愛を持つために

先ずは、人に合わせないこと。

何でもいいから、愛着の湧くものを愛でること。

無機質な物から、命宿るものへと移行していく。

愛の学びが深いのは女性側です。愛する人に生涯寄り添い、愛する人に必要とされ、子を産み育める人生は大変幸せなことだと思うのです。

しかし、自由結婚になったのにも関わらず、適齢期を気にしたりする風習自体がおかしいとも言えるのです。

なぜ?平均値にこだわるのでしょうか?

なぜ?最大に愛する人を見つけても友人とのコミュニティが大事なのでしょうか?

人に合わせる事が正義だと思い、多くの方がワクチン被害に合いました。正義の指針が的を得た人は自ら打つのを拒否してます。そして、周囲に危険性を訴え続け、非国民と言わんばかりの弾圧を受けましたが、結果、非接種が正解でした。

接種者からのシェデイング被害が現在問題となってます。シェデイングは一時的なもので、接種者と同等に体内で再生されることはありません。しかし、毎日シェデイング被害を受けていれば身体ストレスは大きなものです。

全体主義を正義とした結果、死亡者まで数十万人に登りました。正義に愛が無ければただの洗脳と同じことだと思うのです。

洗脳は煩悩に絡み付く性質のものです。

いかに、理性的に自分を捉え分析できるか?この個人力が他者や社会の本質を捉える力となるのです。

相手の本質を愛しているのか。

相手の虚像を愛しているのか。

愛の別れ道となります。

怖れずに、失敗から多くを学ぶこと。

そんな時、愛着湧くものを大事にするほど自分のオーラマーキングで癒され解決に向かう気持ちになるでしょう。

愛の学びは自分の愛着度が大きなヒントとなります。冷静に自分を分析し、他者に貼られた『あなたってこういう人』に騙されずにデーターアップしていきましょう。

これを逆にしか、捉えられないステージにいる場合は

人と群れて得する事より、損する事の方が実は多い事を忘れないようにしましょう。

人の数や質は自分の映し出しと捉え自分を分析しましょう。

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一生懸命やればいいのか?

仕事のミスを指摘され『一生懸命やったんです!』『みんなで一生懸命頑張ったんです』

こう言って、正当化をする社員を見掛けると、気の毒な会社だなと思うのです。

ここにも、軍隊名残の義務教育がいかに無駄かが表れています。内容より一生懸命頑張った事を褒めもしない。上司は不適格だと言わんばかり。

飼い主と飼い犬の関係性では、仕事にプライドを持ち、責任主体で繁栄させていくというスタンダードな姿勢さえ取れません。スタートラインから、仕事より上司や会社からのご褒美を待っているだけで、給与が自分の感覚で少ないと感じれば、少ないに応じた分量しか仕事しないのです。

仕事にプライドを持てる人は、給与以上の能力とスキルを磨き自分で給与が上がるように働きかけるでしょう。その相乗効果で職場全体が向上していくのです。

時折、社内の良い流れに水を差すような人が湧いてくるのは給与が変わってもないのに働き方を変える意味が分からないのです。また、給与を上げて働き方を変えろと言われても終わりがないように感じて、アイデンティティが湧かない自分を追い詰めているのだ。とも感じるのです。

ですから、職場の飲み会や食事会が一体何の意味があるのか理解が出来ないのです。

職場で裏切り合いが起きないように親しみを持って気持ちよく業務に務めるコミュニケーションの一部なのですが、形式だけ先行して中身はパワハラ、モラハラ、セクハラのオンパレードでは終いがよくありません。

現代は、上司も部下も精神難民だと言えるのです。

生活の為だけに働かなくてはならないストレスは並大抵のものではないでしょう。しかし、ストレスの原因を作っているのは自分の視点だということにも気付きましょう。

我々は仕事を通して魂を磨いているに過ぎません。魂の欲求を満たしてくれる職種ですか?出来ない言い訳を探さず幸せを勝ち取っていきましょう。

Aさんが以前、勤めた職場は目の前の業務より人間関係の馴れ合いを大事にしてました。陰口三昧、不平不満が溜まりきった職場。とりあえず程度で良い。誰かひとりが抜き出たら、皆も頑張らないといけなくなる。

辞めるまでに、どれくらいのスキルを身に付けるか設定して見切りを付け退社しました。Aさんに取っては、馴れ合いなどいらないのです、目の前の業務は工夫次第でいかようにも上手くまとまり、業績も上がるのになにもしない事の方がストレスだったからです。

人間関係の馴れ合いより、仕事をこなすのが職場なのは基本ですが、気持ちよく業務に務めるコミュニケーションは合った方が能率は上がります。しかし、本質を見失っている今の社会では形式だけの業務となるでしょう。

形式だけとなった空洞に外資が参入し、異文化主体の業務スタイルとなり利用客の不満はうなぎ登りとなっていますが、改善される目処は付いていません。それどころか、高齢者に敬意すら払わない無機質な対応にも日本の美しさは無くなった様に思うのです。

本来の日本人は個性を重んじて本質を捉える能力に長けてました。おもてなし文化は本質を見抜いた共感力の高さにあったのです。それを壊してきた、GHQのお膝元にある義務教育による精神難民に社会全体が危惧しなければならないのです。

今だけ 金だけ 自分だけ

一生懸命頑張ったと言う、逃げ枕言葉ではなく、本質を捉えた生き方、働き方にシフトチェンジしましょう。

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叱れない親

海水浴場で、ひとりの男の子が浮き輪も着用せずに入水し、親御さんが鬼の形相で怒り飛ばしても言うことを聞かない。

そんな光景を、垣間見て『ひどい、親』『子どもが可哀想』『虐待はこんなところから始まるんだよね』

などの声が聞こえました。

下半身に脳みそ付けたフィルターでは、そのように映るでしょう。母親ではなく、いつまでも市場に通用する女でいたいのでしょう。

母親という母性は、我が子の危険性に黙ってられない愛の本能が備わってます。周りにどう思われても、我が子を守り抜く姿に失笑する様な不謹慎な姿勢自体に愛が無いのですから。

愛というものは、そもそもブッ格好なんですよ。ぶつかったり助け合ったりしながらも互いを愛さずには要られないのです。

その反面、愛欲なら体裁やロマンを大事にするでしょうが、体裁とロマンではおまんま食えねえって現実を抱えながら、家族愛は深みと拡がりを見せるのです。

本当にいい女というのは、我が子と愛をぶつけ合い磨かれた母性愛が備わった女だと思うのです。

かわいそう、かわいそうで、男の子は浮き輪もせずに水難事故に遭うでしょう。また、ルールの守れない無責任な大人にも成長するでしょう。

愛があれば先見の明が磨かれますが、愛に深みのない子育ては夫の浮気にも繋がります。

男はいつまで立っても、しょうもない子どもなんです。母性を感じない女を本能的に軽視する傾向があるのです。

それを面倒くさいと思うなら、心底愛してもないような男と体裁的に結婚した因果応報から学びましょう。

また、育ててあげれないから堕胎を選ぶのも愛のないことです。人を殺してまでも、自分を変えない、育てられない環境を改善しない。ということなのですから。

命の尊さに綺麗事は要りません。誰ひとりとして、歓迎されない命があってはいけません。

犯罪被害などの事由はまた別として、母性愛は命を育み、物事の善し悪しを教える事が基本中の基本だという現実をしっかり受け取りましょう。

叱れないのは我が子より自分が可愛いからです。叱る度合いが分からないのは我が子に無関心だからです。

戦時中、母親は我が子を守るために躊躇なく我が身を捨てました。最期の一瞬まで『この子をお願いします』と懇願して亡くなったのです。現代の母親は我が先、我が先と子どもを人身売買にかける事でしょうね。

絶対しない?

日頃、我が身が可愛い生き方でいざという時には出来るという妄想は捨てましょう。

人の本性はとっさの時にこそ表れるのですから。

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義務教育が生んだ高歴低人格

軍隊再来の意図にある義務教育は、個性より全体主義を正義として平均的な凡人に優秀賞を与え、才能に溢れた天才を障害物扱いまでして命令に背けない羊を育てるのです。

神我が共鳴するような文学、芸術、芸能を規制し、思想を下げられ、謝れない文化の正当性が刷り込まれました。

『謝らない、謝られない。』謝れない文化が、勝ち負けの損得勘定を駆り立て、言った者勝ち、やった者勝ちの思想が日常化したことにより、朝鮮、中国の反日移民層の目的や思想とチャンネルが引き合い、日本は反日思想の政府から売国棄民される結果となりました。

高歴低人格に振り回されるのは大変見苦しく情けないものです。

悪しきものに染まらなければ日本は豊かさを取り戻せたのです。

高歴者とは、計算力、記憶力、言い訳力が備わった人材であり人間が造った価値観に当てはまるということに過ぎません。

※高歴 肩書きなどの目に見える人間的価値観

大事なのは人格。

適材適所の為の人格適性検査が必要性を高めている

現総理は、明らかに日本人を殺しに掛かってますが家族は何も注意しないのでしょうかね?

良心の呵責さえ湧かないのでしょうか?

『愛の無いところから戦争は始まります 』マザーテレサ

マザーテレサの闇は、悪魔に愛を与えなければ深まりませんでした。悪魔に必要なのは愛ではありません。教えです。

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