移民とカルマ

国や人種を超え世界がひとつになる事を善と考える人が多いが、果たして本当にそうであろうか?

国を超え、人と人が分かり合えるのは究極「愛」であるが、愛する責任と素晴らしさを教え示し、善悪の概念を教え導く、血の通った家庭がどのくらい存在するのだろうか?また、善とは何なのか?

愛が真であれば、誰かの何かの為に貧しさを潤し、心を癒し、精神を鍛えるものである。

自己愛者が善を語り善行を行使したところで、それは自己都合の愚策に始まり終わる偽善に過ぎない。正義も自己愛者の手に掛かればただの承認欲求の主張である。

自己愛者のお祭り騒ぎが、人も環境も殺すまで加速したのが今の世の中である。

世界トップクラスの人口増加問題、環境汚染問題を抱える中国は世界中に害を与えても、素知らぬ顔。隙あらば日本に責任転嫁する捏造文化。日本に在日中国人(反日教育を受けた朝鮮族等)を移民させるだけでなく密入国させ、戦後、災害を使用し、戸籍売買で日本人に成りすまし、同胞の子孫と共に公金の流れを悪用し、悠々自適に繁殖侵略を進め第三国人の新日本国確立を目指している。テロ犯罪行為に値する証拠隠蔽に都合の良い戦争と分断を扇動し、利権を餌に支配欲を満たしている。分断の狙いは、日本人団結を阻害する事である。

人は金だけで動かない。最もらしい理由付けが必要だ

増悪感情権威主義者が心躍る「怨み果たし」は直接的な怨み要因は無い。ただの逆恨みや問題解決能力の無さのはけ口である。やられた側は直積的被害を被っている為、反旗を翻すのが当然の権利である。

自己愛者の言いなりになるのは自己愛者くらいである。

利他愛思考や事実に噛み付く愚行を、正義と感じるのも自己愛者くらいである。

日本は1945年敗戦後から、アメリカの植民地という立ち位置であり、中国の経済侵略はアメリカ指令であった。これに乗った日本軍需産業が経団連と共に国民を疲弊させている。GHQが制定した日本弱体化プログラムの延長線に浮上した世界金融リセットプログラムにより、人類の上昇と浄化も計れるという戦争扇動が世界を覆い、日本はダブルで影響を受けている現状だ。中国はアメリカ主導で現在は動いているが、日本崩壊させたのは中国の手柄だとアメリカに詰め寄り、世界の王座に就くことも可能だと、ほくそ笑んでいる。恩を売り仇で返すのが中国式だ。

朝鮮学校の無償化も一体何なのか?北朝鮮信仰の朝鮮学校内に親日思想は存在しない。単純に子どもが通う場所ではない。政治的駆け引きの道具として、子ども達が利用されているだけに過ぎない。この環境を保全するなど偽善にも程がある。インクルーシブ教育推奨も同じこと、昭和時代から、自然と軽度障害者は普通学校に存在している。差別をするようなクラスにはそもそも入れない。障害者と同じ環境に居たからと言って、対応が上手くなるわけではない。障害別のガイドラインを配布し、国営放送、各メディアも使い大人から教育するのが社会的責務の筋である。

なぜ、子ども達を社会的責務の実験台にするのか?

美談に巻かれた鬼の仮面をめくれど、鬼畜の沙汰である。現教育は昭和時代と違う、「反日軍需主義の日教組の跋扈により、まともな教員はいないと思え」が30万人超えの不登校数を叩き出した。昭和の労働力の半分を熟す、人間力のスキルさえ持ち合わせていない。頭の中にあるのは日本人弱体化。考えさせない、歯向かわせない、愛国心を持たない自虐的暴力性。中国や世界に負ける弱い兵士教育である。また、刑事責任能力の無い精神障害者の教師も増員し、内部テロを起こせる状態を着々と整えている。現学校は日本の為に存在しない。中国と共に共産主義確立の為に存在する。日本人を排除し中国人の為の学校を創るのが日教組の務めだ。

人に愛を配れない者ほど、子ども想いの振りをして、子どもを社会の犠牲にしていく

教員に国税を投資するなど、敵に塩を送るのと同じくらい馬鹿げた策である。安全性を保障できない学校は廃止するべきである。どのみち今の学歴はこれからの世界に反映されない。

政治家は人質同然、真実を全て話す間抜けな政治家はいない。

帰化人5割の政治家たち。国民が賢くなり、嘘と真実を織り交ぜらても見抜かなくてはならない。

※配偶者のルーツも含め考慮すれば、政治家の殆んどが反日だと国民が解釈しても何もおかしくない。日本を貶める日本人は軍需産業派。

アメリカの植民地は何も敗戦後から始まったのではない。宗教分布は政治的侵略、統制の始まりであり宗教看板を隠れ蓑にした、ただの視察団である。強欲な権力者は願いが叶う程、支配欲を増していくものだ。遠い昔、この欲得願望に引き合った織田信長や坂本竜馬は鉄砲や大砲、グローバルリズムの先駆けとなり、日本に負の遺産を残した。これらの魂はあの世で英雄ではない。寧ろ真逆の立ち位置である。ちやほやされているのはこの世だけ。

このように、侵略を甘く見てはいけない。特に宗教分布には政治的策略を意味する。しかし、宗教者、信者は悲鳴に似た怒号をまき散らし、この経路を自分の体感と表面的感覚で真っ向から否定する。この頭の固さが死後、未浄化霊となるのだ。個人の感想と政治的策略が絡み合う訳がない。宗教者の未浄化霊はただ、さ迷うのではない。信者に憑依をし、霊的現象を起こし「信仰奇跡」が起きた様に演出することで「信仰依存」させ死後も信仰欲求を満たそうとする。なぜ成仏できないのかは明白である。内なる神に正しい理解が無いから、自分の魂の故郷が分からないのだ。

本物の信仰はイエスが悟り歩いたように「内なる神への信仰」いわゆる「神我」に恥じない生き方で人間力を高める事である。イエスと言えば、キリスト教であるが、イエスの霊魂の意思、意識体はそこにはない。

「神我に恥じない生き方」ほど苦楽激しい苦行は無い。現世の波動が低い程、針の上を歩きながら火に飛び込むようである。行動=言葉=思い 動機のトライアングルを崩さず、他力本願、依存心、現実逃避という浮遊思考に陥らずに現世をどう生き抜き「真の愛」に辿り着くのかが現世に生まれる真の目的である。

親子愛 夫婦愛 敬愛 人類愛・・・。 

様々な愛の形があるが、殆んどが愛欲レベルであることが今の人間力である。

自分の魂が、国を選び生まれてきている。どのDNAを使い肉体、脳を形成し、過去世のトラウマ、カルマを乗り越えるために、現世のカルマという課題を持って産まれ生きる。

ファーストステージの家族で100%の愛を学ぶ者もいれば1%の愛を学ぶ者もいる。感覚ではマイナスに感じる者もいるであろうが、実はマイナスの学びは無い。

マイナスに感じる学び自体が魂にとっての1%の愛の学びである。これほど過酷な学びである魂には大きな宿命が込められている。これに気付けるかどうか、何も良い意味ばかりではないが大役である。

このそれぞれの生まれた環境下の学びを経て、社会的環境にどう自分の魂を活かしていくかが重要な生きる意味であるが、多くの者は自分が魂の存在であることを忘れ落第していく。物的信仰に科学信仰という物理的直感の根源は思い込みと経験の記憶である。この型にはまった生き方が、社会的集団依存の総合意識体となり、右を向けば誰もが右を向くことが正義だという主体性のない他責思考が模写されていく。時には、反論すること自体が主体性の発揮だと思い込む者もいるが、いづれも井の中の蛙である。

井の中の蛙同士、感覚が麻痺状態で異国民と手を繋いだ所で、相互補完の向上関係にはならない。互いの平均値と常識を闘い合わせ、強奪し合うのが落ちである。郷に入っては郷に従えが正解である。

社会責任を果たせる階層も本来は違う、誰でも何でも、平等に与えることが人類の公平さに繋がるわけではない。

自己愛者が幸せに出来るのは自分だけである。

では、どう移民を考えるべきか?

個人の生まれ出たカルマが有るように、国にもカルマがある。それぞれの国で自然界と共に乗り越えるべき課題があるのだ。それに向き合いもしないで、他国への移民はカルマの重複を自ら背負っているのだ。混合で生まれた子は生まれながらにして、両親の国のカルマを背負い、互いの血族へも引き継がれる。血族のカルマと言うと、ベッタリと依存し合うスタイルを思い描き実行するだろうが、その解釈の誤りが低級霊媒師や低俗占い師を巻き込み不幸を呼び不幸を引き継がせる。

現に、軍需産業を儲けさせた、日本一有名な占い師はあの世で最下位の学び直しである。

移民が、その国を尊重し敬愛出来ないのであれば、当然その国のカルマを果たすことが出来ない。そのカルマの負債が未来の血族や自国にも付加される。軽薄な考えが、魂階層すら落としている。この世に産まれる前の階層より、低い階層に還るのは目に見えている。

身から出た錆を自国で処理することも出来ないなら断交すべきである。

どんな時代が来ようと、どんな苦境が訪れようと、魂の声を聴き、神の意図に沿い現実を屈強に生き抜く人間力が備わった国民同士でないと、国の相互補完の向上関係には至らない。

権力者と家畜の関係性で、世界を輪に繋げたところで、内輪と紛争が絶えず自然資源は廃れ、再生も出来ず、王座の椅子を狙う権力者同士で刺し違える結末でしかない。

これのどこが、世界平和だ?

国内の負の遺産をまんべんなく世界に分布したところで、問題解決には至らない。

国内の憂い事を無くす国力は、国民ひとりひとりの人間力だということだ。

花瓶に水を溢れさせたところで、花瓶の役目を果たせない。国ごとに花瓶の容量も形も飾る花も違う。それを大きなバケツに詰め込もうとしている世界情勢を喰い止めなければ全てが根腐れしてしまう。

神はそれぞれの花瓶の質も水質も飾る花も、事足りないと落第印を押しているのだ。

世界の花瓶は神が用意する。

世界の花瓶の一部である責任を果たさずして、善を語り飾る造花の高笑い。

花の涙のしずくが、暮らしを覆う時が来る。

※内なる神と日本神

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魂のルーツと琉球王国

魂に宿る神我と日本氏神が反応出来るのは魂のルーツが日本にある人です。本来の日本人は本質を捉えた共感力に長けた人種だったのです。

本質を見抜いた上で、相手に配慮する親切心や主体性を持った指摘が行き交う活気付いた気質を、持ち合わせている国民性を生かすも殺すも生き様次第。

魂のルーツが違う無作法な参拝や、誤った現世御利益の願掛けにより、神社の波動が下がり、ほとんどの氏神が神界に帰りました。その結果、神我の反応が鈍り日本人の本質が雲隠れました。

日本は夢の島 存在してるだけで奇跡的。神我が反応する魂は2割程度なのではないでしょうか?

・善悪概念が真逆

・内省、内観が出来ない

・真実に無関心、真理を拒絶

・理解より否定

・良心の呵責が湧かない

・無関心、無愛、無責任

・何をしても自己愛が満たされない

・本質が捉えられない

・罪悪感、羞恥心が湧かない

・湾曲した解釈

など、神我が反応しないと人間の努力虚しく、魂の闇側ばかりが出てしまうのです。

エネルギーで神我を感知させても、憑依状態や無想感に戻り、負のスパイラルから抜け出せません。

日本氏神は魂のルーツを越え居住する場合、日本神に沿った魂の磨きを高層霊媒を通してガイダンスしますが、低層霊媒と引き合う悩の周波数が神我を拒絶します。

施餓鬼供養や施しを利他愛だと認識している事自体、煩悩の集合体程度なのです。『情けはひとのためにならず』

脳=魂

思考力と魂レベルは比例する

思慮深さが無い人は魂のレベルが浅い

ルーツだけの問題ではなく、魂レベルが一定条件をクリアしないと神我と共鳴出来ないことや継続しない事実もあります。

神我が反応しない=真の善良心が湧かない。

魂レベルも浅く神我も反応しない魂の終着点は、偽善行為を称賛し、善を毛嫌いする憎悪念の集合体の階層と悩の周波数が引き合い改心には至りません。

妖魔の階層ともいえます。

また、ワンネスや宇宙論は日本神のご意志に合わないだけでなく、単純にグローバリズムの言い換え論でもあるのです。

※グローバリズムの受け入れが支配と奴隷の独裁国家の始まりだということ。

魂の学びに社会情勢が深く関わっているのは、国や時代を選んで現世に生を賜ったからです。また、個のカルマが世に反映するとも言えます。

日本は

譲り合いの学び

主体性を持ち、個性と本質を磨く責任主体の生き方が今後の明暗を分ける

神我が共鳴し合うと互いの個性が相互補完の関係性となり、自然界とも共存共栄し合う。今までの生き方が何だっのか?と思う光の世界へと様変わりする。

必要な分を必要な分だけ。

⇒裏の学び:偽善の譲り合いに終止符

その為には、裏側の学びをクリアしなくては次のステージにはいけない。

日本は譲り合う領域を強く持たないと駄目なのです。

他国はパワーバランスが主体であり、パワースポットはありますが、かつての日本のように、聖域に神が宿るとまでは行きません。霊界との窓口ではありますが、少し遠回り。

パワーバランス主体の国の学びは

⇒奪い合う学び

魂の学びは日本が一歩先。萎縮し後退するなど赦されない。

神我が反応しない移住民は日本以外の方が負のカルマのスパイラルから比較的安易に抜け出せて幸せを掴める。

日本神は世界的にみてもかなり厳しい為、合わない魂にはとことん、合わない。合わない魂のエネルギーは浄化対象である為、このエネルギー元を禍津神が狙い、カルマの還りだけでは足らず、自然災害などが起きる。

魂のルーツに合わない日本に居るだけで負のカルマが発生し続ける

得た以上に失うカルマからは生き逃げも死に逃げも出来ない。

パワーバランス主体の国への居住なら正のカルマが発生しやすく、失うものより正が得られる

【琉球王国】

では、琉球王国であった沖縄県にフォーカスをあててみましょう。結論から言いますと琉球王国に日本氏神は宿りません。ですので、日本政府が関わると互いにろくなことにはなりません。

ですから、因果応報(カルマ)となる霊的価値観でみると琉球王国に戻った方が、互いの幸せが見つかります。他の諸島も実は。。ってなこともあります。北方領土も。。実は。。

日本氏神の領域のみを日本領土とするのが神のご意志。

神のご意志に逆らえば、得るはずのものを必ず失い、必要なものまで失います。

パワーバランスとカルマなどの神の掟を正しく理解して、運命を切り拓く先駆けとなる為に、現代人は日本に生まれてきました。

*卑弥呼や安倍晴明は占いではなく、高層霊媒、高層霊能者と改め認識することから、日本魂の崇高さをより詳しく学べるのです。

全ては学び。この世は瞬き魂は永遠

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