悪魔大祓い

悪魔祓いとは宗教や民俗信仰において、悪魔や悪霊を祈祷や儀式によって追い払う行為。世界各国の文化に存在し宗教などの信仰思想によって名称や様式は異なるが総称して悪魔祓いと呼ばれる。

信仰思想の扉の向こうに歩みを進め、悪魔のオルガンが鳴り響く運命共同体に身を委ね、ステンドグラスの逆さ絵に人々は神をみるのであろう。

神の獅子が暗黒で悪魔を喰らう姿に光の愛が溢れる

宗教家が巻き起こした悪魔のパンデミック

世界中の各宗派の宗教家数は現在世界の8割の人口数に達するが、神の真理に到達する者はいない。神と人との関わりは己のスピリットに神我を反応させることである。イエスやマザーテレサが集団崇拝に警鐘を鳴らした真実は時代を経て放置されたままである。各々が内なる悪魔と闘い。内なる神の手となり足となり目となるように己の精神性を己の責任で己の人生経路で高めるのが真の信仰心だということだ。その手法や答えが教典に記されているのではない。あくまでも時代に合わせた政治統一の陰に潜む偶像信仰思想に過ぎない。

神の愛に生きたマザーテレサを人身売買の闇を抱えた偽善者だと揶揄するオカルト信者の浅はかさは宗教派閥の期待通りである。マザーの願いは施設で暮らす子どもたちの真の幸福であった。子どもたちは家族愛に飢えており、どんな神の話よりも家族を欲していた。各々の事情で家族を失った心の傷はあまりに深く暗かった。家族の温もりを欲する子どもの願いは罪なのか?マザーは子どもの闇に寄り添うように神に一心に祈りを捧げ続けた。養子縁組の奇跡に心躍らす子どもたちの笑顔を重ね、来る日も来る日も願い続けた。どんなに待ちわびた事か、ようやく願っていたチャンスが音連れ、輝くような笑顔を残して多くの子どもたちが新しい家族の元へと旅立った。マザーは手紙を書き、面会を定期的に行い。笑顔に曇りは無いか、言葉に偽りは無いかを確認していた。だが、時代は複雑であった。紙は貴重で何度も出せるわけではない、返信が望めるわけではない。子どもたちが熱を出した時に不備なく医者を呼べる財力を持った家族が優先的に養子縁組に選ばれた。しかし、マザーと子どもたちが望んだ世界が各家庭に広がっていたのかはマザーにも真実が見えないままだった。マザーはもし偽りの姿を見せられていただけに過ぎなかったのならば自分自身を悔やんでも悔やみきれない現世の闇を月の湖に照らし続けている。施設存続も危うい時代だ。子どもたちの未来を考えたら新しい家族に希望を乗せる事に罪はない。しかし、子どもたちの思念に悪魔の誘導が掛かっていたとしたら?

悪魔は善意を利用する

イエスの人生は神との対話が全てであった。厳かに神と心を精通させ人生を豊かに彩る絵画の筆のようなものであり、外部にひけらかすような俗物ではない。外部はいかなる立場においても神との対話をアシストする橋渡しの領域を超えてはならない。何故ならば、相手の魂の学びを奪い取る事になるからだ。また、決して宗教的弾圧を犯すような群衆心理の道具になってはならない。だが、イエスを弾圧した宗教家は神の掟を全て犯している。それどころか、既存宗教で犯してない宗派など存在しない。さて、軍需利権に宗教利権は付き物であるにも関わらず『神の教えを布教する神に仕える者』と称するのは水と油を混ぜる如く合点がいかない。神は教典の二次元ではなく高貴なエネルギー体として共に存在する。神が示すスピリットへの務めを果たせないでいる限りWHO人口削減計画に黙認を貫く陰謀者と呼ばざるを得ない。何故ならば、生への依存、病や死への恐れをスピリットの学びに合わせて説かなかった結果、医療のカルマが膨れ上がり人口増加問題を引き起こし、人口削減計画実施に至ったのだ。神に仕える者とは肩書ばかりで神と対話出来ていない証である。また、小児愛者は宗教家から始まったと言っても過言ではない。宗教的抑圧からの性衝動が穢れがない子ども達に向かった鬼畜の事実を隠蔽し続けて来たのだ。宗教の仮面を剥がせば悪魔の遊園地に過ぎなかったという事である。

AI搭載の神を信仰するニューワールド

悪魔の楽園は中国を中心にAI世界統一国として完成を迎えようとしている。AI管理を必要とする障害アシストに限らず、人々の日常を完全に支配するようになればAI紛争や戦争を仕掛けやすくなる。開戦終戦の仕掛け役は人間が造ったに過ぎないAI神である。殺人成りすまし、盗用成りすまし、技術盗用、人身売買、未成年結婚売春などの情報売買が安易となり中国やテロが得意な分野で世界の利潤は回り始める。では、他国がイニシアチブを取れば事が前に進むかと言えばそうではない。中国の武漢から始まった生物兵器コロナパンデミックのカルマを被りたい国がどこにいるのだ?それだけではない。臓器売買、人身売買、未成年結婚売春斡旋、売春斡旋、情報操作、ハッキング、技術盗用、他国間摩擦誘導、カルトテロ扇動、環境汚染回避拒否、人権加害侵略、人口増加問題、人格病など大きな課題は後を絶たない。世界統一とは運命共同体になるということである。その尻拭いを全て行わなくてはならないのが王座の役目。しかし、それをAIに肩代わりさせようというのだが、当然カルマ解消には一ミリも響かない。人類が大きな船に乗り自滅の運命共同体を共にするだけである。人間がしたことは人間が始末を付けなくてはならないからだ。

日本の事例を見れば一目瞭然である。日本の政治も司法も、教育も、医療も、日本人の意見は今では一ミリも通らない。全て中国支那式だ。飲食店や不動産、水質、環境汚染、銀行、神社でさえ日本人のアイデンティティは盗まれ意見は通らない。産業も農業も技術を盗まれ畜産や漁業でさえ瀬戸際である。カルト監視工作、精神加害により冤罪を掛けられ社会的排除に追いやられた自殺数は2~3万人を毎年計上し続けている。ここに未成年の自殺数も加わったが近年はカウント数すら大幅に有耶無耶にしている。他国に対しても、帰化人の通名制度を利用し日本人の信用は破壊され続けて来た。だがしかし、これで日本は終われない。目に見えるものはいつか終わりを迎える。本来の日本はスピリチュアリティに溢れていた。持ち前のアイデンティティで他国間の摩擦や問題点を改善支援してきた歴史がある。日本に核など必要ない。原子力を使った脅しも必要ない。必要なのは悪魔払いである。

悪魔に慈悲は必要ない。必要なのは悪魔払い。

悪魔の餌の流れを一斉に封じ込め、神の騎士の二大巨塔が連携する時、龍国を目に東の騎士が一匹も逃さず流れを封じ、西の騎士が悪魔の巨体にいくつかの穴を開けた時、光の龍と獅子が扉の向こうに悪魔を送り込み、地球生命体が息を吹き返す光の時代が幕開けとなるであろう。

神の獅子が月夜に舞い踊り、いくつもの夜を光を求め歩き続けた。道の途中、光を与えようと申し出る者が現れたが、目付きが気に喰わずに嚙み殺した。また道ながらに王冠を与えようと申し出る者が現れたが、声色が気に喰わずに叩き殺した。そのうち、光が見え神の門に吸い寄せられるように歩みを進めた。その途中「迷いは無いか?」と神に聞かれ、神の獅子は微笑むように頷き門を潜り抜けた。

獅子は悪魔が魅せる幻想に打ち勝ち、いつもの調子で神の元へと旅立った。

全ては内なる神との間の事

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