国津神、天津神、禍津神:右から順に 政治、精神、浄化
声高らかに、『今の国に足りないのは、愛と金だ。』と政治家が言い出したら、それはただのカルト集会である。
人の幸せは、本人が決めるものだ。政治家が国民の幸せの行先を夢見るのは勝手だが、いかにも偽善的で傲慢である。個人の個性に合わせた、幸せが実現しやすい基盤づくりをすれば良いだけである。それ以上でもそれ以下でもない。
政治家が、国民の幸せの末路まで決めるようなことは、あってはならない
また、一律平等というのは全体主義であって、結果的に個性は打ち消されていく。インクルーシブ教育など、日本の未来人材を潰す愚策でしかない。また、LQBTQについて、どさくさに紛れて、一体いつまで蒸し返す気だ。日本中から差別に合った、麗人がこのカルマを一気に片付けている。昔は、生存権や発言権さえも奪われるのが当たり前だった。国中からの批難をたったひとりで全て背負い、未来の国民の為に打ち勝ってきたのだ。この苦しみは想像を絶するものである。その軌跡を侮辱するつもりか?
【一律平等が個性を殺す】インクルーシブ教育や性別問題は、戦争屋やグローバリストの未来の人材潰しが目的であり、小児愛者の性犯罪を国際的に合法化させる為の動きの一環でしかない。
教育は、本人の意思で、個人の個性や能力が最大限に伸ばせる場所でなくてはならない。十人十色の個性に対して、一律平等がいかに的外れなことかは、少し想像力を伸ばせば、安易に理解が出来る。いつまで、軍隊名残の全体主義を叩き込むつもりだ。時代逆行にも程がある。
差別問題と本気で闘うなら、基本的人権の差別に関する刑事法を強化した方が公平である。そこに、男も女も無い。ひとりの人間として闘える世の中の形成が大事だ。なぜなら、この社会で、差別を受けているのは女も、男も関係ない、ただの人間だからだ。
そこに、枠付けする必要は全くない。そもそも、現代人にとって、ジェンダーを特殊な存在だと誰も思っていない。そこに揶揄する者は、そもそも性別関係なくヘイト行為をやめない、ただの異常者なのだから。そこを、叩くべきである。
法は多くなるほど、法は犯されやすくなるものだ
異常者の攻撃理由は 何だって構わない
見せかけの事由に踊らせれずに 根源を叩き斬る事
【金と愛】
金は政治家の仕事であろう。しかし、精神に関わる「愛」については天津神の領域である。精神科でもない。宗教でもない。陰陽師が政治家と国のバランスを取って来た。政治家の偽善と傲慢が増せば、怨霊は増す。また、国民が恐れを増せば疫病が流行る。そういった人間の根源を司って来た。元を遡れば、卑弥呼が、民に示し続けた『神我への目覚めを促す信仰心』にまで遡る。陰陽師は国家公務員であったが、明治3年10月17日 天社神道廃止令により表舞台から去る事となった。
天津務めの「愛」というのは神我への信仰心そのものである。その境地を目指す者の99%は必ず堕ちる。しかし、境地に努める軌跡に、自己、利他的要因を含め、大いなる精神的価値がある。精神とは本来無限の解放を見せ、豊かさを形成できる。この結果が個性であり、その労力が能力に反映される。この豊かな精神があってこそ、国務めは成り立つ。しかし、卑弥呼以来、適任は存在しない。国津神に愛されても、人は直ぐに偽善と傲慢に溺れ自滅する。
境地の天務めと神は永遠とも言える。しかし、国津神と人間の関係性は堕ちたら終わり。それだけである。要するに国津神に愛想付かされたら即時終了なのである。天津神はそもそも堕ちる人間の99%を相手にしない。チャンスは公平に与える。しかし、結果は、始めから神のシナリオ通り。
愛というのは、慈しむものであり、声高らかにひけらかすものでなない
恥を知れ
現代に必要なのは、観念的な愛や金ではない。
※人は愛や金を与えられても思考できなければ、同じ過ちを繰り返す。
真の幸福を産み出す思考力だ。
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