独裁と神の眼

民法:第709条に基づき、自己愛性人格障害の傾向がある加害者によるモラハラ等の被害は不法行為責任として慰謝料請求や悪意の遺棄(離婚事由など)として主張する事が出来る。 また、公的責務を担った弁護士が、この事実を矮小化し、加害者に有利に計らった場合や、被害者に泣き寝入りをさせるなどの倫理違反は懲戒処分に値する。

また、欧米では、自己愛性パーソナル障害の加害行為は精神的虐待や心理的支配として法的に厳しく罰せる傾向が高まり、イギリスやフランスでは、精神的暴力や支配行動を「高圧的支配」として、法的に犯罪と定義している。アメリカでは、共感性を欠いた過剰な自己賛美や誇大性が社会全体を脅かす「ナショナリズム流行病」として継承を鳴らしている。

海外で定義される「4大加害手口」

・ガスライティング:嘘や歪んだ事実を吹き込み、被害者の記憶や正気。現実感覚を失わせる操作。

・ラブ・ボミング:関係の初期段階で過剰な愛情やプレゼントを浴びせ、相手を完全に依存させる罠。

・フベーリング:被害者が離れようとした時に、別人のように振舞い、掃除機の様に吸い戻す行為。

・ストーンウォーリング:被害者が話し合おうとすると、無視や無反応(石の壁)で返し、精神的に追い詰める。

また、自己愛加害が組織化した集団ストーカー犯罪は、海外ではギャングストーキング、組織的嫌がらせと呼称され、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ヨーロッパにおいて、法的対応をなどの救済措置を進めている。

暴力とは、自己愛が利他愛を侵害、加害するものである。

 暴力の根源を追うと、近親相姦の歴史が見えてくる。かつて、大日本帝国が日本領朝鮮総督府を通じて、近親相姦を禁じ、試し腹、病身舞などの忌まわしき伝統を廃止させた。試し腹とは近親相姦の事である。嫁入り前の実子の妊娠機能を試すのだとか、また、その間に産まれた子どもは奴隷として売られるか、獣以下の扱いを受けるという事である。病身舞とは人様の病気を笑いものにして舞う習わしだそうだ。

この世には救ってはならない『魔物』が存在する。

 近親繁殖はユダヤや朝鮮に多く精神疾患者、障害者、凶悪犯罪者が多く産まれ、何千年も繰り返す事で、魔物化していき、元に戻る事は無い。国際問題、社会問題、個人問題など、地球上のあらゆる問題の因は自己愛加害に集約されている。魔物の生きる快楽は破綻と崩壊であり、自己愛加害から始まった生命依存体である。動物交配快楽種も同因子である。

自然性自己愛とは、幼少期から成人に成長するまでの一過性のものであり、成熟性自己愛加害脳とは全くの別儀である。

 人間知力の三大要素に欠陥が生じ、理性力が養われないのが特性である。理性力とは、感性、理性、知性であり、真善美に帰属し、道徳心、倫理観、善悪の概念、性善説、利他愛を自発的根拠に基づき解釈する人間基盤の知力である。認知の歪みを補正しても、自己保存本能が過剰に働き、事実と異なるマイワールドが出来上がり、『事実』との境目を穴埋めするために、『現実』そのものを変えようとする自己愛加害脳である。

宗教思想、集団思想、群衆心理の自己愛性バイアス。

 神はこの世の対の法則から融合を果たし、何も生み出してはならないとしている。つまりは、善悪の融合から調和も「気付き」や「視点」が生まれる事を指し、その因こそが、神と人との因だと問いているのである。しかし、宗教理念あるいは何らかの思想とは善悪の融合から調和を齎す『人間的思念』を生み出し、説法や教えを説いている。例え、外面的な役割を果たしても、神の眼には、神我経路に反したマインドコントロールの一種にしか映らない。これが自己愛性バイアスの因である。

 神の世界では、神我侵害は各々の元神が、神の世界から追放されるほどの大罪である。すなわち、魂が帰る場所を無くすという事である。死神界はこういった魂の対応で追われ、前代未聞の低俗繁忙期である。※未浄化霊の大半が宗教者である。

 低層媒体の霊格はゴシップネタ程度であり、引き合う縁も、視える見えない以前の人格形成の問題である。

 人間の原理原則に立ち返り、国際問題に焦点を当てれば、共通項は『自己愛加害』に集約され、自己愛者の流れ溜まりが犯罪拠点となっているのである。地球滅亡論、世紀末論などが、人口削減プログラムに繋がったが、魔物が溢れ出したままである。寧ろ悪化の一手である。そもそも視点が間違えているのである。人口削減が必要なのではなく、魔の増加率が問題なのである。法に従い処された結果、社会が好転し人口が減る未来航路図が拡げられているだけなのである。毒された国々は、法の解釈が自己愛加害のはずである。人間の原理原則に従い好転させれば良いだけである。

犯罪拠点を追うより、自己愛加害を追え。

 自己愛者は理性力を持たず、認知障害が偶発し整合性が保てない為、思考や言葉と行動が一致せず、自己愛者同士にしか保てない世界観である。守られた環境でも、粗悪な環境でも不平不満を並べるが、大差はない。真善美に共鳴する機能が作動しない為、敵対視するか、模倣的な喜びを魅せるだけで、何を見ても、何を聞いても、基本的に大差は無い。模倣繁殖する生命反応が強く、ひとめでは分かりにくいが、生気も心も無いマネキンが、蝋人形の増産に使命を感じている様である。

あの世の役所。

 雲の上は案外、固いのだ。周りを見渡せば、輪になって話してる人や、ボーっと何かを眺めている人も居た。付いては消えての豆電球の様に、人が増えたり、消えたりしている。みんな白い服を着ている。

 現世の自分の体温は仮死状態の様な寒い感覚であった。よくある事だが、場面が場面だけに急に不安に駆られ、案内カウンターに駆け寄った。所属などを聞かれ、それが手続きと成り、調べを進めてくれていた。その間、左側に目をやると、案内係りと共に別次元に吸い込まれていくのが分かった。

 私はその先を知っていた。現世に降りるまで働いていた次元だったからだ。人間は死んだ後、人生モニターを観ながら、見直し作業をする。私は送られてくる魂の見直し担当であった。現世では説明行かなくても、あの世とこの世の狭間では魂の記憶が誘導してくれるものである。不可解にも、多くの魂がモニターさえ見ず、未浄化を選択して、現世に逃げ込んだことである。この謎を解明すために、再生する必要が無かったのに現世に行ったのかもしれない。

 そんな事を回想していたら、窓口の方に呼ばれたが、首を傾げるばかりであった。ふと、現世にどうしても伝えなければならない事を想い出して、直通電話を掛けてくれと大泣きしながら頼み込んだ。あの世の就労記録に考慮してもらい電話を取り繋いでもらったが、現世時間では、とっくに10年は経っていた。そして、言葉が上手く伝わらずに間違い電話だと思われ切られたのである。更に大泣きしてしまい。覚悟を決めた時、窓口の二人が眼を合わせあってパチンと瞬きした瞬間、現世に戻っていた。

体に何も異常なない。健康そのものである。それから、10年経った頃、間違い電話が掛かって来て、何を話してるか分からないから切ったという話を聞いた。確かに、私はその人物に伝えたい事があった。でも、これが雲の上の直通電話という保証はない。

 この後、私はイエスの「信仰心はどうした?」という言葉を想い出した。粗狂う海で航海中に弟子がイエスに助けを求めた場面の言葉である。

 を活かし生きていれば、死を悔やむ事も、恐れる必要も無く、ただ、本当の世界に帰るだけなんだという事である。でも、私はその時、後悔をしていた。現在は、生き方を大きく変えたが、本当は変えたのではなく、本来の自分に戻ろうとしているだけなのである

誰もが、あの世の愛に生きる、愛の苦難者である。諦めずに進めば、その先に見える世界は、懐かしくてたまらない、愛しい我が家なのである。

この世はあの世の写し世である。

『人の道を歩まぬ者が、人の前を歩むべきではない。人を獣道に誘ってはならない。』

この世の物的事実は思考から始まる。

写し世を、天国にするのも地獄にするのも人間次第である。

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