北朝鮮と母の想い

【独裁一家の母の涙・金正恩】2004年8/13 金正恩の母親である高容姫(大阪鶴橋生まれ/あゆみ)は52歳で亡くなった。金正恩である息子たちと引き剝がされる喪失感を幾度も胸に秘めていた。教育は国の者が行い、未来の最高位としての北朝鮮軍事思想を叩き込んだ。1991年に日本に密国し、子どもたちとこっそり旅行を楽しんだ時はたっぷりと親子愛を満喫したと誇らしげに回想している。彼女の念が今も尚、息子の傍を離れないでいるのは『幸せな家庭を築いて欲しい』と切に愛を願っているからである。あの世でこの世の全てが理解出来る。あの世との狭間で諦めきれない情念の叫びは、我が子へ素直な愛を、常に形にして向けれなかった後悔とおさめきれない愛である。人身売買、誘拐、拉致は情報搾取や奴隷、臓器売買や強制結婚など様々な事由が上げられる。人を物として扱う独裁者たち。必要と感じた人間には、愛情剥離をさせ忠誠心を植え付ける為に親子引き剥がしを行う。また、奴隷思考を形にする為に精神暴力で精神疾患にさせるか、暴力により知的障害にさせるかで善悪の概念を破壊し思考停止にさせる。そして、主体性を失わせて家畜のように奴隷化させる。この様な非人道的な犯罪が世界中で毎日繰り返されている。

魂の家族は血族ではない 真理の愛は魂の家族だけに宿る

血を追うな 魂の軌跡こそが真理の道だ

light

【カルマは怨み返しでは解消されない】

家族のカルマの存在を多くの人が違って解釈している。その為、先祖供養と言う霊感商法に引っかかり金品と偽善心を尽くすか、血族の恨み果たしを正義だと主張する痴呆的解釈に陶酔して、増悪権威主義の快楽異常者に成り下がる始末だ。

そもそも霊魂は意識体である。我々は死んだら『意識体』に戻るだけなのだ。そして、カルマを形成するのは、あの世の意識体で要らない『思考癖』の部分である。あの世で、不要な思考癖を克服する為に、刑務所のような負荷を設定した、この世がある。長寿や不老不死を願うという魂の気質は過去世からずっと『変化の無い意識体』という成長しない霊魂レベルだという事なのだ。また、過去世で何をした、現世でこんな不幸があった。病だ。何だと大騒ぎしても、結局はその負荷が無ければ、その魂は『思考癖』を克服できない又は向き合えないというだけの話に終始おさまるのだ。人生の真理は感情論では絶対紐解けない。理性愛に基づいた思考が必要だ。誰かの常識が誰かにあてはまらないのは当たり前の事で、秩序というのは『誰かの魂の学び』を阻害しない意識が存在しない限り、本当の意味では保たれないという事だ。

やった者勝ち、言った者勝ちの無秩序な空間に怨霊が吐き溜まる 戦争や独裁は怨霊の憑依 戦前直前は総憑依から逃れること 憑依は思考変換の継続も必要だ 戦争や独裁のタイミングで生まれる魂はそれに繋がる『思考癖』を持っているからこの局面に存在する。

我々は肉体を持った意識体であり、引き合い集団化するというのは類似意識集合体だということである。次元の低い集合体が産み出す物質は、神の用意した自然界と融合できない為、環境が汚染され生態系が崩れる。そして、作物は育たなくなり食が飢え、気象も荒れ、住まいさえも失う。そして国が成り立たなくなり、神の畏れ多き浄化という致死レベルの災害を目の当たりにせざるを得なくなる。(※自然に見せかけた気象操作は小雨と人工地震の低震度まで。それ以上は権威を示す為のプロパガンダ)戦争は自分を神と妄信した魑魅魍魎の脅しに負け、金と権力を持たせた人間達の自業自得で人為的な末路である。真の神信仰というのは物的世界で『思考癖』を克服する為に、必要な無二唯一の道しるべに過ぎないという認識が必要である。家族のカルマとは家系の『思考癖』である。例えば、癌家系は頑固者が多い。分かった振りをする頑固者は難病、奇病であったりする。精神疾患の家系は無愛者の正当化など様々である。家系の病に現れる学びは『過去世から繰り返されている思考癖』の気質と言える。

家系のカルマを断絶させるために 全く気質の違う子どもが生まれる 霊界から見れば祝福の子であるが、現世では異端児として忌み嫌われる。

【北朝鮮の拉致】

日本は北朝鮮を国籍と認めていない為、北朝鮮籍記載である場合は入国を禁じている。その為、韓国経由や中国経由の狭き門を潜らなければならない。北朝鮮最高位の金正恩の母親である高容姫(呼称あゆみ)は大阪の鶴橋出身の在日朝鮮人である。高容姫の父は日本軍事紡績工場に勤めていた。金正恩は長男の故金正日氏とは異母兄弟にあたる。金正恩氏は1984年1月8日生まれの40歳である。2012年から国務に携わっていた。28歳から始まり37歳で北朝鮮の最高位となった。彼は、日本文化に好意的であり、母親とこっそりと日本の寿司や文化を楽しんだという。能登半島被災には、いち早く復興を願う意を向けたりなど、日本に友好的な姿勢を示した時もあった。また、日本に存在する朝鮮労働党と関与した朝鮮学校は現地点で98校存在し、北朝鮮崇拝型である。反日教育は卒業生たちの証言通り存在している。生徒が在学中に日本学校を希望出しても軟禁状態に合い阻止されることもあるという。私語の日本語は禁止。日本語の授業の時に出す許可内だけ解放。卒業後は朝鮮労働党が関与している企業に就職したり管理の下、将来設計が決まっていくことが多い。自営などで自由に生きる選択を切り拓いた者や親日派が時折、同胞の向こう側に感じる管理下に疎ましさを感じるようだ。また、親が反日であったり、家庭思想に儒教の名残が強く、自分の意思とは反した息苦しさから逃げ出したいジレンマを抱えているようだ。

カルト宗教の根源は儒教である 孔子の礼学は嘘ハッタリから始まり、無位無官や無出世の逆恨みに執着していた。怨みを報復する為に利害関係が一致した国の反逆者と関与していく。孔子の死後も信者たちが話を作り替え、国に認めさせるまで漆喰に捏造風潮活動を繰り返していた。儒教は『怨みの報復と増悪感情の解放』の怨念が根源に宿っている。

拉致は、ある日突然やって来る。朝鮮由来の人材を強制的に北朝鮮に引き戻しているのだ。二世以降になると本人の認識や意思とは関係無く、いつの間にか『情報工作員』の部類として北朝鮮では扱われていたりする。日本銀行、核科学者、企業、教育、司法、行政など様々な所に存在してる登録者たちを、北朝鮮が情報が必要なタイミングで拉致という形で強制帰還させるのだ。反日教育は日本に馴染み過ぎない為のストッパーと拉致や奴隷労働の為の『思考停止層』を育むためだ。北朝鮮の最高位が目指すところはナチスや織田信長である。人を殺した数や支配力が軍事様のあるべき姿だという思想を持っている。いや、植え付けられたのかもしれない。その反面、母親の母国である日本をどこか自分の一部の祖国だとも感じている。彼の支配力は大阪の朝鮮系の犯罪網の増進が示している。30年以上前の大阪民は活き活きしていた。持ち前のずば抜けたユーモラスと警戒心とタフさで街をひとりひとりの民が守ってきたのだ。しかし、朝鮮マフィアの種が忍び込み、日本任侠業界が大阪に目を向けなくなった事で治安が悪化した。朝鮮マフィアと流儀や存在意義が全く違う。一般市民の持つイメージは朝鮮マフィアやチンピラ像が近い。(※日本指定は日本国籍任侠団体とは限らなくなった)毒を以て毒を制す効力は外的要因には強いようだ。また、大阪民の気質もかなり強い。オレオレ詐欺の電話件数が全国的にも多かったのにほとんど引っ掛からなかった。朝鮮系が異常に関西人を毛嫌いするのはこの為だ。関西人は染まらない。生粋の大阪民は朝鮮財団の独裁経済の影響で重要圏から、ほとんど去ったのか鳴りを潜めているようだ。

日本侵略の目的:北朝鮮の狙いと米主導間接的侵略の中国政府と韓国経由カルト宗教の狙いは同じではないようだが、利害関係は一致する場面は押さえておかなければならない。

【問題点の根本治療】

結局、カルマは問題点の根本から改善していかないと何も変わらない。1890年大日本帝国を成立させる動きの中で、自由派と国民派が争ってきている。軍備拡大を推し進める国を必死で阻止しようとした国民主義者の街宣は妨害され終いには死人も出る程であった。治安維持法や立憲君主制を利用をして天皇の統治力を封じ、共産主義を刷り込み、私有財産制度を国有に塗り替え、戦争準備をした。明治天皇、大正天皇を順に口八丁手八丁で墜としていき、昭和天皇の時に日本は戦争屋の圧力に負けて、代理戦争屋の扉を開けてしまった。昭和天皇は日本人であるが、明治天皇の母方は朝鮮系由来の混血が疑わしい。歴史の記録は全てが真実ではない。思想癖の旅は時に血筋の思想癖に行き当たる事がある。昭和天皇の脳内は米にすっかり魅了されていた。ここに依存すれば日本の利益になる。また、昭和天皇は国に対する主体性を活かした意見がほとんど持てない性質があった。天皇の優しさと気の弱さは紙一重であったが為に、教育係が『威厳像』を詰め込んだのであろう。昭和天皇の真意は命を尊まない戦争を何ひとつ望んでなかった。核爆弾投下に膝から崩れ落ちる程のショックを受けた。国が負けたことではない。多くの命が奪われたことにだ。

形としてはこのような民主主義政体を守るために行動するという形をとるだろうが、結局目標は天皇の護持であり、その天皇を終局的に否定するような政治勢力を、粉砕し、撃破し去ることでなければならない。

昭和四十二年十一月  三島由紀夫

時は無情にも流れ、昭和が終わる時が来た。平成天皇は北からやって来た。

日本はもう日本人のものではない。

だからこそ、神を信じ、最期まで闘う事に意義があるのだ。

信仰心の強さとは 神に与えられた我が人生を

神と共に強く生き抜くことだ。

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変わらないものと変わるもの

人間が一対一で顔を突き合わす。その時、その一人の小さな小さな社会の人間の政治的意見とロバート・ケネディの政治的意見が真正面で衝突する。一対一の力で・・・。そうするとその結果がどうであろうと、つまりそこで一つの政治的意見が一つの政治的意見を殺すのです。
中略
その人間を殺すということは、ただ一面が気に入らんということじゃなくて、その人間を全部抹消することですね。そして、人間は悲しいことに、他人の思想を抹消する方法としては、殺す事しかまだ知らなかった。
中略
民主主義に暗殺はつきものだと私がいったのは、そこなのです。ところが、共産主義ないし全体主義というものはそういうことをやらん。彼らは権力を握って、邪魔なやつを斎清すればいい。全体主義は人を粛清するのに、そんな暗殺のような自分の危ないことはやりません。ニュースを隠して、秘密警察で守り、その中で一番憎いやつをそっと殺す。犯人もわからなければ、何もわからない。それがスターリンの全体主義の恐ろしいところであります。

三島由紀夫『国家革新の原理』

【精神暴力は暗殺せずに自決させる】

朝鮮族(朝鮮系中国人)は中国政府によって1949年愛国主義教育が施行された。朝鮮半島由来の朝鮮族は、現在は様々な所に分布している朝鮮系民族に属さない少数民族である。1905年 第二次日韓協約締結後、日露戦争に勝った日本がロシアから下半島の優越権を承認された。半島の平和的な経済活性化を果たした日本の統治力の高さは、当時の米外交から称賛されている。だが、民を苦しめる独裁主義の両班の独裁権を剥奪した為、両班からは逆恨みを買った。これを利用して、中国政府への愛国主義教育と共に反日教育は刷り込まれていった。韓国カルト新興宗教が中国への布教時、統一教会、新天地教会、摂理などの看板を掲げ朝鮮族が政治的意図を持って渡国している。中国は昔から、相手国に罪悪感を持たせて交渉を優位にする手法を用いてきている。罪悪感を持たせる為の巧妙な捏造、又は自国が罪悪感を持つことは交渉に不利であるが為に、捏造する事で難を逃れて来た特色が根強く残っている。この特色が、元来、責任主体主義である日本国とは大きく違う、また諸外国でも中々この特色は受け入れがたいものとされている。しかし、この特色にGHQが目を付け、1945年以降、日本へのWGIP(戦争罪悪感プログラム)の主国として白羽の矢が立った。精神暴力に基づいた侵略計画の工作員に選ばれたのが国内で言わずも知れた、統一教会と創価学会である。これらが、各宗教や団体、個人レベルまでに利益を持たせ、役割を依頼していくのである。

似非スピや自称目覚めた系が自分たちを、国や神から選ばれた救世主と称して、基地外じみた目付きで正義ぶるのはこの為である。せいぜい覚せい剤の快楽に目覚めただけであろう。

宗教者というのは、いつの時代も外交の為に、視察者として送られている。カルト宗教者の目的は外交ではない「独裁、侵略」を指している。現に、日本は国政、行政がカルトに侵略されて民意は度外視され、税収過多の貧困被害を受け戦争間近の機能不全である。また、教育機関については、独裁権、無法地帯であり小児愛者や虐待者、又は、カルトテロ組織元オウム信者などの犯罪加担者又は犯罪予備軍の住処となっている。日教組の教職が対話が成立しない倫理観の無さや、道徳心が著しく低下したレイシストが多いことは誰もが知っている。そこに加えて売国棄民政策は小泉、安倍内閣の頃から色は濃くなっている。統一教会を日本に招き入れたのは安倍の祖父、岸信介(1957年岸内閣の始まり)である。また、戦後は国内で、右翼活動が日本愛国心と朝鮮系愛国心に二分化した。その流れが広域に明瞭化したのは、1970年三島由紀夫が自決したセンセーショナルな事件と、故笹川良一が1968年に統一教会の名誉会長に就任したことからである。

三島由紀夫は、朝鮮系愛国心派と日本愛国心派の『愛国心』という共通項を見出し和合しようと努めたが敗戦した事によって、多くの日本人の愛国心は無関心となってしまったようだ。

『一つの政治的意見が一つの政治的意見を殺すのです 三島由紀夫』

【WGIP工作 日本人を壊せ 日本人を殺せ!】

旭川少女殺人事件には創価学会と朝鮮マフィアが関与し、旭川警察官が加害者と売春行為まがいの未成年相手に性交渉を行っていた。これが周知の事実であるのにも関わらず、旭川事件解決を公約に掲げた今津市長が揉み消し、尾木第三者委員会が揉み消した情報を事実かのように再度世論に印象付けた。これだけではない。担任の菅野未里、教頭の中山岳、校長の金子圭一らは被害者を当然の責務として、いじめ防止法で防がなくてはならないのに、違法の末に隠蔽工作に重きを置いた。加害者の人権を守る事で、自分達の違法性を隠蔽したのだ。被害者は人権も生存権も侵害された挙句、殺害された。

創価学会は冤罪捏造に特化した犯罪組織である為、何ら不思議ではない。

残念ながら被害者は彼女だけでない、全国中で『いじめ』と称された未成年殺人事件は教職関係者が、関与した形によって繰り返されている。いじめを容認し扇動する教師は山ほどいる。又、教師が児童へ嫌がらせをするパターンも多い。保育園も幼稚園も置き去り事故に見せ掛けた、意図的な殺人は存在する。加害者は創価学会のようなカルト教団である事が多い。生活安全課も公明党を通して、創価学会が設置したようだ。成人殺人より、未成年殺人は法を逆手に取りやすい。親の監視下から唯一離れた教育機関を通して、未成年の情報が行き買いする。学校の民生委員や選挙委員も創価学会。

善人を見掛けたら、自分の罪を投影させて、罪を代償させろ

幸せそうな家庭を見掛けたら、自分の不幸を投影させて、不幸を代償させろ

信者が魅了される一つの理由は『コンプレックスへの報復』苦しみ、悲しみなどの増悪感情による報復の解放に快感を覚えるのである。男や夫に真に愛されないないコンプレックスは性根の悪さであることにいつ気付くのだ。

福島原発事故も故意である。広域な被爆被害を狙ったものである。統一教会傘下の母親母体がしゃしゃり出ているが、真意を隠すガス抜きの為である。カルト手口の汚い所は、加害者と被害者、救世者、賛同者、否定者に別れて、タックルを組んでいるところである。そうやって、自分達に被害が被らないように有耶無耶にしながら水面下は組織全体でターゲットを蝕んでいくのだ。これを、知ってか知らずか、山本太郎氏が統一教会傘下の母親母体講演会に、切れ込んだ映像は終始ストレス解消となったのは言うまでもない。しかし、これを機に、政党内に母親母体が潜り込み、評判を落とす為の自作自演の茶番劇を、見る度に気の毒に感じるが、山本氏の事だ。気にしないであろう。

【グローバリスト達の悪魔崇拝思想に辿り着く集合意識体】

統一教会、創価学会、など国内には無数の『宗教』と呼ばれる犯罪予備軍の隠れ蓑が存在している。照明に蛾が寄るように、幸せそうな人間に執着して、不幸に貶める事で、自分たちが幸せになれるという異常思想を隠し持っている。その為、子どもを売り飛ばそうが、殺そうが、家庭を不幸に貶めようが、そんな事お構いもしない。四六時中、他人の家庭に張り付いて勝手な憶測でこじ付け、ひとりで祭り騒ぎをして、迷惑千万を掛け続けている事すら自覚しない。戦前と同じ行政と国政の独裁主義に声を挙げ反論しない、事なかれ主義は朝鮮系思想の由来である。強い者には逆らわない。逆らわないように見せ掛けて、水面下で天下を取ればいい。又は自己保身さえ叶えばいい。という概念が、捏造文化や虚言壁に繋がっているのだ。日本思想は元来、責任主体主義である。依存環境で精神衛生を保つために『親しき中にも礼儀あり』を重んじ家族でも、どこか他人様扱いしながら自立を促して生きて来たのだ。だが、戦後から生粋な日本人は極めて少ない。この為、多くの日本人の表面に響く思想が朝鮮系由来なものが多いのかもしれない。しかし、深部は人種を超え誰もが『本当の愛』に飢えている。

愛の飢えを利益利用した悪魔思想の共通意識は『自己改心しない惰性と放棄』である。

信者登録や、会員登録などしなくても、自己愛が強い者ほど悪魔思想と同じ事を日常規模で行っているはずだ。常に自分の満足度や感覚で物事を測り、勝手な憶測で他者を決めつけ批判する無責任さや、正しい者の不利な状況を見て見ぬ振りする無愛さ、多角方面で深く思考しない無思考。人種を超え、幼少期に異常者を常識人と植え付けられた偏向義務教育の結果である。

【本当の愛が好転させる】

内閣推し機関の講演会はグローバル企業、団体で満載であった。人間というのは個人を活かす為に、自由に会社を選択し、仕事をするのが基本である。教育も同じことである。個人の延長線に社会があるからこそ、政治参加に意義を感じ、憲法に沿った理念が実践される。しかし、グローバル思想では、個人が会社という組織に属して仕事をするという事を基本に置いているのだ。この植え付けが、選挙時の組織票の始まりである。個人の自由などあったものではない。

些細な、言い回しに隠された陶酔気質に気付かない思考停止では、口先だけの反グローバル派で終結するであろう。理不尽な世の中を好転させれるのは、正愛に満ち足りた倫理観や道徳心がなければ成り立たない。捨てる神ありゃ拾う神ありで、優秀な人材も存在している。この売国棄民団体に鋭く理性的な質問で斬りこんだ二名は未成年である。正愛に満ち足りた温かい心と賢い知性を兼ね揃えている。無駄に歳だけ取って来た愚か者とは阿吽の差である。『物事をよく見なさい』『本当に正しいと心から思う?』そう言って、見極める力と考える力の自立を育んできた家庭教育と、共産主義や全体主義の大量生産一律人材目的の義務教育を過信してきた、浅ましい大人との差は歴然である。(※何度も言うが虐待はカルトが元凶である)言い訳力 計算力 記憶力はインパクトはあるが持続性がない上に思慮深さが無い。場当たり的な政策を繰り返した自民党や維新が良い手本であろう。グローバル被れのナルシストは蓋を開ければ、下らないハニートラップに掛かる様なクオリティである。

人を愛するということは 人を尊重する事である

愚か者に必要なのは 尊重ではない 戒めである 

時代が人を変わるのではない 人が時代を変えるのである

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言論の価値と質

言論の自由が、最終的に文化上の「質」乃至「価値」を保証しないことは言うまでもない。何故ならば、言論の自由は本質的に「質」乃至「価値」を問題にしないところの人間性の無差別的な解放であり、従って対象の質や価値を問題にしないところの、破壊的衝動をまで解放するものであるから、芸術文化上の「質」を保証するものは、半ば自由の側にありながら、半ばは秩序の側にあると言わなければならない。  

                                   三島由紀夫

乱語以外を正当化したいが為の言論の凶器

乱語に妙に喰い付く猿脳では、言論の価値と質について解せぬであろう。戦後から、WGIP侵略工作により、共産主義者と工作宗教者によって、国家自滅を狙った民への精神暴力は続いている。『言論の自由』とは倫理観と秩序に値しない醜い言論の凶器の解放に過ぎない。

日本先人が遺してきた、高い精神性によるアイデンティティは今も尚、他国から一目置かれている。また、我が国日本が重要な歴史的瞬間にひと役買い、主要国に優遇されて来た歴史は反日により改ざんされ、捏造史と様変わりして日本の次世代へ語り継がれている。光が増せば闇も深い。妬みを超えた怨念は嫉妬に喘ぐ、猿の様に浅ましく卑しいものである。

権利を楯に侮辱的態度を省みない行為は 防護服を着たまま毒ガス室に無防備の人間を葬るのと同じことである。

騙され手を貸した罪はいかなるものかと思考するのが成人精神の始まりである。これに責任逃れの言い訳しか論じれない幼児性では社会の倫理観は衰退する一方である。成人義務を放棄するのであれば成人権を持たない階層の秩序に従うしかない。

言論の価値と質を自らばら蒔いた 我が人生を振り返るが良い

全てが、見分相応であろう。

欲得を追うものは何も見えず

偽善に慈悲を与えるものには善の真理が見えず

傲慢な精神では己の真理さえも見えない

精神的貧困と物的貧困は真善美を賛美する豊かさの飢えが種となる。

美しい言語に美しい言霊が宿るのではない。美しい思念に美しい言霊が宿るのである。汚い思念には同質の言語で祓い。毒をもって毒を制するのは、先人の知恵でもある。

『嘘も言い続ければ真実となる』捏造文化が招いた精神暴力で、日本人が一致団結して逆らわない様に分断を図った。この手口は余りに汚い。

例えば、人身売買の巣穴である児相の独裁権を確かなものにするために、工作駒に子どもを産ませ虐待させる。件数を稼いだら次は虐待死の件数を稼ぐ。そうすることで児相の存在意義は高まる。

子ども達の悲鳴はまるで、戦没者の無念の叫びの様である

反日思想、悪魔崇拝は言うまでもなく、増悪権威主義者である。増悪感情を使い怨霊を呼び覚まし、自己都合に意図する世界観を拡げる事に快感を得ているのである。

共産主義者、工作宗教者、犯罪移民、日本任侠なりすましマフィアを徹底的に排除すれば、犯罪、交通事故、薬害死、公害病、被爆被害、環境汚染被害、自殺者、不登校、鬱病、虐待、いじめ犯罪は極端に減少するであろう。

招かざる客を持て成し過ぎた 日本は排除せねばならないカルマを受け継いだのだ。

また、和合し共存できる道を 日本が血税を犠牲にしながら 示し続けたにも関わらず、日本人に罪を着せ、世界から信頼されない日本国、周囲から信頼されない日本人に仕向ける為の捏造、裏工作を合法化させてきた。盗人猛々しいにも程がある。増悪感情の解放に快感を覚え、法が正義の指針だという解釈に至る幼児性には、ほとほと呆れ付き合ってられない。

人権の平等は精神階層一律解放であるがゆえ、危険要素を取り込み続けることになる。次世代は、公平な人権の保障と精神階層の倫理観と秩序の認識と自覚が必要である。

『言論の価値と質』三島の真眼力

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朝鮮族の怨み

【朝鮮族】:朝鮮系由来の中国国籍を持つ在日中国人。朝鮮民族とは異なるカテゴリーの民族。世界総人口180万人ほどの少数民族。朝鮮半島北部のカンキョウ道、平安道から中国の吉林省、南東部、南西部などへ移住した。中国政府は中国への愛国主義教育と日本への反日思想を向上心に作用させ共産党好みに養成した。後に、韓国経由の統一教会や新天地教会というカルト宗教の看板を掲げ宗教者として日本へ大量移住させた。

危険因子:男性5~6割。女性9割。母体の母性愛の度合いによる環境要素が大きく増悪分子に作用する。向上心や真善美の倫理観や道徳心は持ち合わせない。捏造により増悪感情を引き出し権威を誇示した者が勝者という思想概念。中身や相手、大小規模などどうでもよい『権威誇示』に執着する。騙し通した上で恐怖感や不安感を与え続けるか、又は相手の社会的信頼を破壊し、盗む取る事に美徳を感じる精神分裂気質である。隠蔽工作に抜かりが無い※技術を盗む・盗作・盗聴・盗撮・アイデンティティを盗む・信頼を盗む。

増悪分子:増悪感情、怨みの実体はない。増悪感情に存在意義を感じるのだ。奪う者に従い、与える者を敵とみなし搾取する。軌道修正を何度掛けても、霊性進化の阻害分子に変化は見られない。

分布調べ:2023年の地点で70万人以上が1990年代 韓中国交の為、韓国移住。日本では1980年代からカウントされ始め、2000年代に入り一気に急増し、現地点では8~10万人ほどと推定されている。(中国共産党による民族、識別工作1949年~1954年情報に加え民族証言情報)

朝鮮半島との関り:1905年11月 第二次日韓協約締結後、日本が保護統治する事で朝鮮半島は循環が良くなり栄えたが、独裁強奪主義の両班の逆恨みを買う結果となった。投資した莫大な日本税が無駄になったと感じ落胆したが、当時の米外交官グレゴリー・ヘンダーソンは日本の平和的な統治力の高さに一目を置いた。それに比例するように、両班の怨みは日々増幅するばかりであった。

満州事変:1931年9月~1933年5月 関東軍の石原莞爾は中国共産党の反日工作による日本人が満州国で不当に虐げられる事案を黙ってられなかった。その為、満州事変を起こしたのだが、この事実は中国で大きく捏造されたままである。

能登半島沖不審船事件:1999年3月23日に発生した北朝鮮工作船の能登半島沖不審船事件で当時の小渕内閣は海上自衛隊への警備行動への発令を出した。侵略工作は亡命という形でも繰り返されてきた。また、朝鮮学校に入学すると精神的暴力により増悪感情を引き出され反日思想に基づいた偽史の教育が行われる。時には、身体的暴力もあったようだ。

※朝鮮学校:日本の教育課程の認定を受けていない、日本の法例に基づく正規の教員免許は所持しておらず、朝鮮学校を卒業した者は同胞団体の教育機関、出版報道機関、民族金融機関、貿易商社、旅行社、同胞の日本企業、外資企業に就職する

反日思想は日本の一方的な虐殺によるものかと現代人は日本人も含め刷り込まれているが、実際は異なる文献が数多く存在する。そもそも歴史は政治的策略のひとつである為、丸呑みする事自体ナンセンスである。

 【儒教の呪縛】

儒教の『考』は子どもの親に対する忠誠心である。『徳目』という道徳心への目標があるが考が最優先となる。『義』は正義ではあるが、主君に対する忠義に近い『忠』や弟が兄に対する『悌(てい)』も『考』親の前では効力がないとされる。つまり、正義よりも親優先なのである。そして、親に変わる『考』の存在の下であれば義を重んじる事無く主従関係を重要とするのだ。これが、善悪の概念より主従関係のルールを重んじ、利益は身内のみとするという閉鎖的で依存的な考えを肯定することになるのだ。

カルト宗教の信者が時折、高尚な事を言っている風に見せかけたり、もっともらしい事を言っている風に感じるのは儒教の馴染みからである。しかし、儒教は日本では大和心を超える布教とはならなかった為、カルト宗教に耳を貸す者は同胞程度に留まった。

『秩序と階層は一定で、絶対に変わるものではない』運命は変わらない用意されているものであり、自分は何も悪くないという思想

⇒自分の行いを省みる事無く、運命を憎み、人や社会を憎む事など愚かな事である。今日の行いが明日の自分を造り、昨日の行いが今日の自分を造る。この積み重ねが人生というもの。

責任主体の視点が運命を切り拓く。人に指図される領域ではない

『子孫と祖先は同一』親(先祖)の罪は子の罪で祖先の怨みは子孫の怨みだという思想

⇒不幸への執着はただの迷惑行為。罪人が償えばそこにカルマは無い。カルマというのは魂の学びに過ぎない。人の学びを強奪することなど出来ない。家族のカルマの学びは負の連鎖を断ち切ることである。

【先読みした三島由紀夫】

三島由紀夫はWGIP第2の矢である間接的侵略に抗った第一人者である。共産主義、間接的侵略に備え、楯の会を結成し、朝鮮系工作員を根絶させ日本国を守ろうとした。WGIPの初期にこの問題を解決しようと決起したのだが、三島の知能は群を抜いて高く、中々無関心層の共感を得るのは難しかった。その代わり、工作員に毒された者達からは中傷対象として注目された。

愛国心の根底に天皇が必要だが、現(当時)天皇の心は日本ルーツに由来せず、天皇改革も訴え続けていた。三島は朝鮮系工作員を根絶させる狙いを示していたこともあり、これに反論した者達の1000人を超えた討論会に三島は丸腰で出向いた。過去に五回もノーベル賞候補となった三島文学は世界で高い評価を得続けており、彼の産み出した数々の舞台や映画は後世にまで続き役者名誉に尽きるほど格式高いものである。加えて、東大法学部卒の財務省出のエリートである。ジャーナリストが世界の三島が出向く闘論会に喰い付かない訳がない。

1969年5月13日闘論:会場は反三島派、一般、ジャーナリストが様々な思惑で異様な緊張感に包まれたまま始まった。最初にマイクを握った三島は理性的で紳士的な言葉で気が済むまで闘論に応じる姿勢を示した。しかし、反三島派は名誉高い作品も中傷しながら、三島の言葉ひとつひとつを馬鹿にしあざけ笑いながら否定して事実を捻じ曲げて後世に残す記事をしたため書きながら話を進める姿勢で返応した。これに声を荒げることなく、相手の愛国心の真偽を見極める為であろう、共闘できるよう歩み寄ったり共通点を打診しながら最後まで三島節を堂々と展開していった。相手からは高尚な切り返しのように見せただけで愛国心の欠片もない空論が展開されることとなった。

三島の足元にも及ばない空論を仲間同士で称え合い、時には叱咤激励という茶番劇を加えながら三島の歩み寄りを有耶無耶にした。それでも、相手を一切否定せずに空論に斬りこむ三島の姿は大和魂そのものであった。それとは対照的に否定を繰り返した質問者は中途退席をし侮辱的な態度で一方的に締めくくった。しかし、三島の生の主張を聴いた者たちが日頃の主張が印象操作により捏造されていたことに気付き、三島の圧倒的な存在感に神秘的なカリスマ性を感じずにはいられなかった。

三島はこの闘論の一年半後、三島事件の後に自決をしている。

楯の会1968年10月~1969年10月:三島はGHQ主導の憲法には抜け穴が非常に多い事を指摘をしていた。特に「自衛隊」については、憲法を守る自衛隊は要らない。日本国を守る自衛隊が必要だと自衛隊に入隊してまで、声を高らかにしていた。しかし、既に、国内の至る所に朝鮮系工作員は存在しており、独自で祖国防衛隊 楯の会を結成するに至った。

三島は朝鮮系工作員とはまともな話が出来ないと早々に見切っていた

非暴力、精神的暴力による間接的侵略とは、何を話しても否定しかせず相手の精神性やアイデンティティを捏造を駆使しながら潰す事で国全体の衰退と崩壊を狙ったものである。これは、暴力的な戦争と何ら変わりはない。武器を無限のヘイト攻撃へと移行しただけである。闘論というものは、互いの良い部分を擦り合わせていく生産性があるが、ヘイト攻撃とは相手の話の趣旨を変え、良い部分を認めないところから始まって終わるのだから無生産である。精神的暴力という無生産なものに暴力という無生産で応えるまでのことであり、こちらの方が勝負が早くて実に良い。非暴力、非戦争と掲げながら共産主義者は日本国の自滅と崩壊を目論んでいる。これのどこが、「非」暴力なのだ?

魂は肉体を表わすエネルギー体が存在するが、肉体的暴力と精神的暴力による損傷の差はない。しかし、魂の学びを損害し続けるのは精神的暴力による損傷である。肉体的暴力を受けた後の損傷も存在するが、DVの元は精神的暴力を受け続けた損傷の後遺症によるものだ。

『暴力は暴力自体が悪でもあり、善でもない。それは暴力を規定する見地によって善にもなり、悪にもなるのである。三島由紀夫』

いつの時代も、ならず者は無生産だという事だ。危険因子は連鎖させない。三島ほど魂が崇高なものであれば神は多くを許したであろう。

『三島は高度な知性に恵まれていた。その三島ともあろう人が、大衆の心を変えようと試みても無駄だということを認識していなかったのだろうか? かつて大衆の意識改革に成功した人はひとりもいない。アレキサンドロス大王も、ナポレオンもブッタもイエスも、ソクラテスもマルキオンも、その他のぼくの知る限りだれ一人として成功しなかった。人類の大多数は惰眠を貪っている。 ヘンリー・ミラー小説家』

『僕が死んでね、50年100年たつとね「ああ、わかった」という人がいるかもしれない。それでも構わない。生きているというのは、人間はみんな何らかの意味でピエロです。これは免れない。 1970年11月25日 自決 三島由紀夫 享年45歳』

彼にはまだすべきことがあった。彼にしか出来ないことだ。だが、彼はリタイアすることで、未来の日本人にカルマを継承した。あの時聴こえた英霊の声と同じだ。『我々の死は犬死ではない。顔を見る事もない未来の日本人の幸福の為に 万歳 万歳 万歳』

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