隔離と管理

生命の因果関係を穿き違えた軍国主義層が羊化社会を生み出した。羊化社会で許される個性や主体性は牧場のナンバーリングに吸収され、商品化の生体選別のバーコードでしかない。牧場で生きる為に、陳列映えするキャラ設定の中で柵を超えない制限を叩き込まれる。与えられた仕事に自分で誇りを見出せない狭い視野で、金銭感覚だよりに人格の基盤である思い遣りや奉仕の心さえ制限する荒廃した感性を共有し、一律平等論の試験管で培養された世界線で社会情勢や他者評論を語り、世界を股に掛けたところで社会害悪の羊思想を拡げただけである。羊化社会で厄介なのは自分の頭で考え、行動を起こし、生かされる責任を果たさない事である。羊が世界の汚染物を気にしたところで柵の中に戻され、戦争が起きたって出荷されるまで柵の中で眠る事を強要される。だが、問題点の根拠から目を反らし社会害悪に従って良い理由にはならない。地球全体に視野を拡げれば、動物にも種類があるように、生きとし生けるものが無数の因果関係の中で暮らしている。地球全体の運命共同体という責任を度外視して、柵の中の自分たちの責任を放棄して良いはずがない。だが、羊化社会の人間達は餌を与えるほど貪欲になり闘争心に燃え共食いを始め、不都合なことは支配層に委ね、自分たちの権利ばかりを主張し、己の責任も任せた責任も負うことは無い。負のスパイラルから分かるように羊の支配層と言うのは同質の羊が押し出された結果である。羊が蒔いた負の遺産を正に変える能力が無い為、闇雲に首を斬って負の輪で調整を保つ結果となる。柵の内外から真実の声を拾い出し、神の御慈悲に気付けないのである。錆びた冠を被った自滅に向かう羊物語のキャストに過ぎない。

支配と奴隷は共依存の同質である。羊化社会に依存しなければ自己を保てない異常性自己愛に金と権力を惜しみなく与えても、生み出すのは腐敗と崩壊の低層社会である。これに群れが感応するように、真実を真似た羊たちが、真実の声を揉み消してきた社会害悪に他ならない。

悪魔に魅入られる人間にも動物にも満たない人面獣心。動物たちは必要な分だけ頂くが、羊人間は必要以上に欲する。羊化社会で生きる人間たちは、運命共同体に反した不自然な問題点に過ぎない。問題点が縮小することなく肥大化したのは、民主主義のツリーを彩る社会主義や共産主義により、羊に経営権や権力などの『身に余る権利』を与えたからである。支配層の狙い通り羊社会の規模に比例して、腐敗と崩壊に向かう侵略利益、軍需利益はうなぎ登りである。

真実に基づいた事実なのか?ただの主観なのか?

物事の根拠を見つめ、生きとし生ける原点に帰った時、歪みが生じる部分は本来必要ないものであるが、修繕が必要な場合もある。機械でも不具合が起きた個所に、粗悪な部品を使用すれば、ゆくゆくは全体が破損したり、事故が生じるのと同じように、社会問題が起きれば、何かを補填しなければならないが、穴さえ埋めればいいものではない。だが、再三の忠告も聞かず、粗悪品を使用し続け、周囲に責任を取らせようとする羊に性善説は通用しない。社会害悪となる場合は社会的隔離の必要性を無視することは出来ない。

社会的向上や運命共同体の調和に対応できるレベルに達してない層を社会に適合させようとする事自体、個々の学びと特性が何ひとつ考慮されていない不可解な構図である。隔離層適合者は牧場の習性以外は忌み嫌い、表面的で断片的なレッテル貼りに固執し、本質の高低差を捉えることが出来ない為、建設的な対話は成立しない。マインド補填に適した他責思考では飽き足らず、AI信仰や集団ストーカー犯罪、テクノロジー監視社会に魅入り、手法や思想に習い社会全体を自己都合に引き下げ自己保身に勤しむ。追い込まれるほど手段は選ばず、結果的に魂の学びや社会全体にマイナスを与える策や組織、人物に寄生し、ご託を並べ改心しない。性善説が通用しない特性には、人工知能の鏡が映し出す隔離管理社会が生態系の平和と秩序を取り戻す唯一の方法となる。

羽を忘れた鳥に飛べというなら あなたの羽を神に差し出せばよい。

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