月精陽精

月精・日(陽)精

月精は男子、日精は女子とあるが、人間界における男女で産まれる学びは陰の性質を活かし陽を学び、陽の性質を活かし陰を学ぶ、魂の理が人間的解釈によって生じたものである。人間界での陰とは女子であり、陽は男子である。この度の再生魂に無いものを学ぶのがこの世の役目である。要するに、男子の性質を持って女子となり元来の霊的男子を求め、女子の性質を持って男子となり元来の霊的女子を求め、互いに習い愛を育む事で陰陽の学びを成熟し、産まれた役目をひとつ果たす事になるという事である。ろくでもない相手ばかりを加護するのは己の魂の経路がろくでもないからである。要するに、相手の性を通して己のこれまでとこれからの魂を体現しているのである。

両性質については、陰の性質を陽で果たそうとせず、陰の性質で果たそうとする魂の欲求である。欲求と役目の狭間で藻掻くも、人間の学びである。人間が人間を愛する事に条件も罪も無い。愛の苦難が有るとするならば、引き合う階層値の横旅、真旅の混濁を有する人間特有の固定概念と支配欲で満たされた執念深さで生じるものである。

月精

人間の命は水から始まる神秘の愛

胎児を守る羊水が波立っているのか 透き通る愛に満ちているのか 

離れる事なんて出来ないのに 引き剥がされたあの痛み 

暗闇の中で溺れ藻掻きながら、愛を護る為に、愛に傷つき、愛に裏切られ、愛によって救われ、愛の偉大さに感歎の奇声が明日を紡いでいく

泣いても笑っても 愛はどこにもいかないはずなのに孤独を拭えるほどの光は見えてこない。水の如く愛に触れないと枯渇する愚かで愛しき生命体の雫たち。

神水を奪い合い、愛を虐げ、愛を利用し

生きる根源から愛を奪っていく儚げな生態系の不純物。

月の精が陽の精に恋をし、愛を知った時月明かりがこの世の愛と光を再生し

人類は感歎の奇声を神に届けるのだろう。

陽精

月が生命を宿し、陽の光が生命を育む 

肉蛾を覚ます陽の光が 魂に囁き問う 

下を向いても、上を向いても、陽の光は人の心を炙り出す 

優しくなれない自分  優しくありたい矛盾を葛藤し 

照り返される灼熱が 血肉を這う源となり 曇り空の合間に 月に恋をしてみる。 

心は安らぎ 解放と再生に愛が芽生え 月の魅力に抗えず

どれだけ月を想い 光を生み出し続けても 届かぬ思いに 照らす事さえ雲の合間。  

果てしない孤独を抱え 同じ悲しみを抱きかかえ 愛を揺さぶり起こす光に悶えながら 抱えた孤独達と 無償の愛に辿り着く。

月と陽の光が重なる事がなくとも 陽の光は愛で深まる夕焼け空

七夕伝説の儚くも確かな真実の愛に触れ

月と陽の恋模様が空を彩り謳う。

神の眼となり、脳と成りませう 我が命枯れるまで 月明かりの下 陽の精を呼び覚ましてみせようぞ 奏でる祝音に耳を寄せれば 人霊向上の時来たり  我が命これ以上ない愛を知る。月夜の精が光と愛を再生し、陽の精が光と愛を産み出し こぼれ落ちた雫は見果てぬ虚無と成ろうぞよ。天晴れ、天晴れ、神に奉納する我が人生。

今世も来世もあの世でも過去世を紡ぎ 月と陽は恋をする。

カルマの行方とこの世の報酬

低い者は高い者に己を投影し、揶揄、卑下する限りである。己の万華鏡の写し鏡に妄想を抱き、自分以上の事は理解と努力が及ばないのが現代の人格病である。高い者には低い者の僅かな粗さえ、透けて見えるものである。高い思想観に習い、低い思想観を脱ぎ捨てる抗えぬ向上欲を高等動物の誇りと共に捨て去った様である。幸福や成功は苦労を前払いする義務を果たす事で始まるのが、この世の対の法則である。社会の幸福の務めとは社会の不幸を背負うという事である。似非やまがい物では決して果たせない真実の人類愛である。例え、他者の幸福を奪い、己の不幸を責任転嫁しても、物的事情が変化するだけで、正負のカルマは変容しない。思考=有言実行が成立しない無責任者や陽気に前向きに直向きな真心が無い破綻者には果たされない対の法則である。

運命を創り磨き上げるのは自分が蒔いた種の因果応報の限りである。

人間がいくら結託し、傲り高ぶったとしてもカルマは何も変わらない。

さて、人間未満の果ては如何なるものだろうか?結論、知ったような口を聞き自滅するのが落ちである。たとえ、日本人の精神性の礎である神社仏閣を制した所で、物的事情が変わるだけで、神々は何ひとつ変わらない。僅かに残った日本人の精神性に神が呼応し国全体が加護を得ているだけである。神我に精通する日本精神を破壊したところで内なる神も無傷である。ダメージを受けるのは人間的部分のみ。大病を患わっても、片足を失っても、精神加害を受けても魂は変わらない。だが、加害側は自ら魂そのものを奈落の底に落とし加害した以上のカルマを背負い人間らしさを失う。いくら着飾って、造形を整備したところで内側から滲み出る美しさや愛には敵わない劣等感に追われ続ける。また、誰かの幸福を奪い自分の不幸を責任転嫁しても本当の幸福は音連れず、物理的にも精神的にも多くのものを失う。たとえ、お金がいくらあっても渇きは潤せず、心も暮らしも飢え、自己暗示に掛けた幻想の世界観の中で生きる事しか出来ず、幻想と現実の境目が解らなくなり本当の自分さえ見失い低級霊を背負い体現する人生へと移行し、元には戻らない。

魂が帰幽する階層は格下の色の無い世界である。

精神性を差し置き欲得を競り合う人生を幸せと呼ぶならばそうなのだろう。しかし、己の欲得の為に、他者や社会を利用し搾取するのは身勝手極まりない幸福論である。本当の愛や正義心で溢れていれば安直な思考で人を裁く愚かさに身を投じる事は無い。しかし、無愛者は鬼の首を取ったように高らかに戦利品を掲げ、他者の弱みに付け込み、欲得を得ようと賛美する。人間はどこか矛盾を抱え生きるものだ。しかし、善悪の概念を失い生じた矛盾は負の元凶でしかないのである。

人間の弱点は愛する真実の経路に帰属する。愛で炙り出される己の未熟さを精進するからこそ、この世で生きる霊的価値が高まり、呼応した分の物的報酬を神の采配によって恵まれるのが古代からの自然の摂理である。摂理に反した分が負のカルマの種となる。

周囲を見渡せば現在の日本国がいかに落ちぶれたかが顕著に見て取れるだろう。偏向報道を妄信しテロ国家を支援する無知層は人間未満と言わざる得ない愚行である。ウクライナやイランは人身取引やテロ支援、核保有条約違反、国際海峡違法を犯しているテロ支援国である。これらを制圧する米国や露国を悪役に仕立て上げている事自体が日本国がテロ支援国だという証である。抗日三国の帰化人の人権を保護し生活を保障した結果がこれである。やはり、日本先祖が声を上げていたように侵略の種に過ぎなかったのである。国際問題だけでなく、子ども社会の犠牲者は予見していた通り増加している。辺野古学生殺傷事件、京都行方不明殺人事件も保護者に全振りした偏向報道が過熱し教育関係、共産事業が関わっている組織的犯罪の一角である。犯行動機にカモフラージュを掛ける為、抗日兵がSNSで音頭を取りテロカルト信者及び利権者で溢れ返り、知ったような口を叩き偽造工作に打って出ている。これを賛美する無知層の存在は世も末である。日本は創価警察が集ストを使い探偵ごっこが増えてから冤罪大国となったのは揺ぎ無い事実である。

辺野古事件は抗日活動を授業で扱う事自体が、教育法に反した違法である。また、政教分離違反の社会問題解釈の植え付け、扇動は憲法違反である。それだけではない過失は当然、安全管理を怠り虚偽を申告し犯行動機をカモフラージュした故意による組織的殺傷事件である。京都事件は行方不明になった直後から虫の息であった。体が麻痺した様に、あるいは血を抜かれた様な衰退ぶりであった。人身取引、生贄、臓器売買の人さらい事業による様子見の可能性も含み、両親は組織的犯罪から逃れる為に全てを被る可能性も大いにある。ましてや、台湾では継父は中国籍だと報道されたのが事実であれば、なおのこと共産犯罪組織に拒む権利は剥奪される。事実、共産党は殺人事件によく関わっておりオウム真理教同様、公安警察監視下である。公安警察のテロカルト依存率は2~3割であり、警察のテロカルト依存率が6割に対して少ない為、辺野古の海保がまともだった様に比較的機能している組織である。しかし、問題は黒幕の組織体が野ざらしに成り続けている事だ。被害者は犯人に対して「準備がされていた」継父に対して「身近に居る」母に対しては、母との愛のメモリーを辿っているところである。被害者の思念はどこか生贄を承諾せざる得なかった様な妙な受け入れ態勢が垣間見える。保健室に滞在しがちだった間に何かを悟った様である。そして、残された思念に両親への感謝と愛に偽りはない。家族だからこそ、つらく当たる事もあるのは愛ゆえである。しかし、集ストや闇バイト者たちは、継父である弱みに付け込み、職業背景をこぎ付け、断片を切り取って拡大解釈しSNSで拡散し救いようのない悪質さである。また、捜査撹乱、語弊、誹謗中傷、冤罪に繋がる様な情報を取り締まらない国が極めて無能である。まともな人間なら保護者への配慮が先立って憶測を控えるものである。それが口を揃えたかのようにSNSが先行して我が子を失った保護者への誹謗中傷を止めることは無かった。例え、疑わしくても法的確証がないまま素人判断はせず控えるのが最低限の配慮である。主犯は集ストのリーサーチ集計データーを元に犯行のシナリオを立て、冤罪を掛けれる都合の良い家庭を選んだに過ぎない。現に継父は自分が被れば丸く収まると考えている。悔いても取り戻す事の無い息子を想う自責の念が継父の心を無機質にしたのである。血の繋がりなど人類愛の前では希薄な肉体の契りに過ぎない。家族の事は家族間でしか分からないものである。また、報道される事件の真相は国民に知らされる事は無い。国防の為にぼかす意図があったが、近年は犯罪組織擁護の為の詐欺報道に過ぎない。

罪の無い異国籍者を似非日本政府は守る力など無い。これが、抗日三国が他国を侵略してまで、自国民に行う大罪である。反日感情を持っておらず、気立ての良い中国や朝鮮の善人を日本国内で守れないような日本人は非国民と言わざる得ない。日本先祖が天に宝を積んだ人徳をないがしろにする様な醜態だけは晒してはいけない。善悪の概念を見失い、犯罪者と同じ土俵に上がる様な愚行は人類最大の恥じである。

また、子ども社会も食い物にする犯罪組織は今に始まった事ではない。教育関係者などと連携し、児相の職員は何かと理由を付け、人さらいを繰り返している犯罪組織である。校門前で拉致監禁された児童は現に複数存在する。書類上は親の虐待の疑いなど勝手に丸め込んでいるが当然事実ではない。児童本人が施設から脱走して親に保護を求めるケースなどざらにある。これは愛情剥離を狙った日本人の社会的排除もしくは人身取引の様子見の目的を持って行われている。今回も山の捜索に重点を置くより、教育関係者、共産主義者、カルト宗教者及び各利害者を徹底的に洗えば話は早かったはずである。学校で行方不明になったのに防犯カメラを妄信し学校を徹底的に洗わなかったのはなぜか?防犯カメラの死角で、手をこまねいていた人物は一体誰なのか?単独か複数か?山の捜査で時間を稼いだのは、組織的犯罪の連携プレーが情報撹乱の為に証拠を散らばせた前座に過ぎない。人気のない学校の暗い一室や地下、周囲の空き家又は関係者の自宅別宅倉庫等をろくに調べもせず、監禁場所がまさか一か所だけだったと踏んだのならばお花畑も良い所である。組織的犯罪は監禁場所を小まめに移動させる。死体遺棄後の繰り返しの移転は現実的ではない。損傷の有無も転移し疑わしい限りである。実際、事件死した遺体の損傷部位については報道とは誤差があるのが大半である。また、創価警察により、情報撹乱の為の故意の捜査指示があった可能性も否定は出来ない。日本人をあざけ笑うかの様に偏向報道で世論に刷り込んだ典型的な計画的組織犯罪の氷山の一角である。創価警察、近所の学会員又はカルト宗教者、共産主義者、教育関係、子ども関係者を洗う方が主犯、共犯が炙り出され事件の解決は早かった。特にこの周辺の校長界隈や共産主義者はきな臭さの塊りである。だが、今回は様子見に過ぎない。テロカルトを舐めてはいけない。善悪の概念が崩壊している為、どこにでも潜伏し、何だってする上に執念の塊りである。もっと多くの子どもあるいは親子に危害を加えるか殺害する事で恐怖心を煽り、主従関係を叩き込み、人身取引、侵略犯罪を神格化させるつもりである。

これから、更に、子ども、親子を狙った組織的犯罪が増加する見込みである。学校で事件が起きると誰も予想しないからである。犯罪者たちは奇襲攻撃のつもりなのである。そして、決まって真犯人は迷宮入りし、犯罪の全容は犯罪組織のシナリオ通りに事は進み、台本通りの『犯人』が報道される。そして、羊層は組織的犯罪など身に体験するまで信じる事は無い。

生物兵器を政府が国民に任意と言いながら強要した地点で行政機関を信じてはならないのは当然の流れである。また、福島原発事故も故意による日本人ジェノサイドを狙った被爆拡大事業である。これまでも、子ども社会を狙った旭川女学生殺人事件やいじめ殺傷事件は無数に発生し、無法地帯のままであるが、表に出るだけまだマシである。犯罪者たちに余罪を積み重ね反省する事など無い。もっと巧妙に完全犯罪を行うまで労働党員から順次各業界に補充されてくる。どんなに上手く取り繕うが、親が子どもの時に通った様な学校は存在しない。犯罪組織の温巣となっているのが現実である。『義務教育』という責任問題で不安感を煽られ、犯罪者を見抜けない親もどうかしているのも事実である。子どもは大人の力を借りないと生きていけない。我が子を守るために親は自己保身は捨てて頂きたいものである。テロ支援国家に明るい未来の就職先があるはずが無い。学歴や肩書を配慮したところで子ども達の未来は守れないのである。子ども社会に必要なのは犯罪組織に順応する脳構造ではなく、犯罪に屈しない高い精神性に必要な、親や大人たちの大きく深い愛なのではないか?

『光り輝く未来を歩む、大切な友人たちへ  
私は今21歳の若者として、この手紙を綴っています。あなたが今好きな人を愛し、好きな場所へ行き、自由に夢を語れること、それこそが、私の特攻が成功した何よりの証拠なのです。私が散った後の空に真っ白な飛行機雲が自由に描かれているのなら、私の人生に一片の後悔もありません。どうか、僕の分まで恋をして、僕の分まで美味しいものを食べて、お腹をかかえて笑ってください。この国がいつでも、歌声と笑顔で満たされていること、それだけが、雲の上で眠る僕たちのたったひとつの願いです。
美しい日本をよろしくお願いします。
さあ顔を上げてあなたの時代を思い切り謳歌して下さい。 』    
(特攻隊員による手紙

世界中どこを見渡しても死に間際に立派な言霊を残せるのは戦前の日本人くらいである。この想いを紡ぎ未来の宝を守るのが日本人として当たり前の責務である。理解が及ばぬ人間未満の権利など紙より軽いものである。

テロ支援国家となった日本国は制裁をま逃れることは出来ない。第二次世界大戦時、日本国がアジアの盾にならなければ現在の抗日三国は存在していない。英国、米国、仏国、和蘭国の領土や植民地となっていた。時を経て、戦争の意義は様変わりした。現在の軍事の存在意義は悪魔の制裁である。つまりはテロ撲滅である。これにより、人口の4割は最終的に削減される見込みである。本当のマフィアは世界の秩序が保たれてこそ仕事が出来るものである。世界の敵は終始テロカルト一択だという事である。

悪魔の人面獣心に惑わされるのも内なる悪魔の共鳴である。

嫉妬や逆怨みを正当化し、他者幸福を奪っても本当は何も変わらない。変わったのは己の獣心だけである。この世は対の因果応報の世界。あの世は永久の因果応報の世界。生き逃げも死に逃げも叶わない神のシナリオの一部に過ぎないこの世の過ちである。

如何なる侮辱を受けようが冤罪を掛けられようが、神我に沿う魂は永遠の光となり人種も国も時代も超え人々を照らし続ける愛となるのである。我々は偉大な愛に何を照らされているだろうか?

自分の歩いて来た道が未来の自分そのものである。誰のせいでも何のせいでも無い。歩いたのは紛れも無い自分の足である。

未来への紡ぎ

次元の低い物差しで、高次元を図ることは出来ない。この世を低い思想で社会形成すれば当然、負の代償は生まれ続ける。それでも、低層魂は負の歯車の中でしか己の価値を見出せず、誰かの幸福を搾取し続ける道を正当化する。低層魂にとって、高層魂は敵である。内側から放つ美しい光や愛が疎ましく、憎くてたまらないのである。己の惰性や不努力も省みず、内なる悪魔を飼いならし続け、光を奪い取ろうと執着し、人工照明で己を照らす表面処理が精一杯の努力である。この世の社会問題ひとつとて、高層魂は悪い手本を横目に光を増し、低層魂は現世利益を隠れ蓑に階級を下げる一方である。

愛があれば、自分がされて嫌なことはしない。
思い遣りがあれば、場当たり的な嘘や保身で逃げる事も無い。
正義心が本物であれば、内なる悪魔を正当化する事も無い。
精神性が高ければ、悪魔に同情する事も無い。
最も大事なのは、自業自得の罪から逃れ保身の為に誰かを傷付ける残忍性を持たない事である。

どんなに悪魔が有利に見えても、いつの時代も悪魔の負け戦である。天使は輝きを増すばかり、この真理は未来栄光決して変わらない。

この世の負の遺産は、低層型悪性魂を擁護する偽善と社会構造である。

GHQの支配下は70年間で効力を失っている。2016年に解放されていたはずの日本国は売国者によって、密約を交わし10年先延ばしにされ、2026年3月を持って満了の運びである。戦後の売国は1945年代の吉田茂首相(麻生太郎血族)から始まり、1960年代の岸信介首相(安倍首相血族)に引き継がれ、日本国への支配は中国朝鮮系に移行している。日本国の敗戦理由にも、世界の戦争誘発に、抗日三国兵(中国、南北朝鮮由来)がおおむね絡んでいる。GHQからCIAへ移行した日本国への内政干渉を進めると共に抗日侵略の陰謀に目を付け、アジア圏の本当の悪魔を炙り出す為に日本人に不利な条件を叩きつけ人間的反応を観察し、人間選別しているのである。まともな人間であれば、自国民を守り、抗日兵の再教育を真髄に考え実行するはずである。元参議院議員山本太郎氏は人種関係なく日本国に住まう全ての人と日本経済を豊かにし、誰もが公平な安全が得られる国を目指したが、抗日兵による日本人排外工作が止む事は無かった。山本氏なりに人知の限りを尽くし闘病生活へと移行した。国務めとは、ひとりで成し遂げるものではない。誰かがあるいは国民が有志による功績を紡ぐ必要があるのだ。筆者は山本氏に納得いかず、譲れない想いを高めるひとりである。それは、現在の負の遺産の根源となる因果関係を度外視してはならない事である。負のカルマの清算には、神国の高い霊交思想の再起が欠かせない。

高次元の霊交思想はAI信仰を遥かに超える、最先端未科学である。

現在の国内問題の始点となる日本国の敗戦の事由を知らないのは日本人くらいである。抗日三国の自国民への残虐性の尻を拭い、アジア全体を繁栄させ、守ろうと捨て身で働き掛けた日本国に罪を全てを押し付け、米国の原爆を投下させる標的に仕向けたのは紛れも無く抗日兵である。抗日主導による洗脳教育が義務付けられた日本人が知る由もない事実である。真実を曝け出して、歴史的見解や分析力を磨かせる教育が本当の教育である。戦前の日本教育は優れていた。洗脳ゆえに、戦場に志願する者などいなかった。日本国に誇りを持ち、世界平和あるいは国際的秩序の先駆けとして自分で社会情勢を分析し、志願する者で溢れていた。霊交思想が残る日本精神はいつかは滅びる肉体を国に捧げ、未来の日本人に人霊の幸福の一派を託した大儀の果たしであった。当然、納得いかない者は抗った。見せしめの様に軍国主義の暴力に吊るされたが、それで良かった。魂の輝きは階層値を超え、最上級に価値を高めたからだ。

神我に精通する正しい想いは肉体や時代を超え、正しい者に引き継がれ紡いでいく。これが、どんな逆境も好転させる日本人の強さである。

天は見て御座る。

天使から見ればこの世は地獄ゆえ、魂の限りを尽くし学びを終え、次元の上がったあの世に帰幽することが幸福である。しかし、悪魔から見ればこの世は楽園である。この世に留まる為ならば何でもする。この世の創造主である神と共に日本国は国務めが行われていた。敗戦し昭和天皇崩御後、後続天皇は朝鮮に侵略された。これにより、敗戦に導いたスパイの黒幕が浮き彫りとなった。国際犯罪である侵略をひた隠しにする為「愛国心」が日本国に有るかのように派手にスピーカする帰化人で溢れ、日本人を中国人や朝鮮人扱いし、身分排除を徹底し、疑いの目が反れる様に仕向けている。天皇の象徴は日本先祖を重んじる日本人の為に在らず、抗日兵の為に存在している。右翼が日本から朝鮮に移行し、左翼が中国に移行した事由はここにある。本来の天皇の役割は神道の最高祭祀者であり、高層媒体でなければならない。いわゆる陰陽師の安倍晴明のような神の所見を有した媒体が求められるのが本来の日本皇族の頂点である。どんなに人間が大掛かりで賛美しようが、高層媒体には成り得ない日本神の領域である。だが、国家公務だった陰陽師道を追い出した時の様に、いかなる神道も我関せずである。神社仏閣を外国人に売り飛ばし、異国の言葉を尊重し、海外のファンサービスに勤しみ、花魁道中、売国行為そのものである。宮内庁は不審死が続き、政府も皇室も日本人の為に在らず。抗日の完全侵略の為に日本人から過剰税収を巻き上げ、マリーアントワネットの様に得意げである。

詐欺師上等、盗人猛々しい限りである。

米国は、国際犯罪対応にも特化している。GHQの支配は2016年で効力を失ってたが、統一教会、朝鮮の犬である安倍首相によって10年も延期されたのは、日本国がテロカルト保有国として、危険リストに上がった為でもある。テロカルトの関連組織は米国にも存在するが、日本が最も多い。その為、主犯格の家族や身内がこぞって住まう日本国で仕掛けることが最も効率が良いのは当然だ。

ピラミッドの頂点に悪魔を乗せれば、必ず悪魔は現われる。狩る側が狩られる側だった代償の特権階級。

集団ストーカー犯罪は国際問題である。先住民排除の為に行われる侵略犯罪の一部である。抗日国は歴史的理由を免罪符に侵略や搾取を正当化するが、どの国々も摩擦や衝突はある。それを外交でバランスを取るのが政治である。相手国の評判を墜とし、ゆすりやたかりを行うのは政治ではなく犯罪者のする事である。

情報より、人格を見ろ。

情報の真偽を観察するのも大事だが、詐欺師や工作者の手の内を暴き知るのも情報の一部である。また、情報はあくまでも良し悪しを決めるものではない。判断するのは自分自身である。用意された答えを強要される場合は何かしらの工作が働いている。また、これが現代の抗日兵が行う義務教育の基盤である。自分で考えを導くストーリーをマインドコントロールしているのである。自分の家族や友人を守る為にも、正しい心眼力が必要なのである。視点が高いか低いかで同じ情報でも180度意味が変わるものである。守りたいものは何なのか愛なのか?欲得なのか?またその視点が高いのか低いのか?便利社会に横着し、一度信じた相手の情報を鵜呑みにしている事自体、自ら心眼力を捨てているのである。相手に悪意が秘められていた場合は大抵、違和感で察知するが、多くは情報や逃げれない関係性に飲まれ違和感を軽視し染まる傾向にある。これにより、無意識の選択下で、工作者の用意した答えと引き合い、奴隷の歯車の中でしか判断が付かず奴隷の集合体が民意に反映され、独裁と奴隷の社会的構図が現実化されるのである。異変に気付いた時にどんなに叫んでも報われないのはこの社会構造の為である。国民主権という唯一の抑止力を活かすのは予防線を張れる危機管理能力に長けている事が条件である。その基盤のひとつが情報や人を見抜く心眼力である。戦前の日本人は心眼力が高く、策士力に優れていた。これを打ち消す為の社会的工作を吹き飛ばさない限り、満足の行く暮らしは音連れない。心眼力は魂のシグナルを高め鈍らせない事が大事である。先ずは、情報の毒素を抜き、自分を研ぎ澄ます必要がある。そして、幽体離脱した様に、自分自身を見降ろし眺め、日頃の自分は最も愛せる人物か、最も信頼できる人物かを見極め内省する事で心眼力は磨かれる。これが本来の客観視である。他人の意見を取り入れるのは客観視ではない。ただの他責思考である。腐った目には腐ったものしか映らない。自分を知らない者に他人を知る事は不可能である。自分の悪性良性を知り磨き、向上させる鍛錬の継続が目の濁りを晴らすのである。人間同士の脳では感知できない部分を魂同士で感知する事で本性が剥き出しになるのである。悪性魂は暗黒を望み、言霊は違和感や競争感、不安感、恐怖心、喪失感などマイナスの視点が残り、善意の強い言霊やエネルギーはインパクトが残り、刺さるように感じるのは浄化作用が大きいからである。また、精神ではなく魂が揺さぶられる感覚がする。だが、自分の悪性に蓋をすると、善悪逆転して感じる。日々の鍛錬一択である。

親日を救え。

150年から220年頃、中国の帳仲景が記した『傷寒論』が原点となり、5~6世紀頃に、古代中国の西域とインド医学と融合した医学は朝鮮半島を経由し日本国へ仏教と共に伝承した。日本国は、この伝統医学から漢方を独自に発展させた。日本の気候や日本人の体質に合わせて1400年以上の時間を掛け独自化していき、中医学も韓医学も同様、国に特化した異なる形態の伝統医学である。これらを総合して東洋医学と称する。また、医食同源の栄養論は多くの人々を救って来た。このような素晴らしい功績さえ打ち消すような抗日活動や世界への侵略行為はいかがなものか?侵略や否定から始まる関係性の末路は破綻と崩壊でしかない。どの国の大統領、首相も国の歴史を背負いながらも、始点は自分の任期開始時である事を見失ってはならない。これまでの前任の問題点は残るだろうが、あくまでも時代を創るのは自分自身である。過去の清算と未来創造はきちんと部別して取り組まなければ国力は弱まるばかりである。また、リアルタイムの当事者でもない歴史的背景は外交侵害の理由にはならない。歴史的洗脳を自国民に植え付け国際問題を矮小化する国を誰が信じるというのだ?これが民意総意ならば仕方がない。こういった種族なのだと諦め断交するしか道は無い。しかし、歴史的背景を理由とした侵略や加害を正当化しない善良心や心眼力を失っていない善良民は保護されるべきである。中国が朝鮮族(朝鮮民族別儀)を使い、北が中国の立場を利用している。テロリストに力を与えない為に日本人が出来ることは国内の抗日兵、侵略兵を叩き出す事である。

悪魔は晒す程、効力を失い、暗示を解く程自滅する。

人種国籍関係なく、自分の住まう国に責任や愛着心が持てない者は移民資格を有する以前に人として破綻している。また移民に関係なく生まれ故郷の恩恵に感謝出来る人間はどれほどいるのか?故郷が居心地が悪くて移住し、その先でも不平不満ばかりの人間に土地神の加護が働く訳がない。就労先も同じである。いくらブッラク企業でも転職を繰り返すだけではダメである。利点と欠点を引き出し選択肢を分析する事である。どんな選択でも責任を果たすのは自分自身である。他人ではない。

現代の問題点は社会構造の破綻である。張りぼてに繋ぎ合わせても壊れるばかりである。根源から再起しなければならない。人生と同じである。

社会貢献の第一歩は働く事である。社会構造が破綻すれば、貢献ではなく奴隷の献上である。働くことはただ労働を積み重ねるのではない。最善最良を目指すから発展するのである。人が国を変えるのである。おもてなし文化は人間性の発展と社会性の豊さを根差している。仕事に誇りを持ちプロを目指すのが職場教育である。しかし、社会が独裁構造に変わると奴隷の量産化が職場教育の軸となるのである。打算的で依存的な人間は待遇の良い奴隷環境に満足するだろう。しかし、本来、国に必要な希少な人材が社会的排除に追いやられているのである。この着眼点を穿き違えない国が国力を保持し続けている。外国人労働問題は治安悪化や先住民との椅子取りゲームの懸念だけでは無い。国防に関わる重要な問題である。

どの国も就労する以前の人格の問題である。侵略は武力だけではない。人格兵器、生物兵器を即刻、追記すべきである。世界平和と秩序の為に、いかなる高貴な肩書であっても利他愛に芽吹かない者の移民、入国は避けるべきである。当然、日本人でも同じである。これが、犯罪予備軍、テロ準備罪を未然に防ぐ国防の先駆けとなる。

宗教が人々を惑わせ、内なる神との縁を断絶していく。

厄介なのは宗教思想の拡大化である。特に国内においての宗教法人は反日組織が多く朝鮮系が大半を占めている。近年、中国経済は崩壊の道を辿る一方である。この穴埋めに日本の観光業を始めとする再生エネルギー、ライフライン、不動産業が食い荒らされている。侵略者は潜伏期間に大元に情報提供するが、日本人に馴染み身元がバレないように段階を踏んで人員を変え巧妙な手口で入出国を行っている。戸籍乗っ取りの為に誘拐や自殺に追い込む事すらする。こういった人間を匿うのが宗教である。侵略組織はとにかく人数が欲しい為、近年はスピリチュアルブームに便乗し、スピリチュアル系、霊能者、占い、神社仏閣斡旋、相談役等々の精神世界に喰いこみ単発バイトなどの新規募集窓口となっている。その窓口や各業者の紹介役を担っているのが個人情報や身体的特徴、人の弱みを握る反日セラピー業界である。集ストの情報提供に飲食店や風俗店なども連携し、地方になるほどスナックなどの情報屋は陰湿である。情報提供元が本人にバレない様に本人潰しを徹底的に行う。また、ターゲットが本人とは限らず本人周囲可能な限り沈めるのである。協力者には口止めを強要するが従う方も頭のネジがほとんど残っていないのである。日常的に敵視する相手に必要な情報を隠し味方の振りをする様な連中である。風俗店連携は枕営情報業や人身取引にも絡んでおり反日犯罪の宝庫である為、恫喝脅迫は朝飯前である。これを締める日本ヤクザの存在が邪魔だった為、社会的徹底排除したのである。日本ヤクザは一般人に関わる事が無いが、日本団体名を使用する反日輩は一般人、特に善人を狙い悪人に仕立て上げ、腕前を自慢し見せしめにする様な因循姑息な手腕を好み、男社会の流儀も無いタマである。また、学校周辺、学校関連、子ども関係、子どもを狙うのはオウム真理教後続団体の者が指揮を取り、創価学会、カトリックなど様々な宗教あるいは信者の一部が参加している。子ども食堂もまともなものは地方によってばらつきがあるが2~3割しか存在しない。まともな所も公金狙いが1割ほど紛れこんでいる。全体の7~8割はテロカルトもしくは関係者たちが、テロカルト支所として存在している。人身取引、臓器売買、血液利権の誘拐、集ストなどが獲物の生活リズムや顔認識、情報搾取などが行われている。工作員が投げかける日常会話が誘導尋問の搾取だとは気付かない程度の人間でないと困る為、社会問題に便乗し、テロカルト主導で新規募集を行っている。社会問題の元凶はテロカルト、抗日兵、侵略兵、無知層、人格異常層である。いくら断れないからといって、善人の悪口が言えるだろうか?何も悪くない人間を自殺に追い込むことが出来るだろうか?見るからに性格の悪い者の垂れ流す個人情報を信用出来るだろうか?だが。人格異常層はこれが出来るのである。金や保身の為なら、家族や子どもを楯にしてまで、自分の犯罪を正当化できるのである。本当に子ども社会を憂いるならば困っている家庭に現金で寄付をすれば良い事である。もしくは狂った社会構造に徹底的に抗議するのが大人の責任である。世の中には一定数の社会に出てはならない人格異常層が存在している。本来ならば、国防の為に隔離されるべき層である。生活の安全が保障され、規律正しい生活リズムに清潔で自立した指導や幼少期に失われた善悪の概念や道徳心などをゼロから、再教育するシステムが必要である。軍事費や実態の無い省庁に莫大な予算を掛けるより遥かに安上がりである。犯罪者に犯罪をさせない国造りとは徹底した再教育が必要なのである。人格異常層から見れば正常な人間こそ異常に見えている。だからこそ、例え妄想で造り上げた悪人像を善人に押し付け社会的排除をする事に罪悪感すら湧かないのである。宗教は狂った人間にも社会で生きるチャンスや権利を与える。場当たり的な救済の先に誰かのもしくは多くの人権を奪ってまで己の人権を主張する異常者が増加したのも事実である。宗教戦争、生贄事業、小児性愛者、集スト、人身取引、生物兵器斡旋、これらに多くの宗教者が加担している。宗教の教えとは人殺しや犯罪を増産し匿う事なのか?お天道様に顔向け出来ない魑魅魍魎よ恥を知り、神国を去るが良い。悪魔はどの時代も最初から負け戦。この世の創造主は神である。神の幻覚者は神の加護の道に在らず。死神の領域である。

人間は有限であるが、魂は無限である。

神が幸福や不幸を産み出しているのではない。人間が糸車の中で幻想を追っているだけである。

身近な教祖と悪魔の量産

「悪魔」と聞いて、ヤクザやチンピラや不良を思い描くだろうが、本当の悪魔は尻尾を出さないものだ。真意を射抜かれ、隠蔽と偽善の裏に隠された残虐性が顔を出す時、ようやく悪魔の正体を知る事になる。

かつての日本において、ヤクザと言うのは毒を持って毒を制す性質で、結果的に侵略からの抑止力に繋がっていたが、戦後、中国朝鮮由来にスライドし始め、薬物や一般人を標的にするような姑息さを纏い、筋の通らない自我主張型の社会害悪となった。看板名が日本名であろうが中身は純日本人とはいかない。政府は抗日活動の抑止力となっていた残り少ない日本構成団ばかりを狙い撃ち、プロパガンダで民意を操作し、徹底的に潰しに掛った。これにより、一般人と闇社会の境界線が曖昧となり、本来関わる事の無い一般人の被害と模倣犯が激増した。手引きをするのは半グレや抗日弁護士、集団ストーカー犯罪者達や背乗り好きの狂った女達である。

中国では、2020年時点でおよそ2億8000万人に達する人々が精神疾患を患っており、韓国では3人に一人が発症し、若年層の20~30代の初診患者が増加し続けている。北朝鮮は公開データー自体が少ないももの、82%が公開処刑を目撃し、56%がPTSDを抱え精神疾患を発症し無法地帯である。日本においては、食質悪化、環境汚染、洗脳教育、在日、帰化人増加と共に疾患者が増加し続け80人に一人が障害手帳を取得している。

魂は善悪の概念を刻み、この世で肉体を纏い産まれる。肉体を形成する環境と魂が刻んできたリズムが異なれば、善し悪しの感性が鈍り、人は鬱々とするものだ。精神コアに帰属する性善説が通用しない地点で人間として成り立っておらず、獣に値し槍で突かれ、獰猛性に対し毒を以て毒を制されない限り、社会の秩序は保たれない界隈なのである。だが、現代では天使が羽を捥ぎ取られ、悪魔が踏ん反り返っている状況である。この世の総合神は時代に合わせて再生魂の善悪の比率をコントロールする事で、魂を磨き合わせる。悪魔は悪魔の生き方をし、毒によって制され、天使は悪魔と闘う事で、この世の善悪の比率は好転していくのである。実権を握る悪魔の悪性が4割に対して、共犯者の悪性は6割である。また、常にグレーゾーンの浮遊回避型いわゆる傍観者の悪性は7割である。神の示唆する悪魔というのは残虐性をベースとした上での隠蔽率だという事である。

犯罪者に犯罪をさせない社会愛は犯罪を無力化にする事ではない。毒を以て毒を制す事で自覚と改心をあの世の気付きに結び、根源から断つことである。(イランの悪魔をトランプ氏は根絶させた。ウクライナの悪魔をプーチン氏は制圧している。このお陰で、世界中の本当の被害者が救われ始めている。)

魂の生き方と肉体の生き方が分離すると、精神コアとの繋がりが途絶え、精神性が浮遊し、他責思考もしくは精神性が停止するのである。肉体にも影響が現われるのは人体エネルギーのコアが抑圧されるからである。その浮遊感に現実性を持たす為に、何かの誰かのもしくは自分の希望通りあるいは思い癖によって、新たな人格が形成され環境と適合させるが、何の為に産まれ生きるのか充足感が得られず、集団暗示に安易に掛かりやすくなる。身近な教祖の存在を自覚出来れば、本来の自分を取り戻すことは出来るが、決して安易ではない。自覚不感症では、他人の意見に、反論や反撃する事が正義なのだと捉える事自体、他責思考なのだと気付けないでいる。

核心的直感が危機管理能力のコアとなるが、コロナパンデミックで機能しない人間の多さを目の当たりにしたはずである。戦後最大の死傷者数は紛れもない事実であるが、未だに生物兵器だと認識しない浮遊者ばかりである。生物兵器の呼び水となる遺伝子医療は以前から、国が安全性が保障されないと何度も蹴っている事案であり報道もされていた。また、任意にも関わらず職業強制や打たねば非国民の様に扱う血走った人間の腐った目の奥を観察すれば核心的直感が働き、危機管理能力が機能したはずだ。しかし、集団ヒステリーの様に多勢が暗示や集団憑依にでも掛かった様であった。低層媒体と高層媒体の言霊の高低差を嗅ぎ分けられないのも末期の浮遊症状である。PFAS入りの水道水と天然の高品質なミネラルウォーターどちらを飲むのが人体にとって得策なのか?答えは明白なはずだ。だが、集団憑依もしくは群衆心理の洗脳は当たり前を非常識に変える。遥か昔から異常者が社会に溶け込むために大なり小なり行って来た手法である。

2013年6月に虐め防止対策推進法が制定され、児童生徒が心身の苦痛を訴える、物理的、心理的な影響を与える行為(インターネットを含む)を迅速に早期発見、対処をする為の法律であり、いじめ対策組織設置や基本方針の制定、重大事態への調査を義務化している。また、犯罪行為として扱われる行為は警察と連携しなくてはならない。

刑法36条 正当防衛:自分や他人の生命、身体、権利を急迫した違法な侵害から守るための止む負えずの反撃行為を正当防衛とする。5つの条件・急迫不正の侵害、防衛の意思、防衛の必要性、相当性、などを満たせば傷害罪などの刑事責任は問われない。刑法36条2項・過剰防衛の留意。

刑法172条 誣告罪(虚偽告訴等罪)他人に刑事、懲戒処分を受けさせる目的で、警察や検察の捜査機関に虚偽の告訴、告発、被害届などを提出する。冤罪や司法の適正を阻害する重大犯罪。

第99条:憲法尊守義務:天皇、摂政、国務大臣、国会議員、裁判官、、その他公務員が憲法を尊重、擁護する義務を負う規定。

第98条:憲法は第98条該当者が負う義務であり、法律は全国民が負う義務である。また、憲法に反し法律や命令、処分が反している場合、最高裁判所の判断を持ち法律は無効となる。

第15条一項:公務員を選定し、及びこれを罷免することは国民固有の権利である。

現在の政権は政教分離の違憲に加え違法に溢れた無法地帯である。実権を握っているのは抗日三国であり、日本政府は中国共産党の侵略を幇助する外患誘致罪に値する。中共は朝鮮族に日本に帰化させ、抗日活動の基盤を造らせる為に、似非脱北者を交え、裏で糸を引いている。1982年一方的な国籍条項撤廃により、侵略の基盤は整うばかりであった。これにより、最高裁判所は侵略兵で溢れ、その意思を抗日弁護士が引き継いでいる。半グレ、集団ストーカー犯罪者たちが民族入れ替えの為に、日本人同士の信頼と絆を潰し、社会的排除に追いやる事に必死である。都合が悪ければ自殺にまで追い込み、冤罪を多勢で連携して成立させる事で優位な立場を保持している。示談金狙いの手引きをするのは抗日弁護士だけでない。模倣犯のコミュニティを上げれば切りがないが、こう言った犯罪網は女の比率が異常に高い。普段はただの主婦や冴えない立場で実を潜めるか、独身貴族を装いSNSを網羅するか、偽善活動、社会活動、政治政党などの体裁が保てる立ち位置に寄生する事で社会的信頼のアリバイ工作に勤しんでいる。狙いは己の欲求を満たし悪性を正当化する為である。組織的犯罪は女の多さで成功率は上がる。自己愛女特有の集団依存、他責思考、過剰保身が隠蔽率を上げる為だ。そして、隠蔽率が上がる事で被害側の正当性が侵害され、反撃の権利が無効化されているのである。

木を見て森を見ず。知らなかったでは済まされない。まともな人間であれば必ず不正や異常さに気付くはずである。誰かを悪人に仕立て上げないと団結や保身ができないのは、己の悪性が露見しない為の虚言癖の共依存である。

人の不幸の上に誰かの幸福が成り立っている。こう言った思想観が内なる悪魔の声なのである。まともな感性ならば、人の不幸を見れば、幸福感など湧かないはずである。

善悪の概念を教えない愛の無さは心理的虐待である。人の痛みを理解出来ない人間ほど哀れでおぞましい事は無い。人の痛みを分からないという事は愛も分からないという事である。偽物の愛を価値観の違いで片付け、本物の愛だと捉えるしか道が無い人生に何の価値があるのか?アンドロイドで変えが効くような量産型人間を製造した大人たちの責任は重大である。昭和までの時代は当たり前に、人の痛みや善悪の分別が付かなければ体の痛みで覚えさせられた。これにより、礼節と道徳観念が育ち、どんな悪党でも「加減」と「分別」が付く大人に成ったのだ。しかし、現代になり、抗日民の帰化増加と共に精神退化を辿る如く「加減」「適量」「適切」を知らない量産型人間が量産された。抗日国家の思想観での体罰は善悪の概念より主従関係を叩き込む為のものだったからである。抗日民子孫が「ありがとう」「ごめんなさい」を日常的あるいは必ず必要な場面で使わないのは日本民に負ける事など恥だからである。当然、才能や功績を認めるはずはない。劣化模写し手柄を横取りするだけである。手法は何だっていい。勝てば、生き残ればそれが優良遺伝子の民族だと証明になると思い込んでいるからである。また、人の心があれば到底、幼気な子ども社会を穢す事など出来ないはずあるが、社会愛にも無心され、いじめ犯罪による死傷者は増加し続けたままである。子どもを産まなければ解決する問題ではない。日本の構造そのものが侵されているという事である。

人間は結果の為に生きる事で因果を堕とし、生きる経路そのものが結果を産み出しているのである。

暴力と制裁は違う。正当防衛と過剰防衛も似て非なる暴挙である。

2022年7月8日 安倍首相銃殺事件:2026年1月 奈良地裁田中真一裁判長は山上被告に対し「不遇な生い立ちは犯行に大きく影響しない。」「300人ほどの群衆の公然の前で公共の安全も侵害した。」と切り捨てた。2022年12月宗教二世(信者二世)不当寄付勧誘防止法(被害者新救済法)が成立し、施行された。親の献金の返還、解決金の請求が可能となり、被害者本人又は二世本人に返還されるとしている。しかし、我が子への心理的影響や家庭の不和を省みず、狂った教祖と同心化し判断力を失った親が金を我が子に渡すわけがない。また、親である本人に返す選択を設ける地点で「二世救済」にはなっておらず、薬物依存者に薬物を差し出すようなものである。世間体を取り繕った継続献金の工作に過ぎない事は、火を見るよりも明らかである。又、銃殺事件からわずか半年足らずで施行され、随分と急いでいたがこの頃、政教分離違憲をネットで叩かれていた時期であり、火消し効果も期待した保身の勇み足である。山上被告の家庭不和は父の自殺、兄の事故による失明を経て、母親が統一教会に入信したことがきっかけである。1億の献金を行い。生活が困窮しても尚、献金にとり憑かれたようであった。山上被告が起こした事件後も母親は献金を続けているという。息子の心を殺す原因となった教団に何の価値があるのか?統一教会傘下には無数の霊能者や占い師、自称スピリチュアルが寄生している。これらが、一般人の窓口となり集団暗示、集団憑依の母体となっている。低層媒体の特性を活かし、魂の低い部分を引き出し、高い部分が潰され、精神コアに低次元体の臍の緒がこの世の低い部分と結びつき、適応していく事で生きやすくなったと麻痺して依存するようになるのである。これが自覚無き、悪性7割の傍観者、悪性6割の共犯者の実態である。安倍氏が銃弾で倒れる最期に見たのは女性の姿である。何かを確信したように安倍氏は倒れた。また、安倍氏はパンデミックの真実や侵略行為の真実を国民に告げようとしていた。これを知っていたのは身近な者ひとりだったが、この者が何かしら働きかけたと想定する。山上被告は大きな渦に巻き込まれただけなのか?それとも狂った世界に一石投じたかったのか?どちらにせよ、母親がなぜ息子を犯罪者にしたのだ?子どもがこの世で一番最初の愛に触れ、愛の基盤となるのは紛れもなく母体である。狂った愛を教養され続ける精神的苦痛はいつかは麻痺してくるが、生涯消えることの無いしこりである。善悪の概念や身を持って加減を教えない愛の無さは心理的虐待である。加減を知らない現代人。もしくは加減を超えないと母親の関心を引けなかったのならば察するに余る程の精神の叫びである。人を愛するということは自分本位ではない。相手本位である。自分を見ず、教祖に酔いしれる母親の姿に耐えられる人間などいない。いや、愛を求めるからこそ耐え難いのだ。彼に刻まれた母親の姿は生涯彼の愛を苦しめ続けるのだ。親が子を売る時代である。それに拍車を掛ける社会愛の無さ、売られた子は心が殺され、加害性に希望を見る。

本当の悪魔は実権を握った悪役ではない。悪魔思想に魅せられ寄生する悪魔である。

人間に必要なのは悪魔や天使の教祖ではない。自分を信じる心である。

魂を解放する事が、この世の本当の秩序の始まりである。

反テロ大統領

世界を牽引する軍事力を保持する米国は軍策も最高峰まで昇り詰めたが、軍需利権にまみれた宗教派閥の代弁構造を脱するには気の遠くなる作業である。足を引っ張るのはどの国も、木を見て森を見ずの無責任な国民達である。宗教思想は大きくなるほど厄介である。社会思想に反映された精神暴力の種を根絶させるほどの修繕力は無い。この世に生きる以上、誰もが誰もの人霊の一部であるという愛の真理の解釈が各々の神我に沿って初めて、信仰心が人生を教訓で照らすのである。しかし、集団的宗教思想では思想の均等化が図られ神我の真理が果たされない。神我不在の思想観が思想の暴挙へと誘い独裁者を生み出すのである。政治は社会思想の根源、人生構造の基盤となる社会のシステムである。国民を光に導くのも、闇に導くのも、主導者によって明暗が分かれるという事である。テロカルトの侵入を許す要因は思想の暴挙を制圧する神議の不在である。法律やルールが善悪の基準ではない事を証明するのが神我の習いであるが、人霊の一部の責務を宗教思想に押し込み、鍵を掛けたままでは思想の暴挙は増加する一方である。ひとつの檻の中にあらゆる動物を共存させたところで破綻するのは目に見えているが、檻を見て被害を見ず、統一思想を善とするのが宗教思想である。

思想の暴挙の要因とは、第一に他責思考の依存である。第二に主観の責任に対する自覚の放棄である。第三に過去、現在、未来における人霊の一部としての自覚と責務の放棄と無心である。これらの思想の軸が自己愛もしくは異常性を擁護した地点で果たされる社会的責務は御都合主義の独裁化でしかないという事である。

現在の日本の政治家と支持者の癒着を省みれば一目瞭然である。テロカルト、宗教者、自己満思想家で溢れ返り日本国の過去の人霊の一部の愛を果たそうとはしていない。誰もが、己の身を案じ、現状と起こり得る未来の利権に寄生しているだけである。この世に生きる意味は人霊の一部である愛を果たす事に終始尽きる。この真理を度外視し、神も仏も悟りも無いのである。神は過去に学ばず、起きもしない御都合主義の未来ばかり案じる人間に神域を諭す為に言語を分け、国を分けたのだ。これをボーダレスにするのは腐った愛でも穿った信念でも低次元の予言通りでもない。あの世とこの世の神の視点である。

イエスは宗教の教祖になる為に十字架を背負い生まれ生きたのではない。人の中に宿る悪魔と神を人霊の責務として具現化したのである。人間の思想共有出来る上限は100~200人程度の同思想集体である。これを国や世界で統一しようと策を練る事自体、無理な話である。神域を穢すから適材適所に真のリーダーが生まれず、人口増加と共に社会思想が低次元化するのである。集合体が異思想の集合体との間で摩擦が起きる事は正常な融合摩擦である。分裂型は思想観の次元の差であり、摩擦を避ける回避型は頭が固いのである。

的外れな摩擦関係は神我が芽生えない現在の人間構造、社会基盤そのものである。因果関係を射抜き、米国の第二次トランプ政権はテロに屈しない不屈の闘志と優れた策で、融合摩擦を打診しながら悪魔の手足を縛り上げ一網打尽にする勢いは増すばかりだ。多額の宣伝費を投資しテロカルトの情報操作に侵された無知層も加わり、反トランプ運動が活発であるが、真実は何ひとつ変わらない。声明通り反テロである。反対側はテロ利権者達もしくは無知層である。米国は情報操作による侮辱を受けようが、悪魔の囁きを遮り、悪魔と闘うリーダーシップを貫き、世界の善良心に訴えかけているのである。

1946年6月14日「Make America Great Again」を背負うようにこの世にドナルド・トランプが誕生した。1971年に住宅建築業界のヘンリー・フォードと呼ばれ、不動産開発業者として成功をおさめていた偉大な父から経営権を継承し、タワー建設やカジノ経営、ホテル、ゴルフ場など幅広く所得別のニィーズに花を添え不動産王として一躍、時の人となり、次は国のニィーズに応えるべく第45代、47代の大統領に就任した。トランプ家のカリスマ性や持ち前の強い精神力と行動力の背景に存在する父の教育を語らずには先へは進めない。「世の中は勝つか負けるかのゼロサムゲームだ。権力を持つ者だけが物事の善悪を決める。嘘を付くことは悪ではなく生き方のひとつだ。」「謝罪や心の弱さを見せることは負け犬のすることだ。」「ほとんどの人間は弱虫だ。強い者だけが生き残る。王になりたければ殺し屋にもならねばならない。」まるで、ここだけ切り取ると現代の独裁者達のお手本の様である。しかし、言葉通り鵜呑みするような王者は存在しない悟りを逃さなかった。真の王者勝者とは一体何なのか?その差異を明瞭化するようにどんな相手を前にしても堂々と相手のネガティブな言動を逆手に取り、父の愛を修正するように思想観を超越していった。愛を知り愛を実践する者に勝る王者はいない。不動産王をやり尽くし、国のニィーズと未来を熟慮する頃、生涯の愛に辿り着き、人生は更に大きく前進した。第二次政権を迎える頃、正義心に溢れ賢美に満ちた愛に呼応するように世界中に取り残された愛の為に力強く立ち上がったのである。強い信念が愛の連鎖を起こし時空を超えて、父の言霊が誇らしげに息づいて背中を押している。「人生で一番大切なことは自分の仕事に愛着をもつことだ。何かに熟達するにはそれしかないんだから。:フレッド・ドナルド」

愛に時間も名誉も通用しない。愛はあの世とこの世を繋ぐ無限のパワーである。

日本国も正しい事をしなければならない。民は国の子であり、悪魔の支配から守らず悪魔に染めようとする親に人の心など宿っていない。親も親なら子も子である。恥じる心も忘れ、天使の仮面を被った悪魔に疑念すら湧かずに、我先にと天使を喰い殺し生き延びることが人生の勝者だと凝固している。人格兵器を利用した世界大戦は既に始まっている。金と愛想をばら撒き無傷で防衛が成り立つと思い上がるなど浅ましいにも程がある。悪魔は焼かれ悪魔の子は権利を剥奪され制裁を受ける道が当然である。内乱に国際的足枷など関係ない。反テロの米国や他国に始末されようが国内洗浄できなかった自業自得の末路である。悪魔祓いに惜しむ命など神国の歴史を持つ民として恥を最大に自覚し、悪魔を断絶した道を歩むのが人として当然である。国のカルマを背負えないならば国を去り、何者でもない無空国を流離うのがせめてもの残された道である。

愛を知り実践する者は誰よりも何よりも強く誇らしい神の光である。

愛とは心臓に呼応する神の心音である。

帰化人子孫の行方


愛する者と見る景色はいつもよりずっと美しく鮮明な光の世界である。喜びも苦しみも無限に拡がり、魂を捉えて離さない愛に炙り出された闇が光に転じる歓びを噛みしめ、愛の種が咲き誇る世界を拡げる責務に、誰もが誰もの愛を望むようになる。大霊の一部に帰幽する真理の愛に背を向け、どうして、愛に裏切られた天使をあざ笑う事が出来るのだろうか?偽りの愛が希望と愛を奪っていく残忍さが、闇に光を当てない残虐性を産み出し続けている。

小さな悪に気付けないのは、大きな愛に気付けず、己の悪を愛しているからだ。

人間がこの世に生まれ生きる理由はたったひとつ愛である。愛に傷つき、愛に救われ、愛する苦楽が人生に意味を宿し、生きる責任と希望を光輝かせれるのである。誰もが、誰かとの縁組を求めこの世を流離うが、本当の愛に辿り着くことは中々できないでいる。浮気や不倫、精神加害や肉体加害、裏切りや不正など大きな壁にぶつかる事で人は愛のハードルを下げようとするが、人間は消費期限付きのスーパーの割引商品ではない。下げてまで誰かに買ってもらおうとせず、同じ未来の相互補完を歩める人を探すべきである。人生と言うのは、折り紙のように折って切れるような部分的な御楽ではない。因果応報が過去世から現世の行いまで、遺伝子のように生命に張り巡っているのである。国のカルマが民族性に組み込まれ、個人のカルマが個性を創造する。

この世の不幸も幸福も降って湧いたものではない。過去と現在の自分の一部と自分自身が人生と未来を形成し続けているのである。

反日国家の帰化人子孫のカルマは残忍性を擁護する残虐性である。日本国は世界で唯一の被爆国であり敗戦国である。これを機に反日民の多くが日本国に残り、破壊兵の子孫を増やす種となった。日本国の税金を使い破壊と侵略する計画は自国の自転車操業を晴らす為、遥か昔から緻密に練り上げられて来たのである。原爆が落とされる前に日本軍は降伏宣言を伝達したが、日本人に成りすました破壊兵が情報操作を行った事でGHQには穿って届き、回避出来たはずの原爆が空襲警報も無く2度も無情に落とされた。ヘドロ化した地獄絵図の断末魔が絶え逝く中で、愛の走馬灯と一瞬で終われない千切れ果てる命の境でどんなに苦しい想いをしただろうか?何をしたって耐えがたい光景が被爆範囲を埋め尽くし、やり場のない哀しみと怒りは日本中を覆った。優れた策士力を持った日本国が強国として友好関係であった国々や列強国からも目を付けられ、このようなジェノサイドを受けても多国間で正当化され孤立無援状態になった背景には、やはり破壊兵の工作が存在していた。かつて、自国民を斬り捨て腐敗させていた地域のインフラを日本国が投資して整備を行い、人間らしく生きる権利を呼び覚まし、世界に通用する教えを育んで来た温情も逆恨みし、大虐殺を行うだけでは足らず、旧敵国条項という足枷を嵌められた有様を陰でほくそ喜ぶばかりであった。

現在でも、残忍性は変わる事無く、生きた人間から臓器を取り出したり、生物兵器で世界中の民を大逆殺しても我関せずの残虐ぶりである。

前例の無い原爆は未知数の非人道的兵器であった。情報操作の先に、何十万人という罪の無い尊い命が奪われる事を考えれば、まともな人間なら出来もしない大罪である。日本軍は反日国民に成りすまし大虐殺を行った事も無い。ましてや、敵国であろうが、退避優先対象の女、子どもをわざわざ狙う事も無かった。だが、反日国家は違う。気に喰わなければ、自国民であれ、全く罪の無い女、子どもさえ構わず焼き殺す様な残酷さで財を成してきた。犯した罪が暴かれ都合が悪ければ、日本国に責任を押し付け世界の体裁を守って来た。日本人に成りすまし、人の皮を剥がし、いたぶり殺したり、人肉を漁る鬼畜さを保身の為に黙認し、団結して責任転嫁する歴史を積み重ね、罪を認め反省する事も無い。かつての日本国の立場を寝取った妄想を大胆に発信する事で無知層を洗脳し、説得力を持たすために日本国の技術を盗用独占した劣化模写を武器に、裸の王様は時代に逆行した次元の低い思想観を拡大する為、世界を股に掛けている。

時を経て、破壊兵が帰化人となっても日本人への排外攻撃は止むことは無かった。月日を重ねるごとに隠蔽工作が巧妙になり、警察沙汰や裁判にならないような穴を潜り、日本人の同情を誘い、友好的に見せ掛け、陰で裏切り悪用する事を繰り返し、難癖を付け漆喰に攻撃してくる為、日本人から距離を置かれたが、人種差別だと同胞で団結し公金や示談金を蝕むようになった。それでも、自国に帰国を認められない不遇な事情を察し、多くの日本人は耐え忍んで受け入れ続けた。生活が整えば精神も穏やかになり、同じ人間同士暮らすしかないと考えていたからだ。人が悪いのではない、戦争が人を悪魔に変えたのだと。しかし、日本人の温もりは何をしても届かなかった。

日本人の中にも当然、悪魔は存在するように、反日国家にも天使は存在する。国のカルマが違えば具現化される悪魔も種類が違う。日本の悪魔に隠蔽的な姑息さは無くどちらかと言うと鬼に近い性質である。国内で制圧し、国外に出さない事が原則であるが、テロカルトが集結したイルミナティという実態の見えない犯罪網が真逆の事を行い、世界を悪魔で埋め尽くそうと移民政策を世界中に虐げているのである。刑務所や精神病棟、施設などが、絶対必要な犯罪者や悪性型人格異常層は世界中でキャパオーバーである事に目を付け、この層を使い政府機関、政治政党などの関連機関に寄生させ、公的機関を機能不全にしたのだ。特に人格異常層は犯罪予備軍として厳格な監視と管理が必要な層である。知能犯は人格異常層を使い、集団犯罪、連携犯罪、凶悪犯罪を組織化するからである。社会愛とは犯罪者に犯罪をさせない社会造りと厳格な養育システムが必要不可欠である。善悪の概念が欠落した人間に公民権を与え、社会貢献の責務を果たさせる限り犯罪はより巧妙化し凶悪化し続ける。与える側だけでなく与えられる側も注視しなければ事態は収まらない。

1970年11月25日、世界の100人に選ばれ、三島文学を生んだ三島由紀夫氏が自決した日である。破壊兵の種として日本国に置き去りにされ、自国に斬り捨てられた反日民に一番寄り添った人物である。三島氏は現在の日本国の腐食や世界の疲弊がありありと想定出来ており、国々の特性と世界の動きを掴み因果関係を暴いていた。だが、あらゆる根拠を示し、同じ人間として根気よく寄り添っても、反日民は三島氏の同情心を誘いあざけ笑うだけであった。日本人への残忍な排外主義は日毎増し、被害者が出ても敗戦を理由に大目に見るしかなかった。三島氏が憲法9条戦争の放棄を撤廃し、自衛力の高い憲法改正を社会に訴え自決した背景には、非人道的な破壊兵の成長拡大から英霊が命懸けで守った日本人を守る為でもあった。自決にまで至った理由は短絡的なひとつの事由に収まり切れないが、性善説が通用しない残忍性と無生産さに寄り添ったケジメを皮肉交じりな小説の結末の様に未来の日本人に継承したのである。日本の文学界を牽引し世界で称賛され、カリスマ的政治見解は現在も群を抜くばかりでなく、解き暴いた因果関係の末路が現実となっている。戦後の光であり、全てを手に入れた天才が死を持ってでも伝えたかった事は果たして現代の日本人に伝わっているだろうか?また、英霊が未来の日本人に想いを託して飛び散った命の重さを理解する愛がどれだけ残っているのだろうか?現代人の様に、誰かが用意した答えにしがみ付き、短絡的に物事の良し悪しを断言する浅はかな人間で有り続けていいのだろうか?

三島氏が存命であれば、長く掛かっても楯の会の抑止力は国民を扇動し、浅はかな国民を正し成長させる事も出来たであろう。例え、現在の様に破壊兵が因循姑息に嗅ぎまわり侵略され、偽史で罵られ脅されても、真実を元に抗う国民で溢れてい未来もあったはずだ。しかし、被爆被害のあまりの無惨さに恐れおののいた国民が真偽を見誤り、日本国の大きな光を失った。だが、日本先祖が撒いた、命を掛けた種は決して無駄ではなかった。時は流れ、帰化人子孫を破壊兵にしようと残忍性を植え付ける家庭教育は抗えない光に導かれる様に自然の成り行きで途絶え始めた。6割の民が日本人と同じように日本人として反日国家とテロカルトの侵略を拒み、人として正しい道を選んだ。残り、4割の反日子孫とその内2割の人格異常層は善悪の概念が逆転している為、愚かさと罪を恥じるわけも無く、自分たちが選ばれし正義だと優越感に浸っているが、地獄の門が開くのは時間の問題である。

例え、世界が99%の悪魔で支配されても、たった1%の天使の為に、この世の修行場は姿を変えて存続し続け、大霊の一部である真理の愛を果たす光は あの世とこの世を導く神の一部である。

人類は神の因果関係をなにひとつ理解などしていない。 

愛の基準法

愛は神のように現実に存在せず、精神神域の核である。

神は霊性向上を人類に託し、この世の『生』という有限に魂を宿し、対の修行場を与えた。真の信仰とは神の愛に呼応する愛の実践である。言わば、人間は生きながらにあの世の愛を再現すべき苦難の旅人なのである。愛についても、霊的事由と人間的事由の旅先は天と地である。また、霊的自己愛とは類魂と共鳴する穢れなき愛であり、霊的利他愛とは人類の霊性向上の務めを果たす無償の愛である。神は高次元主体を指し、人間は低次元主体に依存し、内在する対に支配された憐れな生命体である。

我々人類はアダムとイブの過ちが炙り出す、神性あるいは悪性の一部に過ぎないあの世の化身なのである。

※真(まこと)

・愛の定義 

胎児で宿った瞬間、この世の学びが始まる。生まれ落ちた家庭や環境で人間的自己愛の学びを果たすが、現実的に果たされない場合がある。例えば堕胎や虐待、洗脳などの人格的、社会的問題の事案である。魂はこの世に宿る前からリスクを知った上で、生きる者たちの善良心や神我に問いかける為に母体や環境を選んでやって来る。悪しき者は神のギフトの成長を怨み、妬み、嫉み、悪霊の再生魂を優位に扱う事で自尊心を満たす。赤子がこの世に産まれる度に神は当事者と社会愛を試し、子ども社会を通して人間性の悪性や神性に試練を与えているのである。

人間的思考で構築されたファースト段階の愛の学びでは、人間的欲求を環境や条件で満たす有限的な愛を基準とするが、霊的思考は神域の無限性である。この世は人間的欲求と霊的欲求が交差する複雑階級であるが、一方は人間的欲求を超えれない有限的なものであり、一方では神域が果たす愛の永遠なのである。

愛の定義は魂の階層ごとで異なり、脳の成熟度に比例し精神階層に反映されるが完全ではない。何人もこの世では人間的自己愛から学び直し、人間的利他愛から霊的自己愛、霊的利他愛へと愛の学びを進めていくのである。

・愛の育みについて

人間は表面から感情、理性、本能、核の多層で奏でる楽器である。互いの奏でる音色が美しい旋律を踊るように愛を育み合える関係性が大事である。互いの楽器を奏でることは出来ないからこそ相互補完の愛が必要なのである。決して裏切らない高い志が観客を魅了するのである。

・愛すること 

相手の肉体を愛しているのか?精神を愛しているのか?それとも両方なのか?いづれも人間的思考が織りなす愛の基準の共存の欲求である。最も深い愛し方は、精神の核に宿る相手の神を愛すことである。相手の神が反応しなけけば相手の幸福を祈る事が適切な愛し方である。

・愛する権利 

愛する権利などボーダーレスだと思うだろうか?相手の権利を侵害してまで、果たそうとする想いは自己愛である。では、自己愛に愛する権利など無いというのか?自己愛者に利他愛を惜しみなく与えたところで、利他愛には成長せず幸福感も継続しない。自己愛は自己愛同士でしか磨かれない。愛する権利と言うのは愛を果たせる互いの領域を自覚した上での話である。親子関係で見る、愛情の大小、高低は人間的視点では親が優位であるが、霊的視点ではそうとは限らない。

・互いを愛する権利 

魂が目指す所の愛は神我の共鳴である。階層の共鳴ともいえるが、俗世的で打算的な人間的視点では到達できないのが、真実の愛である。これに相反し、精神的、思想階層で引き合う人間的視点は、条件さえ満たせば成立する。行き付く所はどの階層の愛を互いに求めるかが愛の起点である。有限の縁であれば人間的視点で愛を模索し、魂に刻まれる愛の永遠を望むのなら霊的視点が必要である。また、真実の愛が果たされるのは時空間を超えない限り不可能である。たとえ、人間が全力を尽くしきっても一度の人生で真実の愛に到達する事は無い。だが、この世に産まれ生きる以上、何人も真実の愛を追求する権利はある。

人は愛を放棄して生きれるほど暇ではない。愛に傷つき、愛に救われ、愛に生かされ、愛を産み愛を育み、愛を継承する。誰もが、誰かに会いたくてこの世に生まれて来たのだ。この世は有限だ。愛される真実を放棄してまで、人は暇ではない。

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2026年以降・地軸のズレ

2026年以降、地軸が8°ほどのズレが生じる。ある者には天変地異のように感じ、ある者には神の怒りのように感じ、ある者には当然の報いだと感じる。人は何の為に生まれ、何の為に死に急ぐのか?あるいは何の為に『生』に執着するのか?

人類は何度も科学信仰に溺れ、何度も同じ過ちを犯し続ける。地軸が変わり、人類は視点を変えざる得なくなる。この世で撒いた種が、あの世で花開き、祝福の鐘か地獄の鐘が各々の内耳に鳴り響き、ある者には再建の道が開かれ、ある者には自覚が促される。

【地軸がズレることで起こり得る可能性:ネット引用⇒地軸がズレると、地球の気候や生態系に大きな影響を及ぼす可能性があります。例えば、地軸が1度変わると、季節の変化が強まり、極地の氷が溶けやすくなり、海面上昇が進む可能性があります。また、年間降水量や乾燥地帯の増加が予測され、豪雨や干ばつの頻発が起こるかもしれません。これらの変化は、農業や食料生産に影響を与え、生態系のバランスにも影響を及ぼす可能性があります。Awaisora 】

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浸透工作に勝つことが日本再建の道

浸透工作は、外交や敗戦交換条件と違い、非人道的なテロ行為である。中国共産党は敗戦利権を利用し、自国の失態を日本国に責任転嫁することで、日清戦争の怨みさえ果たそうと必死である。かつての清は眠れる獅子と呼称され、根拠も乏しく強国だと恐れられていたが、小さな島国である日本国が日清戦争で勝利した事により、プライドは踏みにじられ、日本国の後を追い戦利品に群がるように諸外国にも領土が奪われた。後に返還されたが、きっかけを与えた日本国への怨みが現在も消えないでいる。日清戦争後の賠償として日本側に一部の文化還元を行い、第二次世界大戦後には敗戦国となった日本が負債する戦争賠償は中国側が棄却したが、これを餌に現在も敗戦利権を利用している。日本国の教育機関に侵略してまで(日教組は幼稚園から大学までの抗日教職者で構成され各宗派の信者が多数を占める)自虐的偽史を植え付け、侵略への抵抗心を持たせない為の論点をずらした精神性を養成し同胞に見合わない冠を被せ、先住民の才能や個性を握り潰し、未来栄光に続く敗戦利権の基盤を整えている。中途半端な友好関係を演出し工作員を送り続け、内部の同胞と連携し先住民への排外行動を正当化し続ける為の法改正賛同への民意を扇動し続けている。抗日用の外国人学校で習う日本語解釈は本来の奥ゆきがまるでなく先住民が配慮した表現にさえ増悪感情を隠し切れない洗脳解釈が横行している。未来の抗日兵と先住民の絆を深めさせない為だ。そもそも中国は自国の善意を悪用、排外し、罪の無い人々の虐殺や毒殺で財を成した大国である。非人道的侵略など朝飯前である。これに加え、偽史では都合の悪い事は日本人がやったことにして他国からの同情票をかき集め、虫一匹殺しもしない聖職者のように被害を語るような国色である。また、中国系朝鮮渡来の藤原家が天皇に関わる発端は文武両道で容姿端麗、人格も優れていた菅原道真公に汚名と罪を着せ冤罪のまま島流しをした頃から高次元の天皇霊は継承されていないままである。これら記述は氷山の一角であるが、遥か昔から日本国への独りよがりな妬み嫉み怨みは怨霊並みである。

人間の主張より神我の経路。個運も国運も同じ原理。

たかり屋の常套手段に翻弄されるような政治家達では、米と対等に交渉できるような国の成長を期待できない。たかり屋への鉄則は『取り合ったら負け』である。個人であろうが国レベルであろうが関係ない。また、中国は誘拐拉致を平然と市民兵に命じ人身取引を行い。非人道的な不老不死永久利権を強みに、血液致死量搾取、臓器売買、性奴隷斡旋などを行うようなテロ国家である。加えて自国民の災害死や惨殺を隠蔽し倫理観など微塵も無い、ゲノム編集された人体実験の実地にも手を拡げている。それだけではない、外用市民兵の一派である朝鮮系に抗日精神を徹底教育し、カルト宗教の看板を隠れ蓑に既存宗教を巻き込み、日本国に侵入し、帰化制度、国籍条項撤廃で先住民の権利を侵害し、政治家の地位と命を弄び日本政府を食い荒らし、先住民の社会的排除を心理的、物理的に強行し、自殺に追い込んでも飽き足らず。生物兵器(コロナワクチン)を強要させ、民族入れ替えを先導し、償いきれない罪を重ねて来た立派な凶悪犯罪組織である。国民には真実が報道されず、問い正しても窓口をたらい回しにされ、ようやくたどり着いた先でも真っ黒に塗られた海苔弁回答を薄っぺらくひけらかせて一方的に逃げられる現実を突きつけられる。温度差を補填する如く、お得意の集団ストーカー犯罪執行部のカルト信者の管轄に個人情報を回され、ターゲットに冤罪や汚名を着せる探偵ごっこが始まる。自分たちに有利な情報に矮小化、拡大解釈し、各企業、各行政、生活環境圏に侵入済みの同胞に共有し、ターゲットに「困り事」を起こし「頼り役」として現れ、相手が完全に壊れるまで人権を侵害していく。これを、ジェノサイドやテロ行為、侵略と呼ばずして何と呼ぶ。

極悪非道に従えという親は地獄の窯で焼かれてからものを言え。国は『親』のように子どもの健やかな巣立ちに清い祈りを込めるように、国民の精神性を高め、生活の保障を果たさなければならない。

アジア共同体を重要視している政治家が存在するが、中国共産党の思う壺である。国民の血税で生計を立てる政治家が恩義も責任も感じず、テロと国民を繋げようとしている事自体おかしな話である。財政難をテロで補うような国に導くのは完全国敗を意味する。性奴隷宗教国のように親が犯罪者に子どもを売るような国に成り下がるのは火を見るよりも明らかである。まともな精神であれば、子どもの配偶有無関係なく善良心が許さないはずだ。経済事情を重んじ正当化したとしても、テロ国家と断交を行い、損失が出るのは同胞やその利害サイドである。このバランスで経済が一度破綻を迎えているように見えるが原点回帰する好転反応に過ぎない。政治とは生き物のような流動的なものである。特定の政治家の思考に依存するようでは国民を本当に救える政治家など育たない。

毒を抜かず、薬を塗ったところで治るものも治らなくなる。

日本国の主権は国民にある。政治観察放棄は主権の放棄と同等又は国家反逆罪への黙認とした共犯である。加えて、内政を揺るがす特定の利権や軍需利権を追求し、民意を煽る国民や抗日利権に加担する国民は他者の権利を侵害し、憲法平和主義に反した侵略幇助による内乱、国家反逆に加担した責任を負い公民権停止が妥当である。

元凶を取り除かない限り、米の植民地から独立することは無い。また、毒出しをせずアジアバランスを取り先導を斬るなど夢の又夢の話である。綺麗事で取り込む手法では果たされないのは歴史が物語っている。共同体に権力を持たせれば、悪用され、世界中の人身取引の被害者が更に膨らむ一方である。また、テロ国家と絆を深めれば、日本国は世界の二大巨塔からテロと認定され、世界規模の正義の剣で跡形も無く裁かれることは最初から決まっている。小手先の経済事情どころではない。永久に汚名国として歴史を刻み、日本先祖や英霊を粗末にする愚者に成り下がるだけでなく世界の家畜と化するのだ。

傍観者を当事者にする事で本当の敵が炙り出され、下級思想をピラミッドの頂点に乗せることで本当の悪魔が光に照らされる。

世界は腐っていない。腐るのはいつだって人の心である。

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悪魔が生まれる時

人類起源、神我を呼応させ神国の再現化を目指し国を切り拓き、山と海を信仰し神の教えと大地の恵みに生かされていた。生きとし生けるものと愛を育み、暮らしには神々への感謝と希望の光を感応させる各々の創意工夫が満ちていた。エデンの園に回帰する代償を人類が果たせるように神は人類の神我を試し続けた。人類は試練に耐えきれずにイブと同じ罪を重ねた。啓示や記録を改ざんする者に惑わされ、神我の経路を失い、第六感の変わりとなる文明を発展させ物的信仰となった。そして、必要以上の物質を求め、名声や権力に頼るようになり独裁者に冠を被せ、民同士で強奪し合うようになった。

神の国に精神が住まわぬ者は神我主義に感応しない。神は人種を超える真理そのものだが、人間は人種のカルマを穿き違え、利権の責任転嫁のボーダーレスを望むバベルのループに過ぎない愚能である。

神はいかなる時も多くを語らない。高層媒体も多くを語りひけらかす神経に呼応しない。神との対話は厳かで神秘的な吐息の具現化に過ぎない。頼りない者には頼りなく感じ、軸の高い者には確信的で高貴なギフトである。神の愛は人類の神性向上である。神の愛に応え『二度とイブのような過ちを犯さない。』と誓い実行した人間は現在までに1%にも満たなかった。それでも、人々は神の愛を求め、神の恵みを奪い合い。神が禁じた集団思想に依存し、神を知ったように他者を語り、悪魔が仕掛ける現世利益に甘んじ神の加護を得た気でいる。

悪魔は自業自得の罪を隠蔽し、神の国に住まう者を血肉が絶えるまで、妬み嫉み憎む。

エデンの門はいかなる弾丸も願望も通用しない。人間思想が低層化するタイミングを待ち構えていた悪魔が人類に神とは何かを教え説いた。『エデンの園は今私たちが踏んでいる大地そのものである。人類こそ神なのだ、生き続けることに価値があるのだと。』天に住まえない悪魔はこの世だけが特権の場である。悪魔は思想観の集大成が神の正体であると、欲求の満たす幸福思想を強く論じたのだ。皆で同じ神を祈り同じ教えを共有し同じように行動し、宗派以外の教えは例え人生から得た教訓であっても宗教的解釈の編曲を称え賛美し合ったのだ。各々の神我を裏切り続けた結果、排外主義や善悪の概念より主従関係が優先され、因果関係を考察しない場当たり的な偽善活動が重んじられ、偉人の名誉に便乗し人類歴史に説得力を与えて来た。いつしか異なる宗派同士が手を繋ぎ、人類起源の軸を継承する僅かな神我主義者を始末する為に手段を選ばなかった。やましさを打ち消し群衆心理を味方につける為に利権を貪り、軍需利権を影で牛耳る事で地位と権力を確かなものにした。

宗教が正しければ、独裁者が実権を握る群衆心理など生まれない。

群衆心理を支配する事は弾丸を飛ばすよりもいとも簡単な領土拡大の手法である。悪魔が築いた歴史を継承するように、各宗派、各思想家の上層部たちで形成される秘密結社イルミナティの旗を中国が寝取り、更なる独裁的拡大を望み、アジア、中東の弱みに付け込み欧州思想と手札を変え『世界統一思想』を目指すようになった。当然、どんな美談を交えようが群衆の為では無い。己の懐事情の為である。国々の政治介入、不法監視を行い、的外れな人口削減を言い訳に、人身取引で稼いだ元手を強みに、臓器売買、小児愛性強制結婚、性奴隷、労働奴隷、市民兵などで拍車を掛け、世界上位を占めるほどの莫大な闇マーケティングへと急成長させ悪魔の王冠を手に入れたのだ。これに加え、不老不死の永久利権の実用化に動き出した。誘拐、拉致による人身取引は加速し生き血を奪い食い荒し。輸血依存型の健康状態、環境状態を作り出す為に製薬業界、保険業界などの生命利権に参入した同胞が先導を斬り、人々の命や人生に値段をつけ利権を貪り合っている。

神は人類に悪魔を救えと言ったことはたったの一度も無い。救ったのは内なる悪魔である。悪魔の抽出、制裁が正しく行われない限り人口問題、気象問題などの天変地異問題は断固解消されない。いかなる対策も神の前では無策である。

横並び共有論(一律平等論)は女特有の虐待性理論の伝承である。神は神我の数だけ存在し、99%の再生率である菩薩系と1%の再生率である神系統に枝分かれし、更に魂階層事に統制を行う神々で成り立っている。神はひとつではない。多神教でもない。神我の統制神域である。横並び共有論で他者の神我を理解しようとする事自体が横着で傲慢な間論点ずらしの因子なのである。愛とは、神我の共鳴であり生命エネルギーそのものである。量産型教育を行い飼いならしやすい人類の輪は相互補完の関係性が織りなす秩序ではなく、ただの依存的利害関係に過ぎない。その為、牽引する側の者が低層階層のものであれば、思想全体を引き下げない限り、依存的調和は生まれないのである。職場や学校などの環境に溶け込めない者を悪とする風潮自体が個性と秩序の精神暴力なのである。

低層思想での抑圧は社会全体の秩序を依存的利害関係に変容させ、強奪権威主義が確立する。高層思想での制圧は神我の領域に秩序を齎し、平和と愛を生み出す原動力となる。

善悪の概念が価値観で散らばっているのではなく、単純に階層ごとの解釈に留まっているだけである。低い者は浅く断片的な解釈以上の事を理解することは出来ない為、集団的他責思考に依存するのである。家庭環境では低い階層の親の下に高い階層の者が生れ落ちる事も大いにある。こういった霊的視点が無く、人間的解釈に頼れば親に従わない子どもが悪だとされる虐待性が社会思想を膨らまし、社会害悪となる犠牲を生み出す事となるのだ。

神の国に心が住まう者は神の国に無い精神を持たない。

誰もが、神我と共に更なる崇高な神の国を目指し、玉石混合であるこの世に再生する。低い者は解釈出来ぬ高層思想の領域に果敢にトライし続けることで、生きながらに天に宝を積んでいるのだ。己の全てを神に預け、己の愚かさを隠蔽せずさらけ出し、謝罪から感謝が生まれる学びを基本軸に精神を向上させる道以外、神の加護を受ける道は断じてない。内なる神への愛が真であれば、謝る恐れも、感謝する打算も持たぬはずである。一律平等論、低層思想肯定の逆さま理論や批判理論は必ず、各々の神我を隠蔽し、魂を穢し悪霊へと変えてしまう。

神の制裁と悪魔の抑圧は似て非なる、魔界の映し出しである。

女性は真理を知っても、多数派の平均値を共有する横エネルギーのエゴを有する性質ゆえに、周囲が愚かであれば愚かなままである。これに比べ、縦エネルギーである男性は真理への解釈が比較的スムーズではあるが、親鳥を真似る雛のように、家庭思想、環境思想への依存が強い為、根底にある手本がしょうもなければしょうもない男に成り上げるだけである。いづれも、神我の呼応が高い者には感化されない領域である。善というのは一貫性の優しさを指す事ではなく、神我の真善美を果たす心域の具体性である。家庭全体の方向性を叩き込まれるのは本当の愛ではない。愛があれば相互補完の関係性に依存と他責思考は生まれないはずである。互いに律し、互いに共鳴し合い社会と言う荒波で、魂の産声を鳴り響かせる事が魂が求める幸福論である。肉体があって魂があるのではない。魂があって始めて肉体が得られるのである。

解釈の差異は階層の差異、神の真理を否定したところで神は何一つ変わらない。

悪魔に必要なのは愛ではない。戒めの教えである。神の審議に叶う制裁制度が循環する社会構造がない限り、エデンの門が開くことは決してないのである。玉石混合に生きる意味を知らずして、愛の調和を図る事は種を撒かない畑の収穫を待つようなものである。内外する悪魔を無力化させる事はいとも簡単である。従わなければ良いだけである。他に道が見つからないのは内なる悪魔の誘惑に勝てないだけである。

悪魔とは、他人の畑に毒を撒き、収穫を得ようとする、憐れでもの哀しい残虐性の化身なのである。

光が生まれる時、悪魔が生まれる

悪魔が生まれる時、光が生まれる

光と闇が、光と影になった頃、人々はそこをエデンの園と呼ぶ。

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悪事千里を走る。世界の首謀犬オレンジカルト。

かつて、中国国内で国民党が支配していたが、共産党が残虐を繰り返し国権を牛耳った。追われ南下した国民党の残党が台湾に流れ、インドネシア、フィリピン由来の台湾国は混血に至った。中国危機を迎えると、台湾が替え玉にされるなどの理不尽で支配的な監視体制は現在でも続いている。その影響は台湾、韓国から日本国にも及ぶ。世界制覇を目論む中国は、日本人に成りすました民意を寄せ集め、国籍条項撤廃させ、帰化人制度、通名制度を強行し日本人成りすましを合法化し、日本政府乗っ取りを行った。韓国も同様、韓国人に成りすまし政界など国内を深部から腐敗させ、反日思想を企て分断を煽る事でアジアバランスの独占権を掴み離さない気である。世界のパンデミックはWHOが中国の独断に切り替わり、中国武漢からコロナウィルス兵器が蒔かれ、二次攻撃として、コロナワクチン生物兵器を強要している。WHOの世界人口削減計画を首謀し悪魔崇拝という虚像世界の王権に魅入り世界へ向けた生物兵器の世界統一侵攻に至った。日本国から盗んだ技術、半導体、AI技術、第一産業技術などを武器に平和産業に圧力を掛け、軍需産業に媚びへつらい世界のマーケティングを牛耳り、マスク、医療利権を餌に薬物攻撃の受け皿を担保し実行した。これに比例するように日本国内に潜伏していた市民兵が世論操作、情報操作、同調圧力に強く出た。これにより、戦後最大の死者数を叩き出した。それでも、真実が国民に報道されることは無い。

真実を受け止め、自己選択の責任を果たす国民力が必要。善悪の概念を失った国民の公民権は兵器となる。

日本国内被害は自民党に政権が渡った事が全ての元凶の始まりである。韓国に反日教育を虐げているのも共産党の息が掛かった在韓中国人(朝鮮族など)である。日本国も韓国も情弱や羊知能界隈の者が鵜呑みにし、先住民同士又は人種を超えた善良民同士の国内外団結を曖昧なものにしている社会害悪に他ならない。WHOの一番の出資元であった米が中国の薬物ジェノサイドに悪用されたWHOを脱退し、資金提供を停止した。次々と、世界の悪事を暴き、反トランプデモが巨大化しているが、軍事産業の玉座を狙ったテロ行為にそそのかされた羊界隈の群れ行動のひとつである。

日本国内における抗日三国人(中国、南北朝鮮)の「南」とは、主に韓国人に成りすました抗日中国人のことである。

日本国というのは東北の種から始まり、北と南に分散し生粋な日本人の発祥と所在が曖昧である。というのも、そもそもが混血民族が半数以上を占め統治していた歴史を重ねている。アイヌ族やYから始まる遺伝子が生粋な日本人という説は御用学者特有の曖昧さが目に余る。抗日三国も蓋を開ければ、首謀者は中国である。『北』は単独協定の中で活動し、厄介なのは工作員や労働党員である。中国はあらゆる国の内部に寄生するが、容姿が見分けの付きにくい台湾、韓国、日本国で各国の温情に付け込みやりたい放題である。中国は台湾、韓国、日本国が友好関係の絆を深くすることが最も許せないでいる。かつて、台湾も韓国にも統治した日本国は両国の民と友好関係を深めていた。たったひとつ領土を任されただけで親和的領域を広げる日本人が憎くてたまらないのである。

日本や台湾を噛ませ犬として利用する為にもアジアの分断を煽り、監視社会、抗日活動、反日教育は外せない社会思想である。世界制覇を目論む中国は財閥やDSなどを抱き込む為、悪魔崇拝を吸引力に力を増強させている。北朝鮮と臓器売買、不老不死を新しいマーケティングの軸とする動きは活発である。情報統制や言論統制を日常レベルで同調圧力を掛け、民意を操作して侵略を合法化させるのが一番の目的である。その為、欲求不満者や人格異常者に目を向け、善悪の概念や倫理観、道徳心が崩壊する様な新興宗教や似非スピリチュアルの看板として、金と力にものを言わせ流行化させた。これに引き合う層も当然、同類項の大魚となり悪魔崇拝への実現化に大きく貢献した。1998年WHOがWHO憲章の定義改定案で健康の定義にスピリチュアルを加えた。これと同じ頃、本物が誕生し、真偽を見極める精神力に警鐘を鳴らし続けるが、その活躍に背乗りする似非スピリチュアルカウンセラーや占い師、霊能者、自称宗教者などが根拠も無い価格や肩書で扱われ、書籍本の水増し売上やsnsの過剰露出が中国主導朝鮮管轄で日本に強制された。民意を得たのではない。そう見せ掛けた演出に過ぎない。だが、軍需資本家による義務教育で日本語力を落とした羊たちには語彙力の豊かさが無い為、感性と知性の穴埋めをするように似非言霊は浸透していった。そして、いつか羊人間達は本物を忌み嫌い。偽物をこよなく愛した。

知性と感性の崩壊。高いものは努力を詰まないと得られないが、低いものは簡単に手に入る。

感性と知性の崩壊を迎えた国民は、政府と経済の両輪の崩壊と司法の破綻を日常生活で体感し声を上げるようになった。これに反旗を翻す政党、政治家に期待を寄せるが、中国侵攻の根源に立ち向かう政党は一つも無い。アジア全体のバランスを保つことに明け暮れた参議院議員山本太郎氏であったが、世界情勢から見て時すでに遅しである。腐ったリンゴが紛れた木箱を復活させようとするほど愚かである。それでは、日本国は弱小国に成り下がるだけである。闘うべき時に戦わずして、未来が明るいと夢見るのは幻想でしかない。ここで、反旗を翻さない限り、日本国や世界は短命な中国思想に合わせ精神性を下げるしかなのである。国造りの最も要になるのは高い精神性を持った国民力である。森羅万象の因果関係を考慮出来ない精神性が国務めを行えば、いづれその世界は消滅する因縁を生み出すだけである。現所在地関係なく、魂のルーツが深い者は消滅されることで罪を償う宿罪を買って出たに過ぎない。

山本太郎氏の国会質疑や街宣を真似て盗用し、統一教会御用達のオレンジカルトが票を伸ばしていると信者が騒いでいるが、出来レースである。彼らは『本物』の真似事を盗用する収集家の集まりである。オレンジカルトに魅せられる人間性もまた同類項である。薄汚い言霊に吸い寄せられた盗用コレクターの集合体という事である。また気色の悪いはっきりしないオレンジカラーは人格異常者が魅せられるカラーである。中国主導の工作員たちの本命はオレンジカルトで王権を築く事である。売国政党の夢を担いだのがオレンジカルト政党だという事だ。悪魔崇拝の金づるをバックグラウンドに自ら神となる願いを叶えるためである。オウム時代からの切望を叶えるために一般の民意を集めようと、救世主役を大きく買って出たのだ。いわゆる英雄消防士が凶悪放火犯だった手法に羊ギャラリーを寄せ集めたのがオレンジカルトの実態だという事だ。それに加え、オレンジカルトは火事さえ消さない。だからこそ、救世主ヅラのメンツを保つ為に善人やカリスマの真似事を止めれないのである。何とも、恥を知らない踊り子たちである。

善人を悪に祀り上げ、同胞で騒ぎ立てるのはやましさを打ち消す為やポスト狙いの為である。イザとなれば自己保身の為に手段を選ばない精神階層は常日頃から自己保身の為に誰かや何かを売っている。

さて文中で、『悪魔崇拝の虚像世界』という表現をした。これに関わるとされるCIAやDSの存在を強みに羊たちは流れに身を任せて来たが、果たしてそれは正解だろうか?高市早苗内閣に代わり、時代の節目としてデモ隊を餌に緊急事態宣言を発令し独裁憲法に改正し移民と内乱を起こさせ個人戦争や生物兵器強要の人狩り祭りに、オウムの残党が花火を添え煽る事も十二分に考え得る。社会活動とは臨機応変に政権への問いかけを変容させなければならない生き物なのである。数の多さを強みに、グレーゾーンで自己保身に努めて来た羊界隈が代償を払わず、徴兵されず明るい未来が訪れると希望を馳せるだけ無駄である。また今更、帳尻を合わせるように、何をしていいか分からないと、いい歳して嘆く他責思考自体が鼻持ちならない傲慢さなのである。羊界隈の一丁目一番地の『分からない』は回答にならない。分かるまで考えた上で質疑する義務さえ果たせない知能界隈に身に余る権利を与えるから世界全体が馬鹿を見る。排外主義は因果応報を考慮しない人格兵器の詭弁である。

どんな乱世を迎えようが、神我の正義を貫くのが人としての定めである。

人生は肉に刻まれずに 魂に刻まれる。

正義を貫けないのは弱いのではない。図々しいのである。

悪因悪果 勧善懲悪 因果応報

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隔離と管理

生命の因果関係を穿き違えた軍国主義層が羊化社会を生み出した。羊化社会で許される個性や主体性は牧場のナンバーリングに吸収され、商品化の生体選別のバーコードでしかない。牧場で生きる為に、陳列映えするキャラ設定の中で柵を超えない制限を叩き込まれる。与えられた仕事に自分で誇りを見出せない狭い視野で、金銭感覚だよりに人格の基盤である思い遣りや奉仕の心さえ制限する荒廃した感性を共有し、一律平等論の試験管で培養された世界線で社会情勢や他者評論を語り、世界を股に掛けたところで社会害悪の羊思想を拡げただけである。羊化社会で厄介なのは自分の頭で考え、行動を起こし、生かされる責任を果たさない事である。羊が世界の汚染物を気にしたところで柵の中に戻され、戦争が起きたって出荷されるまで柵の中で眠る事を強要される。だが、問題点の根拠から目を反らし社会害悪に従って良い理由にはならない。地球全体に視野を拡げれば、動物にも種類があるように、生きとし生けるものが無数の因果関係の中で暮らしている。地球全体の運命共同体という責任を度外視して、柵の中の自分たちの責任を放棄して良いはずがない。だが、羊化社会の人間達は餌を与えるほど貪欲になり闘争心に燃え共食いを始め、不都合なことは支配層に委ね、自分たちの権利ばかりを主張し、己の責任も任せた責任も負うことは無い。負のスパイラルから分かるように羊の支配層と言うのは同質の羊が押し出された結果である。羊が蒔いた負の遺産を正に変える能力が無い為、闇雲に首を斬って負の輪で調整を保つ結果となる。柵の内外から真実の声を拾い出し、神の御慈悲に気付けないのである。錆びた冠を被った自滅に向かう羊物語のキャストに過ぎない。

支配と奴隷は共依存の同質である。羊化社会に依存しなければ自己を保てない異常性自己愛に金と権力を惜しみなく与えても、生み出すのは腐敗と崩壊の低層社会である。これに群れが感応するように、真実を真似た羊たちが、真実の声を揉み消してきた社会害悪に他ならない。

悪魔に魅入られる人間にも動物にも満たない人面獣心。動物たちは必要な分だけ頂くが、羊人間は必要以上に欲する。羊化社会で生きる人間たちは、運命共同体に反した不自然な問題点に過ぎない。問題点が縮小することなく肥大化したのは、民主主義のツリーを彩る社会主義や共産主義により、羊に経営権や権力などの『身に余る権利』を与えたからである。支配層の狙い通り羊社会の規模に比例して、腐敗と崩壊に向かう侵略利益、軍需利益はうなぎ登りである。

真実に基づいた事実なのか?ただの主観なのか?

物事の根拠を見つめ、生きとし生ける原点に帰った時、歪みが生じる部分は本来必要ないものであるが、修繕が必要な場合もある。機械でも不具合が起きた個所に、粗悪な部品を使用すれば、ゆくゆくは全体が破損したり、事故が生じるのと同じように、社会問題が起きれば、何かを補填しなければならないが、穴さえ埋めればいいものではない。だが、再三の忠告も聞かず、粗悪品を使用し続け、周囲に責任を取らせようとする羊に性善説は通用しない。社会害悪となる場合は社会的隔離の必要性を無視することは出来ない。

社会的向上や運命共同体の調和に対応できるレベルに達してない層を社会に適合させようとする事自体、個々の学びと特性が何ひとつ考慮されていない不可解な構図である。隔離層適合者は牧場の習性以外は忌み嫌い、表面的で断片的なレッテル貼りに固執し、本質の高低差を捉えることが出来ない為、建設的な対話は成立しない。マインド補填に適した他責思考では飽き足らず、AI信仰や集団ストーカー犯罪、テクノロジー監視社会に魅入り、手法や思想に習い社会全体を自己都合に引き下げ自己保身に勤しむ。追い込まれるほど手段は選ばず、結果的に魂の学びや社会全体にマイナスを与える策や組織、人物に寄生し、ご託を並べ改心しない。性善説が通用しない特性には、人工知能の鏡が映し出す隔離管理社会が生態系の平和と秩序を取り戻す唯一の方法となる。

羽を忘れた鳥に飛べというなら あなたの羽を神に差し出せばよい。

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事実と真実

目の前の事実を追う程、真実は見えなくなる。誰もが真実を知り、決断する人間力が備わっているわけではない。だが、それでも人は真実を追い求めなければ深部から成長することは出来ない。愛が真であれば、真実を伝えずにはいられず、難解であれば愛に誓い合わせ、共に乗り越えようとするだろう。それが、人間愛の美しいところだ。だが、事実を真実のように語れば、必ず誰かを冤罪に貶め、矛盾した愛欲にすがるしかない共依存という醜い鏡の虜となるだけである。

事実は記憶や記録に保存され、真実は動機や根拠に保存される。

真実を受け止め、魂の階層値の限界にチャレンジをするから、精神が向上するのである。事実に基づいて、紐解いたところで魂には何ら影響せず、人間的欲求を満たすだけに過ぎない。物事の因果関係を考察し『真実』を紐解くに欠かせないのが、善悪の概念である。魂の階層値によって、善悪の概念が変わるのではない。解釈が低いか高いかである。

真実を知らせない方が傷付かずに済む、という考えは横着で傲慢な考え。

人生に降りかかる出来事は、全て魂に必要な課題である。過去世を知りたければ、自分の短所と長所を徹底的に分析すれば予測がつく。現世で、今まで魂が経験したことがない分野に着手する時は、拭えない苦手意識が先行するが、魂の偏差値を上げる為に必要な『真実の学び』を自分や他人から奪うなど、魂そのものの存在価値を否定しているようなものである。過保護に育った子どもは現実を受け止める力が弱く、話を空想しがちである。これがプラスに出れば、イマジネーションの表現者として人の感情にプラスに作用することが出来るが、マイナスに出れば、偽善活動家や詐欺師のような姑息で自惚れ屋な大人に成り得る。プラスに作用する場合は親の愛が真であり、子どもの本質とリンクした結果が過保護に見えているだけで、子どもの個性に的確な教育なのである。

真を得るなら、己に真で有れ。

一律平等論はアンフェアなギルディの元凶である。この世は無数の魂の修行場であるがゆえ、個々の問題点を裁くには限界があるように錯覚されるが、クリエイティブな才能に任せてないだけである。公の場では、前例や平均値、統計などのデーターが優遇されるが、証言工作などに悪意があっても物的状況と照らし合わせ、妥当だとされる。事実に基づいた結果が真実とは限らないのは今まで記した通りである。この小さなギルディの積み重ねで得をするのは後に続く真実を暴かれたくない者たちである。

人は正義と愛に向かって、生きればいいだけである。

シンプルな生き方が出来ないのであれば、それは社会の仕組みがおかしいのである。変えるのは善良心ではない。正義に向かって闘えない弱さを変えなくてはならないのだ。神我の真善美をこの世で果たせば他人と比べる必要などない。自分自身の正義心が真善美の愛に宿っているのかどうか?境地に立たない限り、神の指す羅針盤を読み解くことは出来ない。真の道に妥協や惰性は通用しない。

これからの時代は、腐敗した社会をひっくり返す程の人間力や、伸びしろが有るかどうかが要である。

老いて残るのは感性と知性である。延命に固執する感性が人の心を奪う。人を産むのも育てるのも見送るのも簡単な事ではない。だからこそ、人生は愛おしくも憎いのである。

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GHQが恐れた日本人の第六感

民族浄化とした言い訳を加え、戦争利権は続いている。チャンバラの次は大砲に鉄砲、科学戦争を経て毒ガスや生物兵器を生み出して来た。核戦争を視野に入れたマウントの取り合いで経済圏もコントロールし、保険業界という命に値段を付ける悪手に加え、製薬業界が新しいヘルスケアを謳いながら、人間を生かさず殺さずの無気力なゾンビ育成に抜かりが無い。軍需資本家から生まれた義務教育の危険性を社会情勢に照らし合わせて、考慮しない現代の親の在り方には大きな疑念が付きまとう。いや、親だけでない。周囲の大人が社会の子どもに無関心な事も気味の悪い全体共産主義の表れである。

天使の羽が 群衆にもぎ取られ 痛みで血の涙を流しても 誰も何も気にしない。

いわゆる共産主義と言うのは、独裁者の為に、個性や主体性、実力を握り潰し、才能を歪め、個人思想を分離させ浮遊思考のテンプレートを植え付け、量産型の羊を生産する事である。このように、戦争経済とは独裁者の資産を守る為に、増えすぎた人口を減らす目的で繰り返されて来た。口の開かない羊から出荷され、懐く羊は捨て駒として輸出される。だが、羊たちは警鐘を鳴らした者を噛み殺し、生態系を滅ぼしてまで、羊の王国を拡げることを望んでいる。共産主義と言うのは。実力者から金や権力、才能を強奪し、楽して儲けたい独裁相互関係の楽園だという事だ。共産党員が戦争を反対するのは主導権を握った途端に手のひらを反す前座に過ぎない。

かつて日本国は、軍数で他国に勝った事は無い。常に、少数派である。モンゴルとロシアという大国に打ち勝った時も明らかに不利であった。抗日三国(南北朝鮮、中国)のように、相手を騙し、成りすまして侵略し、相手国の旗を寝取ろうという因循姑息な魂胆も無い。ただ、第六感はどぎ澄まされていた。先見の明を持った策士力は群を抜いていたが、これらを記述に残す程の異業だと、誰も思っていなかった。それほど、当たり前に多くの者が開眼していたのである。

現代では、第六感を開花させる為に、座布団から飛んでみたり、得体の知れない飲料を崇めて煎じたり、人の頭を押さえつけ善良心を失ってまで能力を得ようともがいている。それに引き換え、日本先祖は内なる神の愛を貫く正義を実践して来ただけに過ぎない。そこに、天皇信仰、神道を重ね合わせることで、穿った解釈に陥ることもなく、お天道様に恥じぬ生き方を貫くことが出来た。そのプラスのサイクルが神とプラグが繋がり第六感が活性化されだけの話である。

あの世の階層値がこの世の限界値   この世の生き様があの世の階層。

現代との違いは、個々の心得だけでなく魂の階層値の違いも大きく関係する。GHQマッカーサーが日本国に残した怨念は混血の果ての民族根絶である。これに加え、毒ガス使用の薬物を農薬として強要したり、米で安全性が保障されなかった赤子ワクチンを義務化させた。第六感に優れた血を憎み、妬み、嫉み。軍策で抑圧出来なかった叡智の経路を根絶させる為に、あらゆる手法を日本の基盤に残していったのだ。避けようのない、薬物攻撃と抗日三国人の権利を日本で果たさせる事によって、第六感は失われると踏んだのだ。狙いと通り、子孫が繁栄する度に民度は下がり、経済、サービスのクオリティは下がっていった。それに比例するように自殺者は跳ね上がって行った。抗日三国人の遺伝子が引き継ぐ、善を妬み、嫉み、怨む気質が社会思想へと膨らみ、正しい者や罪の無い者が切り裂かれ、実力と才能を結集させた技術さえ奪われるのが当たり前の社会となった。いつしか、善人は弱者と呼ばれ、精神の要である性善説さえ、抗日三国の社会思想により歪められた。これにより、善悪の概念は崩壊し、倫理観、道徳心を持たない無法者が天下を取る時代が、戦後から長く続いた。それでも、日本先住民は相手の神我を信じ、分け与え続けた。

死人に口なし。

国民が原爆被害の数倍殺害された生物兵器のパンデミック後から、移民は倍増し2024年に入り本格的に、大量移民が投下された。これにより、抗日三国人どころか、テロ民族も激増した。金持ちに媚びへつらう共産主義による民族浄化である。柵におさまり切れない羊を始末する為の移民浄化で一番の被害者は誰か?それは各国の先住民に他ならない。日本国も同じである。その中でも、子ども達は一番の被害者である。馬鹿な大人達が先手を打ってこなかった為に子ども社会の残忍性を生み出した罪から誰も逃れることは出来ない。国籍条項を撤廃してから、先住民の声は掻き消され、抗日三国人の政治活動参入の声が採用され続けて来た結果、更なる地獄の呼び水となった。先住民は今まで生きて来たプライドを踏みにじられ、侮辱されても第三国人との共闘の道を歩んできた。共に平和と豊かさに向かって生きる闘志として、手を差し伸べ続けて来たのは英霊と己の神我に恥じない為だ。損得勘定の御都合主義には到底解せぬ領域だろう。

歴史は何度も繰り返される。裏切り続けたのはあなた方のほうだ。

こういった結果を生み出したのはGHQの怨念が実を結んだと思えるだろう。しかし、真実は事実と別のところに存在する。人間は所詮、神のプログラミングされた道を辿っているに過ぎない。人間の過ちはカインとアベルに帰属する。羊飼いのアベルを殺害し、アベルの善良心、アベルの全てに加え、神の愛さえ、怨み欲しがったカインの裏切りが現代版になって蘇っただけの話である。混血はそれぞれの国のカルマが加算され、血肉を超えた魂のルーツが課題を選択していく。何を掛け合わせたところで、日本国のルーツは消えようがないのである。血肉と魂は相反する性質を持ちながらも帰属する神域の解釈を要する自然の原理なのである。これに反し、カインのルーツは人間の力で途絶えさせるのが神の目録である。向上させるか、神軍の浄化対象となるか。

神域の理を理解出来る者は、ほんの僅かしかいない。それなのに、神はなんびとにも例外なく宿っている。これ以上の何の幸福を求めるのだ?強欲な人間どもよ。

イヘンヲミツケタラ ヒキカエセ

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それぞれの神我と未来

結果を見ない傲慢さについて、真髄に考えたことがあるだろうか?何を根拠に、何に作用し、何を生み出したか?不純物の炙り出しを忌み嫌い。腐った餅を神に捧げ、お面を被り。己は腐った餅も喰いもしない。神我主義の理論が破綻している宗教や、神がかった演出を好む思想家の間抜けな旋律も邪教の同類項のお遊戯と言えよう。高層啓示を受け、神我が呼応する者もいれば、全く無意味な者もいる。これが、各々の魂階層の限界値である。後者にスポットライトを当て優遇する社会構図は分断を煽った単純な民族浄化ではない。これから先は、真の正義とは何なのか?全民族が考えさせられることになるだろう。

神の冒涜者は神に勝るはずもなく 闇の中で闇に制される死刑囚に過ぎない。

日本の移民問題は抗日三国(南北朝鮮、中国)による『成りすまし・たかり商法』を許した過ちから正す事が絶対条件である。国際結婚などの近代的法制度として1898年帰化制度が施行された。第二次世界大戦後のサンフランシスコ条約発効時、かつて日本国籍を有していた旧植民地者(台湾人、朝鮮人)の国籍喪失問題の解決策として1952年帰化制度から帰化人制度へと移行した。この時、国籍選択を巡った諸説が存在するが、抗日活動の煽りを受けて、浮遊する旧植民地者を自国政府が斬り捨て、市民兵を使い圧力を掛けた為、命にかかわる問題として日本側が救済せざる得なかった。しかし、受けた温情を仇で返す様に歴史が書き換えられて伝承され日本側も強要された。この後、1981年難民条約締結を受けて1982年に国民年金加入許容を理由として、国民と社会秩序を守る唯一の国籍条項が撤廃された。蓋を開ければ、国を深部から崩壊させる抗日三国の侵略を許す為の法改正に過ぎなかった。部落差別問題、同和問題を利用し、抗日国家への愛国心を隠し持った営業右翼が「人権侵害」を逆手に取り、日本国民の人権を剥奪する為に被害者の振りをして同情票をかき集め行った、詐欺脅迫行為に他ならない。

虚言と盗用から始まった儒教大国から枝分かれした、抗日三国

『裏切る時は反旗されないように大きく裏切れ』『嘘を付き続ければ真実となる』こういったスローガンを胸に秘め、成りすまし・たかり商法を合法化させる為に弱い振りをしたり、正義人のように振舞ったり幅広く演じながら、潜伏侵略の口実をカモフラージュして来たのだ。基盤がある程度、整備されれば社会思想を仮想化する工作に躍り出た。三国が得意とする歴史に深い毒殺計画を実行する為だ。オウム真理教のサリン事件を参考に、より多くの被害を出す為に、緊急通路を封鎖する模索を重ねたが、警備システムが整った日本では実行しにくい為、市民兵を育成するようにSNS工作に踏み切った。エスカレーター両側乗車扇動をする事で緊急通路はある程度封鎖される。東京の混雑時は整列をしないと命取りである。人工高密度による韓国の圧迫死事故も記憶に新しいとこだ。また、マスクと除菌などの病理、空気汚染の自己防衛策の無力化扇動は新薬、生物兵器利権の製薬会社の株価も揺るがす惨事になりかねない事情も加味されたのであろう。コロナワクチンが単なるワクチンだと捉えている層には到底理解出来ぬ領域である。詐欺師は些細な嘘を入り口に相手の思考、行動をコントロールする事で、己の猿芝居を固定化させていくものだ。

凡人は大きなことから小さく学び、賢者は小さなことから大きく学ぶ

売国政府により、国民には危険性を知らされない病が蔓延している。国民を守る立場の者が己の立場を按ずるような腰抜けしか当選しないワクチンでも打ったのであろう。この兵器ワクチンを隠し持った婚姻関係が日本中に溢れ返っている事で残忍性を持った子どもが増加していることを知らなければならない。血脈を辿り抗日三国から受け継がれた固定概念とカルマは簡単には消えない。かつて儒教を認めさせるため、全く罪のない自国の国教の信者を惨殺し、濡れ衣まで着せ立場を横取りする残忍さを肯定引継ぎしたままだ。残忍性を正当化する為に残虐性を身に付けた宿罪は果てしなく大きい。カルマは廻り続け、惨殺された怨念を果たすように、集中して三国に同質の魂が再生している。正に『目には目を歯には歯を』である。この警鐘を鳴らすように、移民問題が世界中の同質を炙り出すように起きている。この世の間違いも正解も、全て神の計らいである。間違いは正されるまで、この世に学びの石が投げこまれる。

個のカルマが、社会へ反映される。ひとりひとりが救世主ともなれば、破壊主ともなり得る危険性を理解しなければ、生きながらに死んでいる様なものである。

国民の意識体が集結した場所が内閣であり、ここから生まれた負のカルマの終着点がスラム街という事である。政治に無関心であれば、国民に無関心な政権と成り、外的要素ばかり求める地に足の付かない国の暮らしを余儀なくされる。節操のない考えが、外部の参入を安易に許し身を滅ぼすまで食い荒らされる事態を招く。無知蒙昧な国民が増えるほど、無知蒙昧な政権や国運を生み出すという事だ。

貧困には二通りある、金の貧しさと心の貧しさだ。スラム街はただの貧困ではない。真善美の愛が枯渇しているのだ。愛に向かって生きれず、破滅に向かって生きることで命を保つしかない矛盾を抱えている。金だけ与えても解決せず。心を豊かにしようとも愛が持てないでいる。たとえ人にやさしくしても継続しない。愛の真価が見えないからだ。本当の貧しさとは人の中に存在し社会の闇と共鳴するものなのだ。人身売買、誘拐、売春取引、テロや犯罪組織の隠れ蓑としてスラム街は重宝されているのも事実だ。宗教との癒着がスラム街の温存に一役買っている。

魂は国や時代を定めこの世に再生してくる。国と人はこの世の広義の親子関係であり、止む負えない事情で里親に出したとしても我が子には変わりがない。子は親の似なくて良い所ばかり似ると言うが、その通りの民族性を引き継いでいる。朝鮮は影で糸を引き、裏切りと騙しで相手を貶め支配する。中国は相手の手柄は自分の手柄と権利を摩り替え相手を叩き潰す。日本は神の心を失った。それぞれの親を唆す悪魔が、捨て子をロッカーに閉じ込めて息絶えるまで鍵を開けない気でいる。最大の悪魔は傍観する味方である。

傍観する残忍性と便乗する残虐性

自己都合主義が巻き起こした崩壊と破綻から、再起を掛ける利権に喰らい付こうと、もがく蛆を駆除しなければ前には進まない。どんな御託を並べても破綻と崩壊を齎した事実からは逃れられない。愛の枯渇が生んだ残忍性や残虐性は外的要因だけでここまで度を超えることは無い。魂の気質を環境要因が誘発したに過ぎない。愛を感知しない魂は存在するのだ。程度の低い愛を正義とするならそれが魂階層の限界値である。玉石混合の同じ時代に生まれ生きる以上、誰もが無関係ではない。同質であることを自覚すべきか、環境要因を排除する働きを買って出れるように己を磨くかである。自己都合主義者には周囲に責任感と領域を持つこと自体が広義の愛の始まりだと思えもしないのだろう。各国の政府が残虐性を持った民度を敢えて移民させ民族浄化を促している。社会的隔離が必要な精神階層を保護するキャパは無い。それ程、肥大化しているのだ。善悪の概念を有する教育を魂が欲しなかった結果である。環境だけが悪いのではない。己の魂が選択したのだ。人生の局面で受けた温情の度合いを受け入れ理解しようともせず。いとも簡単に自己都合に書き換え、相手の思い、言葉、行動を己の階層に摩り替える愛の枯渇。周囲の評価をコントロールし敵わぬ相手に勝った気になったとしても所詮は鳥かごの死刑囚。獄中で天下を取ったところで先は見えている。それでも、我らこそ正義、我らこそ善だと信じて止まないでいる。全ては、魂の宿罪が求めた結果である。善を挫き、闇を受け入れ、闇に制される天秤の皿の上で、何を思い何を求めるのか?己の真価が計り知れる。

この世で真価を学べないならあの世のループで学び直すに過ぎない。それぞれの未来と神の義慈悲。

剣を取る者は剣で滅びるが、剣を征する者は悪を征する

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日本國よ!突き進め!

時空を超え、国を超え、人々は戦乱を繰り返してきた。真の為に戦うのか?それとも己の為に戦うのか?人は真の責任を問わずとて、己の平和と豊かさの為に隣人の平和と豊かさを奪い、いつしか人々は愛する尊さを忘れ、神を敬う善良心すら失い始めている。真の善を澄ませれば、血肉飛び散る空に浮かぶ、あの時あの時代の己の苦悶の肖像画が生きる意味を照らし出す。

この神の御慈悲に畏れひれ伏すのが、人と獣の領域である。

かつて、アジア唯一の列強国とけん制され、連なる国々が策略を企て手を常ぎ合わし、我が神国の神と人を切り離し弱体化を虐げた。時代の大国と比較にならない小さな軍力で成し遂げた偉業は魂で闘わずして得られるものではなかった。恐れるものは何もない。我らの命は英霊と神と共にあらんことを肝に銘じる限り、ただただ神の眼となり手となり足となり、神の一本道を前進するのみである。

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なぜ人は戦争をするのか?

『一つの政治的意見が一つの政治的意見を殺すのです。~略~ 政治的意見の本質は一面が気に入らないから殺すのじゃない。:三島由紀夫』

政治的思想全体が気に喰わないから殺すのではなく、政治的思想の一面が気に喰わない論争から始まった政治的摩擦が肥大化すれば、それは個と個の思想争いではなく、妥協点の見当たらない軍事的革命運動さえいとわない緊迫感の中から、古く錆びた政治的思想が死に。新しい政治的思想の改革案が生まれ、思想サイクルの時を優雅に刻みだすのだ。政治的思想とは面白いもので、癌細胞の一部を切り取れば回復する病状のものでさえ引き返せないトリックに陥るという事である。

本能と暴力

本能的な暴力とは生まれながらに備わっている生存本能、防衛本能の本能的欲求である。生命維持や種族保存に果たされる人間の自然な摂理である。原始時代から遡り、人類進化の為に避けようのなかった戦闘本能がぶつかり合う歴史の鼓動がいつしか、領土争い、資源争いに発展した。しかし現代では、衝動的欲求のブレーキとなる理性を失い。領土と資源に恵まれても戦争を止めることは無い。理性を失った本能的欲求はただの暴力である。正義というのは理性を保った戦闘本能に過ぎないという事だ。

軍需利権の旨味から抜け出せない残虐性を持った一部の人間が、本能的欲求を過剰に抑圧するなど心理術を悪用し、戦闘本能の矛先を遠隔コントロールすることで、戦争経済を世界利潤の軸とする動きが現代社会を支配している。

これに一早く乗ったのが宗教やカルト新興である。本能的暴力に虐待要素を加え、洗脳からマインドコントールが起きる状態まで、遠隔教育する事は情報権力を握ればいとも簡単である。彼らが、重きを置いたのは『隣人の工作員』の配備である。自然な形で、人の考えに侵入し意思決定を操作できるのは静かな隣人。いわゆる最も身近な者の存在である。例えば、出会い系アプリ、人を介した結婚、付き合い、友人関係、親子関係、家庭環境でさえ、いとも簡単に人の弱みを入り口に侵入することが出来る。また彼らの殆んどが『無自覚な洗脳者』である事も留意しておかなければならない。

明治時代からの帰化人によって、国内でも子ども社会さえ利用し偽史は語り継がれ、日本の誇りは矮小化されて来た。年長者の口から放たれた『それらしき物語』を誰も疑う余地がない。まさに、年長者や他者を立てる日本文化特有の善意に付け込んだ悪魔の仕業と言わざる得ない。

無知は罪なり

情報暴力、精神暴力は生き方も人も殺す最大の残虐性

支那半島民が過剰に肉体的暴力を否定し、情報暴力、精神暴力を同胞を集結させてまで、正当化する残虐性を日本人は語り継ぐ責務がある。木を見て森を見ず。小さな針を刺し続けた結果、大きな穴が開けば、それは立派な暴力以外なにものでもない。本能的暴力は誰もが備わっているが、残虐性を持つ者は一部である。

悪魔は個性を持たず、考えを持たず静かな残虐性に帰属する

悪魔は仮面を剥がせば、個性が無い。輝くのは個性ではなく、オウム返しの承認欲求ばかりである。一つの悪魔の木のように一律の思考で根が繋がっている。同質以外の個性の違いや存在意義が理解が出来ず自己の木に例え直し、相手を自分の低いレベルまで下げる自己都合のレッテル貼りをしないと気が済まない。自分とかけ離れた相手に憧れを寄せるのは光に蛾が集まる如く共依存の欲求である。問題点の根源に対して、何を見ても、何を聞いても、理解したように見せ掛ける技能を磨き結果的には、木を見て森を見ずで、御託を並べ永久的に改心をしない。自己の正当性を高めるために増悪感情を募らせ、偽善的な残虐性を漆喰に繰り返し、小さな針で他者の骨を削る執着心に恥を覚える事も無い。また、小さな針を凶器と検挙するには乏しい法の抜け穴に寄生する。隠蔽体質の集団依存を要する習性を持つ。

この世の学びを放棄した者は、あの世で学び直すしかないが、悪魔は自力であの世に帰ることが出来ない。

1937年12月上旬に起きた南京大虐殺の戦中プロパガンダに米が加わり、公文書という確かな証拠も無く日本人が引き起こした虐殺事件だと世界へ発信したが、事実は1937年7月29日に支那人が起こした通州事件の摩り替えである。通州事件には公文書が残っており、この証言や写真を使用し、支那人の罪を日本人に着せたのだ。これに米が関わったのは理由はいかにも無機質な軍事的思想である。当時日本は無双状態だと囁かれていた。日清戦争に打ち勝ち、また加盟国と共に勝戦した事もあり策士の役割を担う事も多々あった。戦時代では、敵うはずのないモンゴル大国を打ち返した。また、日露戦争の舞台を経て、強大国ロシアの勝戦国として注目され、アジア唯一の列強国と世界にけん制された。どう考えても分が悪いはずの小さな軍事力でどう強大国に打ち勝ってきたのか?得体の知れない危機感が世界を駆け巡ったのだ。その煽りを受けて、日中戦争下に起きた虐殺事件を利用し日本国を是が非でも敗戦国として虐げる必要性に駆られていたのだ。これが後に、敵国条項を虐げられ、未だに削除されることない足枷の理由の大きな一つとなった。

満州で起きた張作霖爆破事件いわゆる満鉄爆発も同じことだ。ポーツマス条約によって満州を譲度され、莫大な費用を掛けてインフラを整備し、短期間で一気に近代化させた。雇用や食品衛生、教育、医療、娯楽などを整え『夢の満州国』と希望を感じさせる街づくりを実現させた。最初は反抗していた満州民であったが、次第に心を許していき、思想を強制される事も無く、日本軍と共に暮らしを楽しんでいた。張作霖も同じく、日本軍と共に満州国を発展させようと友好的な関係は続いていた。だが、そのきっかけは、張作霖がロシアのスパイだと日本軍に射抜かれたところから友好関係は始まっている。互いに満州国建国に向けて前向きに打ち解けたのもつかの間。この関係は長くは持たなかった。兼ねてより、折り合いが悪かった張作霖の息子である張学良と日本統治が気に喰わなかった中国国民党の蒋介石がロシアへ張作霖を垂れ込んだのだ。日本との二重スパイとみなされた張作霖を爆破し、その罪を日本に着せる目論見を悟られまいと支那新聞は抗日的排外思想を煽った記事を捏造しながら大きく報道した。これによって、事実を訴えかける日本軍の声は掻き消される事となった。だが、事実が動くはずも無かった。現場で発見された爆弾はロシア製であった。また、GHQが禁書とした当時の書物の中から『昭和六年九月十八日午後十時、支那兵が我が満州鉄道線を爆破した。奉天北方支那兵営北大営をへだたる約千五百メートル柳条湖の近くの線路である。』と記されている。また近年になって、当時のロシア製爆弾と爆撃被害の証拠から検証し直すと、柳条湖の線路で起こった屋内爆発であった事が大きく示唆されている。線路に日本軍が仕掛けた爆弾とした支那兵の証言は物理的に整合性が無く、当時の日本軍の証言通り検証していれば近代の検証に持ち越さなくとも支那兵の自作自演だという事は整合性を持って理解が出来たはずだ。どちらにせよ確かのは、満鉄爆発で日本軍は何も得をしない、寧ろ損失の方が計り知れない。だが、二重スパイとみなされた張作霖との関係性をロシアに詰められれば、再度、強大国ロシアとの戦争に参戦出来るほどの財力は満州に費やしたため残っていない。連盟などの国際的しがらみから、最後はこの茶番を睨め付けながら飲み干すしかなかった。

強国モンゴル来襲時の鎌倉武士を始め、二・二六事件からでも分かるように、日本軍は後ろから人を刺し殺すようなまねはしない。殺す相手に警告し宣言し妥協点を提示した上で交渉炸裂した場合武力攻撃を行う。これが侍魂を引き継いだ皇軍の闘い方だ。

お天道様に恥じない生き方、お天道様は見ている

太陽神であられる総合神、天照大御神様を胸に刻み歩んできた誇り高き日本先祖は確かに存在する。情報、精神暴力が日本国民の自虐性を虐げられ、戦後も尚、数々の残虐性暴力を受け続けて来た。汚名を着せられた悪夢から敵は城の至る所に存在する。しかし、鎌倉武士が呼び起こした神風や、原爆投下後の被爆症で生と死の狭間の苦悶を枕崎台風が流し、我々は神の情けを賜って今に至る。日本総人口1割しか、このルーツを引き継ぐ者はいないだろうがそれで十分だ。世界を見渡しても国内3割ほどしか、国のルーツを背負う者はいないがそれで十分だとは思わぬか?

移民は水槽内の生態系を破壊するのと同じことだ。神は残虐性を持つ水槽を壊したのだ。神の意志を冒涜する事は出来ない。溢れた魚を真の正義で裁き、全水槽の生態圏を再生させなければならない。

人間の犯した過ちは、人間の手で始末を付ける。

戦争の平和利用は、戦闘本能を残虐性に的を絞って利用する事に限る。悪魔がこの世に産まれ続けるのは、偽善に埋もれた残虐性を逃し続けたからである。

さて、どの国が、神の正義を果たす世界最初の最強国となろうか?見物である。

Желаю  тебе  успехов

神社は我が目玉だ 返せ 返せ。 

森は我が心臓だ  返せ 返せ。

水は我が血流だ  返せ 返せ。  

土は我が心だ  返せ 返せ。

澄んだ空気は我が肺だ 返せ 返せ。     

返せないなら 己の目玉をよこせ  心臓をよこせ  血流をよこせ  心をよこせ  肺をよこせ 

國の誇りは 國津神との臍の緒   

日本國よ 突き進め

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台湾有事

台湾有事を前にして、日本はどう動くのか?遥か昔から警鐘が鳴らされていたのも関わらず、いくら待てど具体案が出ず、金や避難民受け入れで手を打つのか否か。日本政府は支那カルト政府同義である事には変わりない。視点を日本人視点ではなく支那カルト視点に置けば、台湾を斬り捨て、米に中途半端に媚びながら中国と合策する事は目に見えている。

1894年日清戦争後、清に勝利した日本国は北京か台湾の二択を迫られ台湾領土を統治する事となった、その際、日本軍は台湾風土のマラリア、赤痢、脚気が原因で戦場よりも多くの命を落とす事になった。その後、反乱民を抑え日本文化を軸に急速にインフラを整え近代化させた。安泰したのもつかの間、第二次世界大戦日本敗戦後、日本の植民地から手が離れ中国へと渡った。その際、台湾人が築き上げて来た資産を強奪しポケットマネーを膨らませ、台湾紙幣の価値を暴落させ、職を奪い一気に貧困化させた。日本と台湾融合の文化は徹底的に破壊された。日本の奉仕教育が強奪主義に様変わりし、反乱を起こす者は非人道的な扱いを受け暴力的に処刑された。地獄絵図のような渦中、更に中国本土から移民が押し寄せ、台湾人が虐げられた環境は更に悪化した。

※中国内で共産党(中華自民共和国)が勝利し、国民党(後の中華民国)が中国から台湾へ移住する事となった。台湾の先住民はフィリピン、インドネシア由来で構成されていた。

犬さりて 豚きたる

犬さりて豚きたる:当時の台湾社会の流行語:日本植民地の時は日本人の指導は犬の吠える如く、やかましかったが、台湾の平和と秩序を守る番犬になり役に立った。しかし、中国人は台湾を豚のように食い漁るだけで何もしない。貪欲で汚い。という意味。

現台湾は民進党(台湾人で構成)と国民党(中華民)、中立の政党の存在が政治の注目を集めている。台湾の半数が反中派であり、中国の浸透工作に警鐘を鳴らす動きが活発であるが、SNS情報操作、金ばら撒き浸透工作により半数の者が無関心又は台湾有事など来ない、中国とは友好的だと信じて止まない隠れ共産党の層が残りを占めている。歴史から学んだはずの危機管理能力を投げ出している現日本と似た危険な状態である。

日本国が、かつて神国と呼ばれたのはスピリチュアリティが高かったからだ。第二次世界大戦敗戦の要因の一種が台湾の地に蒔かれ放置されて来た事を大いに恥じなければならない。他国で、生物兵器でもない赤痢、脚気、マラリアに侵されるという事は『これ以上踏み込むな』という霊示である。支那工作にそそのかされ軍需利権に酔いしれた挙句、道を誤るなどこれほど愚かなことは無い。清は鼻から日本軍に台湾を取らせ、第二次大戦で廃退させるよう天皇特権に寄生し台湾領土と米の支援を手中に収めるつもりだったのだろう。神は常に天と地、陰と陽、善と悪などの対なるものを個の身近に置き霊性向上を試し続けるものだ。

正義の闘いか、欲得の強奪か

この世の次元に存在する以上、不毛にも争いは避けれない場合がある。中国が台湾領土を再度狙い有事は高まっている。台湾侵攻の次は日本である。かつて日本軍の撤退により中国からの危機に晒された台湾を支援したのは米である。そうした歴史に野心を紐づける事無く台湾は、災害支援も含め日本に紳士的である。台湾有事で日本国が取るべき行動は米と共に台湾を守る事である。問題は敵国条項と日米地位協定の足枷に加え、日本政府の状態が支那カルト政権の王国だという事だ。台湾から避難民を受け入れたとこで、国内の工作員に何をされるかは分からない。直接手を出さなくとも、情報搾取をし嗅ぎまわるのは目に見えている。物資支援と言えどもそもそも国内自給率、生産率共に雀の涙ほどで自国民すら貧困状態だ。入り乱れた移民によりテロ無法地帯となった国に歓迎するなど無責任なことは出来ない。唯一出来る事と言えば、人員支援である。台湾空機は中国に比べ不足していると聞く、そこを補足支援する事も想定内の案だ。だが、一番は人手不足の解消への尽力だ。日本国内の支那カルト工作員を総動員し、台湾軍人を安全領域から出さず、最前線で独立して人員支援に尽力する場面に想いを馳せるところだ。米の内在、日本内在、台湾内在のテロ、支那カルト工作員を一気一同に中国に送り返す刀で最前線の大玉の花火が最大の防衛となろう。何も恐れることは無い。世界中を24時間365日常に誰かや国を姑息なねぐらで殺し続けているのだから舞台が最前線に変わった所でやっている事には変わりはない。

神国においては、霊示により選別される者たちしか殺生は許されず存在しないに等しい狭き門である。しかし、他国においては魂の正義かどうかが神の審判に掛かるところだ。要するに、殺める者の選別を見誤らない事が最重要素となる。

戦争は起きない事が最も好ましい。だがしかし、悪魔祓いは避けては通れぬ人間界の愚かさに、いと哀しい限りである。

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鎖国関税

トランプ関税とも言われる条件が世界に叩きつけられた。そこで、どんな反応を示すかで各国頭(かしら)の度量が見えてくる。地球生存問題に関わる環境問題は瀬戸際である。国内生産、自給率が国内完全完結型の国体制が問われ続けている。そこにトランプ関税のトラップにハマり、日本政府が出した答えは「日本を舐めるな」である。さすがは、支那カルト政府の度量はおちょこの裏ほどである。日米地位協定、敵国条項を解かずして何をほざいているのか期待通りでもある。

日本の国内自給率は実質30%を切っている。国内生産率も外資、外国労働に頼り切っている。原発存在と同じだ。頼る必要が無いのに、依存させられたままである。1945年からGHQの支配下によりWGIPは執行されてきたが、マッカーサーが永久に生きているわけではない。大統領が変わる度に、日本独立のチャンスは音連れている。それを蹴っているのは、中国共産党利権屋や支那カルト利権屋そして、日本軍需産業利権屋たちである。また、宗教屋と軍需利権屋はセットである。末端信者は教祖様の言葉に酔いしれ、教典に人生を依存させ、正義の如く我が子も世界も地獄の底へ引きずり込む群衆心理操作の策略の駒でしかない。

明治時代の日本内閣制度制定から支那帰化人の日本政権侵略は色濃くなった。世界水準に合わせた内閣制度にすることで侵略しやすい弱小国家の道を歩み始めたのだ。第二次世界大戦前の日本の戦争意識は現在と180度違い、戦争経済をどう活かしていくのかをひとりひとりの国民が自覚し、個々に肯定と否定の両面の意見を総合した上で国運に自発的に望んで溶け込んでいた。ゆえに日本に魂のルーツが無い者は侍精神に呼応せず、洗脳の一部だと表面的にしか捉えることが出来ない。選挙権は男性が取得し、女性は家庭を守る事で人間本能に沿った役割分担を熟していた。また、選挙資格を持つ者は周囲の民意を反映する役割を買って出て、政治の話が日常会話から尽きることは無かった。酒を囲み、良く知らないような相手とも論議を交わし、誰もが国運と共に生きる大人としての責務を果たそうと懸命だった。戦前の日本人と現代人の大きな違いは自発的な責任感と、主体性の理性的な発展の有無である。現代は、群衆心理という集合体の平均値が主体の軸に存在しており、個性の欠片も存在しない。弱体化徴兵制度に向けた責任逃れをする義務教育の賜物と言えよう。

さて、現代軸に話を戻そう。冒頭でも記したように、現日本政府は支那カルト政権そのものである。WGIP名残の米からの圧力を利用し、いわゆる内在中国政府と外在中国政府が手を組み米とロシアを手中に収める事で連携を強めている。内在中国領土、権利を一撃すれば支那カルトの力を弱めることも出来る。世界に散らばるテロカルトが世界犯罪や各国の国家反逆罪の元凶である。これを捉えるには、日本国内に分布する支那カルト、中国侵略部位を撲滅する事が中枢神経に有効的である。

しかし、問題は日本国は国家反逆罪を処する軍事指揮が取れない上に、既に司令塔が侵略されている。支那侵略とは別に、米軍基地の存在、米軍の上空利用、そして国内軍事力も持たない。当然、日米地位協定、敵国条項を度外視する訳にはいかない。GHQ後から、日本国は様々な不条理を突き付けられ虐げられて来た。しかしながら、米から受けた恩恵も計り知れない。それに比べ中国支那は邪馬台国時代からずっと日本国を貶め続けている。恩を仇で返す、盗用、捏造、改ざんスタイルはずっと変わらない。現代では、日本国に留まらず世界の元凶である事が各国で明らかにされている。そして、儒教思想の各宗派への解釈がテロカルトに発展するなど、より一層民族性の悪玉を世界規模で培植させている。これに合わせて現在隠蔽された加害性人格異常者の推移も世界トップである。つまりは、社会的隔離が必要な層が日本国内にも移民帰化し無法状態なのである。

世界が一斉に目を向けるべき問題は地球生存に関わる環境回帰問題である。トランプ関税は各国、自国カルマに向き合う良きタイミングである事には変わりがない。国内完結型の生産能力の回帰に一点集中する事で、生産の原点である環境問題に触れずにはいられない。環境汚染は中国がダントツトップである。それに道連れにされる日本国。支那カルト政府が環境回帰に一心に取り組んできた日本の企業努力をどれほど裏切って来たのか計り知れない。いや日本だけでない。世界中に留学、外人労働、宗教、難民を装い情報工作員を分布し各所の盗用、情報かく乱による静かな侵略戦争を仕掛け続けている。はっきり言おう地球改善に邪魔である。

これから先の日本に戦争は必要ない。日本神の宿らない領土も必要ない。多国間との相互補完の関係性が保たれなければ鎖国が当然の選択である。世界は何よりも優先して、環境に目を向けなければならない。それを私利私欲で邪魔する層が人口削減数に一役買う事はゆるぎない事実である。

我々は、十分過ぎるほど警告を流し続けて来た。だが、悪魔から人間脳に発達しない事だけが浮き彫りとなった。

追記:『イラン攻撃は終戦に必要だった。日本への原子爆弾も終戦に必要だった。同じことだ。』このトランプ氏のトラップ発言に、狙い通りテロカルトが喰い付いた。核保有違反に対する犠牲者ゼロのイラン攻撃と殺傷能力、原爆症の兵器研究が目的であった日本原爆投下との比較図が成立しない事は子どもが見ても明白である。つまりは、テロカルトは存在しない空論に自己都合依存するゾンビ思考だという事だ。

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ループ

幻想の森に身を潜める影の群れ、人間世界を羨み妬み嫉み怨霊の火を道しるべに人間世界に歩みを進めて来た。幾度生まれ変わっても、己の罪を認めず、謝罪せず、償い続けようとせず、責任逃れの道を歩み幻想の森をループする。幻想が魅せる偽善に心を躍らせ、偽善活動に自己顕示欲を募らせ承認欲求を満たしていく。そこに何の価値があるのか、何も変わらない。何も聞こえない。何も考えられない。

生きながらに死んでいる影の群れ

無条件で神に愛され、神に値する存在だと神に認めさせずにはいられないのが悪魔の性質。神の真似事をし、神を理解したかのように教典を引用し、人のトラウマに寄生し、霊的現象を起こし、いかにも自分が救世主や天使としてこの世に産まれたかのように振舞い、承認欲求を満たせば、神に値するかのように知った口を叩き自己顕示欲を満たしていく。

悪魔と言うのは、一言で言えば『改心しない知能界隈』に尽きる。いや、改心出来ないと言った方がより現実的である。自分が原因の問題ごとは決して謝らない。指摘サイドの揚げ足を取り、自分の過ちを他者投影する事だけに終始集中する。その性質を悟られまいと、見える偽善活動をすることで、偽造工作達成感の為に承認欲求を満たそうとする。

偽善活動家は必ず、群れる。ひとりで何かの誰かの為に役に立つ行いはしない。善行と言うのは神と自分の間だけで行い、誰かの何かの為に己の精神性を向上させるものである。ましてや、スピリチュアリティを高めようと学ぶ者の中に偽善活動を行うような者は即破門である。己の身勝手な偽善行動が、高め歩む者たちの社会的信頼を低迷させる事すら配慮出来ない知能界隈が救えるのは的屋の金魚ぐらいである。迷惑以外何物でもない。いかに今まで、中途半端な視点で霊訓を知った被っていたのか傲慢さが如実に表れる場面だ。

木を見て森を見ず

子ども社会の問題が浮き彫りになり、子ども食堂の件数の多さが報道され、そこにカルト利権が群がっている鬼畜さに警鐘を鳴らす声は増え続けている。それに逆行する偽善家たちは、本当に救うべき子ども達を見捨てて来た大人たちのカルマ集合体が見事に雁首揃えて並んでいる。子ども食堂が存在し、増加する事で支那カルト政府は『育てられない親を助ける国を演出』し、子どもの親権を親から奪い国の所有物として法で定め、支那スパイ教育の流れを作る為に、カルト利権と共に公金を垂れ流している。給食混入事件や給食難民、貧困被害を造り上げた主犯が救世主としてカルトを国認定させ、羊が順応したところでテロ国家にするつもりなのだ。現に、子ども食堂を利用する家庭はカルト、宗教の生態圏であり、本当に必要な子どもの救済には至ってない。無関係な家庭の子どもが利用するなら情報搾取をされ、人身売買、集団ストーキングリストなどに悪用されるか、いじめ犯罪の被害対象に踊り出るようなものである。フードバンクや炊き出しも存在する中、そこの支援に真髄に取り組まず、わざわざこれ見よがしに『良い人やってます広告』の為に、血税を浪費し、支那政権が目指すところの国家独裁監視社会にまで間接支援しているのだからご立派な知能界隈である。

小さなコップが注げる水は少ない。

いつも誰かが何かが偽善活動の尻拭いをし続けている。これを指摘しても、聞く耳すら持たないで集団依存の三羽ガラスで共鳴し合い何度も同じことを繰り返す。偽善の寄生によって潰された政党も企業も人も技術も産業も自然も存在する。それでも、省みらず偽善の種を撒き続けていく。この世で学べる事はもうない。あの世に置き忘れた約束に心宿すことも出来ないのだから。

サービス精神の無さ

マザーテレサが日本に来日した際、道端で掃除をする人を見掛け、不思議に思い。なぜ、自分の庭でもない道端を掃除しているのかを尋ねると『掃除するのは、当たり前の事だからです。』とその人は笑顔で当たり前のように答えた。その返答にマザーは奉仕の心が日本人の根底にすでに存在している事に大きな感動と希望を感じたのだ。だが、帰化人通名制度が活発になり支那思想が参入し、謝れない文化、間違いを当たり前に正せない穿ったモラルを虐げられるようになった。自分を正当化する為に、相手に自分の罪や劣等感を投影する。それを見て同胞は注意をするどころか束になって、ひとりを多勢で罵り貶める。居心地を悪くし社会的排除をする親を見て子どもは善悪の概念が育たずに、悲鳴のような声を上げ社会にSOSを出し続けている。子ども社会や社会全体の幸福を真に願うのなら、破壊するしか脳が無い戦争経済や支那侵略に立ち向かう事が筋ってものだ。飲めないなら、日本から出ていけ疫病神。神国のカルマは厚顔無恥の馬鹿には担げない。

この世のカルマは人類全体で向上しクリアしていかなければならない。何を見聞きしても何度指摘を受けても神の真偽に沿えない階層は最初から生きながらに死んでいる影に過ぎない。

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悪魔大祓い

悪魔祓いとは宗教や民俗信仰において、悪魔や悪霊を祈祷や儀式によって追い払う行為。世界各国の文化に存在し宗教などの信仰思想によって名称や様式は異なるが総称して悪魔祓いと呼ばれる。

信仰思想の扉の向こうに歩みを進め、悪魔のオルガンが鳴り響く運命共同体に身を委ね、ステンドグラスの逆さ絵に人々は神をみるのであろう。

神の獅子が暗黒で悪魔を喰らう姿に光の愛が溢れる

宗教家が巻き起こした悪魔のパンデミック

世界中の各宗派の宗教家数は現在世界の8割の人口数に達するが、神の真理に到達する者はいない。神と人との関わりは己のスピリットに神我を反応させることである。イエスやマザーテレサが集団崇拝に警鐘を鳴らした真実は時代を経て放置されたままである。各々が内なる悪魔と闘い。内なる神の手となり足となり目となるように己の精神性を己の責任で己の人生経路で高めるのが真の信仰心だということだ。その手法や答えが教典に記されているのではない。あくまでも時代に合わせた政治統一の陰に潜む偶像信仰思想に過ぎない。

神の愛に生きたマザーテレサを人身売買の闇を抱えた偽善者だと揶揄するオカルト信者の浅はかさは宗教派閥の期待通りである。マザーの願いは施設で暮らす子どもたちの真の幸福であった。子どもたちは家族愛に飢えており、どんな神の話よりも家族を欲していた。各々の事情で家族を失った心の傷はあまりに深く暗かった。家族の温もりを欲する子どもの願いは罪なのか?マザーは子どもの闇に寄り添うように神に一心に祈りを捧げ続けた。養子縁組の奇跡に心躍らす子どもたちの笑顔を重ね、来る日も来る日も願い続けた。どんなに待ちわびた事か、ようやく願っていたチャンスが音連れ、輝くような笑顔を残して多くの子どもたちが新しい家族の元へと旅立った。マザーは手紙を書き、面会を定期的に行い。笑顔に曇りは無いか、言葉に偽りは無いかを確認していた。だが、時代は複雑であった。紙は貴重で何度も出せるわけではない、返信が望めるわけではない。子どもたちが熱を出した時に不備なく医者を呼べる財力を持った家族が優先的に養子縁組に選ばれた。しかし、マザーと子どもたちが望んだ世界が各家庭に広がっていたのかはマザーにも真実が見えないままだった。マザーはもし偽りの姿を見せられていただけに過ぎなかったのならば自分自身を悔やんでも悔やみきれない現世の闇を月の湖に照らし続けている。施設存続も危うい時代だ。子どもたちの未来を考えたら新しい家族に希望を乗せる事に罪はない。しかし、子どもたちの思念に悪魔の誘導が掛かっていたとしたら?

悪魔は善意を利用する

イエスの人生は神との対話が全てであった。厳かに神と心を精通させ人生を豊かに彩る絵画の筆のようなものであり、外部にひけらかすような俗物ではない。外部はいかなる立場においても神との対話をアシストする橋渡しの領域を超えてはならない。何故ならば、相手の魂の学びを奪い取る事になるからだ。また、決して宗教的弾圧を犯すような群衆心理の道具になってはならない。だが、イエスを弾圧した宗教家は神の掟を全て犯している。それどころか、既存宗教で犯してない宗派など存在しない。さて、軍需利権に宗教利権は付き物であるにも関わらず『神の教えを布教する神に仕える者』と称するのは水と油を混ぜる如く合点がいかない。神は教典の二次元ではなく高貴なエネルギー体として共に存在する。神が示すスピリットへの務めを果たせないでいる限りWHO人口削減計画に黙認を貫く陰謀者と呼ばざるを得ない。何故ならば、生への依存、病や死への恐れをスピリットの学びに合わせて説かなかった結果、医療のカルマが膨れ上がり人口増加問題を引き起こし、人口削減計画実施に至ったのだ。神に仕える者とは肩書ばかりで神と対話出来ていない証である。また、小児愛者は宗教家から始まったと言っても過言ではない。宗教的抑圧からの性衝動が穢れがない子ども達に向かった鬼畜の事実を隠蔽し続けて来たのだ。宗教の仮面を剥がせば悪魔の遊園地に過ぎなかったという事である。

AI搭載の神を信仰するニューワールド

悪魔の楽園は中国を中心にAI世界統一国として完成を迎えようとしている。AI管理を必要とする障害アシストに限らず、人々の日常を完全に支配するようになればAI紛争や戦争を仕掛けやすくなる。開戦終戦の仕掛け役は人間が造ったに過ぎないAI神である。殺人成りすまし、盗用成りすまし、技術盗用、人身売買、未成年結婚売春などの情報売買が安易となり中国やテロが得意な分野で世界の利潤は回り始める。では、他国がイニシアチブを取れば事が前に進むかと言えばそうではない。中国の武漢から始まった生物兵器コロナパンデミックのカルマを被りたい国がどこにいるのだ?それだけではない。臓器売買、人身売買、未成年結婚売春斡旋、売春斡旋、情報操作、ハッキング、技術盗用、他国間摩擦誘導、カルトテロ扇動、環境汚染回避拒否、人権加害侵略、人口増加問題、人格病など大きな課題は後を絶たない。世界統一とは運命共同体になるということである。その尻拭いを全て行わなくてはならないのが王座の役目。しかし、それをAIに肩代わりさせようというのだが、当然カルマ解消には一ミリも響かない。人類が大きな船に乗り自滅の運命共同体を共にするだけである。人間がしたことは人間が始末を付けなくてはならないからだ。

日本の事例を見れば一目瞭然である。日本の政治も司法も、教育も、医療も、日本人の意見は今では一ミリも通らない。全て中国支那式だ。飲食店や不動産、水質、環境汚染、銀行、神社でさえ日本人のアイデンティティは盗まれ意見は通らない。産業も農業も技術を盗まれ畜産や漁業でさえ瀬戸際である。カルト監視工作、精神加害により冤罪を掛けられ社会的排除に追いやられた自殺数は2~3万人を毎年計上し続けている。ここに未成年の自殺数も加わったが近年はカウント数すら大幅に有耶無耶にしている。他国に対しても、帰化人の通名制度を利用し日本人の信用は破壊され続けて来た。だがしかし、これで日本は終われない。目に見えるものはいつか終わりを迎える。本来の日本はスピリチュアリティに溢れていた。持ち前のアイデンティティで他国間の摩擦や問題点を改善支援してきた歴史がある。日本に核など必要ない。原子力を使った脅しも必要ない。必要なのは悪魔払いである。

悪魔に慈悲は必要ない。必要なのは悪魔払い。

悪魔の餌の流れを一斉に封じ込め、神の騎士の二大巨塔が連携する時、龍国を目に東の騎士が一匹も逃さず流れを封じ、西の騎士が悪魔の巨体にいくつかの穴を開けた時、光の龍と獅子が扉の向こうに悪魔を送り込み、地球生命体が息を吹き返す光の時代が幕開けとなるであろう。

神の獅子が月夜に舞い踊り、いくつもの夜を光を求め歩き続けた。道の途中、光を与えようと申し出る者が現れたが、目付きが気に喰わずに嚙み殺した。また道ながらに王冠を与えようと申し出る者が現れたが、声色が気に喰わずに叩き殺した。そのうち、光が見え神の門に吸い寄せられるように歩みを進めた。その途中「迷いは無いか?」と神に聞かれ、神の獅子は微笑むように頷き門を潜り抜けた。

獅子は悪魔が魅せる幻想に打ち勝ち、いつもの調子で神の元へと旅立った。

全ては内なる神との間の事

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