(note掲載2020年7月24日 18:32改訂版)
(足跡)
少女だった私は堕ちきった先は何も存在しない「無の境地」を知った。
人は道を失うと冷静でいられず嘆き狂ったようにさまよう。エネルギー尽きるまで感情を出し切ったら、前を見て歩くしかないと悟る。
そして、歩き出しながら、どこに向かっていけばよいのか分からず逃げ出したくなる。
だが、逃げ出す場所もない。なぜならそこには、「無の境地」だからだ。
目を閉じる。今度は心に問う。
人間は無力な生き物である事を悟る。
何かに頼らなければこの境地から脱出できないからだ。
道具や、人には頼れない。
もう一度目を閉じる。
どこからか、声が聴こえてくるが直ぐに消える。また少し聞こえるが直ぐに消える。
心を無にして声に全身全霊かけて集中する。
聴こえた「前を見て上を向いて真っすぐ歩みなさい。」
どれだけ待ちわびたろうか、ようやく聴けた歩くべき方角に、感謝の涙が止まらない。
何度も何度も、姿のない声に感謝をする。心が晴れたと同時に一寸先に光が見える。
もう足が先に駆けだしてしまっている。息が切れても感謝と歓びが止まらない。
あと少し。もう少し。光がどんどん大きくなる。
ふっと歩んだ道を振り返る。
最初は、彷徨よったランダムな足跡。立ち止まった足跡。歩み始めた足跡。信じて歩み出した足跡。駆けだした感謝の足跡。
今度は、ハッキリ聴こえた。
「これがあなたの軌跡」
上を見上げたら、そこには神がいた。
魂が泣き、魂が震えた。
神は地に居らず天にいる。
下を向く人生か上を向く人生かは自分の歩み次第なのだ。
神の愛を体感した時、目の前の光が自分を包み光の向こうから声が聴こえる。
恐れなど無い。光の中に入ってみる。
懐かしい顔がたくさんいる。ようやく辿り着いたと安堵した。
よく見ると、懐かしい顔は全て自分の顔だった。
(底からの脱皮は計画的に)
「どのように生き直すか?」を数日模索したが、どれも自分を奮い立たせるほどの「ワード」は見つからなかった。頭を整理しにふらっと一人で、いつもの神社へ行く。その小さな神社を「お宮さん」と呼んでいた。境内の植物や陽の光が心地よい。いつの間にか遊びに夢中になっていた。境内の隅から、1匹の猫が現れ、社殿の下からずっとこちらを見ていた。猫と同じ目の高さまで頭を横にして、遊ぼうとしたがじっとこちらを見据えて動いてくれなかった。どれだけ時間が経ったか分からないが、あたりも暗くなり始めたので帰る事にした。「猫ちゃんバイバイ」そういって、鳥居を出て振り返ると、猫はすっかりどこかへ消えていた。
大好きな猫にも会えたし「神様ありがとう。明日はもっといい日になります様に。」
そのまま、深い眠りに落ちた。
翌朝、通学途中に見慣れたはずの花、空、太陽がなぜかより美しく感じた。それだけではない。人の幸せそうな顔、優しい顔、が妙に目に留まるのだった。
いつもの世界のようで、180℃違う世界。
この日は優しさに包まれたような世界に感じたのだ。
その日の夜、ずっとボーっとしていた。どれくらい時間が経ったか分からない。時計をみても時間が頭に入らない。
自分を苦しめるだけの世界に今までどれだけ、エネルギーを奪われて来ただろうか?外の世界はこんなにも希望に満ちている。当時少女だった私は、心の闇から、一人では到底乗り越える事は出来なかった。これは、たくさんの人の小さな優しさの集結が、一つの思いやりとなり、少女だった私は光へ導かれたのである。また、小さな優しさに感謝する事は自分を救う灯となることを、神は教えてくださったのだ。
自己愛的世界から得られる幸福感は極めて低く、利他愛的世界から得られる幸福感の広がりに無限を感じた。現在のカウンセリング業務の基盤はここから始まったのかもしれない。
(自己愛と利他愛)
人は、生まれた落ちた環境で自己愛が満たされ、成長と共に利他愛に目覚めていき、成人したころは、第二の本能「貢献脳」が発達してくるのだ。しかし現代は自己愛的世界観の人が多い。自然界の恩恵を感じない食と無機質な環境がもたらした結果である。日本の信仰である神道では、「自然には神が宿る」とされ「ご飯を粗末にするとバチがあたる。」という教えの風習が一般家庭で多くみられた。特に「米」に関しては最高神である天照大御神の一説が残っている。「人々が食べて生きていくもの」として、天照大御神が邇邇芸命(ニニギノミコト)に手渡したのだ。特別な米だけではなく、信仰心のあった日本人たちは、全ての食は、天候や土地の条件が整ってこそ「豊作」となり「天神地祇」(天の神と地の神)の恩恵を賜る奇跡に深く感謝したのだ。
天が荒れれば、天の神に赦しを求め、地が枯れれば行いを振り返り、地の神を崇める。
神の領域と人間の領域に過信することなく、天と地の厳しさから信仰心を学ぶ。神と共存した生き方は、他者の中に「菩薩」をみる。この菩薩は菩薩同志が共鳴し合い。善良な人間で在ろうと謙虚に努める。この姿が幼子の教養となり「助け合う」意味を知る。みんなが手を取り合いながら、神の威厳に敬意を表して暮らしていたのが我々、日本国民の祖先である。現代の我々は、誇り高き祖先の教えを受け継げているだろうか?
戦後、日本国民は多くを失った。戦後の異国の文化は生活様式を変えた「物質の豊かさ」が世の人々の生きる目標となったのだ。物質の豊かさを追うほど、心の豊かさは失われていく。だが、戦後生きるには、何不利構わない姿勢が必要だった。戦争の心理被害はここから先の戦後に、闇が深くなっていく。物質の豊かさには、成功、競争、権力、支配力が必要であった。成果主義時代の始まりである。1954年には日本の高度成長期を迎える「Japanese miracle:東洋の奇跡」と異国で持てはやされる事となる。この裏側には、急速な発展による痛ましい代償があった。環境破壊により人も海も犠牲となる。「水俣病」「イタイイタイ病」「四日市ぜんそく」「第二水俣病」の公害病。大量生産による「ごみ問題」による大問題を、目の当たりにしても、多くの人は物質の「豊かさこそが幸福の象徴だ」という思想を改めなった。戦後1年の1946年 日本窒素肥料がアセトアルデヒド、酢酸工場の排水を無処理で水俣湾へ排出。公式発表は1956年これにより水俣病がようやく国民に認識されるのだが、公害対策基本法(1993年環境基本法施行の為に統合)が公布、施行されたのは1967年である。被害者と遺族の心情を思うと、実に遺憾である。戦後直後の日本は、孤児が溢れかえっていた。
成長期に必要な、「自己愛の満たし」を誰がするのか?皆生きる事で精一杯だった。
1945年厚生省は戦災孤児等保護対策要網を発表した。(1.個人家庭への保護委託2.養子縁組の斡旋3.集団保護の対策)しかし、実際は、同じ境遇の子どもで徒党を組んで生活した。また、窃盗、反社の下働きをする者も珍しくなかった時代背景がある。幼少期に自己愛が満たされないままだと心が、成熟しきれず自己愛から抜け出せない。そのまま成人すると、物質に偏った思考になりがちである。「今だけ、金だけ、自分だけ」(農業経済学者:鈴木氏)の愛念の通わない思想である。だが、人間の脳は未知数であり多くの可能性を秘めている。
自分の自己愛欲求の思考癖を知り、日常生活に利他愛の小さな実践を繰り返す事で、思考の尺度は広がる。自己愛欲求を認め受け入れ事で満たされなかった自分を癒し手放す事が出来る。命ある限り人は何度も生き直す事が出来る。因果応報で利他愛は自分も人から愛され
る唯一の方法なのである。小さな優しさの集結が一つの思いやりとなり、少女だった頃の私は救われた。どんな背景だって、運命の法則により変える事が出来る。また、自然霊界からは、これから先の世界に起こる厳しいメッセージと共に、心の在り方を正すまで自然界の浄化は止まらない。菩薩が共鳴しあう慈愛に満ちた信仰心に立ち還る時が来たのだ。
「大きなことをする必要はありません。小さなことに大きな愛を込めればいいのです。」
(マザー・テレサ)
「わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたたちとあり、あなたたちの心が喜びに満たされるためである。」(ヨハネ15・11)
「私の幸せは他者の笑顔の中にある」
底まで落ちたら上がるだけ
闇からみえる光に這い上がるには
相互の「愛」が必要なのである。
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