発達障害とジェノサイド

発達障害は魂が一点集中型の課題を担って、この世に再生する肉我の性質である。人格障害も同様一点集中型であるものの、全く似て非なる加害性を有する国際問題の課題である。

人格障害の加害性については以下の通りである。

・自己愛性パーソナリティ障害:自分は特別な存在と信じ、他人を見下したり、思い通りにならないと激しく攻撃し、共感力や奉仕力の高い人に執着し、断れない理由を作り、責任転嫁の道具にする。

・反社会性パーソナリティ障害:良心の呵責や罪悪感を覚えず、ルールや規律に反し或いはマイルールに書き換え、自分の利益や快楽の為に他人を騙したり傷付けたりする。否定から始まり孤立状況を含め様子を伺い。利用しやすい人や利用価値の高い人をターゲットにする。

・受動攻撃性パーソナリティ障害:直接的な攻撃を避け、わざとミスしたり時間や手間を取らせるなど、非言語コミュニケーションで全否定を行い、知る権利を徹底的に侵害し、間接的に相手を攻撃する。上下関係、不可抗力のコミュニティや家族、パートナーにターゲットを絞り、堕ちていく様を被害者或いは支援者ポジションで楽しむ。漆喰な嫌味、迷惑行為も日常茶飯事。

・妄想性パーソナリティ障害:他者を無意味に疑い続け、些細な事で攻撃や無作為に否定されたと妄想し反撃するなどの報復を目論む。性的パートナーに執着したり、手あたり次第に自分の等身大や理想を追求し、少しでも外れたらターゲットに認定し攻撃や否定をし続ける。ネットリンチやアンチ行為など、否定や偽善を正義の声或いは真実と思い込む。母親と子の関係性やマザコン、宗教、カルト信者、ストーカー、欲情的ファン層に多い傾向である。

・境界性パーソナリティー障害:ターゲットにだけ、極端な攻撃性を示す。優しく責任感が強い人の同情心や注意を引き執着する。また、事なかれ主義を利用し声を大にしてターゲットを貶める。時にはターゲットを過大評価し、一気にこき下ろして優越感を味わうなど手法は様々である。教師による児童への嫌がらせや虐め犯罪、幸せな家庭や親子の愛情剥離を狙った犯罪は年々凶悪化している。不可抗力の圧力を掛ける特性である。

これらの一種のサイコパス層の共通は『被害者意識』である。報復の道は被害者側に権利があるという思考始点である。因果関係や真実など関係ない。自分がどう思うか、自分本位の主観権威主義であり、障害の為、指摘は暖簾に腕押しである為、刑法執行或いは公的制裁が唯一の薬である。無法地帯では二次被害、三次被害と関連被害が起き続け成功例の数だけ凶悪化する。これが、集団ストーカ犯罪、MKギャングの基準人格層であり、テロ層が意図した人格兵器の養育網である。侵略行為は国際法に反し兵器使用は固く禁じられている。これを国連やICCが擁護し公金を投資し続けているのである。サイコパス層は人を騙す事など朝飯前である。自己愛者、発達障害層を狙い同胞に迎え入れ、民意を操作している。体制が整うまで生命を浪費し、闇に葬って終わりである。

第一国防として動かない行政の無知蒙昧はバベルの秒前である。ひとつの時代が終わる。多勢の犠牲と共に。我々人類は、傍観サイドでいいのか?

 障害層を社会適合させる事自体が、理に反しているのである。魂の再生はただ循環しているのではない。社会的意味を持って、産まれて来ているのである。神の意図する人類課題は、部別化された人間構造に社会構造を適合させる事である。すなわち生き分け、住み分けが必要なのである。ある宗教や低層思想では神は赦しの象徴と崇めるが、神は各々の内なる善良心と精通する、魂の学びの象徴であり、総合体霊のコントローラーである。現在の国際問題となった生物兵器強要、カルト犯罪、宗教戦争、経済制裁、財閥独裁、移民犯罪問題の原点は障害優位主義者による健常層への排外主義が起こしたジェノサイドである。外国人だから不起訴ばかりなのではない。重度障害による刑事責任能力が『不能』と判断されたケースが公金搾取の人権擁護団体によって、真実が隠蔽され報道されているのである。

 企業の品質、技術、サービスの低下と崩壊は障害雇用による損害である。話が伝わらない。また在日帰化人を含め、外国人雇用による言語の壁や文化の違いの問題ではない。表現が違えどモラルや善良心は世界共通である。外国人雇用より反日気質の在日帰化人の方が極めて悪質である。客の損失が有耶無耶にされ、本当の被害者が泣き寝入りを余儀なくされるケースがうなぎ登りである。障害層にとっては、何が正解かなど関係ない。産業スパイによる穿った指導、指揮を受ければ、そのまま客の損失や正常な同僚をクロージングさせ、カスハラを盾に被害者ポジションで声を大にするだけである。社会的モラルや客の人権など合ったものではない。何をあがいても、障害特権が行使される様に、第三弁護士が援護するのが、現在の社会構図である。学校も職場もコミュニティも同様、基盤は障害特権の行使が、健常層を異常者扱いし都合よくでっち上げ、社会的信頼握り潰し、精神疾患や捏造して発達障害認定に追いやるなどして、社会全体の思想観や論調を低次化させる事で、障害層の常識を常習化させているのである。障害層の異常は健常層の真意を付く正義、正論や正常な愛念である。健常層の反論は全て加害と受け止め、被害者ポジションで同類項と結託して、漆喰な攻撃を繰り返すのである。健常層が絶滅するまで手を緩める事は無い。産業スパイや行政スパイからすれば、自死に追いやれば日本人の国籍は高値が付くから、攻撃兵にピッタリな障害層を駒認定し飼いならすのである。健常層の人間性が優秀なほど付加価格も跳ね上がるが、現実的には、整形や偽造疾患及び障害認定で誤魔化せれる程度の案件が手堅いようである。近年は自死に追いやらなくても、社会的排除すればマイナンバー操作で簡単に成りすますことが出来るが、死人に口なし状態がベターとして人間狩りを楽しんでいる様子である。

 かつて、日本国は非自民、非共産の8連立(7党1会派)細川内閣が、1993年から1994年の短期政権を握った歴史がある。その際、与党であった日本社会党は過去、現在、未来を見据え、福祉の重要性を訴え続け、憲法25条に大きく貢献した。『全ての国民が健康で文化的な最低限の生活をする権利(生存権)に沿い、国の責任と社会保障、福祉の拡充を強く訴え、昭和40年代の公害問題への対応、医療、保険、介護、福祉体制の強化を地方自治体レベルから推進した功績を辿ったが、左派社会党(共産派)との摩擦により、右派社会党は細川内閣の終演間もなく第一線を意図して退く事となった。ここで、福祉を主力とした国防に予算を裂いていれば、後の1995年阪神淡路大震災後に密入国した戸籍背乗り国際犯罪の抑止力になっていたに違いない。福島原発被爆拡大テロ、能登半島震災も同様である。侵略民兵の唯一の抑止力は福祉拡充が最も有効であった。右派撤退後、原案は矮小化され、子ども家庭庁のような公金横領省庁が拡充化され、加害性障害層を社会に送り、健常層が社会的排除や自殺に追い込められる結果となり善悪の概念が逆転した。下半身脳界隈で流行した逆さま理論は、欲求不満な主婦層をターゲットに神やスピリチュアルの新論或いは心理学の新時代だと刷り込んだ。本当は、善人を悪人に仕立て上げる為の詐欺士マニュアル或いはオウム仕込みの民兵養成に過ぎないが、そんな真実はどうだっていいのである。己の心の醜さが正当化されれば全て神の思し召しだという狂ったスタイルである。この波に飲まれがちなのが、発達障害層である。一方で攻撃を受け、一方で受け入れられれば、コミュニティに依存する事で、精神バランスを保とうとするからである。『攻撃&救世主』は勧誘行動の一手であるが、一度依存すると深みにハマり抜け出すことは出来ない。本人に脱会完了したと見せ掛けるだけで、遠隔コントロールは自在である。第三内閣、第三皇族である限り、社会的論調は加害性障害層優位主義である。

 国内人口1億2300万人(移住410万人)に対し、露見しているだけで、87万人程が発達障害、精神障害が603万人である。そのうち小中学生のLD(学習障害)を主に8.8%の推移である。知的障害は109万人ほどでいづれも厚生労省調べである。現在の義務教育、労働環境は言わずもがな障害層の基準値である。第三政府が意図して更に障害層を増やす意向である。戦後、原案を矮小化せず福祉を拡充し、生き分け、住み分けが行われていれば、人権構造の交通整備は備蓄されていたはずである。だが、障害層に実権が渡り、知的障害に問題が無くとも障害層にはその先が見えない。神を名乗ったテロリストを神と崇め、天使と名乗った悪魔を匿うのが、機能障害の認知回路である。強い感覚や、刺激に弱い為、権威や承認欲求、恐怖心を煽られると、自己愛性バイアスが機能し、善悪の概念より主従関係、多数派、金権主義、選民思想、偽善、偽造が『自己保存』『自己防衛本能』が過剰に働き、正しいと脳に認知させるのである。だが、ホワイト障害層は更に危機感を覚え判断の全てを放棄するが身体に異常サインが出始める。その弱点を突くのが、詐欺師の手口であり、どういった犯罪も相手を騙すのが基本中の基本である。第三政府が血税を惜しまず投資して来た事は、テロ侵略の基盤造りである。モンゴル、ウイグル、台湾、各国へ人権擁護団体、宗教団体が人権派、正義派を気取り、民兵の侵略をアシストしていたのである。正常脳であっても自己愛主義の場合は保留し、利他的視点の能力差が合ったとしても成熟脳が稀少数入れば、社会構造は正常化出来る。天と地がひっくり返った下層を地に戻し上層を天に戻せば良いだけである。つまりは、正常人格層に政権を担えば、全て解決するだけである。企業や暮らしも同様である。モラル回復も同様である。障害層は自分の犯した些細な失敗さえ、自発的に好転させる事も自覚改心する事も難しい為、社会不適合層なのは明らかである。冒頭で、述べた様に、障害層に社会に適合させようとするから、人間構造に不備が出るのである。例えるならば、水槽の管理運営を成熟層が行えば、魚種の住み分けを行い、どの水槽内も平和と発展が絶えないが、正誤の判断が付かない障害層が水槽を扱えば、管理運営の手間を省くために、魚種関係なく大きな樽の中にぶち込み、弱肉強食の世界が出来上がり、被害や損害が出ても、管理運営サイドの指示に従わせようとするだろう。果たして、これが人の上に立つ資格権利があると言えるだろうか?

 生き分け、住み分けを行った水槽を管理運営する財源は、戦争臨時徴収に使用された固定資産税を廃止しても、相続税、消費税、贈与税、過剰税を即時廃止しても、十分賄える。緊急事態宣言、非常事態宣言で給付金を国民一人当たり30万以上給付しても、問題ない。それでも、社会保障、福祉に出し惜しみするのは、逃走資金が必要な為である。つまりは、犯罪と分かった上で、意図的に水槽の中を弱肉強食の世界にしているのである。何故ならば、我々は勝ち残れると信じているからである。これが、障害脳の選民思想である。

 この世は、対の連動による炙り出しである。障害層をブラックかホワイトかに区分化し、細分化する事で対処法は見えてくる。加害性障害は過去世の行いと深く関わる為一旦保留し、発達障害、精神疾患、自閉症スペクトラム、解離性障害などの様々な課題が存在するが、本人が抱える闇と光は大きなものであると同時に、周囲の疲労困憊も軽視出来ない現状である。種別によっては、一定の分野で天才的な才能を発揮する可能性にも秘めているが、障害がチャラになるわけではない。場合によっては、能力を使う代償に、PTSDのフラッシュバックに苦しむケースもある。こういった時は、周囲の支えが何よりも大事であるが、衝動性のサンドバックになり、カサンドラ症候群を発症するケースも多い。支援側の精神が限界値に達し社会的にも精神的にも孤立化してしまうのである。ましてや、これが子育ての一環だとしたらどうだろうか?産後鬱、育児ノイローゼも重なり、虐待、自死、心中が全て悪だと言えるだろうか?何に追い詰められたのか?そもそも、当事者同士の障害因子が錯乱させたのか?前者であれば、追い詰めた側の精神加害による他殺あるいは過失である。後者であれば、刑事責任は有るものの、社会構造の人災である。ただ、母親の愛は障害を越えるものである。知的障害の有無や障害の度合いによって、反応は大きく異なるが、魂は確かに愛を感知している。特に、軽度やグレーゾーンの子どもを口先や体裁ばかりで本当は愛せない親も多い。親の隠れ障害が遺伝した場合もあるが、子どもの内はホワイト障害な場合が殆んどである。ホワイトがブラックに変わったのは、言葉にならない想いで愛を欲した魂の悲鳴だったのかもしれない。自力でホワイトを保持するのは余程の強力な魂しか不可能である。特に、障害の魂は愛の学びに敏感である。症状を愛す必要はない。魂を愛して欲しい。それが、魂の声である。親の元に行き渡った子どもは血縁であれ非血縁であれ、縁は宿命的である。また、親子関係とは違う宿命の相手の場合、担う事が魂の幸福である事が予め解る。互いに魂の準備が出来たら神の采配で巡り合う。

 障害の一番の向き合い方は、自分の過大評価を過信しない事である。過大も過小も必要ない。ありのままに受け入れ、他者に自分の過ちや行動、思考が理路整然と説明できるような、シンプルな暮らしのリズムを整え、些細な事に感謝出来る様になる事や、過ちには代替案や改善策、償う愛を果たす第一歩を目指していければ最高である。しかし、確かに人格形成のプロセスに必要な事だが、多くを望まず、繰り返さないように気を付け、出来なかった闇に堕ちるのではなく、出来る自分を思い描き一歩づつ歩む事である。一歩進んで二歩後退しても、進んだ事実は消えない。そうやって、可能性を拡げていく事である。時代に合わせた魂の課題に応じ、社会構造の変革を担う国の責任を追及する意義は次の通りである。障害別によって、人生の時間軸が異なるのである。そこを一律平等論の時間軸に合わせた、奴隷社会は即時廃止すべきである。やりたい事と、やらせたい事と、出来ることは違う。人類は先に進む意味を穿き違えているのではないだろうか?我々は、無機質な人工物に成り下がるのが望みなのか?弱肉強食の花も咲き誇らない世界で、踏ん反り返って人様を顎で使い、生き残って何が幸せなのか?2000年代になっても、裸の王様は進歩も進化もしない、人類の羞恥体である。

 この世は瞬き、あの世のは永遠である。あの世で現世を振り返った時、人類は何が残るのか?目の前の仕事に追われ、父性を果たせなかった者は、あの世で家を建て直し、何度も作り替え、家族の笑顔を待っている。忙しさにかまけ、母性を果たせなかった者は、家事を習い直し、身支度を整え、家族の温もりを待っている。だが、この層の者たちは家族と再会出来ない。誰の事も、何の事も、自分より愛する事が出来なかった為、家族の顔を覚えていないのである。それでも、『家族』という『形』に心が囚われ、果たせなかったカルマの中で生き続けるのである。障害層の魂はあの世で、誰が加害性を喰い止めてくれたか愚行を止めてくれたか誰がどんな愛をくれたかをひとつひとつ丁寧に案内担当と振り返っている。障害擁護を快く思う魂は存在しない。寧ろ、魂の霊性向上が阻害されたと眉をひそめている。障害は否定されるものでも肯定されるものでも無い。魂の一点集中型の課題に過ぎない。ペットの階層でも、人間の元で愛を学び、人間に転生出来る霊性進化を誇らしく思いながら、言葉や自律した思考力が持てる様に指導を受けている。飼い主との想い出をプライドに変え、新しい出逢いに向け期待を膨らませている。耳や尻尾などのところどころがそのままで、人間を練習している姿はこの上なく愛くるしいものである。我々、人霊は類魂を辿り、石、植物、動物を経験し霊性進化を遂げて来た。時代や国などを変え、人霊経験も繰り返し今世に至る。つまりは、森羅万象は我々の軌跡そのものである。石と植物は同じ生き方をするだろうか?石や植物、動物だって生き分け、住み分けをしている。何故、人間だけが全てを牛耳れると思い込んだのだろうか?人間は神の怒りの前では成す術もない。無知蒙昧の一端である。

 どんな障害があろうが、森羅万象の中、それぞれが幸せになれる世界がある。それを実現するのが真のリーダーシップである。あの世でさえ、神の厳格な階層別であり、神界でさえ、厳格な階層別である。人間界だけが、特別なのではなく、ただ無能ゆえに統制しきれていないのである。森羅万象のヒントを与え、高層媒体を伝いヒントを与えても、尚、似非信仰を手放せないでいる。それどころか、神のギフトに楯突くばかりである。何をしたって、バベルの塔は崩壊する。虚像層はノアの箱舟には乗れない。全ては、心根が無自覚に選択した天国と地獄の協奏曲の終演である。人類は無駄な抵抗を止めて、愛の真理に習い、神に赦されるまで愛に生き、神の愛に還る事である。魂は障害を負えない。魂は何人も健常である。障害が犯す罪を喰い止める偉大な愛が必要なのである。症状を愛す必要はない。魂で愛し合うのである。

 魂を愛した軌跡が、愛の真実である。

原作倉本聰氏のオペラニングルに出逢えた感動は、精神財産に刻まれた幸福である。精霊の肉我とも言えようか、ニングルは実在する生命の絆である。

ニングルを知ってから、一年以上が過ぎた頃、精霊に導かれるように、白い花を飾った棺が並んだ情景に赴いた。最初は、解せなかったが棺の中が透けて見え、ニングルが横たわっていたのが視えた。その白くぼわっと光る背景と共に、理解が進み、胸が張り裂ける想いであった。

人間は超えてはならない領域を超えた。ニングルたちは命を代償にしてまで、聞き分けの無い人間を、神の天秤に預ける為に、生命線を絶ったのである。森羅万象の秩序の為に。

精霊たちがどんなに叫んでも、人間は人間の過ちを正そうとはしない。森羅万象を犠牲にしても、何も感じず、何も愛そうとしない。

精霊たちには、この世を彷徨う、死人に見えたのであろう。

生命は愛によって、生かされている。

 愛を失った無機質な物体が、そこらじゅうでケタケタと笑いながら、血肉を探し、都合のいい能面を被って、這いずり回っている。

ある者には日常に映り、ある者には地獄絵図に映る。

あの世の魂の階層世界。

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