老害と予備軍

英霊の犠牲と国霊先祖の努力と愛が生きた証が、国の礎である。

敬えない国境を超えるべきではない。

さざれ石の想い御霊が囁き合い。陽に照らされた屈辱が数か月前の様である。

『国家を肩に 一家を腕に』『子どもの健康 それ国防』『権利は捨てても 義務は捨てるな』『一人一人が 御国の柱』『護れ祖国 信ぜよ自力』『護れ日の丸 汚すな歴史』『うかつなお喋り スパイの好餌』『坊諜へ 心を配れ 目を配れ』『咲いた話にスパイがをどる』『一億員 あたれよ坊諜』『一億が 一つ心で 坊諜団』『掛けよ国民 防諜マスク』『護る軍機は 妻子も他人』『武器持つ敵より 武器なきスパイ』『日の丸持つ手に 金も持つな』『支那の子どもも 日本の言葉』『儲けることより 奉仕の心』『スパイはスパイらしくなし』『万の敵より 一人のスパイ』『知らずに国売る 知つた振り』

※1922年大正11年から1945年昭和20年までの戦時下の国民の国策標語である。

立派な先人の知恵を継承せず、我先、我先にと、踊り狂う老いた仮面の正体。

日本建国始まって以来、最大の恥じである。

 日本国は紀元前660年2月11日に建国された歴史を刻み、加害性人格層の継続的な問題に早々に取り組み、精神性を重んじ継承して来た民族性である。我欲に溺れたグローバリズムの流れが『人権』という魔法の言葉を隠れ蓑に、加害性人格障害層とその被害層の精神疾患層を混濁させ、継続的な国益の損失を有耶無耶にしたのが軍需覇権国である。資源が枯渇し人身売買で栄え金を握り、権力拡大を目指して侵略兵に適した人格を探し当て、善良心の前で怖気づかない加害性に着目したのである。加害性が見受けなければ軍隊教育と称し、善悪の概念を破壊し、行き場のない吐き溜まりを忠誠心に置き換え、軍人とは別儀の使い捨てが出来る人格兵器に仕上げたのである。武器を使用せず、疑われずに相手の懐に刷り込み、相手の善良心を搾取出来るのが、サイコパス及び加害性人格障害の特性である。この特性を活かし、意のままに操れば、手を汚さず侵略犯罪が完結する画期的な策だと賛美し合ったのだ。大事なのは国際法を逃れ、現地での民兵を確保する為にも、国際的人権や宗教の自由を隠れ蓑に、国家機関の統一の必要性を民に飲ます事である。人身売買で栄えて来た国を古来の日本国は野蛮だと避けてきたが、グローバリズムの犬となった徳川家や坂本龍馬が日本の不動心を書き換える一石を投じ、革命という名の売国以後、戦乱は続いた。徳をするのは軍需利権屋と御用達の宗教屋である。宗教は神道や陰陽師道と違い、倫理観や道徳心、国家理念や森羅万象の調和を説いているようで、軍需利権屋が撒くプロパガンダに同情票や賛同を得るために集団心理をコントロールする役割である。歴史書と真実は表裏一体の融合的関係である。

 1870年明治3年、すっかりグローバリズムの手腕に乗った第三国層の一派が、国感情を天社神道禁止令に誘導し、陰陽師道を公職から追いやったのである。次に狙ったのは天皇信仰の礎となる神道等の完全廃退である。日本国から神の眼を奪えば羅針盤を失った船は直ぐに沈むと踏んだが、どんな乱世が押し寄せようとも起死回生するのが大和魂である。例え恩を仇で返されても、日本人はお天道様に恥じる精神性を好まない民族性である。誰にも見られてない時こそ、誠意に尽くすのが人の道と悟りに尽くし、有言実行する精神性を磨き、いかなる因果応報からも謙虚に素直に学びを得る姿勢は、いつの時代も変わらない。大和魂は敗戦こそしたが、あの世の勝者である。権威性加害層も何ひとつ変わらない。いつの時代も加害性を責任転嫁し保身に努め、あの世の塵である。

人間は欺けても 神は欺けない。真実とは高尚な愛念に継がれるものである。

この世は瞬き あの世は永遠。

 憲法98条第1項:憲法に反した法律、政令、省令、条令等は全て無効である。第三国層による、第三国層の為の、第三政府第三皇族は政教分離違憲を始め、人権侵害、生存権侵害、平和主義侵害、侵略幇助、成りすまし、詐欺、横領、汚職、犯罪に明け暮れ、存在自体が憲法違反である。では、第一等とは?第二等とは?世界最古の秘密結社が日本国に存在し、世界を牛耳っているという噂がある。坂本龍馬や吉田茂、国際戦犯もその内のひとりだと通じる者に必要なのは発言権ではなく治療である。彼らはただの売国奴に過ぎない。境地に立たされメシアを望み、己らの犯罪歴を正当化しようと悪あがきする姿は、まるで趣味の悪いオカルト信仰の祝詞と同じくらい不衛生である。総霊体の順序を辿り視れば、第一等とは国霊総体の権限であり、第二等とは国民主権の事である。第三政府は決定権を国民から預かっている立場に過ぎない。また、第三国層が第一等を超える事は出来ない。すなわち何をどうあがいても、仮想組織に違いないのである。日本首相が国際機関に相手にされないのは売国棄民の鬼畜さばかりではない。『仮想組織』だからである。第三皇族が複合カルト団体(イルミナティ)の象徴として君臨出来ているのも、水面下では公式に存在しないからである。無知無能かつ無責任な老害のお陰で、国民は過去最低の政治概念、家畜論調である。先人の血の滲む努力で成し得た国民主権の重みを理解しようともせず、立て付け看板に囚われ真偽を見失い、犯罪組織の計画的犯行を招き入れ、税金という形でみかじめ料を黙々と払い、アリバイ工作を受け入れ、他力本願に狂う始末である。1970年代に入り、国籍条項を撤廃し、災害や密入国を利用した戸籍背乗りの人権が優先され、生き延びたのが現在の老害である。人間は苦労した分、他人に優しくなれるものである。だが、加害層には通用しない。異様な目付きで人体情報を搾取し諜報員に用意された模範解答で体裁を保つのである。

目は口程に物を言う。

国防は人の道以外に在らず。

 人類は、窮地に立たせれればメシア(救世主)を望むが、傲慢で打算的なエゴを手放さなければならない。イエスの殺人現場から何も学び得ないのが人類の最大のエゴイズムである。宗教者はイエスを最高峰の生贄として色を付け賛美するばかりである。身代わり地蔵も生贄と同義である。身から出た錆びを責任転嫁した地点で悪魔崇拝或いは低級霊と同等レベルなのである。低級霊の自発的根拠に基づいた思考力は皆無である。いかなる感情を出そうが、模範解答、オウム返しのオンパレードである。神道や陰陽師道は自発的根拠を問い続けるが、奥議の高尚さを理解する者は稀である。、また近代に移り変わり、高層媒体を伝った霊的真理はこれらの最新版と言えるが、真意を解せる者も稀である。つまり人類は、因果応報の責任転嫁を止めない限り、メシアの声さえ理解出来るレベルに達してないという事である。日本国の敗戦理由は天皇信仰にある事は間違いない。内なる神への信仰心の前に生き神を信仰心とした因果応報である。負け知らずだった日本信仰は、内なる神と国の象徴が直系霊体である場合が多かった為、理に叶っていたのである。だが、神と人は更新し続けるものである。その時代に合った象徴を神は先手してこの世に送り込むが、人類はその希少価値に気付けないでいる。寧ろ異端者の様に扱い、生贄の道具にするのが関の山である。その代償が闇の濃い時代の再来である。魔女狩りと称した黒魔女による天使狩りが時を経て商業となり、戦争経済と宗教商法が連立しているのである。破壊するのは簡単である。因果応報の責任転嫁を人類が止めれば良いのである。さすれば、魂が向上しこの世の波動も連動し始め、対が融合するエネルギーでメシアが現れ、浄化と再建が行われる。

この世の創造主は神々である。人類は森羅万象の一端に過ぎない生命体である。

 歴史から高尚な愛を汲み取り、後世に伝承するのが年配者の役割である。だが、見渡す限り、今だけ、金だけ、自分だけである。低い視点で世論を説き、後世に伝え歩く様は、サスペンスホラーさながらのZ級映画である。創世記第22章に神がアブラハムの信仰心を試すエピソードがある。「あなたの子、あなたの愛するひとり子 イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を焼き尽くす捧げ物として捧げなさい。」と命じアブラハムは苦悩の末、神の言葉を信じ祭壇に息子を縛り付け殺害しようとした時に、天使が現れ「その子に手を下してはならない。あなたが神を恐れる者である事が今分かった。」代わりに雄羊を生贄に捧げる様に命じられ信仰心を試されたというエピソードである。動物虐待と殺人未遂を信仰心の試練と解釈する倫理観の無さが、やはり宗教というのは起源から狂気じみている。神への愛が、人間的な倫理観を超え、家族や最愛者さえ超えるものだとするならば、人類愛が希薄や差別的になるのも当然である。承認欲求の為に殺生を犯さず怨霊退散を命じるのが正解である。信仰心の為に殺生を促す神など存在しない。このエピソードが1割本当だとすれば、アブラハムは神の試練に落第したオチが正解である。アブラハムはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三大一神教の始祖とし「信仰の父」として崇められている。三大宗教は政治的軍需利権との深い歴史が論より証拠である。

太陽が月に恋をし、月が太陽を愛する時、一方では始まり、一方では終わる。つまり森羅万象の浄化と再生である。
神は内なる聖域に達する愛の真実である。
メシアの光に照らされても尚、死にゆく塵はメシアを探し彷徨い見果てぬ虚無となり
内なる悪への勝利の先に、神の軌跡に愛の極地を知る。
愛とは惨くもあり、虚しくもあり、生きる生命力そのものでもある。
我々人類は、あの世の愛を果たす、この世の愛の苦難者に過ぎない。
悶え苦しむからこそ、愛の真実を知る。
憎しみが残ろうが、感謝が愛に変わろうが、全ては内なる神と悪との狭間の人の心である。
生きるとはそういう事。
死とは、愛に生きた証を神に奉納するという事。
全ては自分次第。何人も己のカルマに責任を果たせるのは己だけ。犯した罪からも、蒔いた善からも意図する事は出来ない。
光の道で学ぼうが、闇の道で学ぼうが、全ては内なる心と魂の欲求である。
メシアは真理の月明かりで人の軌跡を解き、太陽に照らされた人の闇を影に変える。

何人も救世主でもあり、破壊主でもある。
この世を欺けても、神の眼を欺くことは出来ない。
魂は愛の真実に向かい因果応報の実行によって生かさる価値に過ぎない。

この世の罠とあの世の真実。

『イチオクソウニン スパイノクビヲサラセ 日本國万歳 未来栄光』

 靖國神社に諜報の血を祀った売国奴の愚行が、我が英霊たちの想いを無下にし今も尚、行進は鳴り止まないでいる。有色国ジェノサイドが横行した国際情勢の危機的未来を見据え、世界平和の為に国際犯罪の脅威と闘い抜いた英霊をスパイと共に祀るなど、これ以上無い侮辱である。こういった屈辱に81年間も耐えながらも和合の道を提案し続けて来たが、相も変わらず人の心に在らずの様子である。

 動向:民兵は空機爆弾、産業スパイを増強し文化公共、経済市場にトラウマを与え、生物兵器感染者を使い大規模ロックダウンを思案実行する。だが、これらの多くは国霊総体の加護により一刀両断となるであろう。また、日本国は英国とウクライナと共に窮地に立たされ、犠牲は捕食層の下方から始まる。全ては因果応報。裁く愛と償う愛。自首し情報公開するか、塵と化すか。生き逃げも死に逃げも叶わないのが、この世とあの世の真理である。

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