自分の本質を見つめない末路

自分の本質に蓋をして生き続けると人はどうなるか?

無思考、無愛、無関心な

傍観者である無関心層が肥大します。

自分に起きる問題も、社会で起きる問題も他人事でしかありません。

いつの時代も、悪人は存在しますが、社会全体を不幸にするのは傍観者の数で決まります。

『指摘をしても変わらない』

最初から逃げるのは自己愛です。

指摘をするから、思考の変容が始まるのではないでしょうか?

なぜ?初期段階で不幸の種を回避し、幸せの種を撒かないのでしょうか?

また、相手の記憶に留まるように、悪行の度合いによって指摘の強弱を付ける事も大切です。

自己枠的思考では、間接的要因が周り回って自分に降りかかるとは感知しません。

現代の闇は、自己愛が利他愛に育たないことに終始おさまるのではないでしょうか?

家庭の外も内も、自己愛擁護教育が社会の傍観者である無関心層を造り上げたのです。

我が子を自分以上に愛すからこそ、親元から巣だった後を想定して子育てに勤しむのです。

人生の壁にぶつかった時、人間に必要なのは『愛された自信』です。

愛されたプライドは、自分自身の足で人生を切り開く、唯一無二の強固なお守りとなるのです。

皆さんは、十分に幼少期に愛された自信はありますか?

私自身は一切ありません。ですから、人生の壁にぶつかった時は谷底にまでいった様に感じます。

ですが、谷底でしか拾えない原石もあるので似た境遇の方は安心して下さい。

自分の本質に飽きるほど向き合い、秘めていた自分を解放すると自分と社会に無関心ではいられなくなります。

自己愛は幼少期に満たされ利他愛へ成長するのが、良いとされますが、魂の数だけオリジナルの人生が待っています。

先ずは、自分の本質を知り尽くすこと、その先には、今まで見えなかった広く深い世界が見えてきます。

自分を愛することは、人を愛することでもあるのですから。

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