結果を見ない傲慢さについて、真髄に考えたことがあるだろうか?何を根拠に、何に作用し、何を生み出したか?不純物の炙り出しを忌み嫌い。腐った餅を神に捧げ、お面を被り。己は腐った餅も喰いもしない。神我主義の理論が破綻している宗教や、神がかった演出を好む思想家の間抜けな旋律も邪教の同類項のお遊戯と言えよう。高層啓示を受け、神我が呼応する者もいれば、全く無意味な者もいる。これが、各々の魂階層の限界値である。後者にスポットライトを当て優遇する社会構図は分断を煽った単純な民族浄化ではない。これから先は、真の正義とは何なのか?全民族が考えさせられることになるだろう。
神の冒涜者は神に勝るはずもなく 闇の中で闇に制される死刑囚に過ぎない。
日本の移民問題は抗日三国(南北朝鮮、中国)による『成りすまし・たかり商法』を許した過ちから正す事が絶対条件である。国際結婚などの近代的法制度として1898年帰化制度が施行された。第二次世界大戦後のサンフランシスコ条約発効時、かつて日本国籍を有していた旧植民地者(台湾人、朝鮮人)の国籍喪失問題の解決策として1952年帰化制度から帰化人制度へと移行した。この時、国籍選択を巡った諸説が存在するが、抗日活動の煽りを受けて、浮遊する旧植民地者を自国政府が斬り捨て、市民兵を使い圧力を掛けた為、命にかかわる問題として日本側が救済せざる得なかった。しかし、受けた温情を仇で返す様に歴史が書き換えられて伝承され日本側も強要された。この後、1981年難民条約締結を受けて1982年に国民年金加入許容を理由として、国民と社会秩序を守る唯一の国籍条項が撤廃された。蓋を開ければ、国を深部から崩壊させる抗日三国の侵略を許す為の法改正に過ぎなかった。部落差別問題、同和問題を利用し、抗日国家への愛国心を隠し持った営業右翼が「人権侵害」を逆手に取り、日本国民の人権を剥奪する為に被害者の振りをして同情票をかき集め行った、詐欺脅迫行為に他ならない。
虚言と盗用から始まった儒教大国から枝分かれした、抗日三国
『裏切る時は反旗されないように大きく裏切れ』『嘘を付き続ければ真実となる』こういったスローガンを胸に秘め、成りすまし・たかり商法を合法化させる為に弱い振りをしたり、正義人のように振舞ったり幅広く演じながら、潜伏侵略の口実をカモフラージュして来たのだ。基盤がある程度、整備されれば社会思想を仮想化する工作に躍り出た。三国が得意とする歴史に深い毒殺計画を実行する為だ。オウム真理教のサリン事件を参考に、より多くの被害を出す為に、緊急通路を封鎖する模索を重ねたが、警備システムが整った日本では実行しにくい為、市民兵を育成するようにSNS工作に踏み切った。エスカレーター両側乗車扇動をする事で緊急通路はある程度封鎖される。東京の混雑時は整列をしないと命取りである。人工高密度による韓国の圧迫死事故も記憶に新しいとこだ。また、マスクと除菌などの病理、空気汚染の自己防衛策の無力化扇動は新薬、生物兵器利権の製薬会社の株価も揺るがす惨事になりかねない事情も加味されたのであろう。コロナワクチンが単なるワクチンだと捉えている層には到底理解出来ぬ領域である。詐欺師は些細な嘘を入り口に相手の思考、行動をコントロールする事で、己の猿芝居を固定化させていくものだ。
凡人は大きなことから小さく学び、賢者は小さなことから大きく学ぶ
売国政府により、国民には危険性を知らされない病が蔓延している。国民を守る立場の者が己の立場を按ずるような腰抜けしか当選しないワクチンでも打ったのであろう。この兵器ワクチンを隠し持った婚姻関係が日本中に溢れ返っている事で残忍性を持った子どもが増加していることを知らなければならない。血脈を辿り抗日三国から受け継がれた固定概念とカルマは簡単には消えない。かつて儒教を認めさせるため、全く罪のない自国の国教の信者を惨殺し、濡れ衣まで着せ立場を横取りする残忍さを肯定引継ぎしたままだ。残忍性を正当化する為に残虐性を身に付けた宿罪は果てしなく大きい。カルマは廻り続け、惨殺された怨念を果たすように、集中して三国に同質の魂が再生している。正に『目には目を歯には歯を』である。この警鐘を鳴らすように、移民問題が世界中の同質を炙り出すように起きている。この世の間違いも正解も、全て神の計らいである。間違いは正されるまで、この世に学びの石が投げこまれる。
個のカルマが、社会へ反映される。ひとりひとりが救世主ともなれば、破壊主ともなり得る危険性を理解しなければ、生きながらに死んでいる様なものである。
国民の意識体が集結した場所が内閣であり、ここから生まれた負のカルマの終着点がスラム街という事である。政治に無関心であれば、国民に無関心な政権と成り、外的要素ばかり求める地に足の付かない国の暮らしを余儀なくされる。節操のない考えが、外部の参入を安易に許し身を滅ぼすまで食い荒らされる事態を招く。無知蒙昧な国民が増えるほど、無知蒙昧な政権や国運を生み出すという事だ。
貧困には二通りある、金の貧しさと心の貧しさだ。スラム街はただの貧困ではない。真善美の愛が枯渇しているのだ。愛に向かって生きれず、破滅に向かって生きることで命を保つしかない矛盾を抱えている。金だけ与えても解決せず。心を豊かにしようとも愛が持てないでいる。たとえ人にやさしくしても継続しない。愛の真価が見えないからだ。本当の貧しさとは人の中に存在し社会の闇と共鳴するものなのだ。人身売買、誘拐、売春取引、テロや犯罪組織の隠れ蓑としてスラム街は重宝されているのも事実だ。宗教との癒着がスラム街の温存に一役買っている。
魂は国や時代を定めこの世に再生してくる。国と人はこの世の広義の親子関係であり、止む負えない事情で里親に出したとしても我が子には変わりがない。子は親の似なくて良い所ばかり似ると言うが、その通りの民族性を引き継いでいる。朝鮮は影で糸を引き、裏切りと騙しで相手を貶め支配する。中国は相手の手柄は自分の手柄と権利を摩り替え相手を叩き潰す。日本は神の心を失った。それぞれの親を唆す悪魔が、捨て子をロッカーに閉じ込めて息絶えるまで鍵を開けない気でいる。最大の悪魔は傍観する味方である。
傍観する残忍性と便乗する残虐性
自己都合主義が巻き起こした崩壊と破綻から、再起を掛ける利権に喰らい付こうと、もがく蛆を駆除しなければ前には進まない。どんな御託を並べても破綻と崩壊を齎した事実からは逃れられない。愛の枯渇が生んだ残忍性や残虐性は外的要因だけでここまで度を超えることは無い。魂の気質を環境要因が誘発したに過ぎない。愛を感知しない魂は存在するのだ。程度の低い愛を正義とするならそれが魂階層の限界値である。玉石混合の同じ時代に生まれ生きる以上、誰もが無関係ではない。同質であることを自覚すべきか、環境要因を排除する働きを買って出れるように己を磨くかである。自己都合主義者には周囲に責任感と領域を持つこと自体が広義の愛の始まりだと思えもしないのだろう。各国の政府が残虐性を持った民度を敢えて移民させ民族浄化を促している。社会的隔離が必要な精神階層を保護するキャパは無い。それ程、肥大化しているのだ。善悪の概念を有する教育を魂が欲しなかった結果である。環境だけが悪いのではない。己の魂が選択したのだ。人生の局面で受けた温情の度合いを受け入れ理解しようともせず。いとも簡単に自己都合に書き換え、相手の思い、言葉、行動を己の階層に摩り替える愛の枯渇。周囲の評価をコントロールし敵わぬ相手に勝った気になったとしても所詮は鳥かごの死刑囚。獄中で天下を取ったところで先は見えている。それでも、我らこそ正義、我らこそ善だと信じて止まないでいる。全ては、魂の宿罪が求めた結果である。善を挫き、闇を受け入れ、闇に制される天秤の皿の上で、何を思い何を求めるのか?己の真価が計り知れる。
この世で真価を学べないならあの世のループで学び直すに過ぎない。それぞれの未来と神の義慈悲。
剣を取る者は剣で滅びるが、剣を征する者は悪を征する
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