
時空を超え、国を超え、人々は戦乱を繰り返してきた。真の為に戦うのか?それとも己の為に戦うのか?人は真の責任を問わずとて、己の平和と豊かさの為に隣人の平和と豊かさを奪い、いつしか人々は愛する尊さを忘れ、神を敬う善良心すら失い始めている。真の善を澄ませれば、血肉飛び散る空に浮かぶ、あの時あの時代の己の苦悶の肖像画が生きる意味を照らし出す。
この神の御慈悲に畏れひれ伏すのが、人と獣の領域である。
かつて、アジア唯一の列強国とけん制され、連なる国々が策略を企て手を常ぎ合わし、我が神国の神と人を切り離し弱体化を虐げた。時代の大国と比較にならない小さな軍力で成し遂げた偉業は魂で闘わずして得られるものではなかった。恐れるものは何もない。我らの命は英霊と神と共にあらんことを肝に銘じる限り、ただただ神の眼となり手となり足となり、神の一本道を前進するのみである。
light
なぜ人は戦争をするのか?
『一つの政治的意見が一つの政治的意見を殺すのです。~略~ 政治的意見の本質は一面が気に入らないから殺すのじゃない。:三島由紀夫』
政治的思想全体が気に喰わないから殺すのではなく、政治的思想の一面が気に喰わない論争から始まった政治的摩擦が肥大化すれば、それは個と個の思想争いではなく、妥協点の見当たらない軍事的革命運動さえいとわない緊迫感の中から、古く錆びた政治的思想が死に。新しい政治的思想の改革案が生まれ、思想サイクルの時を優雅に刻みだすのだ。政治的思想とは面白いもので、癌細胞の一部を切り取れば回復する病状のものでさえ引き返せないトリックに陥るという事である。
本能と暴力
本能的な暴力とは生まれながらに備わっている生存本能、防衛本能の本能的欲求である。生命維持や種族保存に果たされる人間の自然な摂理である。原始時代から遡り、人類進化の為に避けようのなかった戦闘本能がぶつかり合う歴史の鼓動がいつしか、領土争い、資源争いに発展した。しかし現代では、衝動的欲求のブレーキとなる理性を失い。領土と資源に恵まれても戦争を止めることは無い。理性を失った本能的欲求はただの暴力である。正義というのは理性を保った戦闘本能に過ぎないという事だ。
軍需利権の旨味から抜け出せない残虐性を持った一部の人間が、本能的欲求を過剰に抑圧するなど心理術を悪用し、戦闘本能の矛先を遠隔コントロールすることで、戦争経済を世界利潤の軸とする動きが現代社会を支配している。
これに一早く乗ったのが宗教やカルト新興である。本能的暴力に虐待要素を加え、洗脳からマインドコントールが起きる状態まで、遠隔教育する事は情報権力を握ればいとも簡単である。彼らが、重きを置いたのは『隣人の工作員』の配備である。自然な形で、人の考えに侵入し意思決定を操作できるのは静かな隣人。いわゆる最も身近な者の存在である。例えば、出会い系アプリ、人を介した結婚、付き合い、友人関係、親子関係、家庭環境でさえ、いとも簡単に人の弱みを入り口に侵入することが出来る。また彼らの殆んどが『無自覚な洗脳者』である事も留意しておかなければならない。
明治時代からの帰化人によって、国内でも子ども社会さえ利用し偽史は語り継がれ、日本の誇りは矮小化されて来た。年長者の口から放たれた『それらしき物語』を誰も疑う余地がない。まさに、年長者や他者を立てる日本文化特有の善意に付け込んだ悪魔の仕業と言わざる得ない。
無知は罪なり
情報暴力、精神暴力は生き方も人も殺す最大の残虐性
支那半島民が過剰に肉体的暴力を否定し、情報暴力、精神暴力を同胞を集結させてまで、正当化する残虐性を日本人は語り継ぐ責務がある。木を見て森を見ず。小さな針を刺し続けた結果、大きな穴が開けば、それは立派な暴力以外なにものでもない。本能的暴力は誰もが備わっているが、残虐性を持つ者は一部である。
悪魔は個性を持たず、考えを持たず静かな残虐性に帰属する
悪魔は仮面を剥がせば、個性が無い。輝くのは個性ではなく、オウム返しの承認欲求ばかりである。一つの悪魔の木のように一律の思考で根が繋がっている。同質以外の個性の違いや存在意義が理解が出来ず自己の木に例え直し、相手を自分の低いレベルまで下げる自己都合のレッテル貼りをしないと気が済まない。自分とかけ離れた相手に憧れを寄せるのは光に蛾が集まる如く共依存の欲求である。問題点の根源に対して、何を見ても、何を聞いても、理解したように見せ掛ける技能を磨き結果的には、木を見て森を見ずで、御託を並べ永久的に改心をしない。自己の正当性を高めるために増悪感情を募らせ、偽善的な残虐性を漆喰に繰り返し、小さな針で他者の骨を削る執着心に恥を覚える事も無い。また、小さな針を凶器と検挙するには乏しい法の抜け穴に寄生する。隠蔽体質の集団依存を要する習性を持つ。
この世の学びを放棄した者は、あの世で学び直すしかないが、悪魔は自力であの世に帰ることが出来ない。
1937年12月上旬に起きた南京大虐殺の戦中プロパガンダに米が加わり、公文書という確かな証拠も無く日本人が引き起こした虐殺事件だと世界へ発信したが、事実は1937年7月29日に支那人が起こした通州事件の摩り替えである。通州事件には公文書が残っており、この証言や写真を使用し、支那人の罪を日本人に着せたのだ。これに米が関わったのは理由はいかにも無機質な軍事的思想である。当時日本は無双状態だと囁かれていた。日清戦争に打ち勝ち、また加盟国と共に勝戦した事もあり策士の役割を担う事も多々あった。戦時代では、敵うはずのないモンゴル大国を打ち返した。また、日露戦争の舞台を経て、強大国ロシアの勝戦国として注目され、アジア唯一の列強国と世界にけん制された。どう考えても分が悪いはずの小さな軍事力でどう強大国に打ち勝ってきたのか?得体の知れない危機感が世界を駆け巡ったのだ。その煽りを受けて、日中戦争下に起きた虐殺事件を利用し日本国を是が非でも敗戦国として虐げる必要性に駆られていたのだ。これが後に、敵国条項を虐げられ、未だに削除されることない足枷の理由の大きな一つとなった。
満州で起きた張作霖爆破事件いわゆる満鉄爆発も同じことだ。ポーツマス条約によって満州を譲度され、莫大な費用を掛けてインフラを整備し、短期間で一気に近代化させた。雇用や食品衛生、教育、医療、娯楽などを整え『夢の満州国』と希望を感じさせる街づくりを実現させた。最初は反抗していた満州民であったが、次第に心を許していき、思想を強制される事も無く、日本軍と共に暮らしを楽しんでいた。張作霖も同じく、日本軍と共に満州国を発展させようと友好的な関係は続いていた。だが、そのきっかけは、張作霖がロシアのスパイだと日本軍に射抜かれたところから友好関係は始まっている。互いに満州国建国に向けて前向きに打ち解けたのもつかの間。この関係は長くは持たなかった。兼ねてより、折り合いが悪かった張作霖の息子である張学良と日本統治が気に喰わなかった中国国民党の蒋介石がロシアへ張作霖を垂れ込んだのだ。日本との二重スパイとみなされた張作霖を爆破し、その罪を日本に着せる目論見を悟られまいと支那新聞は抗日的排外思想を煽った記事を捏造しながら大きく報道した。これによって、事実を訴えかける日本軍の声は掻き消される事となった。だが、事実が動くはずも無かった。現場で発見された爆弾はロシア製であった。また、GHQが禁書とした当時の書物の中から『昭和六年九月十八日午後十時、支那兵が我が満州鉄道線を爆破した。奉天北方支那兵営北大営をへだたる約千五百メートル柳条湖の近くの線路である。』と記されている。また近年になって、当時のロシア製爆弾と爆撃被害の証拠から検証し直すと、柳条湖の線路で起こった屋内爆発であった事が大きく示唆されている。線路に日本軍が仕掛けた爆弾とした支那兵の証言は物理的に整合性が無く、当時の日本軍の証言通り検証していれば近代の検証に持ち越さなくとも支那兵の自作自演だという事は整合性を持って理解が出来たはずだ。どちらにせよ確かのは、満鉄爆発で日本軍は何も得をしない、寧ろ損失の方が計り知れない。だが、二重スパイとみなされた張作霖との関係性をロシアに詰められれば、再度、強大国ロシアとの戦争に参戦出来るほどの財力は満州に費やしたため残っていない。連盟などの国際的しがらみから、最後はこの茶番を睨め付けながら飲み干すしかなかった。
強国モンゴル来襲時の鎌倉武士を始め、二・二六事件からでも分かるように、日本軍は後ろから人を刺し殺すようなまねはしない。殺す相手に警告し宣言し妥協点を提示した上で交渉炸裂した場合武力攻撃を行う。これが侍魂を引き継いだ皇軍の闘い方だ。
お天道様に恥じない生き方、お天道様は見ている
太陽神であられる総合神、天照大御神様を胸に刻み歩んできた誇り高き日本先祖は確かに存在する。情報、精神暴力が日本国民の自虐性を虐げられ、戦後も尚、数々の残虐性暴力を受け続けて来た。汚名を着せられた悪夢から敵は城の至る所に存在する。しかし、鎌倉武士が呼び起こした神風や、原爆投下後の被爆症で生と死の狭間の苦悶を枕崎台風が流し、我々は神の情けを賜って今に至る。日本総人口1割しか、このルーツを引き継ぐ者はいないだろうがそれで十分だ。世界を見渡しても国内3割ほどしか、国のルーツを背負う者はいないがそれで十分だとは思わぬか?
移民は水槽内の生態系を破壊するのと同じことだ。神は残虐性を持つ水槽を壊したのだ。神の意志を冒涜する事は出来ない。溢れた魚を真の正義で裁き、全水槽の生態圏を再生させなければならない。
人間の犯した過ちは、人間の手で始末を付ける。
戦争の平和利用は、戦闘本能を残虐性に的を絞って利用する事に限る。悪魔がこの世に産まれ続けるのは、偽善に埋もれた残虐性を逃し続けたからである。
さて、どの国が、神の正義を果たす世界最初の最強国となろうか?見物である。
Желаю тебе успехов

神社は我が目玉だ 返せ 返せ。
森は我が心臓だ 返せ 返せ。
水は我が血流だ 返せ 返せ。
土は我が心だ 返せ 返せ。
澄んだ空気は我が肺だ 返せ 返せ。
返せないなら 己の目玉をよこせ 心臓をよこせ 血流をよこせ 心をよこせ 肺をよこせ
國の誇りは 國津神との臍の緒
日本國よ 突き進め
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