結ぶ縁と切る縁

光に包まれた一体の弧霊が、迷い込んで来た。思わずそっと岩陰に隠れたが、好奇心大勢で可愛い顔が、こちらを覗き込んでいる。小さな龍と小さな弧霊との出会いはとても美しくて完璧だった。龍から見た弧霊はダイヤモンドの様に美しく輝き、愛くるしくてたまらなかった。悪戯好きな可愛い笑顔に見惚れ、一緒に過ごす瞬きが何よりも幸せだった。いつもの橋を渡っている時、神様が、人間界の様子を水面に浮かべて眺めていた。神様の足元に隠れるように慎重に覗き込んだ。人間界の情景は時空間を紡ぎ、おぞましい光景で一色であった。天使の羽が喰いちぎられ、悪魔が跋扈していたからだ。居ても立っても居られなくなった。行かなきゃ。行かなきゃ・・。でも、みんなが悲しそうな顔で止めたんだ。『もう、人間には無理だよ・・。』誰もが、溜息を付いた。でも、行かなきゃいけないんだ。そう決めたんだ。だって、自分には解るから。

人間界で再生して、とりわけ親に愛される事は無かった。でも、取り繕った愛は貰うことが出来た。母親は他人に悪者に見られる事だけは耐え難かったみたいなんだ。だから、どんなに酷い事をされても、自分が悪い子だから母親は悪くないってみんなに言う事にしたんだ。でも、仲の良い子は信じなかった。何かを嗅ぎ分けたかのように、母親はその子の親と仲良くし、自分はもっと馬鹿で悪い子を演じなくてはいけなくなった。疲れ果てて、ひとりで遊ぶ事にしたけど、平気だった。ひとりじゃない気がずっとしてたから。でも、それが一体何のかは分からなかった。太陽に問いかけて見ても、眩しく照り返すだけで、何も答えてくれなかった。何かを補う様にそんな日は決まって、夜になると、メリーゴーランドが現れて心情に合わせた美しい音色を聞かせてくれた。偽りばかりの世界で生きたくないけど、生きなきゃいけない。そんな気がしてた。でも、一体何の為に? メリーゴーランドの音色に身を委ねていると、本当の愛に触れた気がして、幸せだった瞬きを想い出すような気がしてた。でも、想いだせない・・。

陽だまりの温もりが、心の奥に眠っていた寂しさを優しく照らし包んでいた。

弧霊

水面に映る自分を見るのが大好きだった。ひとりで遊ぶことに慣れていたけど、小さな龍と出会ってからは、楽しい事も嬉しい事もワクワクも2倍になった。じゃれあって遊んだり、喧嘩したり飽きることなんてなくて、ただ一緒にいるだけで幸せが膨らんでいった。そんなある時、小さな龍は使命感に駆られて、人間界に行く事になったんだ。しばらく、元気が出なかった。寂しくて、寂しくて。会いたくてたまらなかった。そんな時、神様が水面に人間界へ行った龍の姿を映し出してくれた。毎晩、毎晩、何かを押し殺すように泣いている姿を見て、胸が張り裂けそうだった。どんなに、懇願しても、神様は力の無い優しい表情で、首を横に振るだけだった。ある時から、龍の姿が水面に映らなくなってしまった。神様を忘れてしまった人間を見守る事は限りがあるんだってさ。どうか、どうか姿を見せて欲しい。どうか忘れないで。どうかこの想いが伝わります様に。何度願っても、水面には自分の泣き顔しか映ってなかった。どこからか、零れ聴こえた水滴の音色が、ぽっかり空いた心の穴を癒してくれるようだった。音色に合わせて、想いを言葉で紡いでみたら、ふたりで過ごした幸せの瞬きが蘇る様だった。だから、何度も何度も謌を紡いで、水面に浮かべては再び映る龍を待っていた。居た堪れない気持ちを抱え、神様に駆け寄ると、何かをじっと眺め、険しい様な悲しいような表情を浮かべていた。龍は無数に群がる悪魔に喰われてしまいそうになりながらも皮一枚のところで、悶え苦しんでいた。そして、自分の人生を呪っていた。いつの間にか、龍は少女の姿に成長していた。誰の眼が見ても、このままでは、持ちこたえそうには無かった。僕は急いで、人間界に行く事にしたんだ。今回ばかりは、神様もにっこり笑って頷いてくれた。

僕が半分引き受けるよ。そう言って、人間界に再生した。

僕はどうやら本当の母親と会えない巡り合わせのカルマを担ったらしい。最初は分かっていたけど、今ではそれが本当かどうかも分からない。いつしか弧霊だった時の記憶も途切れ途切れになって、孤独を抱えるようになった。でも、なぜか、本当の母親は会いに来てくれる気がしていた。その想いに比例するかのように目の前の母親が本当の僕を受け入れる事は無かった。ただ、他の兄弟みたいに抱きしめられたかっただけなのに。それさえ叶わなかった。月明かりに照らされ、祈るように本当の母親との再会を夢見ていた。月の光があまりに優しくて、いつの間にか眠りに落ちていた。水面にそびえ立つ、廃墟の様な城の一室で横たわる女性を看病している自分が居た。女性を励ます為の音色を届ける役割を担っている様だった。何度届けても、自分はどこか焦っていた。命を繋ぎ止める事に必死だったのかもしれない。少し笑ってくれる時も泣いて喜んでくれる時もあった。その女性の反応の全てが、しあわせに感じて、生きる意味を得た気がした。目が覚めて、かけがえのない本当の幸せを手繰り寄せる様に、四六時中、無我夢中で、女性の存在に音色を紡ぎ合わせ、女性の影を追うようになった。世界がどんなに腐っても、何も怖くもなかった。たくさん敵に回しても悲しくなかった。音色が本当の愛を紡いでくれると信じていたからだ。

月夜に照らされ橋が架かるように、夢で会えてた女性がいつしか城からいなくなっていた。急に、怖くなった。でも、止めることは出来なかった。実在するかも分からない影を追い求め、輝くことが疲れた陽の光の様に、希望を見失い、眠れない日々が続いていた。

誰もが、あの世の愛を果たす苦難の旅人。

真の愛を果たすのは並大抵のことではない。あの世での契りや縁も含め、この世の試練を乗り越え、己の愛の真価を確立するところから始まる。しかし、二体の自然霊の様に気質も性質も違い生きるフィールドも交わらないながらも、呼応する愛は確かに存在するのである。あの世の縁がこの世で無数に成熟する程、この世の生命体エネルギーが引き上がり、地球生命体の本来のサイクルが回復し始める。しかし、安直なソウルメイト論やツイン説を肯定する訳ではない。高次意の類魂の分魂が再生しなくてはならない時代とはそれだけ人霊のカルマが破綻を迎えているという事である。犠牲を伴う乱世の再来に祝杯を挙げる気になれるものだろうか?闇が濃ければ光も強い。光が強くなれば闇も濃くなるが、人類愛が目指す次のステージは光と影である。闇に帰属する陰湿なネガティブさとは全く別物である。また、ソウルメイトとは、愛の学びの過程に過ぎない。それには切るべき縁と結ぶべき縁が存在する。愛の真価に近付くと必ず邪魔をする悪魔が現れる。己の愛が真価に達し、確立していれば何も恐れる事は無い。悪魔が邪推なカルマを担うだけである。愛の価値観を問えば十人十色である。しかし、愛の真価に到達すれば、愛はボーダーレスである。

さて、龍と弧霊はどうなるのか?

あの世から見たこの世は刑務所よりも酷い場所である。悪魔にとってはあの世の理がこの世に反映されていない分、楽園である。この修行場で、我々はひとりでも多く、己の愛の真価を確立しなければ、悪魔優位の社会を変えることすら困難である。人霊向上は愛の真価に帰属する。逆に言えば、この世は、それしかないシンプルな事なのである。人間はそういった大事なことに限って忘れ、悪魔のミスリードに乗せられ、自ら複雑化させてく。自然界の生命体と運命共同体だというのに破壊と汚染を繰り返し、自ら破綻と崩壊の道を無自覚にも選び歩んでいる。こういった矛盾は人間が産み出したものだから、如何にも変えようがあるはずである。だが、誰も成し遂げない。人類生命危機を複雑化させているのはいつだって人間である。さて、二体の自然霊である龍と弧霊はこの世で再会を果たせるのか?幼少期は共通して、愛の枯渇から愛の真価を学ばされ、人霊に左右されない自然霊の性質を活かし、愛の独創性を産み出し、運命を切り拓こうと藻掻いている。自己の成熟後の寂しさは愛の始まりの前兆である。

昔から語り継がれる、狐の嫁入りには晴れた日に太陽が出たまま雨が降り、虹が掛かる事もある。龍は雨、弧霊は晴れを司る。二体の融合エネルギーが産み出す虹はきっと神の愛に満ちた祝福に違いない。

あの世の旋律をこの世で体現する苦難と成功に魅せられ足を運び、水面に浮かぶ旋律のページをめくれど現れる、愛と孤独の狂想曲。

天国と地獄を彷徨う愚者を責める訳でも、なだめる訳でもなく。ただただ受け入れ、陽の光に照らしたことにより、月は明かりを失わずに済んだ。

次は月がただただ、陽を受け入れ、月明かりで照らす番である。

月は水面の音色を確かに知っている。

愛は欲張るものではない。ただ静かに、たったひとつの愛から無限を生み出すものである。

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