月精陽精

月精・日(陽)精

月精は男子、日精は女子とあるが、人間界における男女で産まれる学びは陰の性質を活かし陽を学び、陽の性質を活かし陰を学ぶ、魂の理が人間的解釈によって生じたものである。人間界での陰とは女子であり、陽は男子である。この度の再生魂に無いものを学ぶのがこの世の役目である。要するに、男子の性質を持って女子となり元来の霊的男子を求め、女子の性質を持って男子となり元来の霊的女子を求め、互いに習い愛を育む事で陰陽の学びを成熟し、産まれた役目をひとつ果たす事になるという事である。ろくでもない相手ばかりを加護するのは己の魂の経路がろくでもないからである。要するに、相手の性を通して己のこれまでとこれからの魂を体現しているのである。

両性質については、陰の性質を陽で果たそうとせず、陰の性質で果たそうとする魂の欲求である。欲求と役目の狭間で藻掻くも、人間の学びである。人間が人間を愛する事に条件も罪も無い。愛の苦難が有るとするならば、引き合う階層値の横旅、真旅の混濁を有する人間特有の固定概念と支配欲で満たされた執念深さで生じるものである。

月精

人間の命は水から始まる神秘の愛

胎児を守る羊水が波立っているのか 透き通る愛に満ちているのか 

離れる事なんて出来ないのに 引き剥がされたあの痛み 

暗闇の中で溺れ藻掻きながら、愛を護る為に、愛に傷つき、愛に裏切られ、愛によって救われ、愛の偉大さに感歎の奇声が明日を紡いでいく

泣いても笑っても 愛はどこにもいかないはずなのに孤独を拭えるほどの光は見えてこない。水の如く愛に触れないと枯渇する愚かで愛しき生命体の雫たち。

神水を奪い合い、愛を虐げ、愛を利用し

生きる根源から愛を奪っていく儚げな生態系の不純物。

月の精が陽の精に恋をし、愛を知った時月明かりがこの世の愛と光を再生し

人類は感歎の奇声を神に届けるのだろう。

陽精

月が生命を宿し、陽の光が生命を育む 

肉我を覚ます陽の光が 魂に囁き問う 

下を向いても、上を向いても、陽の光は人の心を炙り出す 

優しくなれない自分  優しくありたい矛盾を葛藤し 

照り返される灼熱が 血肉を這う源となり 曇り空の合間に 月に恋をしてみる。 

心は安らぎ 解放と再生に愛が芽生え 月の魅力に抗えず

どれだけ月を想い 光を生み出し続けても 届かぬ思いに 照らす事さえ雲の合間。  

果てしない孤独を抱え 同じ悲しみを抱きかかえ 愛を揺さぶり起こす光に悶えながら 抱えた孤独達と 無償の愛に辿り着く。

月と陽の光が重なる事がなくとも 陽の光は愛で深まる夕焼け空

七夕伝説の儚くも確かな真実の愛に触れ

月と陽の恋模様が空を彩り謳う。

神の眼となり、脳と成りませう 我が命枯れるまで 月明かりの下 陽の精を呼び覚ましてみせようぞ 奏でる祝音に耳を寄せれば 人霊向上の時来たり  我が命これ以上ない愛を知る。月夜の精が光と愛を再生し、陽の精が光と愛を産み出し こぼれ落ちた雫は見果てぬ虚無と成ろうぞよ。天晴れ、天晴れ、神に奉納する我が人生。

今世も来世もあの世でも過去世を紡ぎ 月と陽は恋をする。

帰化人子孫の行方


愛する者と見る景色はいつもよりずっと美しく鮮明な光の世界である。喜びも苦しみも無限に拡がり、魂を捉えて離さない愛に炙り出された闇が光に転じる歓びを噛みしめ、愛の種が咲き誇る世界を拡げる責務に、誰もが誰もの愛を望むようになる。大霊の一部に帰幽する真理の愛に背を向け、どうして、愛に裏切られた天使をあざ笑う事が出来るのだろうか?偽りの愛が希望と愛を奪っていく残忍さが、闇に光を当てない残虐性を産み出し続けている。

小さな悪に気付けないのは、大きな愛に気付けず、己の悪を愛しているからだ。

人間がこの世に生まれ生きる理由はたったひとつ愛である。愛に傷つき、愛に救われ、愛する苦楽が人生に意味を宿し、生きる責任と希望を光輝かせれるのである。誰もが、誰かとの縁組を求めこの世を流離うが、本当の愛に辿り着くことは中々できないでいる。浮気や不倫、精神加害や肉体加害、裏切りや不正など大きな壁にぶつかる事で人は愛のハードルを下げようとするが、人間は消費期限付きのスーパーの割引商品ではない。下げてまで誰かに買ってもらおうとせず、同じ未来の相互補完を歩める人を探すべきである。人生と言うのは、折り紙のように折って切れるような部分的な御楽ではない。因果応報が過去世から現世の行いまで、遺伝子のように生命に張り巡っているのである。国のカルマが民族性に組み込まれ、個人のカルマが個性を創造する。

この世の不幸も幸福も降って湧いたものではない。過去と現在の自分の一部と自分自身が人生と未来を形成し続けているのである。

反日国家の帰化人子孫のカルマは残忍性を擁護する残虐性である。日本国は世界で唯一の被爆国であり敗戦国である。これを機に反日民の多くが日本国に残り、破壊兵の子孫を増やす種となった。日本国の税金を使い破壊と侵略する計画は自国の自転車操業を晴らす為、遥か昔から緻密に練り上げられて来たのである。原爆が落とされる前に日本軍は降伏宣言を伝達したが、日本人に成りすました破壊兵が情報操作を行った事でGHQには穿って届き、回避出来たはずの原爆が空襲警報も無く2度も無情に落とされた。ヘドロ化した地獄絵図の断末魔が絶え逝く中で、愛の走馬灯と一瞬で終われない千切れ果てる命の境でどんなに苦しい想いをしただろうか?何をしたって耐えがたい光景が被爆範囲を埋め尽くし、やり場のない哀しみと怒りは日本中を覆った。優れた策士力を持った日本国が強国として友好関係であった国々や列強国からも目を付けられ、このようなジェノサイドを受けても多国間で正当化され孤立無援状態になった背景には、やはり破壊兵の工作が存在していた。かつて、自国民を斬り捨て腐敗させていた地域のインフラを日本国が投資して整備を行い、人間らしく生きる権利を呼び覚まし、世界に通用する教えを育んで来た温情も逆恨みし、大虐殺を行うだけでは足らず、旧敵国条項という足枷を嵌められた有様を陰でほくそ喜ぶばかりであった。

現在でも、残忍性は変わる事無く、生きた人間から臓器を取り出したり、生物兵器で世界中の民を大逆殺しても我関せずの残虐ぶりである。

前例の無い原爆は未知数の非人道的兵器であった。情報操作の先に、何十万人という罪の無い尊い命が奪われる事を考えれば、まともな人間なら出来もしない大罪である。日本軍は反日国民に成りすまし大虐殺を行った事も無い。ましてや、敵国であろうが、退避優先対象の女、子どもをわざわざ狙う事も無かった。だが、反日国家は違う。気に喰わなければ、自国民であれ、全く罪の無い女、子どもさえ構わず焼き殺す様な残酷さで財を成してきた。犯した罪が暴かれ都合が悪ければ、日本国に責任を押し付け世界の体裁を守って来た。日本人に成りすまし、人の皮を剥がし、いたぶり殺したり、人肉を漁る鬼畜さを保身の為に黙認し、団結して責任転嫁する歴史を積み重ね、罪を認め反省する事も無い。かつての日本国の立場を寝取った妄想を大胆に発信する事で無知層を洗脳し、説得力を持たすために日本国の技術を盗用独占した劣化模写を武器に、裸の王様は時代に逆行した次元の低い思想観を拡大する為、世界を股に掛けている。

時を経て、破壊兵が帰化人となっても日本人への排外攻撃は止むことは無かった。月日を重ねるごとに隠蔽工作が巧妙になり、警察沙汰や裁判にならないような穴を潜り、日本人の同情を誘い、友好的に見せ掛け、陰で裏切り悪用する事を繰り返し、難癖を付け漆喰に攻撃してくる為、日本人から距離を置かれたが、人種差別だと同胞で団結し公金や示談金を蝕むようになった。それでも、自国に帰国を認められない不遇な事情を察し、多くの日本人は耐え忍んで受け入れ続けた。生活が整えば精神も穏やかになり、同じ人間同士暮らすしかないと考えていたからだ。人が悪いのではない、戦争が人を悪魔に変えたのだと。しかし、日本人の温もりは何をしても届かなかった。

日本人の中にも当然、悪魔は存在するように、反日国家にも天使は存在する。国のカルマが違えば具現化される悪魔も種類が違う。日本の悪魔に隠蔽的な姑息さは無くどちらかと言うと鬼に近い性質である。国内で制圧し、国外に出さない事が原則であるが、テロカルトが集結したイルミナティという実態の見えない犯罪網が真逆の事を行い、世界を悪魔で埋め尽くそうと移民政策を世界中に虐げているのである。刑務所や精神病棟、施設などが、絶対必要な犯罪者や悪性型人格異常層は世界中でキャパオーバーである事に目を付け、この層を使い政府機関、政治政党などの関連機関に寄生させ、公的機関を機能不全にしたのだ。特に人格異常層は犯罪予備軍として厳格な監視と管理が必要な層である。知能犯は人格異常層を使い、集団犯罪、連携犯罪、凶悪犯罪を組織化するからである。社会愛とは犯罪者に犯罪をさせない社会造りと厳格な養育システムが必要不可欠である。善悪の概念が欠落した人間に公民権を与え、社会貢献の責務を果たさせる限り犯罪はより巧妙化し凶悪化し続ける。与える側だけでなく与えられる側も注視しなければ事態は収まらない。

1970年11月25日、世界の100人に選ばれ、三島文学を生んだ三島由紀夫氏が自決した日である。破壊兵の種として日本国に置き去りにされ、自国に斬り捨てられた反日民に一番寄り添った人物である。三島氏は現在の日本国の腐食や世界の疲弊がありありと想定出来ており、国々の特性と世界の動きを掴み因果関係を暴いていた。だが、あらゆる根拠を示し、同じ人間として根気よく寄り添っても、反日民は三島氏の同情心を誘いあざけ笑うだけであった。日本人への残忍な排外主義は日毎増し、被害者が出ても敗戦を理由に大目に見るしかなかった。三島氏が憲法9条戦争の放棄を撤廃し、自衛力の高い憲法改正を社会に訴え自決した背景には、非人道的な破壊兵の成長拡大から英霊が命懸けで守った日本人を守る為でもあった。自決にまで至った理由は短絡的なひとつの事由に収まり切れないが、性善説が通用しない残忍性と無生産さに寄り添ったケジメを皮肉交じりな小説の結末の様に未来の日本人に継承したのである。日本の文学界を牽引し世界で称賛され、カリスマ的政治見解は現在も群を抜くばかりでなく、解き暴いた因果関係の末路が現実となっている。戦後の光であり、全てを手に入れた天才が死を持ってでも伝えたかった事は果たして現代の日本人に伝わっているだろうか?また、英霊が未来の日本人に想いを託して飛び散った命の重さを理解する愛がどれだけ残っているのだろうか?現代人の様に、誰かが用意した答えにしがみ付き、短絡的に物事の良し悪しを断言する浅はかな人間で有り続けていいのだろうか?

三島氏が存命であれば、長く掛かっても楯の会の抑止力は国民を扇動し、浅はかな国民を正し成長させる事も出来たであろう。例え、現在の様に破壊兵が因循姑息に嗅ぎまわり侵略され、偽史で罵られ脅されても、真実を元に抗う国民で溢れてい未来もあったはずだ。しかし、被爆被害のあまりの無惨さに恐れおののいた国民が真偽を見誤り、日本国の大きな光を失った。だが、日本先祖が撒いた、命を掛けた種は決して無駄ではなかった。時は流れ、帰化人子孫を破壊兵にしようと残忍性を植え付ける家庭教育は抗えない光に導かれる様に自然の成り行きで途絶え始めた。6割の民が日本人と同じように日本人として反日国家とテロカルトの侵略を拒み、人として正しい道を選んだ。残り、4割の反日子孫とその内2割の人格異常層は善悪の概念が逆転している為、愚かさと罪を恥じるわけも無く、自分たちが選ばれし正義だと優越感に浸っているが、地獄の門が開くのは時間の問題である。

例え、世界が99%の悪魔で支配されても、たった1%の天使の為に、この世の修行場は姿を変えて存続し続け、大霊の一部である真理の愛を果たす光は あの世とこの世を導く神の一部である。

人類は神の因果関係をなにひとつ理解などしていない。 

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