月精陽精

月精・日(陽)精

月精は男子、日精は女子とあるが、人間界における男女で産まれる学びは陰の性質を活かし陽を学び、陽の性質を活かし陰を学ぶ、魂の理が人間的解釈によって生じたものである。人間界での陰とは女子であり、陽は男子である。この度の再生魂に無いものを学ぶのがこの世の役目である。要するに、男子の性質を持って女子となり元来の霊的男子を求め、女子の性質を持って男子となり元来の霊的女子を求め、互いに習い愛を育む事で陰陽の学びを成熟し、産まれた役目をひとつ果たす事になるという事である。ろくでもない相手ばかりを加護するのは己の魂の経路がろくでもないからである。要するに、相手の性を通して己のこれまでとこれからの魂を体現しているのである。

両性質については、陰の性質を陽で果たそうとせず、陰の性質で果たそうとする魂の欲求である。欲求と役目の狭間で藻掻くも、人間の学びである。人間が人間を愛する事に条件も罪も無い。愛の苦難が有るとするならば、引き合う階層値の横旅、真旅の混濁を有する人間特有の固定概念と支配欲で満たされた執念深さで生じるものである。

月精

人間の命は水から始まる神秘の愛。

胎児を守る羊水が波立っているのか 透き通る愛に満ちているのか 

離れる事なんて出来ないのに 引き剥がされたあの痛み 

暗闇の中で溺れ藻掻きながら、愛を護る為に、愛に傷つき、愛に裏切られ、愛によって救われ、愛の偉大さに感歎の奇声が明日を紡いでいく。

泣いても笑っても 愛はどこにもいかないはずなのに孤独を拭えるほどの光は見えてこない。水の如く愛に触れないと枯渇する愚かで愛しき生命体の雫たち。

神水を奪い合い、愛を虐げ、愛を利用し

生きる根源から愛を奪っていく儚げな生態系の不純物。

月の精が陽の精に恋をし、愛を知った時、月明かりがこの世の愛と光を再生し

人類は感歎の奇声を神に届けるのだろう。

陽精

月が生命を宿し、陽の光が生命を育む 

肉我を覚ます陽の光が 魂に囁き問う 

下を向いても、上を向いても、陽の光は人の心を炙り出す 

優しくなれない自分  優しくありたい矛盾を葛藤し 

照り返される灼熱が 血肉を這う源となり 曇り空の合間に 月に恋をしてみる。 

心は安らぎ 解放と再生に愛が芽生え 月の魅力に抗えず。

どれだけ月を想い 光を生み出し続けても 届かぬ思いに 照らす事さえ雲の合間。  

果てしない孤独を抱え 同じ悲しみを抱きかかえ 愛を揺さぶり起こす光に悶えながら 抱えた孤独達と 無償の愛に辿り着く。

月と陽の光が重なる事がなくとも 陽の光は愛で深まる夕焼け空。

七夕伝説の儚くも確かな真実の愛に触れ

月と陽の恋模様が空を彩り謳う。

神の眼となり、脳と成りませう 我が命枯れるまで 月明かりの下 陽の精を呼び覚ましてみせようぞ 奏でる祝音に耳を寄せれば 人霊向上の時来たり  我が命これ以上ない愛を知る。月夜の精が光と愛を再生し、陽の精が光と愛を産み出し こぼれ落ちた雫は見果てぬ虚無と成ろうぞよ。天晴れ、天晴れ、神に奉納する我が人生。

今世も来世もあの世でも過去世を紡ぎ 月と陽は恋をする。

カルマの行方とこの世の報酬

低い者は高い者に己を投影し、揶揄、卑下する限りである。己の万華鏡の写し鏡に妄想を抱き、自分以上の事は理解と努力が及ばないのが現代の人格病である。高い者には低い者の僅かな粗さえ、透けて見えるものである。高い思想観に習い、低い思想観を脱ぎ捨てる抗えぬ向上欲を高等動物の誇りと共に捨て去った様である。幸福や成功は苦労を前払いする義務を果たす事で始まるのが、この世の対の法則である。社会の幸福の務めとは社会の不幸を背負うという事である。似非やまがい物では決して果たせない真実の人類愛である。例え、他者の幸福を奪い、己の不幸を責任転嫁しても、物的事情が変化するだけで、正負のカルマは変容しない。思考=有言実行が成立しない無責任者や陽気に前向きに直向きな真心が無い破綻者には果たされない対の法則である。

運命を創り磨き上げるのは自分が蒔いた種の因果応報の限りである。

人間がいくら結託し、傲り高ぶったとしてもカルマは何も変わらない。

さて、人間未満の果ては如何なるものだろうか?結論、知ったような口を聞き自滅するのが落ちである。たとえ、日本人の精神性の礎である神社仏閣を制した所で、物的事情が変わるだけで、神々は何ひとつ変わらない。僅かに残った日本人の精神性に神が呼応し国全体が加護を得ているだけである。神我に精通する日本精神を破壊したところで内なる神も無傷である。ダメージを受けるのは人間的部分のみ。大病を患わっても、片足を失っても、精神加害を受けても魂は変わらない。だが、加害側は自ら魂そのものを奈落の底に落とし加害した以上のカルマを背負い人間らしさを失う。いくら着飾って、造形を整備したところで内側から滲み出る美しさや愛には敵わない劣等感に追われ続ける。また、誰かの幸福を奪い自分の不幸を責任転嫁しても本当の幸福は音連れず、物理的にも精神的にも多くのものを失う。たとえ、お金がいくらあっても渇きは潤せず、心も暮らしも飢え、自己暗示に掛けた幻想の世界観の中で生きる事しか出来ず、幻想と現実の境目が解らなくなり本当の自分さえ見失い低級霊を背負い体現する人生へと移行し、元には戻らない。

魂が帰幽する階層は格下の色の無い世界である。

精神性を差し置き欲得を競り合う人生を幸せと呼ぶならばそうなのだろう。しかし、己の欲得の為に、他者や社会を利用し搾取するのは身勝手極まりない幸福論である。本当の愛や正義心で溢れていれば安直な思考で人を裁く愚かさに身を投じる事は無い。しかし、無愛者は鬼の首を取ったように高らかに戦利品を掲げ、他者の弱みに付け込み、欲得を得ようと賛美する。人間はどこか矛盾を抱え生きるものだ。しかし、善悪の概念を失い生じた矛盾は負の元凶でしかないのである。

人間の弱点は愛する真実の経路に帰属する。愛で炙り出される己の未熟さを精進するからこそ、この世で生きる霊的価値が高まり、呼応した分の物的報酬を神の采配によって恵まれるのが古代からの自然の摂理である。摂理に反した分が負のカルマの種となる。

周囲を見渡せば現在の日本国がいかに落ちぶれたかが顕著に見て取れるだろう。偏向報道を妄信しテロ国家を支援する無知層は人間未満と言わざる得ない愚行である。ウクライナやイランは人身取引やテロ支援、核保有条約違反、国際海峡違法を犯しているテロ支援国である。これらを制圧する米国や露国を悪役に仕立て上げている事自体が日本国がテロ支援国だという証である。抗日三国の帰化人の人権を保護し生活を保障した結果がこれである。やはり、日本先祖が声を上げていたように侵略の種に過ぎなかったのである。国際問題だけでなく、子ども社会の犠牲者は予見していた通り増加している。辺野古学生殺傷事件、京都行方不明殺人事件も保護者に全振りした偏向報道が過熱し教育関係、共産事業が関わっている組織的犯罪の一角である。犯行動機にカモフラージュを掛ける為、抗日兵がSNSで音頭を取りテロカルト信者及び利権者で溢れ返り、知ったような口を叩き偽造工作に打って出ている。これを賛美する無知層の存在は世も末である。日本は創価警察が集ストを使い探偵ごっこが増えてから冤罪大国となったのは揺ぎ無い事実である。

辺野古事件は抗日活動を授業で扱う事自体が、教育法に反した違法である。また、政教分離違反の社会問題解釈の植え付け、扇動は憲法違反である。それだけではない過失は当然、安全管理を怠り虚偽を申告し犯行動機をカモフラージュした故意による組織的殺傷事件である。京都事件は行方不明になった直後から虫の息であった。体が麻痺した様に、あるいは血を抜かれた様な衰退ぶりであった。人身取引、生贄、臓器売買の人さらい事業による様子見の可能性も含み、両親は組織的犯罪から逃れる為に全てを被る可能性も大いにある。ましてや、台湾では継父は中国籍だと報道されたのが事実であれば、なおのこと共産犯罪組織に拒む権利は剥奪される。事実、共産党は殺人事件によく関わっておりオウム真理教同様、公安警察監視下である。公安警察のテロカルト依存率は2~3割であり、警察のテロカルト依存率が6割に対して少ない為、辺野古の海保がまともだった様に比較的機能している組織である。しかし、問題は黒幕の組織体が野ざらしに成り続けている事だ。被害者は犯人に対して「準備がされていた」継父に対して「身近に居る」母に対しては、母との愛のメモリーを辿っているところである。被害者の思念はどこか生贄を承諾せざる得なかった様な妙な受け入れ態勢が垣間見える。保健室に滞在しがちだった間に何かを悟った様である。そして、残された思念に両親への感謝と愛に偽りはない。家族だからこそ、つらく当たる事もあるのは愛ゆえである。しかし、集ストや闇バイト者たちは、継父である弱みに付け込み、職業背景をこぎ付け、断片を切り取って拡大解釈しSNSで拡散し救いようのない悪質さである。また、捜査撹乱、語弊、誹謗中傷、冤罪に繋がる様な情報を取り締まらない国が極めて無能である。まともな人間なら保護者への配慮が先立って憶測を控えるものである。それが口を揃えたかのようにSNSが先行して我が子を失った保護者への誹謗中傷を止めることは無かった。例え、疑わしくても法的確証がないまま素人判断はせず控えるのが最低限の配慮である。主犯は集ストのリーサーチ集計データーを元に犯行のシナリオを立て、冤罪を掛けれる都合の良い家庭を選んだに過ぎない。現に継父は自分が被れば丸く収まると考えている。悔いても取り戻す事の無い息子を想う自責の念が継父の心を無機質にしたのである。血の繋がりなど人類愛の前では希薄な肉体の契りに過ぎない。家族の事は家族間でしか分からないものである。また、報道される事件の真相は国民に知らされる事は無い。国防の為にぼかす意図があったが、近年は犯罪組織擁護の為の詐欺報道に過ぎない。

罪の無い異国籍者を似非日本政府は守る力など無い。これが、抗日三国が他国を侵略してまで、自国民に行う大罪である。反日感情を持っておらず、気立ての良い中国や朝鮮の善人を日本国内で守れないような日本人は非国民と言わざる得ない。日本先祖が天に宝を積んだ人徳をないがしろにする様な醜態だけは晒してはいけない。善悪の概念を見失い、犯罪者と同じ土俵に上がる様な愚行は人類最大の恥じである。

また、子ども社会も食い物にする犯罪組織は今に始まった事ではない。教育関係者などと連携し、児相の職員は何かと理由を付け、人さらいを繰り返している犯罪組織である。校門前で拉致監禁された児童は現に複数存在する。書類上は親の虐待の疑いなど勝手に丸め込んでいるが当然事実ではない。児童本人が施設から脱走して親に保護を求めるケースなどざらにある。これは愛情剥離を狙った日本人の社会的排除もしくは人身取引の様子見の目的を持って行われている。今回も山の捜索に重点を置くより、教育関係者、共産主義者、カルト宗教者及び各利害者を徹底的に洗えば話は早かったはずである。学校で行方不明になったのに防犯カメラを妄信し学校を徹底的に洗わなかったのはなぜか?防犯カメラの死角で、手をこまねいていた人物は一体誰なのか?単独か複数か?山の捜査で時間を稼いだのは、組織的犯罪の連携プレーが情報撹乱の為に証拠を散らばせた前座に過ぎない。人気のない学校の暗い一室や地下、周囲の空き家又は関係者の自宅別宅倉庫等をろくに調べもせず、監禁場所がまさか一か所だけだったと踏んだのならばお花畑も良い所である。組織的犯罪は監禁場所を小まめに移動させる。死体遺棄後の繰り返しの移転は現実的ではない。損傷の有無も転移し疑わしい限りである。実際、事件死した遺体の損傷部位については報道とは誤差があるのが大半である。また、創価警察により、情報撹乱の為の故意の捜査指示があった可能性も否定は出来ない。日本人をあざけ笑うかの様に偏向報道で世論に刷り込んだ典型的な計画的組織犯罪の氷山の一角である。創価警察、近所の学会員又はカルト宗教者、共産主義者、教育関係、子ども関係者を洗う方が主犯、共犯が炙り出され事件の解決は早かった。特にこの周辺の校長界隈や共産主義者はきな臭さの塊りである。だが、今回は様子見に過ぎない。テロカルトを舐めてはいけない。善悪の概念が崩壊している為、どこにでも潜伏し、何だってする上に執念の塊りである。もっと多くの子どもあるいは親子に危害を加えるか殺害する事で恐怖心を煽り、主従関係を叩き込み、人身取引、侵略犯罪を神格化させるつもりである。

これから、更に、子ども、親子を狙った組織的犯罪が増加する見込みである。学校で事件が起きると誰も予想しないからである。犯罪者たちは奇襲攻撃のつもりなのである。そして、決まって真犯人は迷宮入りし、犯罪の全容は犯罪組織のシナリオ通りに事は進み、台本通りの『犯人』が報道される。そして、羊層は組織的犯罪など身に体験するまで信じる事は無い。

生物兵器を政府が国民に任意と言いながら強要した地点で行政機関を信じてはならないのは当然の流れである。また、福島原発事故も故意による日本人ジェノサイドを狙った被爆拡大事業である。これまでも、子ども社会を狙った旭川女学生殺人事件やいじめ殺傷事件は無数に発生し、無法地帯のままであるが、表に出るだけまだマシである。犯罪者たちに余罪を積み重ね反省する事など無い。もっと巧妙に完全犯罪を行うまで労働党員から順次各業界に補充されてくる。どんなに上手く取り繕うが、親が子どもの時に通った様な学校は存在しない。犯罪組織の温巣となっているのが現実である。『義務教育』という責任問題で不安感を煽られ、犯罪者を見抜けない親もどうかしているのも事実である。子どもは大人の力を借りないと生きていけない。我が子を守るために親は自己保身は捨てて頂きたいものである。テロ支援国家に明るい未来の就職先があるはずが無い。学歴や肩書を配慮したところで子ども達の未来は守れないのである。子ども社会に必要なのは犯罪組織に順応する脳構造ではなく、犯罪に屈しない高い精神性に必要な、親や大人たちの大きく深い愛なのではないか?

『光り輝く未来を歩む、大切な友人たちへ  
私は今21歳の若者として、この手紙を綴っています。あなたが今好きな人を愛し、好きな場所へ行き、自由に夢を語れること、それこそが、私の特攻が成功した何よりの証拠なのです。私が散った後の空に真っ白な飛行機雲が自由に描かれているのなら、私の人生に一片の後悔もありません。どうか、僕の分まで恋をして、僕の分まで美味しいものを食べて、お腹をかかえて笑ってください。この国がいつでも、歌声と笑顔で満たされていること、それだけが、雲の上で眠る僕たちのたったひとつの願いです。
美しい日本をよろしくお願いします。
さあ顔を上げてあなたの時代を思い切り謳歌して下さい。 』    
(特攻隊員による手紙)

世界中どこを見渡しても死に間際に立派な言霊を残せるのは戦前の日本人くらいである。この想いを紡ぎ未来の宝を守るのが日本人として当たり前の責務である。理解が及ばぬ人間未満の権利など紙より軽いものである。

テロ支援国家となった日本国は制裁をま逃れることは出来ない。第二次世界大戦時、日本国がアジアの盾にならなければ現在の抗日三国は存在していない。英国、米国、仏国、和蘭国の領土や植民地となっていた。時を経て、戦争の意義は様変わりした。現在の軍事の存在意義は悪魔の制裁である。つまりはテロ撲滅である。これにより、人口の4割は最終的に削減される見込みである。本当のマフィアは世界の秩序が保たれてこそ仕事が出来るものである。世界の敵は終始テロカルト一択だという事である。

悪魔の人面獣心に惑わされるのも内なる悪魔の共鳴である。

嫉妬や逆怨みを正当化し、他者幸福を奪っても本当は何も変わらない。変わったのは己の獣心だけである。この世は対の因果応報の世界。あの世は永久の因果応報の世界。生き逃げも死に逃げも叶わない神のシナリオの一部に過ぎないこの世の過ちである。

如何なる侮辱を受けようが冤罪を掛けられようが、神我に沿う魂は永遠の光となり人種も国も時代も超え人々を照らし続ける愛となるのである。我々は偉大な愛に何を照らされているだろうか?

自分の歩いて来た道が未来の自分そのものである。誰のせいでも何のせいでも無い。歩いたのは紛れも無い自分の足である。

未来への紡ぎ

次元の低い物差しで、高次元を図ることは出来ない。この世を低い思想で社会形成すれば当然、負の代償は生まれ続ける。それでも、低層魂は負の歯車の中でしか己の価値を見出せず、誰かの幸福を搾取し続ける道を正当化する。低層魂にとって、高層魂は敵である。内側から放つ美しい光や愛が疎ましく、憎くてたまらないのである。己の惰性や不努力も省みず、内なる悪魔を飼いならし続け、光を奪い取ろうと執着し、人工照明で己を照らす表面処理が精一杯の努力である。この世の社会問題ひとつとて、高層魂は悪い手本を横目に光を増し、低層魂は現世利益を隠れ蓑に階級を下げる一方である。

愛があれば、自分がされて嫌なことはしない。
思い遣りがあれば、場当たり的な嘘や保身で逃げる事も無い。
正義心が本物であれば、内なる悪魔を正当化する事も無い。
精神性が高ければ、悪魔に同情する事も無い。
最も大事なのは、自業自得の罪から逃れ保身の為に誰かを傷付ける残忍性を持たない事である。

どんなに悪魔が有利に見えても、いつの時代も悪魔の負け戦である。天使は輝きを増すばかり、この真理は未来栄光決して変わらない。

この世の負の遺産は、低層型悪性魂を擁護する偽善と社会構造である。

GHQの支配下は70年間で効力を失っている。2016年に解放されていたはずの日本国は売国者によって、密約を交わし10年先延ばしにされ、2026年3月を持って満了の運びである。戦後の売国は1945年代の吉田茂首相(麻生太郎血族)から始まり、1960年代の岸信介首相(安倍首相血族)に引き継がれ、日本国への支配は中国朝鮮系に移行している。日本国の敗戦理由にも、世界の戦争誘発に、抗日三国兵(中国、南北朝鮮由来)がおおむね絡んでいる。GHQからCIAへ移行した日本国への内政干渉を進めると共に抗日侵略の陰謀に目を付け、アジア圏の本当の悪魔を炙り出す為に日本人に不利な条件を叩きつけ人間的反応を観察し、人間選別しているのである。まともな人間であれば、自国民を守り、抗日兵の再教育を真髄に考え実行するはずである。元参議院議員山本太郎氏は人種関係なく日本国に住まう全ての人と日本経済を豊かにし、誰もが公平な安全が得られる国を目指したが、抗日兵による日本人排外工作が止む事は無かった。山本氏なりに人知の限りを尽くし闘病生活へと移行した。国務めとは、ひとりで成し遂げるものではない。誰かがあるいは国民が有志による功績を紡ぐ必要があるのだ。筆者は山本氏に納得いかず、譲れない想いを高めるひとりである。それは、現在の負の遺産の根源となる因果関係を度外視してはならない事である。負のカルマの清算には、神国の高い霊交思想の再起が欠かせない。

高次元の霊交思想はAI信仰を遥かに超える、最先端未科学である。

現在の国内問題の始点となる日本国の敗戦の事由を知らないのは日本人くらいである。抗日三国の自国民への残虐性の尻を拭い、アジア全体を繁栄させ、守ろうと捨て身で働き掛けた日本国に罪を全てを押し付け、米国の原爆を投下させる標的に仕向けたのは紛れも無く抗日兵である。抗日主導による洗脳教育が義務付けられた日本人が知る由もない事実である。真実を曝け出して、歴史的見解や分析力を磨かせる教育が本当の教育である。戦前の日本教育は優れていた。洗脳ゆえに、戦場に志願する者などいなかった。日本国に誇りを持ち、世界平和あるいは国際的秩序の先駆けとして自分で社会情勢を分析し、志願する者で溢れていた。霊交思想が残る日本精神はいつかは滅びる肉体を国に捧げ、未来の日本人に人霊の幸福の一派を託した大儀の果たしであった。当然、納得いかない者は抗った。見せしめの様に軍国主義の暴力に吊るされたが、それで良かった。魂の輝きは階層値を超え、最上級に価値を高めたからだ。

神我に精通する正しい想いは肉体や時代を超え、正しい者に引き継がれ紡いでいく。これが、どんな逆境も好転させる日本人の強さである。

天は見て御座る。

天使から見ればこの世は地獄ゆえ、魂の限りを尽くし学びを終え、次元の上がったあの世に帰幽することが幸福である。しかし、悪魔から見ればこの世は楽園である。この世に留まる為ならば何でもする。この世の創造主である神と共に日本国は国務めが行われていた。敗戦し昭和天皇崩御後、後続天皇は朝鮮に侵略された。これにより、敗戦に導いたスパイの黒幕が浮き彫りとなった。国際犯罪である侵略をひた隠しにする為「愛国心」が日本国に有るかのように派手にスピーカする帰化人で溢れ、日本人を中国人や朝鮮人扱いし、身分排除を徹底し、疑いの目が反れる様に仕向けている。天皇の象徴は日本先祖を重んじる日本人の為に在らず、抗日兵の為に存在している。右翼が日本から朝鮮に移行し、左翼が中国に移行した事由はここにある。本来の天皇の役割は神道の最高祭祀者であり、高層媒体でなければならない。いわゆる陰陽師の安倍晴明のような神の所見を有した媒体が求められるのが本来の日本皇族の頂点である。どんなに人間が大掛かりで賛美しようが、高層媒体には成り得ない日本神の領域である。だが、国家公務だった陰陽師道を追い出した時の様に、いかなる神道も我関せずである。神社仏閣を外国人に売り飛ばし、異国の言葉を尊重し、海外のファンサービスに勤しみ、花魁道中、売国行為そのものである。宮内庁は不審死が続き、政府も皇室も日本人の為に在らず。抗日の完全侵略の為に日本人から過剰税収を巻き上げ、マリーアントワネットの様に得意げである。

詐欺師上等、盗人猛々しい限りである。

米国は、国際犯罪対応にも特化している。GHQの支配は2016年で効力を失ってたが、統一教会、朝鮮の犬である安倍首相によって10年も延期されたのは、日本国がテロカルト保有国として、危険リストに上がった為でもある。テロカルトの関連組織は米国にも存在するが、日本が最も多い。その為、主犯格の家族や身内がこぞって住まう日本国で仕掛けることが最も効率が良いのは当然だ。

ピラミッドの頂点に悪魔を乗せれば、必ず悪魔は現われる。狩る側が狩られる側だった代償の特権階級。

集団ストーカー犯罪は国際問題である。先住民排除の為に行われる侵略犯罪の一部である。抗日国は歴史的理由を免罪符に侵略や搾取を正当化するが、どの国々も摩擦や衝突はある。それを外交でバランスを取るのが政治である。相手国の評判を墜とし、ゆすりやたかりを行うのは政治ではなく犯罪者のする事である。

情報より、人格を見ろ。

情報の真偽を観察するのも大事だが、詐欺師や工作者の手の内を暴き知るのも情報の一部である。また、情報はあくまでも良し悪しを決めるものではない。判断するのは自分自身である。用意された答えを強要される場合は何かしらの工作が働いている。また、これが現代の抗日兵が行う義務教育の基盤である。自分で考えを導くストーリーをマインドコントロールしているのである。自分の家族や友人を守る為にも、正しい心眼力が必要なのである。視点が高いか低いかで同じ情報でも180度意味が変わるものである。守りたいものは何なのか愛なのか?欲得なのか?またその視点が高いのか低いのか?便利社会に横着し、一度信じた相手の情報を鵜呑みにしている事自体、自ら心眼力を捨てているのである。相手に悪意が秘められていた場合は大抵、違和感で察知するが、多くは情報や逃げれない関係性に飲まれ違和感を軽視し染まる傾向にある。これにより、無意識の選択下で、工作者の用意した答えと引き合い、奴隷の歯車の中でしか判断が付かず奴隷の集合体が民意に反映され、独裁と奴隷の社会的構図が現実化されるのである。異変に気付いた時にどんなに叫んでも報われないのはこの社会構造の為である。国民主権という唯一の抑止力を活かすのは予防線を張れる危機管理能力に長けている事が条件である。その基盤のひとつが情報や人を見抜く心眼力である。戦前の日本人は心眼力が高く、策士力に優れていた。これを打ち消す為の社会的工作を吹き飛ばさない限り、満足の行く暮らしは音連れない。心眼力は魂のシグナルを高め鈍らせない事が大事である。先ずは、情報の毒素を抜き、自分を研ぎ澄ます必要がある。そして、幽体離脱した様に、自分自身を見降ろし眺め、日頃の自分は最も愛せる人物か、最も信頼できる人物かを見極め内省する事で心眼力は磨かれる。これが本来の客観視である。他人の意見を取り入れるのは客観視ではない。ただの他責思考である。腐った目には腐ったものしか映らない。自分を知らない者に他人を知る事は不可能である。自分の悪性良性を知り磨き、向上させる鍛錬の継続が目の濁りを晴らすのである。人間同士の脳では感知できない部分を魂同士で感知する事で本性が剥き出しになるのである。悪性魂は暗黒を望み、言霊は違和感や競争感、不安感、恐怖心、喪失感などマイナスの視点が残り、善意の強い言霊やエネルギーはインパクトが残り、刺さるように感じるのは浄化作用が大きいからである。また、精神ではなく魂が揺さぶられる感覚がする。だが、自分の悪性に蓋をすると、善悪逆転して感じる。日々の鍛錬一択である。

親日を救え。

150年から220年頃、中国の帳仲景が記した『傷寒論』が原点となり、5~6世紀頃に、古代中国の西域とインド医学と融合した医学は朝鮮半島を経由し日本国へ仏教と共に伝承した。日本国は、この伝統医学から漢方を独自に発展させた。日本の気候や日本人の体質に合わせて1400年以上の時間を掛け独自化していき、中医学も韓医学も同様、国に特化した異なる形態の伝統医学である。これらを総合して東洋医学と称する。また、医食同源の栄養論は多くの人々を救って来た。このような素晴らしい功績さえ打ち消すような抗日活動や世界への侵略行為はいかがなものか?侵略や否定から始まる関係性の末路は破綻と崩壊でしかない。どの国の大統領、首相も国の歴史を背負いながらも、始点は自分の任期開始時である事を見失ってはならない。これまでの前任の問題点は残るだろうが、あくまでも時代を創るのは自分自身である。過去の清算と未来創造はきちんと部別して取り組まなければ国力は弱まるばかりである。また、リアルタイムの当事者でもない歴史的背景は外交侵害の理由にはならない。歴史的洗脳を自国民に植え付け国際問題を矮小化する国を誰が信じるというのだ?これが民意総意ならば仕方がない。こういった種族なのだと諦め断交するしか道は無い。しかし、歴史的背景を理由とした侵略や加害を正当化しない善良心や心眼力を失っていない善良民は保護されるべきである。中国が朝鮮族(朝鮮民族別儀)を使い、北が中国の立場を利用している。テロリストに力を与えない為に日本人が出来ることは国内の抗日兵、侵略兵を叩き出す事である。

悪魔は晒す程、効力を失い、暗示を解く程自滅する。

人種国籍関係なく、自分の住まう国に責任や愛着心が持てない者は移民資格を有する以前に人として破綻している。また移民に関係なく生まれ故郷の恩恵に感謝出来る人間はどれほどいるのか?故郷が居心地が悪くて移住し、その先でも不平不満ばかりの人間に土地神の加護が働く訳がない。就労先も同じである。いくらブッラク企業でも転職を繰り返すだけではダメである。利点と欠点を引き出し選択肢を分析する事である。どんな選択でも責任を果たすのは自分自身である。他人ではない。

現代の問題点は社会構造の破綻である。張りぼてに繋ぎ合わせても壊れるばかりである。根源から再起しなければならない。人生と同じである。

社会貢献の第一歩は働く事である。社会構造が破綻すれば、貢献ではなく奴隷の献上である。働くことはただ労働を積み重ねるのではない。最善最良を目指すから発展するのである。人が国を変えるのである。おもてなし文化は人間性の発展と社会性の豊さを根差している。仕事に誇りを持ちプロを目指すのが職場教育である。しかし、社会が独裁構造に変わると奴隷の量産化が職場教育の軸となるのである。打算的で依存的な人間は待遇の良い奴隷環境に満足するだろう。しかし、本来、国に必要な希少な人材が社会的排除に追いやられているのである。この着眼点を穿き違えない国が国力を保持し続けている。外国人労働問題は治安悪化や先住民との椅子取りゲームの懸念だけでは無い。国防に関わる重要な問題である。

どの国も就労する以前の人格の問題である。侵略は武力だけではない。人格兵器、生物兵器を即刻、追記すべきである。世界平和と秩序の為に、いかなる高貴な肩書であっても利他愛に芽吹かない者の移民、入国は避けるべきである。当然、日本人でも同じである。これが、犯罪予備軍、テロ準備罪を未然に防ぐ国防の先駆けとなる。

宗教が人々を惑わせ、内なる神との縁を断絶していく。

厄介なのは宗教思想の拡大化である。特に国内においての宗教法人は反日組織が多く朝鮮系が大半を占めている。近年、中国経済は崩壊の道を辿る一方である。この穴埋めに日本の観光業を始めとする再生エネルギー、ライフライン、不動産業が食い荒らされている。侵略者は潜伏期間に大元に情報提供するが、日本人に馴染み身元がバレないように段階を踏んで人員を変え巧妙な手口で入出国を行っている。戸籍乗っ取りの為に誘拐や自殺に追い込む事すらする。こういった人間を匿うのが宗教である。侵略組織はとにかく人数が欲しい為、近年はスピリチュアルブームに便乗し、スピリチュアル系、霊能者、占い、神社仏閣斡旋、相談役等々の精神世界に喰いこみ単発バイトなどの新規募集窓口となっている。その窓口や各業者の紹介役を担っているのが個人情報や身体的特徴、人の弱みを握る反日セラピー業界である。集ストの情報提供に飲食店や風俗店なども連携し、地方になるほどスナックなどの情報屋は陰湿である。情報提供元が本人にバレない様に本人潰しを徹底的に行う。また、ターゲットが本人とは限らず本人周囲可能な限り沈めるのである。協力者には口止めを強要するが従う方も頭のネジがほとんど残っていないのである。日常的に敵視する相手に必要な情報を隠し味方の振りをする様な連中である。風俗店連携は枕営情報業や人身取引にも絡んでおり反日犯罪の宝庫である為、恫喝脅迫は朝飯前である。これを締める日本ヤクザの存在が邪魔だった為、社会的徹底排除したのである。日本ヤクザは一般人に関わる事が無いが、日本団体名を使用する反日輩は一般人、特に善人を狙い悪人に仕立て上げ、腕前を自慢し見せしめにする様な因循姑息な手腕を好み、男社会の流儀も無いタマである。また、学校周辺、学校関連、子ども関係、子どもを狙うのはオウム真理教後続団体の者が指揮を取り、創価学会、カトリックなど様々な宗教あるいは信者の一部が参加している。子ども食堂もまともなものは地方によってばらつきがあるが2~3割しか存在しない。まともな所も公金狙いが1割ほど紛れこんでいる。全体の7~8割はテロカルトもしくは関係者たちが、テロカルト支所として存在している。人身取引、臓器売買、血液利権の誘拐、集ストなどが獲物の生活リズムや顔認識、情報搾取などが行われている。工作員が投げかける日常会話が誘導尋問の搾取だとは気付かない程度の人間でないと困る為、社会問題に便乗し、テロカルト主導で新規募集を行っている。社会問題の元凶はテロカルト、抗日兵、侵略兵、無知層、人格異常層である。いくら断れないからといって、善人の悪口が言えるだろうか?何も悪くない人間を自殺に追い込むことが出来るだろうか?見るからに性格の悪い者の垂れ流す個人情報を信用出来るだろうか?だが。人格異常層はこれが出来るのである。金や保身の為なら、家族や子どもを楯にしてまで、自分の犯罪を正当化できるのである。本当に子ども社会を憂いるならば困っている家庭に現金で寄付をすれば良い事である。もしくは狂った社会構造に徹底的に抗議するのが大人の責任である。世の中には一定数の社会に出てはならない人格異常層が存在している。本来ならば、国防の為に隔離されるべき層である。生活の安全が保障され、規律正しい生活リズムに清潔で自立した指導や幼少期に失われた善悪の概念や道徳心などをゼロから、再教育するシステムが必要である。軍事費や実態の無い省庁に莫大な予算を掛けるより遥かに安上がりである。犯罪者に犯罪をさせない国造りとは徹底した再教育が必要なのである。人格異常層から見れば正常な人間こそ異常に見えている。だからこそ、例え妄想で造り上げた悪人像を善人に押し付け社会的排除をする事に罪悪感すら湧かないのである。宗教は狂った人間にも社会で生きるチャンスや権利を与える。場当たり的な救済の先に誰かのもしくは多くの人権を奪ってまで己の人権を主張する異常者が増加したのも事実である。宗教戦争、生贄事業、小児性愛者、集スト、人身取引、生物兵器斡旋、これらに多くの宗教者が加担している。宗教の教えとは人殺しや犯罪を増産し匿う事なのか?お天道様に顔向け出来ない魑魅魍魎よ恥を知り、神国を去るが良い。悪魔はどの時代も最初から負け戦。この世の創造主は神である。神の幻覚者は神の加護の道に在らず。死神の領域である。

人間は有限であるが、魂は無限である。

神が幸福や不幸を産み出しているのではない。人間が糸車の中で幻想を追っているだけである。

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