
低い者は高い者に己を投影し、揶揄、卑下する限りである。己の万華鏡の写し鏡に妄想を抱き、自分以上の事は理解と努力が及ばないのが現代の人格病である。高い者には低い者の僅かな粗さえ、透けて見えるものである。高い思想観に習い、低い思想観を脱ぎ捨てる抗えぬ向上欲を高等動物の誇りと共に捨て去った様である。幸福や成功は苦労を前払いする義務を果たす事で始まるのが、この世の対の法則である。社会の幸福の務めとは社会の不幸を背負うという事である。似非やまがい物では決して果たせない真実の人類愛である。例え、他者の幸福を奪い、己の不幸を責任転嫁しても、物的事情が変化するだけで、正負のカルマは変容しない。思考=有言実行が成立しない無責任者や陽気に前向きに直向きな真心が無い破綻者には果たされない対の法則である。
運命を創り磨き上げるのは自分が蒔いた種の因果応報の限りである。
人間がいくら結託し、傲り高ぶったとしてもカルマは何も変わらない。
さて、人間未満の果ては如何なるものだろうか?結論、知ったような口を聞き自滅するのが落ちである。たとえ、日本人の精神性の礎である神社仏閣を制した所で、物的事情が変わるだけで、神々は何ひとつ変わらない。僅かに残った日本人の精神性に神が呼応し国全体が加護を得ているだけである。神我に精通する日本精神を破壊したところで内なる神も無傷である。ダメージを受けるのは人間的部分のみ。大病を患わっても、片足を失っても、精神加害を受けても魂は変わらない。だが、加害側は自ら魂そのものを奈落の底に落とし加害した以上のカルマを背負い人間らしさを失う。いくら着飾って、造形を整備したところで内側から滲み出る美しさや愛には敵わない劣等感に追われ続ける。また、誰かの幸福を奪い自分の不幸を責任転嫁しても本当の幸福は音連れず、物理的にも精神的にも多くのものを失う。たとえ、お金がいくらあっても渇きは潤せず、心も暮らしも飢え、自己暗示に掛けた幻想の世界観の中で生きる事しか出来ず、幻想と現実の境目が解らなくなり本当の自分さえ見失い低級霊を背負い体現する人生へと移行し、元には戻らない。
魂が帰幽する階層は格下の色の無い世界である。
精神性を差し置き欲得を競り合う人生を幸せと呼ぶならばそうなのだろう。しかし、己の欲得の為に、他者や社会を利用し搾取するのは身勝手極まりない幸福論である。本当の愛や正義心で溢れていれば安直な思考で人を裁く愚かさに身を投じる事は無い。しかし、無愛者は鬼の首を取ったように高らかに戦利品を掲げ、他者の弱みに付け込み、欲得を得ようと賛美する。人間はどこか矛盾を抱え生きるものだ。しかし、善悪の概念を失い生じた矛盾は負の元凶でしかないのである。
人間の弱点は愛する真実の経路に帰属する。愛で炙り出される己の未熟さを精進するからこそ、この世で生きる霊的価値が高まり、呼応した分の物的報酬を神の采配によって恵まれるのが古代からの自然の摂理である。摂理に反した分が負のカルマの種となる。
周囲を見渡せば現在の日本国がいかに落ちぶれたかが顕著に見て取れるだろう。偏向報道を妄信しテロ国家を支援する無知層は人間未満と言わざる得ない愚行である。ウクライナやイランは人身取引やテロ支援、核保有条約違反、国際海峡違法を犯しているテロ支援国である。これらを制圧する米国や露国を悪役に仕立て上げている事自体が日本国がテロ支援国だという証である。抗日三国の帰化人の人権を保護し生活を保障した結果がこれである。やはり、日本先祖が声を上げていたように侵略の種に過ぎなかったのである。国際問題だけでなく、子ども社会の犠牲者は予見していた通り増加している。辺野古学生殺傷事件、京都行方不明殺人事件も保護者に全振りした偏向報道が過熱し教育関係、共産事業が関わっている組織的犯罪の一角である。犯行動機にカモフラージュを掛ける為、抗日兵がSNSで音頭を取りテロカルト信者及び利権者で溢れ返り、知ったような口を叩き偽造工作に打って出ている。これを賛美する無知層の存在は世も末である。日本は創価警察が集ストを使い探偵ごっこが増えてから冤罪大国となったのは揺ぎ無い事実である。
辺野古事件は抗日活動を授業で扱う事自体が、教育法に反した違法である。また、政教分離違反の社会問題解釈の植え付け、扇動は憲法違反である。それだけではない過失は当然、安全管理を怠り虚偽を申告し犯行動機をカモフラージュした故意による組織的殺傷事件である。京都事件は行方不明になった直後から虫の息であった。体が麻痺した様に、あるいは血を抜かれた様な衰退ぶりであった。人身取引、生贄、臓器売買の人さらい事業による様子見の可能性も含み、両親は組織的犯罪から逃れる為に全てを被る可能性も大いにある。ましてや、台湾では継父は中国籍だと報道されたのが事実であれば、なおのこと共産犯罪組織に拒む権利は剥奪される。事実、共産党は殺人事件によく関わっておりオウム真理教同様、公安警察監視下である。公安警察のテロカルト依存率は2~3割であり、警察のテロカルト依存率が6割に対して少ない為、辺野古の海保がまともだった様に比較的機能している組織である。しかし、問題は黒幕の組織体が野ざらしに成り続けている事だ。被害者は犯人に対して「準備がされていた」継父に対して「身近に居る」母に対しては、母との愛のメモリーを辿っているところである。被害者の思念はどこか生贄を承諾せざる得なかった様な妙な受け入れ態勢が垣間見える。保健室に滞在しがちだった間に何かを悟った様である。そして、残された思念に両親への感謝と愛に偽りはない。家族だからこそ、つらく当たる事もあるのは愛ゆえである。しかし、集ストや闇バイト者たちは、継父である弱みに付け込み、職業背景をこぎ付け、断片を切り取って拡大解釈しSNSで拡散し救いようのない悪質さである。また、捜査撹乱、語弊、誹謗中傷、冤罪に繋がる様な情報を取り締まらない国が極めて無能である。まともな人間なら保護者への配慮が先立って憶測を控えるものである。それが口を揃えたかのようにSNSが先行して我が子を失った保護者への誹謗中傷を止めることは無かった。例え、疑わしくても法的確証がないまま素人判断はせず控えるのが最低限の配慮である。主犯は集ストのリーサーチ集計データーを元に犯行のシナリオを立て、冤罪を掛けれる都合の良い家庭を選んだに過ぎない。現に継父は自分が被れば丸く収まると考えている。悔いても取り戻す事の無い息子を想う自責の念が継父の心を無機質にしたのである。血の繋がりなど人類愛の前では希薄な肉体の契りに過ぎない。家族の事は家族間でしか分からないものである。また、報道される事件の真相は国民に知らされる事は無い。国防の為にぼかす意図があったが、近年は犯罪組織擁護の為の詐欺報道に過ぎない。
罪の無い異国籍者を似非日本政府は守る力など無い。これが、抗日三国が他国を侵略してまで、自国民に行う大罪である。反日感情を持っておらず、気立ての良い中国や朝鮮の善人を日本国内で守れないような日本人は非国民と言わざる得ない。日本先祖が天に宝を積んだ人徳をないがしろにする様な醜態だけは晒してはいけない。善悪の概念を見失い、犯罪者と同じ土俵に上がる様な愚行は人類最大の恥じである。
また、子ども社会も食い物にする犯罪組織は今に始まった事ではない。教育関係者などと連携し、児相の職員は何かと理由を付け、人さらいを繰り返している犯罪組織である。校門前で拉致監禁された児童は現に複数存在する。書類上は親の虐待の疑いなど勝手に丸め込んでいるが当然事実ではない。児童本人が施設から脱走して親に保護を求めるケースなどざらにある。これは愛情剥離を狙った日本人の社会的排除もしくは人身取引の様子見の目的を持って行われている。今回も山の捜索に重点を置くより、教育関係者、共産主義者、カルト宗教者及び各利害者を徹底的に洗えば話は早かったはずである。学校で行方不明になったのに防犯カメラを妄信し学校を徹底的に洗わなかったのはなぜか?防犯カメラの死角で、手をこまねいていた人物は一体誰なのか?単独か複数か?山の捜査で時間を稼いだのは、組織的犯罪の連携プレーが情報撹乱の為に証拠を散らばせた前座に過ぎない。人気のない学校の暗い一室や地下、周囲の空き家又は関係者の自宅別宅倉庫等をろくに調べもせず、監禁場所がまさか一か所だけだったと踏んだのならばお花畑も良い所である。組織的犯罪は監禁場所を小まめに移動させる。死体遺棄後の繰り返しの移転は現実的ではない。損傷の有無も転移し疑わしい限りである。実際、事件死した遺体の損傷部位については報道とは誤差があるのが大半である。また、創価警察により、情報撹乱の為の故意の捜査指示があった可能性も否定は出来ない。日本人をあざけ笑うかの様に偏向報道で世論に刷り込んだ典型的な計画的組織犯罪の氷山の一角である。創価警察、近所の学会員又はカルト宗教者、共産主義者、教育関係、子ども関係者を洗う方が主犯、共犯が炙り出され事件の解決は早かった。特にこの周辺の校長界隈や共産主義者はきな臭さの塊りである。だが、今回は様子見に過ぎない。テロカルトを舐めてはいけない。善悪の概念が崩壊している為、どこにでも潜伏し、何だってする上に執念の塊りである。もっと多くの子どもあるいは親子に危害を加えるか殺害する事で恐怖心を煽り、主従関係を叩き込み、人身取引、侵略犯罪を神格化させるつもりである。
これから、更に、子ども、親子を狙った組織的犯罪が増加する見込みである。学校で事件が起きると誰も予想しないからである。犯罪者たちは奇襲攻撃のつもりなのである。そして、決まって真犯人は迷宮入りし、犯罪の全容は犯罪組織のシナリオ通りに事は進み、台本通りの『犯人』が報道される。そして、羊層は組織的犯罪など身に体験するまで信じる事は無い。
生物兵器を政府が国民に任意と言いながら強要した地点で行政機関を信じてはならないのは当然の流れである。また、福島原発事故も故意による日本人ジェノサイドを狙った被爆拡大事業である。これまでも、子ども社会を狙った旭川女学生殺人事件やいじめ殺傷事件は無数に発生し、無法地帯のままであるが、表に出るだけまだマシである。犯罪者たちに余罪を積み重ね反省する事など無い。もっと巧妙に完全犯罪を行うまで労働党員から順次各業界に補充されてくる。どんなに上手く取り繕うが、親が子どもの時に通った様な学校は存在しない。犯罪組織の温巣となっているのが現実である。『義務教育』という責任問題で不安感を煽られ、犯罪者を見抜けない親もどうかしているのも事実である。子どもは大人の力を借りないと生きていけない。我が子を守るために親は自己保身は捨てて頂きたいものである。テロ支援国家に明るい未来の就職先があるはずが無い。学歴や肩書を配慮したところで子ども達の未来は守れないのである。子ども社会に必要なのは犯罪組織に順応する脳構造ではなく、犯罪に屈しない高い精神性に必要な、親や大人たちの大きく深い愛なのではないか?
『光り輝く未来を歩む、大切な友人たちへ
私は今21歳の若者として、この手紙を綴っています。あなたが今好きな人を愛し、好きな場所へ行き、自由に夢を語れること、それこそが、私の特攻が成功した何よりの証拠なのです。私が散った後の空に真っ白な飛行機雲が自由に描かれているのなら、私の人生に一片の後悔もありません。どうか、僕の分まで恋をして、僕の分まで美味しいものを食べて、お腹をかかえて笑ってください。この国がいつでも、歌声と笑顔で満たされていること、それだけが、雲の上で眠る僕たちのたったひとつの願いです。
美しい日本をよろしくお願いします。
さあ顔を上げてあなたの時代を思い切り謳歌して下さい。 』
(特攻隊員による手紙)
世界中どこを見渡しても死に間際に立派な言霊を残せるのは戦前の日本人くらいである。この想いを紡ぎ未来の宝を守るのが日本人として当たり前の責務である。理解が及ばぬ人間未満の権利など紙より軽いものである。
テロ支援国家となった日本国は制裁をま逃れることは出来ない。第二次世界大戦時、日本国がアジアの盾にならなければ現在の抗日三国は存在していない。英国、米国、仏国、和蘭国の領土や植民地となっていた。時を経て、戦争の意義は様変わりした。現在の軍事の存在意義は悪魔の制裁である。つまりはテロ撲滅である。これにより、人口の4割は最終的に削減される見込みである。本当のマフィアは世界の秩序が保たれてこそ仕事が出来るものである。世界の敵は終始テロカルト一択だという事である。
悪魔の人面獣心に惑わされるのも内なる悪魔の共鳴である。
嫉妬や逆怨みを正当化し、他者幸福を奪っても本当は何も変わらない。変わったのは己の獣心だけである。この世は対の因果応報の世界。あの世は永久の因果応報の世界。生き逃げも死に逃げも叶わない神のシナリオの一部に過ぎないこの世の過ちである。
如何なる侮辱を受けようが冤罪を掛けられようが、神我に沿う魂は永遠の光となり人種も国も時代も超え人々を照らし続ける愛となるのである。我々は偉大な愛に何を照らされているだろうか?
自分の歩いて来た道が未来の自分そのものである。誰のせいでも何のせいでも無い。歩いたのは紛れも無い自分の足である。

