幸せの成り方

あなたの笑顔が私の幸せ 自分の人生を生きると辛くなる  
でも あなたの人生の幸福を願うと 私の心の中は花が満開に咲き誇る

他幸を一心に願える者は 人より多くの闇を知り 

神の祝福を受け 自ら光となったのだ

地上にいながらこれほどの 幸福が得られるであろうか?

light

『親切にされたら、微笑みを返す

幸せに感じたら、その幸せを分配していく。

より多くの人へ届くように。

いつか 世界中が微笑みで溢れる様に。

誰かが、悲しんだら、誰かも痛むかもしれないと

悲しみで 世界が暗闇に堕ちないように 小さなうちに芽を摘んでおく

そうしたら、世界中がまた笑顔を取り戻せるかもしれないから。』

こんな、当たり前のことが、出来ない世の中となってしまった。

時折、「自分の周りにはこんな人居ない」「自分は理解しているから」といって社会問題を斬り捨てる人もいる。誰もが、自分さえ良ければいいのだ。親しく付き合う間柄でも、自分が困った時には「助けて」とは言わないものの、人からの善意を受け、相手が困った時は「自分には関係ないから」と突き離す無情な人も増えたものだ。

なぜ人は、目の前の相手の『人生の学び』を受け入れないのか?

失敗する人生から精神的財産を会得出来なければ、真の成功を手にすることは出来ない。

精神的財産を人生を取り巻く世界に、投資することで幸せが巡ってくる。投資先を間違えれば巡ってこない。

投資先を見定めるには、先ずは自分の真実を知ることである。知力、知性、感性、道徳心、力量。人生に学ばされている自覚があるのか?

その人生には、自分ひとりではない。様々な要因が関わっている。社会情勢や生きる環境。住む国。国を取り巻く世界。想像力の欠如が自分の未来を狭めている。思い遣りの欠如が世界を狭めている。

自分の人生に責任を持って生き抜くことというのは、人生の修行場である現世の事実から現実逃避をしないことだ。

賢者は先見の明を失わない

現実逃避をしないから学びが深まるのだ。

悲しみや憎しみから、平和や愛を望む善意を学び

愛や平和から、恵まれない事実に手を差し伸べる愛を持てる

その手が、もっと拡がるようにと、役に立ちたい向上心が生まれる

『情けは人の為ならず』

与えるから 与えられる 理解に努めるから 理解を得られる

それでも、裏切られる時もあるだろう

しかし、裏切りから、裏切らない善意を学べる

光を知るから、光を伝える

それでも、闇が拡がるだろう。

闇が拡がるからこそ、自分が灯になろうと輝き続けるのが神だ。

内なる神に沿う事とはそういうことなのだ。

成果主義になるのは、相手の神を見ないからだ。

社会の闇を見ないのは、内なる神を感じないからだ。

闇の中で光ろうとしないのは、神を信じてないからだ。

恐れは、無知から始まる。知を智に変える事で脱却できる。

誰だって、失敗はする。大事なのはそこから神の教えを感じることだ。

人の人生に寄り添う事で、ひとりきりでは成し遂げられない学びがそこにはある事を知る。

知ったように、理解したように、傲慢に振りかざして生きたところで、自分の狭い尺度でしか世界を解釈できないだろう。

世界は広い、宇宙の如く未知なる広域にまで、愛が行き渡った時

世界は好転するだろう。

我々魂は、人生というシナリオを通して、現世に学びに来た存在に過ぎない。

人生から精神的財産を学ばずにして、あの世に何を持ち帰るのだ?

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