階層へ、善人は善人の階層へ。そして善悪の保持率により更に細分化されて、寿命を終えた魂は、物質的世界から霊的世界へ移行される。各階層の行き来は、各々の守護の指針により判断される。要するに、霊的世界では同等の悪をみて「悪」と認識できないのは「魂」に表も裏もないからなのである。物質的世界の人間には表も裏もある。なぜなら「闇」をあぶり出す修行場だからだ。

(前世)

現世で視える前世とは、魂の闇を手放す為のカリキュラムの一部なのである。「前世が視える」とはカリキュラムの一部を透視した事に過ぎない。通常生きていて、前世を知ることはないが、何らかの形で前世を知ることになったのだったら、今世で生きるカリキュラムの一部を乗り越えるためのヒントを守護からのメッセージを預かったという事なのだ。要するに「視えた」だけで終わってはいけない。現世で活かすために神の規則に沿った分析が必要なのだ。

(神に仕える者は皆等しい)

本来のスピリチュアルは実にシンプルでいて奥が深い。霊的真理を深めていくほど我欲という愚かさにどれだけでも向き合う事になる。そこから逃げ出す者、踏ん張る者、逆恨みする者、利他愛に芽吹き霊的真理の実践を拡げ続けていく者。スピリチュアルに開花した者の役目は、神の規則に沿って歩き、神の真理を伝える事以外無いのではないだろうか?生きる者は全て等しく『知る権利』があるのだが、真理を真理のまま魂の一部として受け入れるか、真理を思想の一部として受け入れるかで、光と闇に分かれていくのだ。

「種を蒔く人は、神の種を蒔く」イエス:マルコによる福音書4章14節

土の肥料は善の思考である。light

☞次回 No.2「人間の裏の顔」

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