
スピリチュアリズムに出合い20年以上が過ぎました。学びに明け暮れ探究した日々。魂が深く覚醒を起こし、守護のガイダンスを賜った時は、本当に嬉しかったことを思い出します。霊格向上は日々の積み重ねと、真っすぐな精神と努力が要です。
この仕事を始めて、がっかりした事も多くありました。守護とプラグが繋がり、ガイダンスを頂くことは、無二唯一の救済の道ですから本当に特別幸せな事です。守護とプラグを繋ぎ、全身全霊で指導しますが、霊界の奇跡や守護の深い愛に感謝するどころか、自分の未熟さを正当化したいばかりに、真理を聞き入れなかったり、頂点に昇りつめた気になって、自己流の解釈に湾曲する人々をみると、各御守護に申し訳ない気持ちでいっぱいになります。
指摘やガイダンスが困難に感じるのは、今まで自分が逃げ続けたツケへの拒絶反応でしょう。それなのに、自業自得をこちらに責任転嫁する良識の持たない人々を見ると、人間関係の信頼という基本すら身についてないのだと落胆するのです。良識の基本が備わっていない人が、神の道をどう歩むのでしょうか?
乗り越えられる課題しか、守護は采配しません。それに加え、課題をどう乗り越えるのか、守護のガイダンスを受けているのです。守護の大きな愛を受けていながら、これ以上、何か求める方が、どうかしているのではないでしょうか?
また、魂の向上の学びに来ているのに、なぜ?自分で魂を向上させる質問がないのでしょう?自分の解釈が正しいかどうかの確認質問も無いのは、他力本願が抜けないからなのでしょう。
まもなく、世は闇が更に深くなります。しかし、このままでは闇と同化することでしょう。それぞれの御守護は、もう転ばせて、闇に落として学ばせます。と判断していることがほとんど。本当に情けないですね。要因は、何度、促しても肝心なガイダンス程、本人が聞き入れないとのことです。
私は、ここまで来ても、この程度なら、好きにしたらいいと思ってます。闇で学ぶことも出来ますから。闇での学びはこちらの指導領域ではありませんので、打ち切らせて頂きます。私は神の道具ですから、それぞれの御守護の判断と高層界の判断に抗ってまで、人の判断を信用する偽善は行いません。
告げる側との霊格の差が開けば、受け取る側は無理解を示す。人は真理を語り、真理を見せても、自分の身丈に合った解釈に止まるものなのだ。これを、隠す行為が、更なる悲劇を生み出すのである。身丈に合わない解釈は何も理解していないのと同じこと。
神の祝福を賜るほど、人の闇がよく見える。
神の愛に応えるべく、闇を切り裂き、正し生きる。
神に近づくべき、己の魂を極限まで高めても尚、神は遠い
傲慢に気付くことは幸いだ。自分を見失わずに済む
偽善に気付くことは幸いだ。真理に近づける
惰性に気付くことは幸いだ。自分の限界が知れる
強欲に気付くことは幸いだ。無知、無能が知れる
来年は、更に守護のストップが、かかる人が多く出るでしょう。いづれも、自分の行いが引き寄せた結果です。生まれ変わるように、生き直さなければ、世の中が変わらないほど、現代人は問題点から逃げ続けて来たのです。

来年は、真に愛する者と共に大きな役割に挑んでいきます。真に求める方だけ、共に神の真理を深めていきましょう。
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