浸透工作に勝つことが日本再建の道

浸透工作は、外交や敗戦交換条件と違い、非人道的なテロ行為である。中国共産党は敗戦利権を利用し、自国の失態を日本国に責任転嫁することで、日清戦争の怨みさえ果たそうと必死である。かつての清は眠れる獅子と呼称され、根拠も乏しく強国だと恐れられていたが、小さな島国である日本国が日清戦争で勝利した事により、プライドは踏みにじられ、日本国の後を追い戦利品に群がるように諸外国にも領土が奪われた。後に返還されたが、きっかけを与えた日本国への怨みが現在も消えないでいる。日清戦争後の賠償として日本側に一部の文化還元を行い、第二次世界大戦後には敗戦国となった日本が負債する戦争賠償は中国側が棄却したが、これを餌に現在も敗戦利権を利用している。日本国の教育機関に侵略してまで(日教組は幼稚園から大学までの抗日教職者で構成され各宗派の信者が多数を占める)自虐的偽史を植え付け、侵略への抵抗心を持たせない為の論点をずらした精神性を養成し同胞に見合わない冠を被せ、先住民の才能や個性を握り潰し、未来栄光に続く敗戦利権の基盤を整えている。中途半端な友好関係を演出し工作員を送り続け、内部の同胞と連携し先住民への排外行動を正当化し続ける為の法改正賛同への民意を扇動し続けている。抗日用の外国人学校で習う日本語解釈は本来の奥ゆきがまるでなく先住民が配慮した表現にさえ増悪感情を隠し切れない洗脳解釈が横行している。未来の抗日兵と先住民の絆を深めさせない為だ。そもそも中国は自国の善意を悪用、排外し、罪の無い人々の虐殺や毒殺で財を成した大国である。非人道的侵略など朝飯前である。これに加え、偽史では都合の悪い事は日本人がやったことにして他国からの同情票をかき集め、虫一匹殺しもしない聖職者のように被害を語るような国色である。また、中国系朝鮮渡来の藤原家が天皇に関わる発端は文武両道で容姿端麗、人格も優れていた菅原道真公に汚名と罪を着せ冤罪のまま島流しをした頃から高次元の天皇霊は継承されていないままである。これら記述は氷山の一角であるが、遥か昔から日本国への独りよがりな妬み嫉み怨みは怨霊並みである。

人間の主張より神我の経路。個運も国運も同じ原理。

たかり屋の常套手段に翻弄されるような政治家達では、米と対等に交渉できるような国の成長を期待できない。たかり屋への鉄則は『取り合ったら負け』である。個人であろうが国レベルであろうが関係ない。また、中国は誘拐拉致を平然と市民兵に命じ人身取引を行い。非人道的な不老不死永久利権を強みに、血液致死量搾取、臓器売買、性奴隷斡旋などを行うようなテロ国家である。加えて自国民の災害死や惨殺を隠蔽し倫理観など微塵も無い、ゲノム編集された人体実験の実地にも手を拡げている。それだけではない、外用市民兵の一派である朝鮮系に抗日精神を徹底教育し、カルト宗教の看板を隠れ蓑に既存宗教を巻き込み、日本国に侵入し、帰化制度、国籍条項撤廃で先住民の権利を侵害し、政治家の地位と命を弄び日本政府を食い荒らし、先住民の社会的排除を心理的、物理的に強行し、自殺に追い込んでも飽き足らず。生物兵器(コロナワクチン)を強要させ、民族入れ替えを先導し、償いきれない罪を重ねて来た立派な凶悪犯罪組織である。国民には真実が報道されず、問い正しても窓口をたらい回しにされ、ようやくたどり着いた先でも真っ黒に塗られた海苔弁回答を薄っぺらくひけらかせて一方的に逃げられる現実を突きつけられる。温度差を補填する如く、お得意の集団ストーカー犯罪執行部のカルト信者の管轄に個人情報を回され、ターゲットに冤罪や汚名を着せる探偵ごっこが始まる。自分たちに有利な情報に矮小化、拡大解釈し、各企業、各行政、生活環境圏に侵入済みの同胞に共有し、ターゲットに「困り事」を起こし「頼り役」として現れ、相手が完全に壊れるまで人権を侵害していく。これを、ジェノサイドやテロ行為、侵略と呼ばずして何と呼ぶ。

極悪非道に従えという親は地獄の窯で焼かれてからものを言え。国は『親』のように子どもの健やかな巣立ちに清い祈りを込めるように、国民の精神性を高め、生活の保障を果たさなければならない。

アジア共同体を重要視している政治家が存在するが、中国共産党の思う壺である。国民の血税で生計を立てる政治家が恩義も責任も感じず、テロと国民を繋げようとしている事自体おかしな話である。財政難をテロで補うような国に導くのは完全国敗を意味する。性奴隷宗教国のように親が犯罪者に子どもを売るような国に成り下がるのは火を見るよりも明らかである。まともな精神であれば、子どもの配偶有無関係なく善良心が許さないはずだ。経済事情を重んじ正当化したとしても、テロ国家と断交を行い、損失が出るのは同胞やその利害サイドである。このバランスで経済が一度破綻を迎えているように見えるが原点回帰する好転反応に過ぎない。政治とは生き物のような流動的なものである。特定の政治家の思考に依存するようでは国民を本当に救える政治家など育たない。

毒を抜かず、薬を塗ったところで治るものも治らなくなる。

日本国の主権は国民にある。政治観察放棄は主権の放棄と同等又は国家反逆罪への黙認とした共犯である。加えて、内政を揺るがす特定の利権や軍需利権を追求し、民意を煽る国民や抗日利権に加担する国民は他者の権利を侵害し、憲法平和主義に反した侵略幇助による内乱、国家反逆に加担した責任を負い公民権停止が妥当である。

元凶を取り除かない限り、米の植民地から独立することは無い。また、毒出しをせずアジアバランスを取り先導を斬るなど夢の又夢の話である。綺麗事で取り込む手法では果たされないのは歴史が物語っている。共同体に権力を持たせれば、悪用され、世界中の人身取引の被害者が更に膨らむ一方である。また、テロ国家と絆を深めれば、日本国は世界の二大巨塔からテロと認定され、世界規模の正義の剣で跡形も無く裁かれることは最初から決まっている。小手先の経済事情どころではない。永久に汚名国として歴史を刻み、日本先祖や英霊を粗末にする愚者に成り下がるだけでなく世界の家畜と化するのだ。

傍観者を当事者にする事で本当の敵が炙り出され、下級思想をピラミッドの頂点に乗せることで本当の悪魔が光に照らされる。

世界は腐っていない。腐るのはいつだって人の心である。

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悪魔が生まれる時

人類起源、神我を呼応させ神国の再現化を目指し国を切り拓き、山と海を信仰し神の教えと大地の恵みに生かされていた。生きとし生けるものと愛を育み、暮らしには神々への感謝と希望の光を感応させる各々の創意工夫が満ちていた。エデンの園に回帰する代償を人類が果たせるように神は人類の神我を試し続けた。人類は試練に耐えきれずにイブと同じ罪を重ねた。啓示や記録を改ざんする者に惑わされ、神我の経路を失い、第六感の変わりとなる文明を発展させ物的信仰となった。そして、必要以上の物質を求め、名声や権力に頼るようになり独裁者に冠を被せ、民同士で強奪し合うようになった。

神の国に精神が住まわぬ者は神我主義に感応しない。神は人種を超える真理そのものだが、人間は人種のカルマを穿き違え、利権の責任転嫁のボーダーレスを望むバベルのループに過ぎない愚能である。

神はいかなる時も多くを語らない。高層媒体も多くを語りひけらかす神経に呼応しない。神との対話は厳かで神秘的な吐息の具現化に過ぎない。頼りない者には頼りなく感じ、軸の高い者には確信的で高貴なギフトである。神の愛は人類の神性向上である。神の愛に応え『二度とイブのような過ちを犯さない。』と誓い実行した人間は現在までに1%にも満たなかった。それでも、人々は神の愛を求め、神の恵みを奪い合い。神が禁じた集団思想に依存し、神を知ったように他者を語り、悪魔が仕掛ける現世利益に甘んじ神の加護を得た気でいる。

悪魔は自業自得の罪を隠蔽し、神の国に住まう者を血肉が絶えるまで、妬み嫉み憎む。

エデンの門はいかなる弾丸も願望も通用しない。人間思想が低層化するタイミングを待ち構えていた悪魔が人類に神とは何かを教え説いた。『エデンの園は今私たちが踏んでいる大地そのものである。人類こそ神なのだ、生き続けることに価値があるのだと。』天に住まえない悪魔はこの世だけが特権の場である。悪魔は思想観の集大成が神の正体であると、欲求の満たす幸福思想を強く論じたのだ。皆で同じ神を祈り同じ教えを共有し同じように行動し、宗派以外の教えは例え人生から得た教訓であっても宗教的解釈の編曲を称え賛美し合ったのだ。各々の神我を裏切り続けた結果、排外主義や善悪の概念より主従関係が優先され、因果関係を考察しない場当たり的な偽善活動が重んじられ、偉人の名誉に便乗し人類歴史に説得力を与えて来た。いつしか異なる宗派同士が手を繋ぎ、人類起源の軸を継承する僅かな神我主義者を始末する為に手段を選ばなかった。やましさを打ち消し群衆心理を味方につける為に利権を貪り、軍需利権を影で牛耳る事で地位と権力を確かなものにした。

宗教が正しければ、独裁者が実権を握る群衆心理など生まれない。

群衆心理を支配する事は弾丸を飛ばすよりもいとも簡単な領土拡大の手法である。悪魔が築いた歴史を継承するように、各宗派、各思想家の上層部たちで形成される秘密結社イルミナティの旗を中国が寝取り、更なる独裁的拡大を望み、アジア、中東の弱みに付け込み欧州思想と手札を変え『世界統一思想』を目指すようになった。当然、どんな美談を交えようが群衆の為では無い。己の懐事情の為である。国々の政治介入、不法監視を行い、的外れな人口削減を言い訳に、人身取引で稼いだ元手を強みに、臓器売買、小児愛性強制結婚、性奴隷、労働奴隷、市民兵などで拍車を掛け、世界上位を占めるほどの莫大な闇マーケティングへと急成長させ悪魔の王冠を手に入れたのだ。これに加え、不老不死の永久利権の実用化に動き出した。誘拐、拉致による人身取引は加速し生き血を奪い食い荒し。輸血依存型の健康状態、環境状態を作り出す為に製薬業界、保険業界などの生命利権に参入した同胞が先導を斬り、人々の命や人生に値段をつけ利権を貪り合っている。

神は人類に悪魔を救えと言ったことはたったの一度も無い。救ったのは内なる悪魔である。悪魔の抽出、制裁が正しく行われない限り人口問題、気象問題などの天変地異問題は断固解消されない。いかなる対策も神の前では無策である。

横並び共有論(一律平等論)は女特有の虐待性理論の伝承である。神は神我の数だけ存在し、99%の再生率である菩薩系と1%の再生率である神系統に枝分かれし、更に魂階層事に統制を行う神々で成り立っている。神はひとつではない。多神教でもない。神我の統制神域である。横並び共有論で他者の神我を理解しようとする事自体が横着で傲慢な間論点ずらしの因子なのである。愛とは、神我の共鳴であり生命エネルギーそのものである。量産型教育を行い飼いならしやすい人類の輪は相互補完の関係性が織りなす秩序ではなく、ただの依存的利害関係に過ぎない。その為、牽引する側の者が低層階層のものであれば、思想全体を引き下げない限り、依存的調和は生まれないのである。職場や学校などの環境に溶け込めない者を悪とする風潮自体が個性と秩序の精神暴力なのである。

低層思想での抑圧は社会全体の秩序を依存的利害関係に変容させ、強奪権威主義が確立する。高層思想での制圧は神我の領域に秩序を齎し、平和と愛を生み出す原動力となる。

善悪の概念が価値観で散らばっているのではなく、単純に階層ごとの解釈に留まっているだけである。低い者は浅く断片的な解釈以上の事を理解することは出来ない為、集団的他責思考に依存するのである。家庭環境では低い階層の親の下に高い階層の者が生れ落ちる事も大いにある。こういった霊的視点が無く、人間的解釈に頼れば親に従わない子どもが悪だとされる虐待性が社会思想を膨らまし、社会害悪となる犠牲を生み出す事となるのだ。

神の国に心が住まう者は神の国に無い精神を持たない。

誰もが、神我と共に更なる崇高な神の国を目指し、玉石混合であるこの世に再生する。低い者は解釈出来ぬ高層思想の領域に果敢にトライし続けることで、生きながらに天に宝を積んでいるのだ。己の全てを神に預け、己の愚かさを隠蔽せずさらけ出し、謝罪から感謝が生まれる学びを基本軸に精神を向上させる道以外、神の加護を受ける道は断じてない。内なる神への愛が真であれば、謝る恐れも、感謝する打算も持たぬはずである。一律平等論、低層思想肯定の逆さま理論や批判理論は必ず、各々の神我を隠蔽し、魂を穢し悪霊へと変えてしまう。

神の制裁と悪魔の抑圧は似て非なる、魔界の映し出しである。

女性は真理を知っても、多数派の平均値を共有する横エネルギーのエゴを有する性質ゆえに、周囲が愚かであれば愚かなままである。これに比べ、縦エネルギーである男性は真理への解釈が比較的スムーズではあるが、親鳥を真似る雛のように、家庭思想、環境思想への依存が強い為、根底にある手本がしょうもなければしょうもない男に成り上げるだけである。いづれも、神我の呼応が高い者には感化されない領域である。善というのは一貫性の優しさを指す事ではなく、神我の真善美を果たす心域の具体性である。家庭全体の方向性を叩き込まれるのは本当の愛ではない。愛があれば相互補完の関係性に依存と他責思考は生まれないはずである。互いに律し、互いに共鳴し合い社会と言う荒波で、魂の産声を鳴り響かせる事が魂が求める幸福論である。肉体があって魂があるのではない。魂があって始めて肉体が得られるのである。

解釈の差異は階層の差異、神の真理を否定したところで神は何一つ変わらない。

悪魔に必要なのは愛ではない。戒めの教えである。神の審議に叶う制裁制度が循環する社会構造がない限り、エデンの門が開くことは決してないのである。玉石混合に生きる意味を知らずして、愛の調和を図る事は種を撒かない畑の収穫を待つようなものである。内外する悪魔を無力化させる事はいとも簡単である。従わなければ良いだけである。他に道が見つからないのは内なる悪魔の誘惑に勝てないだけである。

悪魔とは、他人の畑に毒を撒き、収穫を得ようとする、憐れでもの哀しい残虐性の化身なのである。

光が生まれる時、悪魔が生まれる

悪魔が生まれる時、光が生まれる

光と闇が、光と影になった頃、人々はそこをエデンの園と呼ぶ。

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悪事千里を走る。世界の首謀犬オレンジカルト。

かつて、中国国内で国民党が支配していたが、共産党が残虐を繰り返し国権を牛耳った。追われ南下した国民党の残党が台湾に流れ、インドネシア、フィリピン由来の台湾国は混血に至った。中国危機を迎えると、台湾が替え玉にされるなどの理不尽で支配的な監視体制は現在でも続いている。その影響は台湾、韓国から日本国にも及ぶ。世界制覇を目論む中国は、日本人に成りすました民意を寄せ集め、国籍条項撤廃させ、帰化人制度、通名制度を強行し日本人成りすましを合法化し、日本政府乗っ取りを行った。韓国も同様、韓国人に成りすまし政界など国内を深部から腐敗させ、反日思想を企て分断を煽る事でアジアバランスの独占権を掴み離さない気である。世界のパンデミックはWHOが中国の独断に切り替わり、中国武漢からコロナウィルス兵器が蒔かれ、二次攻撃として、コロナワクチン生物兵器を強要している。WHOの世界人口削減計画を首謀し悪魔崇拝という虚像世界の王権に魅入り世界へ向けた生物兵器の世界統一侵攻に至った。日本国から盗んだ技術、半導体、AI技術、第一産業技術などを武器に平和産業に圧力を掛け、軍需産業に媚びへつらい世界のマーケティングを牛耳り、マスク、医療利権を餌に薬物攻撃の受け皿を担保し実行した。これに比例するように日本国内に潜伏していた市民兵が世論操作、情報操作、同調圧力に強く出た。これにより、戦後最大の死者数を叩き出した。それでも、真実が国民に報道されることは無い。

真実を受け止め、自己選択の責任を果たす国民力が必要。善悪の概念を失った国民の公民権は兵器となる。

日本国内被害は自民党に政権が渡った事が全ての元凶の始まりである。韓国に反日教育を虐げているのも共産党の息が掛かった在韓中国人(朝鮮族など)である。日本国も韓国も情弱や羊知能界隈の者が鵜呑みにし、先住民同士又は人種を超えた善良民同士の国内外団結を曖昧なものにしている社会害悪に他ならない。WHOの一番の出資元であった米が中国の薬物ジェノサイドに悪用されたWHOを脱退し、資金提供を停止した。次々と、世界の悪事を暴き、反トランプデモが巨大化しているが、軍事産業の玉座を狙ったテロ行為にそそのかされた羊界隈の群れ行動のひとつである。

日本国内における抗日三国人(中国、南北朝鮮)の「南」とは、主に韓国人に成りすました抗日中国人のことである。

日本国というのは東北の種から始まり、北と南に分散し生粋な日本人の発祥と所在が曖昧である。というのも、そもそもが混血民族が半数以上を占め統治していた歴史を重ねている。アイヌ族やYから始まる遺伝子が生粋な日本人という説は御用学者特有の曖昧さが目に余る。抗日三国も蓋を開ければ、首謀者は中国である。『北』は単独協定の中で活動し、厄介なのは工作員や労働党員である。中国はあらゆる国の内部に寄生するが、容姿が見分けの付きにくい台湾、韓国、日本国で各国の温情に付け込みやりたい放題である。中国は台湾、韓国、日本国が友好関係の絆を深くすることが最も許せないでいる。かつて、台湾も韓国にも統治した日本国は両国の民と友好関係を深めていた。たったひとつ領土を任されただけで親和的領域を広げる日本人が憎くてたまらないのである。

日本や台湾を噛ませ犬として利用する為にもアジアの分断を煽り、監視社会、抗日活動、反日教育は外せない社会思想である。世界制覇を目論む中国は財閥やDSなどを抱き込む為、悪魔崇拝を吸引力に力を増強させている。北朝鮮と臓器売買、不老不死を新しいマーケティングの軸とする動きは活発である。情報統制や言論統制を日常レベルで同調圧力を掛け、民意を操作して侵略を合法化させるのが一番の目的である。その為、欲求不満者や人格異常者に目を向け、善悪の概念や倫理観、道徳心が崩壊する様な新興宗教や似非スピリチュアルの看板として、金と力にものを言わせ流行化させた。これに引き合う層も当然、同類項の大魚となり悪魔崇拝への実現化に大きく貢献した。1998年WHOがWHO憲章の定義改定案で健康の定義にスピリチュアルを加えた。これと同じ頃、本物が誕生し、真偽を見極める精神力に警鐘を鳴らし続けるが、その活躍に背乗りする似非スピリチュアルカウンセラーや占い師、霊能者、自称宗教者などが根拠も無い価格や肩書で扱われ、書籍本の水増し売上やsnsの過剰露出が中国主導朝鮮管轄で日本に強制された。民意を得たのではない。そう見せ掛けた演出に過ぎない。だが、軍需資本家による義務教育で日本語力を落とした羊たちには語彙力の豊かさが無い為、感性と知性の穴埋めをするように似非言霊は浸透していった。そして、いつか羊人間達は本物を忌み嫌い。偽物をこよなく愛した。

知性と感性の崩壊。高いものは努力を詰まないと得られないが、低いものは簡単に手に入る。

感性と知性の崩壊を迎えた国民は、政府と経済の両輪の崩壊と司法の破綻を日常生活で体感し声を上げるようになった。これに反旗を翻す政党、政治家に期待を寄せるが、中国侵攻の根源に立ち向かう政党は一つも無い。アジア全体のバランスを保つことに明け暮れた参議院議員山本太郎氏であったが、世界情勢から見て時すでに遅しである。腐ったリンゴが紛れた木箱を復活させようとするほど愚かである。それでは、日本国は弱小国に成り下がるだけである。闘うべき時に戦わずして、未来が明るいと夢見るのは幻想でしかない。ここで、反旗を翻さない限り、日本国や世界は短命な中国思想に合わせ精神性を下げるしかなのである。国造りの最も要になるのは高い精神性を持った国民力である。森羅万象の因果関係を考慮出来ない精神性が国務めを行えば、いづれその世界は消滅する因縁を生み出すだけである。現所在地関係なく、魂のルーツが深い者は消滅されることで罪を償う宿罪を買って出たに過ぎない。

山本太郎氏の国会質疑や街宣を真似て盗用し、統一教会御用達のオレンジカルトが票を伸ばしていると信者が騒いでいるが、出来レースである。彼らは『本物』の真似事を盗用する収集家の集まりである。オレンジカルトに魅せられる人間性もまた同類項である。薄汚い言霊に吸い寄せられた盗用コレクターの集合体という事である。また気色の悪いはっきりしないオレンジカラーは人格異常者が魅せられるカラーである。中国主導の工作員たちの本命はオレンジカルトで王権を築く事である。売国政党の夢を担いだのがオレンジカルト政党だという事だ。悪魔崇拝の金づるをバックグラウンドに自ら神となる願いを叶えるためである。オウム時代からの切望を叶えるために一般の民意を集めようと、救世主役を大きく買って出たのだ。いわゆる英雄消防士が凶悪放火犯だった手法に羊ギャラリーを寄せ集めたのがオレンジカルトの実態だという事だ。それに加え、オレンジカルトは火事さえ消さない。だからこそ、救世主ヅラのメンツを保つ為に善人やカリスマの真似事を止めれないのである。何とも、恥を知らない踊り子たちである。

善人を悪に祀り上げ、同胞で騒ぎ立てるのはやましさを打ち消す為やポスト狙いの為である。イザとなれば自己保身の為に手段を選ばない精神階層は常日頃から自己保身の為に誰かや何かを売っている。

さて文中で、『悪魔崇拝の虚像世界』という表現をした。これに関わるとされるCIAやDSの存在を強みに羊たちは流れに身を任せて来たが、果たしてそれは正解だろうか?高市早苗内閣に代わり、時代の節目としてデモ隊を餌に緊急事態宣言を発令し独裁憲法に改正し移民と内乱を起こさせ個人戦争や生物兵器強要の人狩り祭りに、オウムの残党が花火を添え煽る事も十二分に考え得る。社会活動とは臨機応変に政権への問いかけを変容させなければならない生き物なのである。数の多さを強みに、グレーゾーンで自己保身に努めて来た羊界隈が代償を払わず、徴兵されず明るい未来が訪れると希望を馳せるだけ無駄である。また今更、帳尻を合わせるように、何をしていいか分からないと、いい歳して嘆く他責思考自体が鼻持ちならない傲慢さなのである。羊界隈の一丁目一番地の『分からない』は回答にならない。分かるまで考えた上で質疑する義務さえ果たせない知能界隈に身に余る権利を与えるから世界全体が馬鹿を見る。排外主義は因果応報を考慮しない人格兵器の詭弁である。

どんな乱世を迎えようが、神我の正義を貫くのが人としての定めである。

人生は肉に刻まれずに 魂に刻まれる。

正義を貫けないのは弱いのではない。図々しいのである。

悪因悪果 勧善懲悪 因果応報

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隔離と管理

生命の因果関係を穿き違えた軍国主義層が羊化社会を生み出した。羊化社会で許される個性や主体性は牧場のナンバーリングに吸収され、商品化の生体選別のバーコードでしかない。牧場で生きる為に、陳列映えするキャラ設定の中で柵を超えない制限を叩き込まれる。与えられた仕事に自分で誇りを見出せない狭い視野で、金銭感覚だよりに人格の基盤である思い遣りや奉仕の心さえ制限する荒廃した感性を共有し、一律平等論の試験管で培養された世界線で社会情勢や他者評論を語り、世界を股に掛けたところで社会害悪の羊思想を拡げただけである。羊化社会で厄介なのは自分の頭で考え、行動を起こし、生かされる責任を果たさない事である。羊が世界の汚染物を気にしたところで柵の中に戻され、戦争が起きたって出荷されるまで柵の中で眠る事を強要される。だが、問題点の根拠から目を反らし社会害悪に従って良い理由にはならない。地球全体に視野を拡げれば、動物にも種類があるように、生きとし生けるものが無数の因果関係の中で暮らしている。地球全体の運命共同体という責任を度外視して、柵の中の自分たちの責任を放棄して良いはずがない。だが、羊化社会の人間達は餌を与えるほど貪欲になり闘争心に燃え共食いを始め、不都合なことは支配層に委ね、自分たちの権利ばかりを主張し、己の責任も任せた責任も負うことは無い。負のスパイラルから分かるように羊の支配層と言うのは同質の羊が押し出された結果である。羊が蒔いた負の遺産を正に変える能力が無い為、闇雲に首を斬って負の輪で調整を保つ結果となる。柵の内外から真実の声を拾い出し、神の御慈悲に気付けないのである。錆びた冠を被った自滅に向かう羊物語のキャストに過ぎない。

支配と奴隷は共依存の同質である。羊化社会に依存しなければ自己を保てない異常性自己愛に金と権力を惜しみなく与えても、生み出すのは腐敗と崩壊の低層社会である。これに群れが感応するように、真実を真似た羊たちが、真実の声を揉み消してきた社会害悪に他ならない。

悪魔に魅入られる人間にも動物にも満たない人面獣心。動物たちは必要な分だけ頂くが、羊人間は必要以上に欲する。羊化社会で生きる人間たちは、運命共同体に反した不自然な問題点に過ぎない。問題点が縮小することなく肥大化したのは、民主主義のツリーを彩る社会主義や共産主義により、羊に経営権や権力などの『身に余る権利』を与えたからである。支配層の狙い通り羊社会の規模に比例して、腐敗と崩壊に向かう侵略利益、軍需利益はうなぎ登りである。

真実に基づいた事実なのか?ただの主観なのか?

物事の根拠を見つめ、生きとし生ける原点に帰った時、歪みが生じる部分は本来必要ないものであるが、修繕が必要な場合もある。機械でも不具合が起きた個所に、粗悪な部品を使用すれば、ゆくゆくは全体が破損したり、事故が生じるのと同じように、社会問題が起きれば、何かを補填しなければならないが、穴さえ埋めればいいものではない。だが、再三の忠告も聞かず、粗悪品を使用し続け、周囲に責任を取らせようとする羊に性善説は通用しない。社会害悪となる場合は社会的隔離の必要性を無視することは出来ない。

社会的向上や運命共同体の調和に対応できるレベルに達してない層を社会に適合させようとする事自体、個々の学びと特性が何ひとつ考慮されていない不可解な構図である。隔離層適合者は牧場の習性以外は忌み嫌い、表面的で断片的なレッテル貼りに固執し、本質の高低差を捉えることが出来ない為、建設的な対話は成立しない。マインド補填に適した他責思考では飽き足らず、AI信仰や集団ストーカー犯罪、テクノロジー監視社会に魅入り、手法や思想に習い社会全体を自己都合に引き下げ自己保身に勤しむ。追い込まれるほど手段は選ばず、結果的に魂の学びや社会全体にマイナスを与える策や組織、人物に寄生し、ご託を並べ改心しない。性善説が通用しない特性には、人工知能の鏡が映し出す隔離管理社会が生態系の平和と秩序を取り戻す唯一の方法となる。

羽を忘れた鳥に飛べというなら あなたの羽を神に差し出せばよい。

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事実と真実

目の前の事実を追う程、真実は見えなくなる。誰もが真実を知り、決断する人間力が備わっているわけではない。だが、それでも人は真実を追い求めなければ深部から成長することは出来ない。愛が真であれば、真実を伝えずにはいられず、難解であれば愛に誓い合わせ、共に乗り越えようとするだろう。それが、人間愛の美しいところだ。だが、事実を真実のように語れば、必ず誰かを冤罪に貶め、矛盾した愛欲にすがるしかない共依存という醜い鏡の虜となるだけである。

事実は記憶や記録に保存され、真実は動機や根拠に保存される。

真実を受け止め、魂の階層値の限界にチャレンジをするから、精神が向上するのである。事実に基づいて、紐解いたところで魂には何ら影響せず、人間的欲求を満たすだけに過ぎない。物事の因果関係を考察し『真実』を紐解くに欠かせないのが、善悪の概念である。魂の階層値によって、善悪の概念が変わるのではない。解釈が低いか高いかである。

真実を知らせない方が傷付かずに済む、という考えは横着で傲慢な考え。

人生に降りかかる出来事は、全て魂に必要な課題である。過去世を知りたければ、自分の短所と長所を徹底的に分析すれば予測がつく。現世で、今まで魂が経験したことがない分野に着手する時は、拭えない苦手意識が先行するが、魂の偏差値を上げる為に必要な『真実の学び』を自分や他人から奪うなど、魂そのものの存在価値を否定しているようなものである。過保護に育った子どもは現実を受け止める力が弱く、話を空想しがちである。これがプラスに出れば、イマジネーションの表現者として人の感情にプラスに作用することが出来るが、マイナスに出れば、偽善活動家や詐欺師のような姑息で自惚れ屋な大人に成り得る。プラスに作用する場合は親の愛が真であり、子どもの本質とリンクした結果が過保護に見えているだけで、子どもの個性に的確な教育なのである。

真を得るなら、己に真で有れ。

一律平等論はアンフェアなギルディの元凶である。この世は無数の魂の修行場であるがゆえ、個々の問題点を裁くには限界があるように錯覚されるが、クリエイティブな才能に任せてないだけである。公の場では、前例や平均値、統計などのデーターが優遇されるが、証言工作などに悪意があっても物的状況と照らし合わせ、妥当だとされる。事実に基づいた結果が真実とは限らないのは今まで記した通りである。この小さなギルディの積み重ねで得をするのは後に続く真実を暴かれたくない者たちである。

人は正義と愛に向かって、生きればいいだけである。

シンプルな生き方が出来ないのであれば、それは社会の仕組みがおかしいのである。変えるのは善良心ではない。正義に向かって闘えない弱さを変えなくてはならないのだ。神我の真善美をこの世で果たせば他人と比べる必要などない。自分自身の正義心が真善美の愛に宿っているのかどうか?境地に立たない限り、神の指す羅針盤を読み解くことは出来ない。真の道に妥協や惰性は通用しない。

これからの時代は、腐敗した社会をひっくり返す程の人間力や、伸びしろが有るかどうかが要である。

老いて残るのは感性と知性である。延命に固執する感性が人の心を奪う。人を産むのも育てるのも見送るのも簡単な事ではない。だからこそ、人生は愛おしくも憎いのである。

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GHQが恐れた日本人の第六感

民族浄化とした言い訳を加え、戦争利権は続いている。チャンバラの次は大砲に鉄砲、科学戦争を経て毒ガスや生物兵器を生み出して来た。核戦争を視野に入れたマウントの取り合いで経済圏もコントロールし、保険業界という命に値段を付ける悪手に加え、製薬業界が新しいヘルスケアを謳いながら、人間を生かさず殺さずの無気力なゾンビ育成に抜かりが無い。軍需資本家から生まれた義務教育の危険性を社会情勢に照らし合わせて、考慮しない現代の親の在り方には大きな疑念が付きまとう。いや、親だけでない。周囲の大人が社会の子どもに無関心な事も気味の悪い全体共産主義の表れである。

天使の羽が 群衆にもぎ取られ 痛みで血の涙を流しても 誰も何も気にしない。

いわゆる共産主義と言うのは、独裁者の為に、個性や主体性、実力を握り潰し、才能を歪め、個人思想を分離させ浮遊思考のテンプレートを植え付け、量産型の羊を生産する事である。このように、戦争経済とは独裁者の資産を守る為に、増えすぎた人口を減らす目的で繰り返されて来た。口の開かない羊から出荷され、懐く羊は捨て駒として輸出される。だが、羊たちは警鐘を鳴らした者を噛み殺し、生態系を滅ぼしてまで、羊の王国を拡げることを望んでいる。共産主義と言うのは。実力者から金や権力、才能を強奪し、楽して儲けたい独裁相互関係の楽園だという事だ。共産党員が戦争を反対するのは主導権を握った途端に手のひらを反す前座に過ぎない。

かつて日本国は、軍数で他国に勝った事は無い。常に、少数派である。モンゴルとロシアという大国に打ち勝った時も明らかに不利であった。抗日三国(南北朝鮮、中国)のように、相手を騙し、成りすまして侵略し、相手国の旗を寝取ろうという因循姑息な魂胆も無い。ただ、第六感はどぎ澄まされていた。先見の明を持った策士力は群を抜いていたが、これらを記述に残す程の異業だと、誰も思っていなかった。それほど、当たり前に多くの者が開眼していたのである。

現代では、第六感を開花させる為に、座布団から飛んでみたり、得体の知れない飲料を崇めて煎じたり、人の頭を押さえつけ善良心を失ってまで能力を得ようともがいている。それに引き換え、日本先祖は内なる神の愛を貫く正義を実践して来ただけに過ぎない。そこに、天皇信仰、神道を重ね合わせることで、穿った解釈に陥ることもなく、お天道様に恥じぬ生き方を貫くことが出来た。そのプラスのサイクルが神とプラグが繋がり第六感が活性化されだけの話である。

あの世の階層値がこの世の限界値   この世の生き様があの世の階層。

現代との違いは、個々の心得だけでなく魂の階層値の違いも大きく関係する。GHQマッカーサーが日本国に残した怨念は混血の果ての民族根絶である。これに加え、毒ガス使用の薬物を農薬として強要したり、米で安全性が保障されなかった赤子ワクチンを義務化させた。第六感に優れた血を憎み、妬み、嫉み。軍策で抑圧出来なかった叡智の経路を根絶させる為に、あらゆる手法を日本の基盤に残していったのだ。避けようのない、薬物攻撃と抗日三国人の権利を日本で果たさせる事によって、第六感は失われると踏んだのだ。狙いと通り、子孫が繁栄する度に民度は下がり、経済、サービスのクオリティは下がっていった。それに比例するように自殺者は跳ね上がって行った。抗日三国人の遺伝子が引き継ぐ、善を妬み、嫉み、怨む気質が社会思想へと膨らみ、正しい者や罪の無い者が切り裂かれ、実力と才能を結集させた技術さえ奪われるのが当たり前の社会となった。いつしか、善人は弱者と呼ばれ、精神の要である性善説さえ、抗日三国の社会思想により歪められた。これにより、善悪の概念は崩壊し、倫理観、道徳心を持たない無法者が天下を取る時代が、戦後から長く続いた。それでも、日本先住民は相手の神我を信じ、分け与え続けた。

死人に口なし。

国民が原爆被害の数倍殺害された生物兵器のパンデミック後から、移民は倍増し2024年に入り本格的に、大量移民が投下された。これにより、抗日三国人どころか、テロ民族も激増した。金持ちに媚びへつらう共産主義による民族浄化である。柵におさまり切れない羊を始末する為の移民浄化で一番の被害者は誰か?それは各国の先住民に他ならない。日本国も同じである。その中でも、子ども達は一番の被害者である。馬鹿な大人達が先手を打ってこなかった為に子ども社会の残忍性を生み出した罪から誰も逃れることは出来ない。国籍条項を撤廃してから、先住民の声は掻き消され、抗日三国人の政治活動参入の声が採用され続けて来た結果、更なる地獄の呼び水となった。先住民は今まで生きて来たプライドを踏みにじられ、侮辱されても第三国人との共闘の道を歩んできた。共に平和と豊かさに向かって生きる闘志として、手を差し伸べ続けて来たのは英霊と己の神我に恥じない為だ。損得勘定の御都合主義には到底解せぬ領域だろう。

歴史は何度も繰り返される。裏切り続けたのはあなた方のほうだ。

こういった結果を生み出したのはGHQの怨念が実を結んだと思えるだろう。しかし、真実は事実と別のところに存在する。人間は所詮、神のプログラミングされた道を辿っているに過ぎない。人間の過ちはカインとアベルに帰属する。羊飼いのアベルを殺害し、アベルの善良心、アベルの全てに加え、神の愛さえ、怨み欲しがったカインの裏切りが現代版になって蘇っただけの話である。混血はそれぞれの国のカルマが加算され、血肉を超えた魂のルーツが課題を選択していく。何を掛け合わせたところで、日本国のルーツは消えようがないのである。血肉と魂は相反する性質を持ちながらも帰属する神域の解釈を要する自然の原理なのである。これに反し、カインのルーツは人間の力で途絶えさせるのが神の目録である。向上させるか、神軍の浄化対象となるか。

神域の理を理解出来る者は、ほんの僅かしかいない。それなのに、神はなんびとにも例外なく宿っている。これ以上の何の幸福を求めるのだ?強欲な人間どもよ。

イヘンヲミツケタラ ヒキカエセ

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それぞれの神我と未来

結果を見ない傲慢さについて、真髄に考えたことがあるだろうか?何を根拠に、何に作用し、何を生み出したか?不純物の炙り出しを忌み嫌い。腐った餅を神に捧げ、お面を被り。己は腐った餅も喰いもしない。神我主義の理論が破綻している宗教や、神がかった演出を好む思想家の間抜けな旋律も邪教の同類項のお遊戯と言えよう。高層啓示を受け、神我が呼応する者もいれば、全く無意味な者もいる。これが、各々の魂階層の限界値である。後者にスポットライトを当て優遇する社会構図は分断を煽った単純な民族浄化ではない。これから先は、真の正義とは何なのか?全民族が考えさせられることになるだろう。

神の冒涜者は神に勝るはずもなく 闇の中で闇に制される死刑囚に過ぎない。

日本の移民問題は抗日三国(南北朝鮮、中国)による『成りすまし・たかり商法』を許した過ちから正す事が絶対条件である。国際結婚などの近代的法制度として1898年帰化制度が施行された。第二次世界大戦後のサンフランシスコ条約発効時、かつて日本国籍を有していた旧植民地者(台湾人、朝鮮人)の国籍喪失問題の解決策として1952年帰化制度から帰化人制度へと移行した。この時、国籍選択を巡った諸説が存在するが、抗日活動の煽りを受けて、浮遊する旧植民地者を自国政府が斬り捨て、市民兵を使い圧力を掛けた為、命にかかわる問題として日本側が救済せざる得なかった。しかし、受けた温情を仇で返す様に歴史が書き換えられて伝承され日本側も強要された。この後、1981年難民条約締結を受けて1982年に国民年金加入許容を理由として、国民と社会秩序を守る唯一の国籍条項が撤廃された。蓋を開ければ、国を深部から崩壊させる抗日三国の侵略を許す為の法改正に過ぎなかった。部落差別問題、同和問題を利用し、抗日国家への愛国心を隠し持った営業右翼が「人権侵害」を逆手に取り、日本国民の人権を剥奪する為に被害者の振りをして同情票をかき集め行った、詐欺脅迫行為に他ならない。

虚言と盗用から始まった儒教大国から枝分かれした、抗日三国

『裏切る時は反旗されないように大きく裏切れ』『嘘を付き続ければ真実となる』こういったスローガンを胸に秘め、成りすまし・たかり商法を合法化させる為に弱い振りをしたり、正義人のように振舞ったり幅広く演じながら、潜伏侵略の口実をカモフラージュして来たのだ。基盤がある程度、整備されれば社会思想を仮想化する工作に躍り出た。三国が得意とする歴史に深い毒殺計画を実行する為だ。オウム真理教のサリン事件を参考に、より多くの被害を出す為に、緊急通路を封鎖する模索を重ねたが、警備システムが整った日本では実行しにくい為、市民兵を育成するようにSNS工作に踏み切った。エスカレーター両側乗車扇動をする事で緊急通路はある程度封鎖される。東京の混雑時は整列をしないと命取りである。人工高密度による韓国の圧迫死事故も記憶に新しいとこだ。また、マスクと除菌などの病理、空気汚染の自己防衛策の無力化扇動は新薬、生物兵器利権の製薬会社の株価も揺るがす惨事になりかねない事情も加味されたのであろう。コロナワクチンが単なるワクチンだと捉えている層には到底理解出来ぬ領域である。詐欺師は些細な嘘を入り口に相手の思考、行動をコントロールする事で、己の猿芝居を固定化させていくものだ。

凡人は大きなことから小さく学び、賢者は小さなことから大きく学ぶ

売国政府により、国民には危険性を知らされない病が蔓延している。国民を守る立場の者が己の立場を按ずるような腰抜けしか当選しないワクチンでも打ったのであろう。この兵器ワクチンを隠し持った婚姻関係が日本中に溢れ返っている事で残忍性を持った子どもが増加していることを知らなければならない。血脈を辿り抗日三国から受け継がれた固定概念とカルマは簡単には消えない。かつて儒教を認めさせるため、全く罪のない自国の国教の信者を惨殺し、濡れ衣まで着せ立場を横取りする残忍さを肯定引継ぎしたままだ。残忍性を正当化する為に残虐性を身に付けた宿罪は果てしなく大きい。カルマは廻り続け、惨殺された怨念を果たすように、集中して三国に同質の魂が再生している。正に『目には目を歯には歯を』である。この警鐘を鳴らすように、移民問題が世界中の同質を炙り出すように起きている。この世の間違いも正解も、全て神の計らいである。間違いは正されるまで、この世に学びの石が投げこまれる。

個のカルマが、社会へ反映される。ひとりひとりが救世主ともなれば、破壊主ともなり得る危険性を理解しなければ、生きながらに死んでいる様なものである。

国民の意識体が集結した場所が内閣であり、ここから生まれた負のカルマの終着点がスラム街という事である。政治に無関心であれば、国民に無関心な政権と成り、外的要素ばかり求める地に足の付かない国の暮らしを余儀なくされる。節操のない考えが、外部の参入を安易に許し身を滅ぼすまで食い荒らされる事態を招く。無知蒙昧な国民が増えるほど、無知蒙昧な政権や国運を生み出すという事だ。

貧困には二通りある、金の貧しさと心の貧しさだ。スラム街はただの貧困ではない。真善美の愛が枯渇しているのだ。愛に向かって生きれず、破滅に向かって生きることで命を保つしかない矛盾を抱えている。金だけ与えても解決せず。心を豊かにしようとも愛が持てないでいる。たとえ人にやさしくしても継続しない。愛の真価が見えないからだ。本当の貧しさとは人の中に存在し社会の闇と共鳴するものなのだ。人身売買、誘拐、売春取引、テロや犯罪組織の隠れ蓑としてスラム街は重宝されているのも事実だ。宗教との癒着がスラム街の温存に一役買っている。

魂は国や時代を定めこの世に再生してくる。国と人はこの世の広義の親子関係であり、止む負えない事情で里親に出したとしても我が子には変わりがない。子は親の似なくて良い所ばかり似ると言うが、その通りの民族性を引き継いでいる。朝鮮は影で糸を引き、裏切りと騙しで相手を貶め支配する。中国は相手の手柄は自分の手柄と権利を摩り替え相手を叩き潰す。日本は神の心を失った。それぞれの親を唆す悪魔が、捨て子をロッカーに閉じ込めて息絶えるまで鍵を開けない気でいる。最大の悪魔は傍観する味方である。

傍観する残忍性と便乗する残虐性

自己都合主義が巻き起こした崩壊と破綻から、再起を掛ける利権に喰らい付こうと、もがく蛆を駆除しなければ前には進まない。どんな御託を並べても破綻と崩壊を齎した事実からは逃れられない。愛の枯渇が生んだ残忍性や残虐性は外的要因だけでここまで度を超えることは無い。魂の気質を環境要因が誘発したに過ぎない。愛を感知しない魂は存在するのだ。程度の低い愛を正義とするならそれが魂階層の限界値である。玉石混合の同じ時代に生まれ生きる以上、誰もが無関係ではない。同質であることを自覚すべきか、環境要因を排除する働きを買って出れるように己を磨くかである。自己都合主義者には周囲に責任感と領域を持つこと自体が広義の愛の始まりだと思えもしないのだろう。各国の政府が残虐性を持った民度を敢えて移民させ民族浄化を促している。社会的隔離が必要な精神階層を保護するキャパは無い。それ程、肥大化しているのだ。善悪の概念を有する教育を魂が欲しなかった結果である。環境だけが悪いのではない。己の魂が選択したのだ。人生の局面で受けた温情の度合いを受け入れ理解しようともせず。いとも簡単に自己都合に書き換え、相手の思い、言葉、行動を己の階層に摩り替える愛の枯渇。周囲の評価をコントロールし敵わぬ相手に勝った気になったとしても所詮は鳥かごの死刑囚。獄中で天下を取ったところで先は見えている。それでも、我らこそ正義、我らこそ善だと信じて止まないでいる。全ては、魂の宿罪が求めた結果である。善を挫き、闇を受け入れ、闇に制される天秤の皿の上で、何を思い何を求めるのか?己の真価が計り知れる。

この世で真価を学べないならあの世のループで学び直すに過ぎない。それぞれの未来と神の義慈悲。

剣を取る者は剣で滅びるが、剣を征する者は悪を征する

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日本國よ!突き進め!

時空を超え、国を超え、人々は戦乱を繰り返してきた。真の為に戦うのか?それとも己の為に戦うのか?人は真の責任を問わずとて、己の平和と豊かさの為に隣人の平和と豊かさを奪い、いつしか人々は愛する尊さを忘れ、神を敬う善良心すら失い始めている。真の善を澄ませれば、血肉飛び散る空に浮かぶ、あの時あの時代の己の苦悶の肖像画が生きる意味を照らし出す。

この神の御慈悲に畏れひれ伏すのが、人と獣の領域である。

かつて、アジア唯一の列強国とけん制され、連なる国々が策略を企て手を常ぎ合わし、我が神国の神と人を切り離し弱体化を虐げた。時代の大国と比較にならない小さな軍力で成し遂げた偉業は魂で闘わずして得られるものではなかった。恐れるものは何もない。我らの命は英霊と神と共にあらんことを肝に銘じる限り、ただただ神の眼となり手となり足となり、神の一本道を前進するのみである。

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なぜ人は戦争をするのか?

『一つの政治的意見が一つの政治的意見を殺すのです。~略~ 政治的意見の本質は一面が気に入らないから殺すのじゃない。:三島由紀夫』

政治的思想全体が気に喰わないから殺すのではなく、政治的思想の一面が気に喰わない論争から始まった政治的摩擦が肥大化すれば、それは個と個の思想争いではなく、妥協点の見当たらない軍事的革命運動さえいとわない緊迫感の中から、古く錆びた政治的思想が死に。新しい政治的思想の改革案が生まれ、思想サイクルの時を優雅に刻みだすのだ。政治的思想とは面白いもので、癌細胞の一部を切り取れば回復する病状のものでさえ引き返せないトリックに陥るという事である。

本能と暴力

本能的な暴力とは生まれながらに備わっている生存本能、防衛本能の本能的欲求である。生命維持や種族保存に果たされる人間の自然な摂理である。原始時代から遡り、人類進化の為に避けようのなかった戦闘本能がぶつかり合う歴史の鼓動がいつしか、領土争い、資源争いに発展した。しかし現代では、衝動的欲求のブレーキとなる理性を失い。領土と資源に恵まれても戦争を止めることは無い。理性を失った本能的欲求はただの暴力である。正義というのは理性を保った戦闘本能に過ぎないという事だ。

軍需利権の旨味から抜け出せない残虐性を持った一部の人間が、本能的欲求を過剰に抑圧するなど心理術を悪用し、戦闘本能の矛先を遠隔コントロールすることで、戦争経済を世界利潤の軸とする動きが現代社会を支配している。

これに一早く乗ったのが宗教やカルト新興である。本能的暴力に虐待要素を加え、洗脳からマインドコントールが起きる状態まで、遠隔教育する事は情報権力を握ればいとも簡単である。彼らが、重きを置いたのは『隣人の工作員』の配備である。自然な形で、人の考えに侵入し意思決定を操作できるのは静かな隣人。いわゆる最も身近な者の存在である。例えば、出会い系アプリ、人を介した結婚、付き合い、友人関係、親子関係、家庭環境でさえ、いとも簡単に人の弱みを入り口に侵入することが出来る。また彼らの殆んどが『無自覚な洗脳者』である事も留意しておかなければならない。

明治時代からの帰化人によって、国内でも子ども社会さえ利用し偽史は語り継がれ、日本の誇りは矮小化されて来た。年長者の口から放たれた『それらしき物語』を誰も疑う余地がない。まさに、年長者や他者を立てる日本文化特有の善意に付け込んだ悪魔の仕業と言わざる得ない。

無知は罪なり

情報暴力、精神暴力は生き方も人も殺す最大の残虐性

支那半島民が過剰に肉体的暴力を否定し、情報暴力、精神暴力を同胞を集結させてまで、正当化する残虐性を日本人は語り継ぐ責務がある。木を見て森を見ず。小さな針を刺し続けた結果、大きな穴が開けば、それは立派な暴力以外なにものでもない。本能的暴力は誰もが備わっているが、残虐性を持つ者は一部である。

悪魔は個性を持たず、考えを持たず静かな残虐性に帰属する

悪魔は仮面を剥がせば、個性が無い。輝くのは個性ではなく、オウム返しの承認欲求ばかりである。一つの悪魔の木のように一律の思考で根が繋がっている。同質以外の個性の違いや存在意義が理解が出来ず自己の木に例え直し、相手を自分の低いレベルまで下げる自己都合のレッテル貼りをしないと気が済まない。自分とかけ離れた相手に憧れを寄せるのは光に蛾が集まる如く共依存の欲求である。問題点の根源に対して、何を見ても、何を聞いても、理解したように見せ掛ける技能を磨き結果的には、木を見て森を見ずで、御託を並べ永久的に改心をしない。自己の正当性を高めるために増悪感情を募らせ、偽善的な残虐性を漆喰に繰り返し、小さな針で他者の骨を削る執着心に恥を覚える事も無い。また、小さな針を凶器と検挙するには乏しい法の抜け穴に寄生する。隠蔽体質の集団依存を要する習性を持つ。

この世の学びを放棄した者は、あの世で学び直すしかないが、悪魔は自力であの世に帰ることが出来ない。

1937年12月上旬に起きた南京大虐殺の戦中プロパガンダに米が加わり、公文書という確かな証拠も無く日本人が引き起こした虐殺事件だと世界へ発信したが、事実は1937年7月29日に支那人が起こした通州事件の摩り替えである。通州事件には公文書が残っており、この証言や写真を使用し、支那人の罪を日本人に着せたのだ。これに米が関わったのは理由はいかにも無機質な軍事的思想である。当時日本は無双状態だと囁かれていた。日清戦争に打ち勝ち、また加盟国と共に勝戦した事もあり策士の役割を担う事も多々あった。戦時代では、敵うはずのないモンゴル大国を打ち返した。また、日露戦争の舞台を経て、強大国ロシアの勝戦国として注目され、アジア唯一の列強国と世界にけん制された。どう考えても分が悪いはずの小さな軍事力でどう強大国に打ち勝ってきたのか?得体の知れない危機感が世界を駆け巡ったのだ。その煽りを受けて、日中戦争下に起きた虐殺事件を利用し日本国を是が非でも敗戦国として虐げる必要性に駆られていたのだ。これが後に、敵国条項を虐げられ、未だに削除されることない足枷の理由の大きな一つとなった。

満州で起きた張作霖爆破事件いわゆる満鉄爆発も同じことだ。ポーツマス条約によって満州を譲度され、莫大な費用を掛けてインフラを整備し、短期間で一気に近代化させた。雇用や食品衛生、教育、医療、娯楽などを整え『夢の満州国』と希望を感じさせる街づくりを実現させた。最初は反抗していた満州民であったが、次第に心を許していき、思想を強制される事も無く、日本軍と共に暮らしを楽しんでいた。張作霖も同じく、日本軍と共に満州国を発展させようと友好的な関係は続いていた。だが、そのきっかけは、張作霖がロシアのスパイだと日本軍に射抜かれたところから友好関係は始まっている。互いに満州国建国に向けて前向きに打ち解けたのもつかの間。この関係は長くは持たなかった。兼ねてより、折り合いが悪かった張作霖の息子である張学良と日本統治が気に喰わなかった中国国民党の蒋介石がロシアへ張作霖を垂れ込んだのだ。日本との二重スパイとみなされた張作霖を爆破し、その罪を日本に着せる目論見を悟られまいと支那新聞は抗日的排外思想を煽った記事を捏造しながら大きく報道した。これによって、事実を訴えかける日本軍の声は掻き消される事となった。だが、事実が動くはずも無かった。現場で発見された爆弾はロシア製であった。また、GHQが禁書とした当時の書物の中から『昭和六年九月十八日午後十時、支那兵が我が満州鉄道線を爆破した。奉天北方支那兵営北大営をへだたる約千五百メートル柳条湖の近くの線路である。』と記されている。また近年になって、当時のロシア製爆弾と爆撃被害の証拠から検証し直すと、柳条湖の線路で起こった屋内爆発であった事が大きく示唆されている。線路に日本軍が仕掛けた爆弾とした支那兵の証言は物理的に整合性が無く、当時の日本軍の証言通り検証していれば近代の検証に持ち越さなくとも支那兵の自作自演だという事は整合性を持って理解が出来たはずだ。どちらにせよ確かのは、満鉄爆発で日本軍は何も得をしない、寧ろ損失の方が計り知れない。だが、二重スパイとみなされた張作霖との関係性をロシアに詰められれば、再度、強大国ロシアとの戦争に参戦出来るほどの財力は満州に費やしたため残っていない。連盟などの国際的しがらみから、最後はこの茶番を睨め付けながら飲み干すしかなかった。

強国モンゴル来襲時の鎌倉武士を始め、二・二六事件からでも分かるように、日本軍は後ろから人を刺し殺すようなまねはしない。殺す相手に警告し宣言し妥協点を提示した上で交渉炸裂した場合武力攻撃を行う。これが侍魂を引き継いだ皇軍の闘い方だ。

お天道様に恥じない生き方、お天道様は見ている

太陽神であられる総合神、天照大御神様を胸に刻み歩んできた誇り高き日本先祖は確かに存在する。情報、精神暴力が日本国民の自虐性を虐げられ、戦後も尚、数々の残虐性暴力を受け続けて来た。汚名を着せられた悪夢から敵は城の至る所に存在する。しかし、鎌倉武士が呼び起こした神風や、原爆投下後の被爆症で生と死の狭間の苦悶を枕崎台風が流し、我々は神の情けを賜って今に至る。日本総人口1割しか、このルーツを引き継ぐ者はいないだろうがそれで十分だ。世界を見渡しても国内3割ほどしか、国のルーツを背負う者はいないがそれで十分だとは思わぬか?

移民は水槽内の生態系を破壊するのと同じことだ。神は残虐性を持つ水槽を壊したのだ。神の意志を冒涜する事は出来ない。溢れた魚を真の正義で裁き、全水槽の生態圏を再生させなければならない。

人間の犯した過ちは、人間の手で始末を付ける。

戦争の平和利用は、戦闘本能を残虐性に的を絞って利用する事に限る。悪魔がこの世に産まれ続けるのは、偽善に埋もれた残虐性を逃し続けたからである。

さて、どの国が、神の正義を果たす世界最初の最強国となろうか?見物である。

Желаю  тебе  успехов

神社は我が目玉だ 返せ 返せ。 

森は我が心臓だ  返せ 返せ。

水は我が血流だ  返せ 返せ。  

土は我が心だ  返せ 返せ。

澄んだ空気は我が肺だ 返せ 返せ。     

返せないなら 己の目玉をよこせ  心臓をよこせ  血流をよこせ  心をよこせ  肺をよこせ 

國の誇りは 國津神との臍の緒   

日本國よ 突き進め

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台湾有事

台湾有事を前にして、日本はどう動くのか?遥か昔から警鐘が鳴らされていたのも関わらず、いくら待てど具体案が出ず、金や避難民受け入れで手を打つのか否か。日本政府は支那カルト政府同義である事には変わりない。視点を日本人視点ではなく支那カルト視点に置けば、台湾を斬り捨て、米に中途半端に媚びながら中国と合策する事は目に見えている。

1894年日清戦争後、清に勝利した日本国は北京か台湾の二択を迫られ台湾領土を統治する事となった、その際、日本軍は台湾風土のマラリア、赤痢、脚気が原因で戦場よりも多くの命を落とす事になった。その後、反乱民を抑え日本文化を軸に急速にインフラを整え近代化させた。安泰したのもつかの間、第二次世界大戦日本敗戦後、日本の植民地から手が離れ中国へと渡った。その際、台湾人が築き上げて来た資産を強奪しポケットマネーを膨らませ、台湾紙幣の価値を暴落させ、職を奪い一気に貧困化させた。日本と台湾融合の文化は徹底的に破壊された。日本の奉仕教育が強奪主義に様変わりし、反乱を起こす者は非人道的な扱いを受け暴力的に処刑された。地獄絵図のような渦中、更に中国本土から移民が押し寄せ、台湾人が虐げられた環境は更に悪化した。

※中国内で共産党(中華自民共和国)が勝利し、国民党(後の中華民国)が中国から台湾へ移住する事となった。台湾の先住民はフィリピン、インドネシア由来で構成されていた。

犬さりて 豚きたる

犬さりて豚きたる:当時の台湾社会の流行語:日本植民地の時は日本人の指導は犬の吠える如く、やかましかったが、台湾の平和と秩序を守る番犬になり役に立った。しかし、中国人は台湾を豚のように食い漁るだけで何もしない。貪欲で汚い。という意味。

現台湾は民進党(台湾人で構成)と国民党(中華民)、中立の政党の存在が政治の注目を集めている。台湾の半数が反中派であり、中国の浸透工作に警鐘を鳴らす動きが活発であるが、SNS情報操作、金ばら撒き浸透工作により半数の者が無関心又は台湾有事など来ない、中国とは友好的だと信じて止まない隠れ共産党の層が残りを占めている。歴史から学んだはずの危機管理能力を投げ出している現日本と似た危険な状態である。

日本国が、かつて神国と呼ばれたのはスピリチュアリティが高かったからだ。第二次世界大戦敗戦の要因の一種が台湾の地に蒔かれ放置されて来た事を大いに恥じなければならない。他国で、生物兵器でもない赤痢、脚気、マラリアに侵されるという事は『これ以上踏み込むな』という霊示である。支那工作にそそのかされ軍需利権に酔いしれた挙句、道を誤るなどこれほど愚かなことは無い。清は鼻から日本軍に台湾を取らせ、第二次大戦で廃退させるよう天皇特権に寄生し台湾領土と米の支援を手中に収めるつもりだったのだろう。神は常に天と地、陰と陽、善と悪などの対なるものを個の身近に置き霊性向上を試し続けるものだ。

正義の闘いか、欲得の強奪か

この世の次元に存在する以上、不毛にも争いは避けれない場合がある。中国が台湾領土を再度狙い有事は高まっている。台湾侵攻の次は日本である。かつて日本軍の撤退により中国からの危機に晒された台湾を支援したのは米である。そうした歴史に野心を紐づける事無く台湾は、災害支援も含め日本に紳士的である。台湾有事で日本国が取るべき行動は米と共に台湾を守る事である。問題は敵国条項と日米地位協定の足枷に加え、日本政府の状態が支那カルト政権の王国だという事だ。台湾から避難民を受け入れたとこで、国内の工作員に何をされるかは分からない。直接手を出さなくとも、情報搾取をし嗅ぎまわるのは目に見えている。物資支援と言えどもそもそも国内自給率、生産率共に雀の涙ほどで自国民すら貧困状態だ。入り乱れた移民によりテロ無法地帯となった国に歓迎するなど無責任なことは出来ない。唯一出来る事と言えば、人員支援である。台湾空機は中国に比べ不足していると聞く、そこを補足支援する事も想定内の案だ。だが、一番は人手不足の解消への尽力だ。日本国内の支那カルト工作員を総動員し、台湾軍人を安全領域から出さず、最前線で独立して人員支援に尽力する場面に想いを馳せるところだ。米の内在、日本内在、台湾内在のテロ、支那カルト工作員を一気一同に中国に送り返す刀で最前線の大玉の花火が最大の防衛となろう。何も恐れることは無い。世界中を24時間365日常に誰かや国を姑息なねぐらで殺し続けているのだから舞台が最前線に変わった所でやっている事には変わりはない。

神国においては、霊示により選別される者たちしか殺生は許されず存在しないに等しい狭き門である。しかし、他国においては魂の正義かどうかが神の審判に掛かるところだ。要するに、殺める者の選別を見誤らない事が最重要素となる。

戦争は起きない事が最も好ましい。だがしかし、悪魔祓いは避けては通れぬ人間界の愚かさに、いと哀しい限りである。

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鎖国関税

トランプ関税とも言われる条件が世界に叩きつけられた。そこで、どんな反応を示すかで各国頭(かしら)の度量が見えてくる。地球生存問題に関わる環境問題は瀬戸際である。国内生産、自給率が国内完全完結型の国体制が問われ続けている。そこにトランプ関税のトラップにハマり、日本政府が出した答えは「日本を舐めるな」である。さすがは、支那カルト政府の度量はおちょこの裏ほどである。日米地位協定、敵国条項を解かずして何をほざいているのか期待通りでもある。

日本の国内自給率は実質30%を切っている。国内生産率も外資、外国労働に頼り切っている。原発存在と同じだ。頼る必要が無いのに、依存させられたままである。1945年からGHQの支配下によりWGIPは執行されてきたが、マッカーサーが永久に生きているわけではない。大統領が変わる度に、日本独立のチャンスは音連れている。それを蹴っているのは、中国共産党利権屋や支那カルト利権屋そして、日本軍需産業利権屋たちである。また、宗教屋と軍需利権屋はセットである。末端信者は教祖様の言葉に酔いしれ、教典に人生を依存させ、正義の如く我が子も世界も地獄の底へ引きずり込む群衆心理操作の策略の駒でしかない。

明治時代の日本内閣制度制定から支那帰化人の日本政権侵略は色濃くなった。世界水準に合わせた内閣制度にすることで侵略しやすい弱小国家の道を歩み始めたのだ。第二次世界大戦前の日本の戦争意識は現在と180度違い、戦争経済をどう活かしていくのかをひとりひとりの国民が自覚し、個々に肯定と否定の両面の意見を総合した上で国運に自発的に望んで溶け込んでいた。ゆえに日本に魂のルーツが無い者は侍精神に呼応せず、洗脳の一部だと表面的にしか捉えることが出来ない。選挙権は男性が取得し、女性は家庭を守る事で人間本能に沿った役割分担を熟していた。また、選挙資格を持つ者は周囲の民意を反映する役割を買って出て、政治の話が日常会話から尽きることは無かった。酒を囲み、良く知らないような相手とも論議を交わし、誰もが国運と共に生きる大人としての責務を果たそうと懸命だった。戦前の日本人と現代人の大きな違いは自発的な責任感と、主体性の理性的な発展の有無である。現代は、群衆心理という集合体の平均値が主体の軸に存在しており、個性の欠片も存在しない。弱体化徴兵制度に向けた責任逃れをする義務教育の賜物と言えよう。

さて、現代軸に話を戻そう。冒頭でも記したように、現日本政府は支那カルト政権そのものである。WGIP名残の米からの圧力を利用し、いわゆる内在中国政府と外在中国政府が手を組み米とロシアを手中に収める事で連携を強めている。内在中国領土、権利を一撃すれば支那カルトの力を弱めることも出来る。世界に散らばるテロカルトが世界犯罪や各国の国家反逆罪の元凶である。これを捉えるには、日本国内に分布する支那カルト、中国侵略部位を撲滅する事が中枢神経に有効的である。

しかし、問題は日本国は国家反逆罪を処する軍事指揮が取れない上に、既に司令塔が侵略されている。支那侵略とは別に、米軍基地の存在、米軍の上空利用、そして国内軍事力も持たない。当然、日米地位協定、敵国条項を度外視する訳にはいかない。GHQ後から、日本国は様々な不条理を突き付けられ虐げられて来た。しかしながら、米から受けた恩恵も計り知れない。それに比べ中国支那は邪馬台国時代からずっと日本国を貶め続けている。恩を仇で返す、盗用、捏造、改ざんスタイルはずっと変わらない。現代では、日本国に留まらず世界の元凶である事が各国で明らかにされている。そして、儒教思想の各宗派への解釈がテロカルトに発展するなど、より一層民族性の悪玉を世界規模で培植させている。これに合わせて現在隠蔽された加害性人格異常者の推移も世界トップである。つまりは、社会的隔離が必要な層が日本国内にも移民帰化し無法状態なのである。

世界が一斉に目を向けるべき問題は地球生存に関わる環境回帰問題である。トランプ関税は各国、自国カルマに向き合う良きタイミングである事には変わりがない。国内完結型の生産能力の回帰に一点集中する事で、生産の原点である環境問題に触れずにはいられない。環境汚染は中国がダントツトップである。それに道連れにされる日本国。支那カルト政府が環境回帰に一心に取り組んできた日本の企業努力をどれほど裏切って来たのか計り知れない。いや日本だけでない。世界中に留学、外人労働、宗教、難民を装い情報工作員を分布し各所の盗用、情報かく乱による静かな侵略戦争を仕掛け続けている。はっきり言おう地球改善に邪魔である。

これから先の日本に戦争は必要ない。日本神の宿らない領土も必要ない。多国間との相互補完の関係性が保たれなければ鎖国が当然の選択である。世界は何よりも優先して、環境に目を向けなければならない。それを私利私欲で邪魔する層が人口削減数に一役買う事はゆるぎない事実である。

我々は、十分過ぎるほど警告を流し続けて来た。だが、悪魔から人間脳に発達しない事だけが浮き彫りとなった。

追記:『イラン攻撃は終戦に必要だった。日本への原子爆弾も終戦に必要だった。同じことだ。』このトランプ氏のトラップ発言に、狙い通りテロカルトが喰い付いた。核保有違反に対する犠牲者ゼロのイラン攻撃と殺傷能力、原爆症の兵器研究が目的であった日本原爆投下との比較図が成立しない事は子どもが見ても明白である。つまりは、テロカルトは存在しない空論に自己都合依存するゾンビ思考だという事だ。

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ループ

幻想の森に身を潜める影の群れ、人間世界を羨み妬み嫉み怨霊の火を道しるべに人間世界に歩みを進めて来た。幾度生まれ変わっても、己の罪を認めず、謝罪せず、償い続けようとせず、責任逃れの道を歩み幻想の森をループする。幻想が魅せる偽善に心を躍らせ、偽善活動に自己顕示欲を募らせ承認欲求を満たしていく。そこに何の価値があるのか、何も変わらない。何も聞こえない。何も考えられない。

生きながらに死んでいる影の群れ

無条件で神に愛され、神に値する存在だと神に認めさせずにはいられないのが悪魔の性質。神の真似事をし、神を理解したかのように教典を引用し、人のトラウマに寄生し、霊的現象を起こし、いかにも自分が救世主や天使としてこの世に産まれたかのように振舞い、承認欲求を満たせば、神に値するかのように知った口を叩き自己顕示欲を満たしていく。

悪魔と言うのは、一言で言えば『改心しない知能界隈』に尽きる。いや、改心出来ないと言った方がより現実的である。自分が原因の問題ごとは決して謝らない。指摘サイドの揚げ足を取り、自分の過ちを他者投影する事だけに終始集中する。その性質を悟られまいと、見える偽善活動をすることで、偽造工作達成感の為に承認欲求を満たそうとする。

偽善活動家は必ず、群れる。ひとりで何かの誰かの為に役に立つ行いはしない。善行と言うのは神と自分の間だけで行い、誰かの何かの為に己の精神性を向上させるものである。ましてや、スピリチュアリティを高めようと学ぶ者の中に偽善活動を行うような者は即破門である。己の身勝手な偽善行動が、高め歩む者たちの社会的信頼を低迷させる事すら配慮出来ない知能界隈が救えるのは的屋の金魚ぐらいである。迷惑以外何物でもない。いかに今まで、中途半端な視点で霊訓を知った被っていたのか傲慢さが如実に表れる場面だ。

木を見て森を見ず

子ども社会の問題が浮き彫りになり、子ども食堂の件数の多さが報道され、そこにカルト利権が群がっている鬼畜さに警鐘を鳴らす声は増え続けている。それに逆行する偽善家たちは、本当に救うべき子ども達を見捨てて来た大人たちのカルマ集合体が見事に雁首揃えて並んでいる。子ども食堂が存在し、増加する事で支那カルト政府は『育てられない親を助ける国を演出』し、子どもの親権を親から奪い国の所有物として法で定め、支那スパイ教育の流れを作る為に、カルト利権と共に公金を垂れ流している。給食混入事件や給食難民、貧困被害を造り上げた主犯が救世主としてカルトを国認定させ、羊が順応したところでテロ国家にするつもりなのだ。現に、子ども食堂を利用する家庭はカルト、宗教の生態圏であり、本当に必要な子どもの救済には至ってない。無関係な家庭の子どもが利用するなら情報搾取をされ、人身売買、集団ストーキングリストなどに悪用されるか、いじめ犯罪の被害対象に踊り出るようなものである。フードバンクや炊き出しも存在する中、そこの支援に真髄に取り組まず、わざわざこれ見よがしに『良い人やってます広告』の為に、血税を浪費し、支那政権が目指すところの国家独裁監視社会にまで間接支援しているのだからご立派な知能界隈である。

小さなコップが注げる水は少ない。

いつも誰かが何かが偽善活動の尻拭いをし続けている。これを指摘しても、聞く耳すら持たないで集団依存の三羽ガラスで共鳴し合い何度も同じことを繰り返す。偽善の寄生によって潰された政党も企業も人も技術も産業も自然も存在する。それでも、省みらず偽善の種を撒き続けていく。この世で学べる事はもうない。あの世に置き忘れた約束に心宿すことも出来ないのだから。

サービス精神の無さ

マザーテレサが日本に来日した際、道端で掃除をする人を見掛け、不思議に思い。なぜ、自分の庭でもない道端を掃除しているのかを尋ねると『掃除するのは、当たり前の事だからです。』とその人は笑顔で当たり前のように答えた。その返答にマザーは奉仕の心が日本人の根底にすでに存在している事に大きな感動と希望を感じたのだ。だが、帰化人通名制度が活発になり支那思想が参入し、謝れない文化、間違いを当たり前に正せない穿ったモラルを虐げられるようになった。自分を正当化する為に、相手に自分の罪や劣等感を投影する。それを見て同胞は注意をするどころか束になって、ひとりを多勢で罵り貶める。居心地を悪くし社会的排除をする親を見て子どもは善悪の概念が育たずに、悲鳴のような声を上げ社会にSOSを出し続けている。子ども社会や社会全体の幸福を真に願うのなら、破壊するしか脳が無い戦争経済や支那侵略に立ち向かう事が筋ってものだ。飲めないなら、日本から出ていけ疫病神。神国のカルマは厚顔無恥の馬鹿には担げない。

この世のカルマは人類全体で向上しクリアしていかなければならない。何を見聞きしても何度指摘を受けても神の真偽に沿えない階層は最初から生きながらに死んでいる影に過ぎない。

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悪魔大祓い

悪魔祓いとは宗教や民俗信仰において、悪魔や悪霊を祈祷や儀式によって追い払う行為。世界各国の文化に存在し宗教などの信仰思想によって名称や様式は異なるが総称して悪魔祓いと呼ばれる。

信仰思想の扉の向こうに歩みを進め、悪魔のオルガンが鳴り響く運命共同体に身を委ね、ステンドグラスの逆さ絵に人々は神をみるのであろう。

神の獅子が暗黒で悪魔を喰らう姿に光の愛が溢れる

宗教家が巻き起こした悪魔のパンデミック

世界中の各宗派の宗教家数は現在世界の8割の人口数に達するが、神の真理に到達する者はいない。神と人との関わりは己のスピリットに神我を反応させることである。イエスやマザーテレサが集団崇拝に警鐘を鳴らした真実は時代を経て放置されたままである。各々が内なる悪魔と闘い。内なる神の手となり足となり目となるように己の精神性を己の責任で己の人生経路で高めるのが真の信仰心だということだ。その手法や答えが教典に記されているのではない。あくまでも時代に合わせた政治統一の陰に潜む偶像信仰思想に過ぎない。

神の愛に生きたマザーテレサを人身売買の闇を抱えた偽善者だと揶揄するオカルト信者の浅はかさは宗教派閥の期待通りである。マザーの願いは施設で暮らす子どもたちの真の幸福であった。子どもたちは家族愛に飢えており、どんな神の話よりも家族を欲していた。各々の事情で家族を失った心の傷はあまりに深く暗かった。家族の温もりを欲する子どもの願いは罪なのか?マザーは子どもの闇に寄り添うように神に一心に祈りを捧げ続けた。養子縁組の奇跡に心躍らす子どもたちの笑顔を重ね、来る日も来る日も願い続けた。どんなに待ちわびた事か、ようやく願っていたチャンスが音連れ、輝くような笑顔を残して多くの子どもたちが新しい家族の元へと旅立った。マザーは手紙を書き、面会を定期的に行い。笑顔に曇りは無いか、言葉に偽りは無いかを確認していた。だが、時代は複雑であった。紙は貴重で何度も出せるわけではない、返信が望めるわけではない。子どもたちが熱を出した時に不備なく医者を呼べる財力を持った家族が優先的に養子縁組に選ばれた。しかし、マザーと子どもたちが望んだ世界が各家庭に広がっていたのかはマザーにも真実が見えないままだった。マザーはもし偽りの姿を見せられていただけに過ぎなかったのならば自分自身を悔やんでも悔やみきれない現世の闇を月の湖に照らし続けている。施設存続も危うい時代だ。子どもたちの未来を考えたら新しい家族に希望を乗せる事に罪はない。しかし、子どもたちの思念に悪魔の誘導が掛かっていたとしたら?

悪魔は善意を利用する

イエスの人生は神との対話が全てであった。厳かに神と心を精通させ人生を豊かに彩る絵画の筆のようなものであり、外部にひけらかすような俗物ではない。外部はいかなる立場においても神との対話をアシストする橋渡しの領域を超えてはならない。何故ならば、相手の魂の学びを奪い取る事になるからだ。また、決して宗教的弾圧を犯すような群衆心理の道具になってはならない。だが、イエスを弾圧した宗教家は神の掟を全て犯している。それどころか、既存宗教で犯してない宗派など存在しない。さて、軍需利権に宗教利権は付き物であるにも関わらず『神の教えを布教する神に仕える者』と称するのは水と油を混ぜる如く合点がいかない。神は教典の二次元ではなく高貴なエネルギー体として共に存在する。神が示すスピリットへの務めを果たせないでいる限りWHO人口削減計画に黙認を貫く陰謀者と呼ばざるを得ない。何故ならば、生への依存、病や死への恐れをスピリットの学びに合わせて説かなかった結果、医療のカルマが膨れ上がり人口増加問題を引き起こし、人口削減計画実施に至ったのだ。神に仕える者とは肩書ばかりで神と対話出来ていない証である。また、小児愛者は宗教家から始まったと言っても過言ではない。宗教的抑圧からの性衝動が穢れがない子ども達に向かった鬼畜の事実を隠蔽し続けて来たのだ。宗教の仮面を剥がせば悪魔の遊園地に過ぎなかったという事である。

AI搭載の神を信仰するニューワールド

悪魔の楽園は中国を中心にAI世界統一国として完成を迎えようとしている。AI管理を必要とする障害アシストに限らず、人々の日常を完全に支配するようになればAI紛争や戦争を仕掛けやすくなる。開戦終戦の仕掛け役は人間が造ったに過ぎないAI神である。殺人成りすまし、盗用成りすまし、技術盗用、人身売買、未成年結婚売春などの情報売買が安易となり中国やテロが得意な分野で世界の利潤は回り始める。では、他国がイニシアチブを取れば事が前に進むかと言えばそうではない。中国の武漢から始まった生物兵器コロナパンデミックのカルマを被りたい国がどこにいるのだ?それだけではない。臓器売買、人身売買、未成年結婚売春斡旋、売春斡旋、情報操作、ハッキング、技術盗用、他国間摩擦誘導、カルトテロ扇動、環境汚染回避拒否、人権加害侵略、人口増加問題、人格病など大きな課題は後を絶たない。世界統一とは運命共同体になるということである。その尻拭いを全て行わなくてはならないのが王座の役目。しかし、それをAIに肩代わりさせようというのだが、当然カルマ解消には一ミリも響かない。人類が大きな船に乗り自滅の運命共同体を共にするだけである。人間がしたことは人間が始末を付けなくてはならないからだ。

日本の事例を見れば一目瞭然である。日本の政治も司法も、教育も、医療も、日本人の意見は今では一ミリも通らない。全て中国支那式だ。飲食店や不動産、水質、環境汚染、銀行、神社でさえ日本人のアイデンティティは盗まれ意見は通らない。産業も農業も技術を盗まれ畜産や漁業でさえ瀬戸際である。カルト監視工作、精神加害により冤罪を掛けられ社会的排除に追いやられた自殺数は2~3万人を毎年計上し続けている。ここに未成年の自殺数も加わったが近年はカウント数すら大幅に有耶無耶にしている。他国に対しても、帰化人の通名制度を利用し日本人の信用は破壊され続けて来た。だがしかし、これで日本は終われない。目に見えるものはいつか終わりを迎える。本来の日本はスピリチュアリティに溢れていた。持ち前のアイデンティティで他国間の摩擦や問題点を改善支援してきた歴史がある。日本に核など必要ない。原子力を使った脅しも必要ない。必要なのは悪魔払いである。

悪魔に慈悲は必要ない。必要なのは悪魔払い。

悪魔の餌の流れを一斉に封じ込め、神の騎士の二大巨塔が連携する時、龍国を目に東の騎士が一匹も逃さず流れを封じ、西の騎士が悪魔の巨体にいくつかの穴を開けた時、光の龍と獅子が扉の向こうに悪魔を送り込み、地球生命体が息を吹き返す光の時代が幕開けとなるであろう。

神の獅子が月夜に舞い踊り、いくつもの夜を光を求め歩き続けた。道の途中、光を与えようと申し出る者が現れたが、目付きが気に喰わずに嚙み殺した。また道ながらに王冠を与えようと申し出る者が現れたが、声色が気に喰わずに叩き殺した。そのうち、光が見え神の門に吸い寄せられるように歩みを進めた。その途中「迷いは無いか?」と神に聞かれ、神の獅子は微笑むように頷き門を潜り抜けた。

獅子は悪魔が魅せる幻想に打ち勝ち、いつもの調子で神の元へと旅立った。

全ては内なる神との間の事

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