朝鮮族の怨み

【朝鮮族】:朝鮮系由来の中国国籍を持つ在日中国人。朝鮮民族とは異なるカテゴリーの民族。世界総人口180万人ほどの少数民族。朝鮮半島北部のカンキョウ道、平安道から中国の吉林省、南東部、南西部などへ移住した。中国政府は中国への愛国主義教育と日本への反日思想を向上心に作用させ共産党好みに養成した。後に、韓国経由の統一教会や新天地教会というカルト宗教の看板を掲げ宗教者として日本へ大量移住させた。

危険因子:男性5~6割。女性9割。母体の母性愛の度合いによる環境要素が大きく増悪分子に作用する。向上心や真善美の倫理観や道徳心は持ち合わせない。捏造により増悪感情を引き出し権威を誇示した者が勝者という思想概念。中身や相手、大小規模などどうでもよい『権威誇示』に執着する。騙し通した上で恐怖感や不安感を与え続けるか、又は相手の社会的信頼を破壊し、盗む取る事に美徳を感じる精神分裂気質である。隠蔽工作に抜かりが無い※技術を盗む・盗作・盗聴・盗撮・アイデンティティを盗む・信頼を盗む。

増悪分子:増悪感情、怨みの実体はない。増悪感情に存在意義を感じるのだ。奪う者に従い、与える者を敵とみなし搾取する。軌道修正を何度掛けても、霊性進化の阻害分子に変化は見られない。

分布調べ:2023年の地点で70万人以上が1990年代 韓中国交の為、韓国移住。日本では1980年代からカウントされ始め、2000年代に入り一気に急増し、現地点では8~10万人ほどと推定されている。(中国共産党による民族、識別工作1949年~1954年情報に加え民族証言情報)

朝鮮半島との関り:1905年11月 第二次日韓協約締結後、日本が保護統治する事で朝鮮半島は循環が良くなり栄えたが、独裁強奪主義の両班の逆恨みを買う結果となった。投資した莫大な日本税が無駄になったと感じ落胆したが、当時の米外交官グレゴリー・ヘンダーソンは日本の平和的な統治力の高さに一目を置いた。それに比例するように、両班の怨みは日々増幅するばかりであった。

満州事変:1931年9月~1933年5月 関東軍の石原莞爾は中国共産党の反日工作による日本人が満州国で不当に虐げられる事案を黙ってられなかった。その為、満州事変を起こしたのだが、この事実は中国で大きく捏造されたままである。

能登半島沖不審船事件:1999年3月23日に発生した北朝鮮工作船の能登半島沖不審船事件で当時の小渕内閣は海上自衛隊への警備行動への発令を出した。侵略工作は亡命という形でも繰り返されてきた。また、朝鮮学校に入学すると精神的暴力により増悪感情を引き出され反日思想に基づいた偽史の教育が行われる。時には、身体的暴力もあったようだ。

※朝鮮学校:日本の教育課程の認定を受けていない、日本の法例に基づく正規の教員免許は所持しておらず、朝鮮学校を卒業した者は同胞団体の教育機関、出版報道機関、民族金融機関、貿易商社、旅行社、同胞の日本企業、外資企業に就職する

反日思想は日本の一方的な虐殺によるものかと現代人は日本人も含め刷り込まれているが、実際は異なる文献が数多く存在する。そもそも歴史は政治的策略のひとつである為、丸呑みする事自体ナンセンスである。

 【儒教の呪縛】

儒教の『考』は子どもの親に対する忠誠心である。『徳目』という道徳心への目標があるが考が最優先となる。『義』は正義ではあるが、主君に対する忠義に近い『忠』や弟が兄に対する『悌(てい)』も『考』親の前では効力がないとされる。つまり、正義よりも親優先なのである。そして、親に変わる『考』の存在の下であれば義を重んじる事無く主従関係を重要とするのだ。これが、善悪の概念より主従関係のルールを重んじ、利益は身内のみとするという閉鎖的で依存的な考えを肯定することになるのだ。

カルト宗教の信者が時折、高尚な事を言っている風に見せかけたり、もっともらしい事を言っている風に感じるのは儒教の馴染みからである。しかし、儒教は日本では大和心を超える布教とはならなかった為、カルト宗教に耳を貸す者は同胞程度に留まった。

『秩序と階層は一定で、絶対に変わるものではない』運命は変わらない用意されているものであり、自分は何も悪くないという思想

⇒自分の行いを省みる事無く、運命を憎み、人や社会を憎む事など愚かな事である。今日の行いが明日の自分を造り、昨日の行いが今日の自分を造る。この積み重ねが人生というもの。

責任主体の視点が運命を切り拓く。人に指図される領域ではない

『子孫と祖先は同一』親(先祖)の罪は子の罪で祖先の怨みは子孫の怨みだという思想

⇒不幸への執着はただの迷惑行為。罪人が償えばそこにカルマは無い。カルマというのは魂の学びに過ぎない。人の学びを強奪することなど出来ない。家族のカルマの学びは負の連鎖を断ち切ることである。

【先読みした三島由紀夫】

三島由紀夫はWGIP第2の矢である間接的侵略に抗った第一人者である。共産主義、間接的侵略に備え、楯の会を結成し、朝鮮系工作員を根絶させ日本国を守ろうとした。WGIPの初期にこの問題を解決しようと決起したのだが、三島の知能は群を抜いて高く、中々無関心層の共感を得るのは難しかった。その代わり、工作員に毒された者達からは中傷対象として注目された。

愛国心の根底に天皇が必要だが、現(当時)天皇の心は日本ルーツに由来せず、天皇改革も訴え続けていた。三島は朝鮮系工作員を根絶させる狙いを示していたこともあり、これに反論した者達の1000人を超えた討論会に三島は丸腰で出向いた。過去に五回もノーベル賞候補となった三島文学は世界で高い評価を得続けており、彼の産み出した数々の舞台や映画は後世にまで続き役者名誉に尽きるほど格式高いものである。加えて、東大法学部卒の財務省出のエリートである。ジャーナリストが世界の三島が出向く闘論会に喰い付かない訳がない。

1969年5月13日闘論:会場は反三島派、一般、ジャーナリストが様々な思惑で異様な緊張感に包まれたまま始まった。最初にマイクを握った三島は理性的で紳士的な言葉で気が済むまで闘論に応じる姿勢を示した。しかし、反三島派は名誉高い作品も中傷しながら、三島の言葉ひとつひとつを馬鹿にしあざけ笑いながら否定して事実を捻じ曲げて後世に残す記事をしたため書きながら話を進める姿勢で返応した。これに声を荒げることなく、相手の愛国心の真偽を見極める為であろう、共闘できるよう歩み寄ったり共通点を打診しながら最後まで三島節を堂々と展開していった。相手からは高尚な切り返しのように見せただけで愛国心の欠片もない空論が展開されることとなった。

三島の足元にも及ばない空論を仲間同士で称え合い、時には叱咤激励という茶番劇を加えながら三島の歩み寄りを有耶無耶にした。それでも、相手を一切否定せずに空論に斬りこむ三島の姿は大和魂そのものであった。それとは対照的に否定を繰り返した質問者は中途退席をし侮辱的な態度で一方的に締めくくった。しかし、三島の生の主張を聴いた者たちが日頃の主張が印象操作により捏造されていたことに気付き、三島の圧倒的な存在感に神秘的なカリスマ性を感じずにはいられなかった。

三島はこの闘論の一年半後、三島事件の後に自決をしている。

楯の会1968年10月~1969年10月:三島はGHQ主導の憲法には抜け穴が非常に多い事を指摘をしていた。特に「自衛隊」については、憲法を守る自衛隊は要らない。日本国を守る自衛隊が必要だと自衛隊に入隊してまで、声を高らかにしていた。しかし、既に、国内の至る所に朝鮮系工作員は存在しており、独自で祖国防衛隊 楯の会を結成するに至った。

三島は朝鮮系工作員とはまともな話が出来ないと早々に見切っていた

非暴力、精神的暴力による間接的侵略とは、何を話しても否定しかせず相手の精神性やアイデンティティを捏造を駆使しながら潰す事で国全体の衰退と崩壊を狙ったものである。これは、暴力的な戦争と何ら変わりはない。武器を無限のヘイト攻撃へと移行しただけである。闘論というものは、互いの良い部分を擦り合わせていく生産性があるが、ヘイト攻撃とは相手の話の趣旨を変え、良い部分を認めないところから始まって終わるのだから無生産である。精神的暴力という無生産なものに暴力という無生産で応えるまでのことであり、こちらの方が勝負が早くて実に良い。非暴力、非戦争と掲げながら共産主義者は日本国の自滅と崩壊を目論んでいる。これのどこが、「非」暴力なのだ?

魂は肉体を表わすエネルギー体が存在するが、肉体的暴力と精神的暴力による損傷の差はない。しかし、魂の学びを損害し続けるのは精神的暴力による損傷である。肉体的暴力を受けた後の損傷も存在するが、DVの元は精神的暴力を受け続けた損傷の後遺症によるものだ。

『暴力は暴力自体が悪でもあり、善でもない。それは暴力を規定する見地によって善にもなり、悪にもなるのである。三島由紀夫』

いつの時代も、ならず者は無生産だという事だ。危険因子は連鎖させない。三島ほど魂が崇高なものであれば神は多くを許したであろう。

『三島は高度な知性に恵まれていた。その三島ともあろう人が、大衆の心を変えようと試みても無駄だということを認識していなかったのだろうか? かつて大衆の意識改革に成功した人はひとりもいない。アレキサンドロス大王も、ナポレオンもブッタもイエスも、ソクラテスもマルキオンも、その他のぼくの知る限りだれ一人として成功しなかった。人類の大多数は惰眠を貪っている。 ヘンリー・ミラー小説家』

『僕が死んでね、50年100年たつとね「ああ、わかった」という人がいるかもしれない。それでも構わない。生きているというのは、人間はみんな何らかの意味でピエロです。これは免れない。 1970年11月25日 自決 三島由紀夫 享年45歳』

彼にはまだすべきことがあった。彼にしか出来ないことだ。だが、彼はリタイアすることで、未来の日本人にカルマを継承した。あの時聴こえた英霊の声と同じだ。『我々の死は犬死ではない。顔を見る事もない未来の日本人の幸福の為に 万歳 万歳 万歳』

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