宗教崩壊と終末論

神と人 

終末論を盾に、宗教戦争に政治を巻き込み人口削減を行い。グローバルリズムを言い訳に独裁洗脳する事が信仰者のすべき事なのか?

予言は宗教犯罪の犯行計画の一端に過ぎない。イエスを裏切ったあの日から、宗教者は悪魔の代理人である事は神も承知の醜態である。

メシア(救世主)とは、悪魔の圧力や誘惑に負けず、内なる神を裏切らなかった英雄たちに宿る神の理である。

生物兵器パンデミックの時、終末論宗教者たちは多勢が死ぬのを待っていた。信者優勢の時代が来ることをひたすら願い。罪の無い善人を罪人扱いし、社会的排除を徹底してまで、民族入れ替えを行った。

教典に寄生しなければ、正人を保てない人格病者を『神の子』として選民扱いし、インフラを破壊し、社会構造を改悪させる一方の悪魔の代理人たちによる被害が世界中で日毎拡大するばかりである。

霊言解釈の誤りは宗教信仰を持たない悪魔が齎す終末論ではなく、天変地異や大災害、社会崩壊を、引き起こすのは終末論信者たちの似非信仰である。つまりは神我無神論者である似非信仰者も含めた全宗教者を示唆している。イエスの死は人類の穢れを成熟させたのではない。人種、国を超え『似非信仰心』を炙り出したに過ぎない。

宗教は狂っている。人と内なる神を切り離し、悪魔の教典を刷り込むなど神の愛を知り得る者の出来る事ではない。

悪魔は制裁を受ける。神の愛は儚くも確かである。

悪魔

悪魔は隠蔽率で決まる。内なる残忍性や残虐性を正当化し、真善美の無さを責任転嫁するか模範盗用し体裁を保ち、手本そのものあるいは手本の真価を闇に葬る事で、厚化粧を積み重ねるのである。妬み、嫉み、怨みに支配され、出来もしない契りを交わし、平然と善を裏切り、増悪感情で被害者の正当防衛を無効化し、真実を塗り替え、被害者に成りすまし、次の策略を巡らせ、真善美を反転させるマウント思考に美徳を感じる無生産な性質である。類は友を呼び、善悪の概念より、主従関係あるいは依存関係に重きをおき、反転思考の無空論者たちである。こう言った言葉がある『悪魔ほど、現実に溶け込む。』言い見て妙である。悪魔の習性はこれに尽きる。我々、人類は悪魔の虚像を代理人によって歴史に刷り込まれ、既に虐げられているのである。本当の悪魔とは個性やアイデンティティを持たず、依存、集団化を好み、貧相で地味な生き物なのである。外見的、生態的特徴も含め、貧乏神や疫病神の再生魂と捉えると想像に余り無いはずである。彼らの美的センスは『貧相な華美』である。

悪魔の代理人とCIA

公的情報機関が人格病者、犯罪予備軍に情報提供する事で、善良心の有無を炙り出し、犯行手口と流れを観察する手法を用いている。これにより、無関係とも思える人々も犠牲を払う様にも見えるのだが、まるで社会問題の規模を同時に気付かせる意図を泳がす様に、人間的反応も含め情報として管理をしている。それ程、本当の悪魔を炙り出すのは枚挙にいとまがないのだ。2026年7月、集団ストーカー犯罪、別称ギャングストーキング、中国共産党の関与も含め、FBI協力の下、国家情報局が開局するという。これに伴い、高市内閣は情報局にテロカルト信者を正式に導入するとしている。正に、共産主義が放火犯の消防隊員にマッチを与え、他者の権利を侵害し、己の権利を主張する民主主義の腐敗物である。

百害あって一利なし

バイデン政権まで、福音派の終末論に振り回されて来た米国もこれからどういった選択をするのかは追うところではないが、終末論不随の異常気象説、地球滅亡説、地球寿命説は御用学者論説も多数浮上し百害あって一利なしである。また、資源の枯渇は資源還元を省みない地球汚染も含め医療カルマ過剰分の代償である。神の示唆する資源還元率は8割以上である。以前、2026年以降地軸が8度ずれ始めると記した事案とは別儀に神の示唆する部位は、『人間がした事は、人間が始末を付ける』という事である。異常気象、災害等については『人間の行い次第で如何様にも変動する』というものである。簡約すれば、馬鹿が馬鹿を担ぎ馬鹿が跋扈したこの茶番寸劇をいつまで続けるのか?という問い一択である。始末に負えなければ自然浄化で人類洗浄を行うという事である。果たして、神の手をわざわざ煩わせるほどの価値があるだろうか?

悪魔の部分代理人

神のカードは無限ではない。ではどこまでが『人間が始末を付ける。』制裁対象なのか?憲法や法では人間の範疇でしかなく、カルマ転移解釈の緻密さには欠け、神の理に沿った判断を要する案件である。日本の陰陽師道の、鬼、妖魔、悪霊、怨霊を射抜く学びが盛んだった時代は悪性魂の再生率は極めて少なかった。1870年(明治3年)「天社神道廃止令」当時の最高位:三条実美太政大臣が命じたことによって陰陽師道は公的に廃止された。公武合体を望む家系で育ち、朝廷と武力を合体させた体制を整え、後に尊王攘夷を主導した者である。要するに、これまで陰陽師道に沿った日本の習わしや国防を撤廃し、武力制圧で整え、後に権力を自分に集中させたのである。日本国の祖神の声より、暴力で国を支配したという事である。この後、100年も経たず日本国は国防の壁が完全撤廃し、ジェノサイドを受け、世界唯一の被爆国となった。それからまた100年も経たずして、侵略が進み、生物兵器パンデミックにより被爆被害より多くの死傷者を出す事になった。

お国の為に身を切り、血を流す覚悟は政治家が果たすものである。

現政治家は根本治癒を誰もせず、言い訳、逃げ口実の上塗りしかしない。政治家の口が、具体策が終いまで国民の知る権利を満たしたことは一度も無い。グローバル犬は詐欺師と同義である。国民主権を活かし、憲法改正に伴い国民の抵抗権を要求する事が重要である。憲法改正はどちらにせよ出来レースである。本来ならば、発議が内閣でも発案は国民でなければ筋が通らない話である。憲法順守義務は国民では無く公務員である。決定権が内閣に合っても国の主権は国民であるのが現日本国である。国民主権を無効化する義務教育に働き方改革、これらをより独裁化する憲法改正論に生存権の最大保障を確約し抵抗権を請求し行使する事で、犯罪者から国を取り戻す時である。憲法改正が通れば今以上に国民主権も奪われる。国民を騙し搾取した金や権力はあの世では無効である。いづれ人は死ぬ。国を愛し民を愛し抜き己の命を代償にする方がいかに政治生命において価値の高い生き様か?解せぬ外用人格病者を養う程、国民も神も暇ではない。ここは日本国民の為の日本国の領土だ。異論があるならば自国で骨を沈めるのが筋である。

他者や周囲を変えようとしない。自分が変わるべきである。

悪魔の部分代理人が存在する様に、善良霊の部分代理人も存在する。海外ではガイドスピリットとの連携は当たり前である。その上で、霊的能力を利用者に提供するのである。霊的無償奉仕というのは俗世の理を無心した見解である。工事金未払いで家屋ひとつ建てれもしないのがこの世の常である。ガイドスピリット自体が高次元であるゆえ広義の意味で高次元に分類されるが、狭義には善良霊の部分代理に属し、人霊向上の自覚を担う分野である。高層媒体は魂の帰属階層値が限定されており役割が別儀である。日本国内では、陰陽師道が排除されてから、似非もしくは低層媒体が99%という惨状である。時折、善良霊の部分代理を行う者も存在するのだろうが、霊言解釈が教典主義の罠に落ち、結果的に神我無神論、現世利益、物的価値観に偏向し、低層霊言と混濁した状態である。媒体力と霊的能力は別である。見識深く良質な番組を観るのか、娯楽又は悪質な番組を観るのか、視聴者の質も問われる事案でもある。宗教者の観る番組は解像度の低い宗教未浄化の憑依番組である。宗教者、予言者、霊能者等の存在を軽視してはならない理由のひとつでもある。集団憑依が常識化すると処刑台の上に首を置かれても家族や愛する人を道連れにして、笑ってられるものである。他者を変えようとする自律心の無さも憑依の一端である。何事も、相手を変えようとせず、自分が変わる事である。

宗教崩壊

御神木に聖痕が刻まれており、最初は修道女であった。半年後に訪れると修道姿はすっかり消え去っており、信仰心だけが刻まれていた。これは『宗教崩壊』を示唆している。人口削減について調べを進め、霊交を行うと浄化対象が炙り出され目を疑うと共に、腑に落ちる出来事を思い出していた。神我主義者がパンデミックの警鐘を鳴らしても、宗教者は高層霊言を軽笑するだけであった。そればかりか、宗教権威の乗っ取りという冤罪を掛け侮辱的な卑下をした。人類はイエスの時から何も変われないのか?宗教威厳は誰の為に必要なのか?パレスチナ(エルサレム)に突き刺さった十字架の血を滴り楽しんでいる宗教戦争のどこにイエスへの愛、人類への愛、神への愛があるのか?

我々人類は愛を穿き違えている。

愛は奪い合うものでも、等しく分け与える事でもない。

愛が愛を呼び覚ます軌跡を愛する紡ぎ合いである。

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